/6 晴歌
金曜日の朝、外出の準備をしていたあたしのところに一通のメールが届いた。
メールは大学から一斉送信されたもので、内容はその日の全講義の休講を知らせるものだった。また、週明けには大講義室で緊急集会を開かれることになったので、それには必ず参加するようにとのことだった。
きっかけはたぶん、昨晩起きたある事件。
今朝のニュースによると、ある先生がアパートの自室に放火する事件が起きていたとのこと。不幸中の幸いなことに、その事件で亡くなったのはその教員だけで、火は周りの数室に燃え移る程度で鎮められたという話だ。
詳しい事情まではわからなかったけど、それが自殺であることは容易に想像できた。名前くらいは聞いたことがある先生だったので、あたしも少なからずショックを受けた。
用務員、事務員、学生、それに教員までもが亡くなっていたことで、ようやく大学側も重い腰をあげたのだ。
――といっても、その対策にどこまで効果があるのかは少し疑問ではあるけど。
なんにせよ、金曜日は朝からそんな重い話を聞いて、気持ちが暗くなってしまった。とりとめもないことを考えたりして何をするにも集中できそうになかったのだ。
講義の予定も白紙になってしまったので、さてどうしたものか、と考えている間に時刻は正午を過ぎ。
そうしてお昼を買いに外出しようとした矢先に、今度は意外な人物からメールが届いた。
その差し出し人の名前を見て、あたしはちょっと前にしたある約束を思い出し――ようやく、その日やるべきことに思い至った。
***
「すいません巡さん。無理を言ってしまって」
「ううん。ぜんぜん大丈夫だよ。今日ちょうど講義休みになってたからさ」
午後4時。バイトの時間よりもかなり早く、あたしは奏多ちゃんのところを訪れていた。
お昼頃のメールは奏多ちゃんからのもので『相談したいことがあるので、少し時間をもらえませんか』と書かれていた。なので、あたしは予定を前倒しにしてここにやってきたのだ。
あたしを部屋に迎えてくれた奏多ちゃんは前に話した時よりもどこか弱っているように見えた。表情もあまりすぐれない。すぐには話題を切り出さず、黙り込んでしまうほどだ。
――わざわざメールをしてきた時からもしかしたらと思っていたけど、なかなか言い出しにくい内容らしい。
こうなったら仕方ない。あたしはさっさと秘密兵器を出してしまうことにした。
「うーん、と。じゃあ奏多ちゃんの話を聞く前に――」
あたしは持ってきた紙袋から
「まずはこっちの本題からってことで。ちょうどお腹すく時間だしね」
中身はもちろん前回約束していた手作りのスイーツだ。
今日は空いた時間でこのカップケーキを焼いてきたのである。
お菓子作りは久しぶりだからうまくいくか自信なかったけど、見た目も味も予想以上にうまくいった。――ホットケーキミックスを開発した人はホントに偉大だと思う。
さすがの奏多ちゃんも最初はサプライズな展開に驚いていたけど、すぐにいつものような笑顔を見せてくれた。
「すごい――お店のやつみたいです。食べてもいいんですか、これ?」
「普通のと、チョコと、ジャム入りのやつあるから一個ずつどうぞ」
人間気持ちが沈んでいる時でも、この手の誘惑にはそうそう勝てないものなのだ。特に女子は。
これで少しでも気持ちが楽になれば御の字だし、そうでなくても頭を悩ませるなら甘いモノを食べて脳を活性化させておくに越したことはない。
「紅茶も用意してきますね。せっかくですし」
そういって奏多ちゃんは勢いよく立ち上がった。たしかにケーキだけだと口が乾いてしまいそうなので助かる。けど、そんなに急がなくても――
「あっ。それくらい自分でやるよ」
「いいんです。お客さんなんですから座っててください」
あたしの静止を振り切って、奏多ちゃんは急ぎ足で台所へと向かう。
――あんまり無理はさせたくなかったけど、奏多ちゃんの表情が少し明るくなったので
それから奏多ちゃんが淹れてくれた紅茶とあたしが焼いてきたカップケーキで少し遅いオヤツの時間にした。
奏多ちゃんからとんでもない絶賛をいただけたのは嬉しかったけど、さすがにいたたまれなくなったのでレシピを教えてあげた。そして一緒に、ホットケーキミックスの可能性は無限大だという結論に達したのだった。
ケーキは20分もしないうちに無くなって、あたしたちは2杯目の紅茶に口をつける。その頃には奏多ちゃんの血色もだいぶよくなってきていた。
「すいません、ありがとうございます。少し楽になれました」
そうして気分が落ち着いたところで、奏多ちゃんの方から話を切り出してくれた。
「……それで相談のことなんですけど」
「うん。どうぞ。ゆっくりでもいいからね」
大きく頷いて、奏多ちゃんは昨晩おきた奇妙な出来事を語り始める。
それはあたしたちが昨日やっていた怖い話に内容的にも近いものだった。
不意に感じた視線。締め切った障子の向こう側から誰かがじっと見つめているような違和感。それがしばらく消えてくれなかったという。
その出来事が奏多ちゃんにとって夢や幻で片付けられないものなのは、その表情からも伝わってきた。
「わたし、なんだか気持ち悪くって……」
「……」
あたしはどう返したものか、とっさに思いつかなかった。
金縛り――的なものだろうか。もしくはポルターガイストとか。
そういう不可思議な現象が起こりうるっていうのは否定できないと思うけど……この場合はどうだろう?
「お母さんは……そんなことはありえないからきっと精神的なものじゃないかって言ってたんですけど。……そうなんでしょうか? 自分でも自信なくて」
「うーん。まだ何とも言えないな」
たしかに奏多ちゃんのお母さん――
だけど、そう決め付けてしまうは余計に不安を煽るだけのような気もした。
黙り込んでいるあたしに奏多ちゃんはもう一つ秘密を告白した。
「実はちょっと前からあったんです。こういうの」
「えっと……つまり、どういうこと?」
「昨日みたいな強烈なのは初めてだったんですけど。少し前から外に出た時とかに視線を感じることがあって。でも、うしろを振り向いても何もないんです。誰もいないんです。……これまでは、わたしの自意識過剰なんだろうなって思ってました」
だけど、昨晩の一件でそれを勘違いで済ませていいものかわからなくなってしまった、ということらしい。
奏多ちゃんはその視線を何か得たいの知れないモノか、もしくは自分がおかしくなったんじゃないか、とひどく心配しているようだった。
「それって――うーん」
でも、あたしは奏多ちゃんの話を聞いて、そういうものとはまったく別の方向で彼女のことが心配になってきた。
「詩梳さんには?」
「お母さんには昨日のことしか話してないです。前から話そうとも思ってたんですけど……」
複雑な表情を浮かべる奏多ちゃんの気持ちはあたしにもわかる。
ただでさえ奏多ちゃんは他の人よりもハンディキャップを抱えている。だから、そんなことを話してしまえば詩梳さんがひどく心配してしまうのは目に見えていた。それに奏多ちゃん自身がその視線を勘違いだと考えていたなら、なおさら言いにくいはずだ。
外出中に感じた視線。それは少し前までは家の外だけの出来事だったのに、昨晩はついに部屋の中でも感じてしまった。
――その一連の流れにあたしはなんだか、すごく粘着質なものを感じた。
「ちょっと外、見てきてもいいかな?」
奏多ちゃんが頷くのを確認して、あたしは立ち上がった。
障子の方に近づいていく。奏多ちゃんの部屋は畳に障子の和風な造りだ。障子を開くと薄いガラス窓が貼られていて、一応そこから庭に出られるようになっているらしい。
窓のすぐ足元には砂利が敷き詰められていて、1メートル先には小さな花壇に紫色の花が咲いている。花壇の先はコンクリート塀になっていて、その向こう側は二階建て一軒家。
「あの……巡さん、何を?」
すぐ後ろの奏多ちゃんが訊ねる声に、あたしは窓を開けながら言葉を返す。
「ちょっと確認中」
お隣の家の窓はこちらからは視えない。つまり向こう側からも視えないはずだ。それにパッと見る限り周りにこの部屋をのぞき込めるような窓はなかった。
となると、もし誰かが見ていたとすればわざわざ庭に上がり込んで、まっすぐにこの部屋を覗こうとしていたということになる。
でも、そういった痕跡は庭を一見しただけだと見つかりそうにない。
「昨日の夜、外から変な物音は聞こえなかった? 例えば、砂利を踏む音とか」
「すいません。わからないです。昨晩はサイレンの音が大きかったので」
そう返すと同時に奏多ちゃんは眉根を寄せる。この質問で、あたしが何を言いたいのかを察したようだ。
「巡さん……誰かいたって考えてるんですか?」
「うん。ちょっとそれを疑ってる」
奏多ちゃんの言うとおり、あたしが心配しているのはその可能性だ。
誰かが奏多ちゃんをじっと見ていて、外出中だけじゃあきたらず家のすぐそこまで追いかけてきたんじゃないか――っていう最悪の予想。十分にありえることだ。
だけど、その予想に奏多ちゃんは納得できないようだった。
「障子には影が写ってなかったんですよ。だから誰もいなかったと思います――それにお母さんにも確認してもらったんです」
奏多ちゃんはそう断言するけど、でも少し考えてみて欲しい。
視線を感じるといっても、目から何かが飛んできていてそれをあたしたちがキャッチしているワケじゃない。
言ってしまえば気配とか小さな物音とか、あとは風向きとか、そういうのを無意識のうちに感じとっていたということ。
例えば、小さな足音のようなものをきっかけにして、障子の向こう側に意識が集中してしまって――その違和感が拭えなかった。そういう可能性もあるんじゃないだろうか。
「もちろん。絶対そうだって言いたいんじゃないよ。だけど、こういうことも考えておいた方がいいと思う」
だって、もし取り返しのつかないことになったら大変だ。
あまり恐がらせたくはないけど、ここはハッキリと口にした方がいい。あたしも覚悟を決めて、遠まわしな言い方をやめることにした。
「――もしかしたら変質者(ストーカー)かも」
「ストーカー……ですか?」
奏多ちゃんは、一度、ぽかんとして――なんだかとっても不思議そうな顔をした。あんまりピンと来ていない様子。
「えっと……ストーカーだったら嫌じゃない?」
しかも全然恐がっている様子もなかった。
いや、どう考えてもオカルトより恐いよ。ストーカー。
「お姉ちゃんなら、昔そういうこともありましたけど……わたしなんて――」
「そこは心配しないで」
卑屈な事を言おうとする奏多ちゃんにストップをかける。
奏多ちゃんくらいなら少なくてもクラスで3本の指に入るのは間違いない。メイクなしの勝負なら、他の女子にも遅れはとらないだろう。
「って、間違えた。そこも心配した方がいいと思う」
なので――これはホントウに最悪の場合だけど――どこかのロリコン男に目をつけられていてもおかしくない。
それになんだか段階を踏んでる、っていうか、少しずつ追いかけてきている印象を感じたのだ。
「お化けみたいなトンデモないものだったら対処のしようもないけどさ。もし誰かに付きまとわれてるんなら対処しないと大変なことになるかも」
あたしの答えに奏多ちゃんは微妙な表情のまま頷いた。
納得したわけではないけど、たしかに言っていることは理解できる、という感じ。
そこまでわかってくれたなら、あたしから言えることは多くない。
「だから、次にもう一度視線を感じるようなことがあったらすぐにあたしかお母さんに教えてね」
まずは誰かに話して欲しい。
その視線の正体はすぐにはわからないかもしれないけど、精神的なものならそれで多少は楽になるはずだし、ストーカーだったのなら気をつけないといけない。万が一にも超自然的な現象だったなら、なおのこと証拠を掴まないとだ。
とにかく――最初から一人で抱えて、自分を責めるようなことだけはしないで欲しかった。
「そうですね。今度からはすぐに相談しようと思います。それにお母さんにも」
奏多ちゃんはそう約束してくれた。
これでまぁ、一安心とはいかないまでもモヤモヤは少しマシになってくれたならいいけど……
「夜に眠れなかったりしても連絡くれていいからね」
だから、これは少しでも安心させてあげようとして口にした言葉だった。……だけど、どうもそっち方面の心配はいらなかったみたいだ。
なぜか今までとは違うおだやかな表情で、奏多ちゃんは首を横にふった。
「それは大丈夫です」
何か見せたいものがあるのか、奏多ちゃんはあたしを手招きしつつ勉強机に近づいていき、引き出しを開いた。
そうして、ラベルのないガラスの小瓶をあたしに示す。
中に入っているのは細かな白い粉末で――どうやら何かの薬のようだ。
「これ。お姉ちゃんが使ってたものなんですけど、飲むと気持ちが落ち着いて、グッスリ眠れるんですよ。少し高いお店で買ったって言ってました」
「あぁ、漢方みたいな?」
「不眠に効く薬だそうです」
たしかに漢方薬ならドラックストアの薬よりは効き目がありそうだ。東洋医学の方が精神面に強いとかなんとか聞いたことがあるし。――本人が大丈夫と言うのだから、きっとその点は大丈夫なんだと信じることにした。
「それなら少しは安心かな」
そう返したあたしの意識は実は別なところに向いていた。
奏多ちゃんが開けた机の引き出しの奥。そこから覗いているのは、奏多ちゃんともう一人女性が写った一枚の写真だった。
奏多ちゃんが10歳くらい
遺影に何度か手を合わせていたこともあったけど、そこに写っていた笑顔はそれよりもずっとキレイで。
この人がどれだけ奏多ちゃんを愛していたのか――そして、どれだけ奏多ちゃんに愛されているのかが伝わってきた。
――あたしはそこでようやく晴歌さんの素顔を見たような気がした。
***
バイトの時間を終えて、あたしはちょうど仕事を帰りの詩梳さんと入れ替わるように帰路についた。
自室に着いて荷物を下ろすなり、あたしはさっそく電話をかける。
昨日と今日のことで気になることができてしまったからだ。
電話の相手は友人の一人で、名前は
彼女はあたしを家庭教師のバイトに誘った張本人だ。
実際のところ、辞めていった前任者のピンチヒッターとして初めに声をかけられたのは示乃だった。だけど、彼女が別なバイトで忙しいということで手が空いていたあたしが推薦されたというのが事の経緯。
つまり元々あの家族と関わりがあったのは示乃で、そんな彼女ならあたしが知りたいことも知っているはず。
通話ボタンを押すと、2回のコールで電話はすぐにつながった。
『あー。もしもし』
少し気怠気なハスキーボイス。あたしと同い年とは思えないその大人びた声。その声の通り、示乃はちょっと
声の後ろ側からは打ちつけられる波の音が聞こえてきた。それとわずかに人の声。どうも海沿いにいるようだ。まだ、仕事中かもしれない。
「もしもし示乃。今、時間いい?」
『問題ない。搬入のチェックまで暇だから構わないよ。――ちょっと待ってろよ』
少しの間、足音が聞こえた。仕事の邪魔にならない場所に移動しているようだ。
――ちょうど4日前の月曜日。示乃はバイトの出張と慰安旅行を兼ねた北海道旅行に飛び立った。
示乃はそのことを直後まで誰にも話していなかったので、あたしや霧子たちは随分と驚かされたものだ。なにせ十日近くも大学を休むということで、こっちとしては心の準備が出来ていなかったのだ。代返を頼まれる身にもなって欲しい。
作業場から離れたのか、電話の向こう側が静かになった。そして、気楽な調子で示乃が尋ねてくる。
『何かあったのか?』
「……あったと言えばあったんだけど」
例えば連続自殺の事件は示乃の耳にも入っているだろうし、奏多ちゃんが感じている奇妙な視線ももしかしたら大変な事件につながってしまう不安はある。
だけど、それとは別にして、あたしは示乃に聞いておきたいことがあったのだ。
「晴歌さんのこと、教えてくれない?」
『そういうことかい』
電話の向こう側で示乃は苦笑気味に答える。この一言だけで、だいたいのことは察してくれたようだ。さすが親友。
『ま。たしかに奏多には聞きにくいわな』
「うん。あんまり無神経なこと言ったりしたくないからさ」
ここ最近になって、あたしは生前の晴歌さんのことを知る機会がどっと増えた。だったらあたしも中途半端じゃなく、きっちり晴歌さんの事を知っておきたいと思ったのだ。
本当は奏多ちゃんや詩梳さんに聞くのが筋なんだろうけど、それをするには例の事故から日が浅すぎると思ったのも示乃に聞くことにした理由の一つだ。
『腫れ物扱いってのもよくない。だから一条に代打を頼んだワケなんだが――まぁ、問題ないか』
そこで時計を確認したのか、15分くらいかな、と示乃が漏らした。あたしとしてはそれだけもらえれば十分。
『晴歌さんがどんな人だったか、ね。……一条はあったことないはずだよな。わりと有名人だったんだけど』
「なかったよ。昨日はじめて
それも禀の怖い話の時にちょっと触れただけだ。その時にも晴歌さんは大学内で有名だったという話が出ていた気がする。
『写真を見たことはあると思うけど、顔はあのとおりのデキだ。一見静かそうに見えて、すごく明るくて騒がしい人だったよ。しかも、ぼんやりしてるクセにしっかりもしている。ありゃ反則だ』
奏多ちゃんの机に入っていた写真。そこで見た晴歌さんの印象は、たしかに示乃が語ってくれたものに近いような気がした。
『学業成績もトップスリーくらいだったし成績もよかった。研究室でも紅一点。期待の新人だったそうだよ』
「すごい……パーフェクトじゃん」
これは奏多ちゃんも自慢の姉だったに違いない。優しくて、頭もよくて、でも、どこか隙がありそうで――それはたしかに人気にならないワケがない。
なんとなくすごい
『だけど実際、あの人の一番すごいところは別にあった』
カシュっと乾いた音がした。たぶん、ライターの着火音。示乃がタバコを吸いはじめたようだ。
軽く息を吐き出してから、示乃は続きを口にした。
『物を失くしたとか、人間関係のイザコザとか。相談するとわりと的確なアドバイスをくれたんだよ。まるでカンニング帳でも見てるみたいに言い当てるもんだから、サイコメトラーなんじゃないかって疑われてたくらいだ』
冗談交じりに示乃は言った。あたしとしては、そんな話は奏多ちゃんからも聞いていなかったので、ちょっとビックリだ。
サイコメトラーなんて、テレビの中の話だと思っていたから。
「まさか晴歌さん、ホントに超能力者だったの?」
『んな、わけあるかよ』
鼻で笑われてしまった。その笑いを滲ませたまま、示乃はその本当のところを口にする。
『アレは天然の人たらしだよ。なまじ印象が柔らかいから、あの人の前だとみんな油断しちまうんだ。だから嘘がつけないし、つい色々と話しちまう。――その上、頭もキレるからな。こっちの内面も見抜かれてるワケ。だから、そういうのも得意だったんだろうさ』
「……な、なるほど」
それはたしかに反則級だ。話やすい雰囲気っていうのはある意味、才能みたいなものなんだろうけど、晴歌さんの場合にはそれにプラスして推理力って感じだろうか。
失せ物探しまでやっているあたり、ちょっとした名探偵だったに違いない。
『それで優しくしてくるんだから始末に負えない。ウチもまいちまってたよ。ホントに』
皮肉めいた言葉。でも、示乃が晴歌さんを悪く思っていないのはすぐにわかった。
「いい人だったんだね」
『あぁ、そういうことだ』
何か特別な出来事を思い出したのか、不自然な沈黙が流れる。
示乃はもう一度、ゆっくりと息を吐いた。煙を吐き出したのだ。
『まだ信じられないくらいさ』
「……」
あたしは晴歌さんのことを人伝てにしか知らない。
だから、その気持ちに本当の意味で共感することはできない。
――どう返してあげればいいのか、わからなかった。
あたしが抱けない実感と、示乃たちが信じられないといった気持ちはたぶん本質的に別のもの。
黙り込んでしまったあたしから何かを感じとったのか。示乃はわざとらしく吹き出した。
気にしすぎだよ、と笑われているような気がした。
『あとはそうだな……これは大学でも知っているヤツは稀なレア情報なんだけど』
示乃は少し考えてから湿った空気を弾き飛ばすようにその情報とやらを暴露した。
『晴歌さん、重度の
「あーと。――うん。なんとなく知ってた」
そこで二人して声を出して笑ってしまった。
その後、示乃は晴歌さんと出会った時のことも話してくれた。
大学の入口で困っていた奏多ちゃんに示乃が手を貸したのがきっかけで、そこから交流をもつようになったとか。
しばらくそういう思い出話を聞いていると時間はあっという間に過ぎてしまった。
『そんじゃ、そろそろ仕事戻るわ』
「うん。どうも。助かりました」
『いんや。感謝するのはこっちだよ。わざわざ聞いてくれてありがとな。実際ちょっとスッキリしたよ』
「そっか。それなら良かった」
あたしもう一度だけ感謝の言葉を口にして、通話を切った。
しゃべり過ぎたせいか、身体は熱をもっていた。そして、その暑い身体のまま、あたしは仰向けにベッドに倒れ込んだ。
「――ふぅ」
カーテンの隙間から夜空を見上げる。
市街地とはいえ、この辺りは小さな建物しかない。なので、今夜のように晴れている日には星の光を嫌と言うほど見ることができた。
まばらな星たちを見ながら、一人でぼんやりと考える。
――失われてしまった命を実感するのはむずかしい。
あたしは身内の死と向き合ったことがない。
おじいちゃんもおばあちゃんも、父方母方ともにまだ元気にしている。両親だってもちろん元気だし、親戚の葬式にだって物心がついてからは行ってない。
だから余計にそれを受け止めきれていないのかもしれない。
奏多ちゃんや示乃の口から語られる晴歌さんはあまりにも活き活きとしていた。まるですぐ近くにその人がいてもおかしくないような、そんな暖かさが伝わってきた。
もしかしたら――晴歌さんが亡くなったことを誰よりも実感できていないのは、あたしなのかもしれない。
きっと本人にあったことがないからだ。
この時のあたしときたら、そんな晴歌さんをまるで妖精みたいな
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