/7 御手洗梨里香と椚木芽衣


 休み明け。全講義が終わった夕方に、あたしたちは予定されていた学生集会に参加していた。

 このキャンパスの中でも一番の大講義室が今や学生たちでひしめいている。 

 500人とか600人とか、そんな大人数が一部屋に押し込められているので、なかなかに狭苦しい。

 あたしたちの学級は演壇から離れた隅の一角に集められていた。

 そのさらに端っこの席にあたしが座っていて。あたしの隣に霧子と禀がやってきた。示乃はまだ北海道だ。

 珍しいことに暁月さんもちゃんと来ていて、あたしの斜め前で大人しく座っている。例によって、どんな話を振られてもスッパリ切り捨てている様子。

 そうして待つこと数分。

 その瞬間まで騒いでいた学生たちも学長が壇上に現れると同時に一斉に静かになった。

 学長は遠目に見てもわかるほどに疲弊していた。全体的に窶れていて、それこそ今にも倒れてしまいそうな雰囲気だ。

 

「みなさん、本日は集まってくれて本当にありがとう。そして――」

 

 スピーチは哀悼の言葉に始まり、これまで起きた事件について何の対策もできなかったことへの謝罪に続いた。そして、もし同じようなことを考えている者がいるのなら思いとどまって欲しいとも。

 警察やカウンセラーの方からもコメントがあった。とにかく一人で抱え込まないで欲しいこと、今後は相談の窓口を広くすること、など具体的な対策が語られる。

 それは言ってしまえば、対策のための対策。

 それで何かが変わると信じている人は誰もなかった。何かをしなければいけないから、なんとか捻り出したようなものだった。

 だけど、そんな努力を誰も嗤ったりすることもできなかった。


 大学教員の野々村稔ののむらみのる先生が焼身自殺したのが4日前。

 いつ誰がそうなってもおかしくないと、誰もが思ってしまっていたから。

 

 ――集会は一時間ほどで終わった。

 

          ***

 

 まず異変に気付いたのは霧子だった。

 集会が終わって次々と人が部屋を出ていく中、辺りを見回して声を上げた。

「……あれ? 御手洗みたらいいなくね?」

「あ。ホントだ。それに椚木くぬぎさんも」

 あたしたちの学級は40人強。集会では端っこの方に押し込められていたので、まだ誰も席を立っていない。

 だというのに、どこにもその2人の姿はなかった。

 御手洗梨里香みたらいりりか椚木芽衣くぬぎめい

 最近、御手洗さんが椚木さんに手をだして付き合い始めたという噂があって、何かと話題になっていた2人だ。

 いわゆる同性カップルというやつだった。

 もし来ていたなら誰かしらの追求を受けていてもおかしくない。特に御手洗さんは目立つ雰囲気の人なので見失うはずはなかった。

 誰かの不在なんて普段なら別に驚くことでもない。

 頻発する自転車の盗難対策で開かれた集会なんかは参加しない人もたくさんいるし、朝一の講義ならサボる人も少なくない。

 けど、なぜだが今は――ひどく嫌な予感がしていた。


「ちょっと確認してみる」


 あたしと同じように感じたのか、霧子は急いでケータイを起動した。2人に連絡をとるつもりのようだ。

 そこに騒ぎに気付いた禀が割り込む。

「どしたどした。2人して?」

「いや、御手洗さんと椚木さんがいないのが気になって……」

「またホテルとかでは?」

「そういうので済めばいいんだけど」

 そんな冗談で済むのならそれで構わない。

 けど、このタイミングと状況が、どうしようもなく不安を掻き立てるのだ。

 そして、その不安は的中した。

「おい。おいおいおいおいっ!」

 霧子の尋常じゃない様子に周りの人たちも反応する。それらを意に返さずに霧子はケータイの画面をあたしたちに向けてきた。

「やべえぞ、これ……見てみろ!」 

 そこに映っていたのは椚木さんのSNSの投稿写真。

 暗い室内。

 カーテンの隙間から漏れる光とは別に、部屋には別な赤色があった。鉢のような陶器の中で燻っている赤色。

 何かが燃えていた。たぶん、すみだった。

 まさか室内で暖をとろうとしたなんてことはないだろうから、おのずとその理由は絞られてくる。


『片道切符。ここではないドコカへ』


 その想像をはやし立てるように、意味深なコメントが添えられていた。それらにはいくつもの返信が寄せられていたが、椚木さんが応じている様子はない。

 霧子が画面をスライドする。

 今度は御手洗さんのモノが表示された。

 さきほどと同じ部屋で肩を寄せ合う2人の女性。綺麗な服を着て、しっかりと化粧をして、見たこともないくらい幸せそうな笑顔を画面に向けていた。


『こっちにいる最後の記念に』


 どこか自分たちに酔ったような文字の羅列。

 御手洗さんたちが何をしようとしているかは一目瞭然だった。

 

 ――心中だ。

 

 血の気が引いた。

 普段はふざけた調子を崩さない禀も、事の重大さに言葉を失う。

 その投稿からすでに40分。

 以降の投稿はなかった。

「電話してみる!」

「わ、わたしも……」

 集まってきた人たちに事情を説明しながら何度も電話をかけてみるけど、出ない。出る気配がない。それに、やたらとケータイをもつ手が震えて操作しにくかった。

「おいっ! どうしたんや!」

 ちょうどこちらの異常に気付いて矢島先生が近づいてくる。先生には一番近くにいた禀が対応してくれた。

「……くそ、どうすりゃいんだ」

 霧子は今にも外へ飛び出してしまいそうな形相だ。混乱しながらも必死に衝動を抑えている。あたしも同じように今すぐにでも椚木さんのところに向かいたかったけど――もしかしたら禀が先生に説明している間にも、あたしたちは動きだした方がいいのかもしれない。

 そんなことを考えていると、不意に霧子の後ろに佇んでいる人影に気が付いた。


「場所はどこですか」


 黒一色のワンピース。青白い顔に無表情を貼り付けて、暁月妙理が口を開く。

 突然のことにあたしは何も言えなかった。彼女から声をかけてきたことが意外で、すぐに反応できなかったのだ。

「は? おまえ何言ってんだっ――!?」

 振りかえった霧子も混乱したまま聞き返す。半ば叩きつけるような言葉にも、暁月さんは平然としたままだった。

「彼女たちの居場所を聞いています」

「――」

 どこまでも冷静で、そして躊躇がない。感情のない彼女の言葉に圧倒され、霧子は言葉に詰まってしまった。

 たまらず、あたしは助け舟を出す。

「椚木さんのアパートだと思う!」

 あの投稿写真の内装には見覚えがある。あれは椚木さんの部屋で間違いない。一度だけ行ったことがあったのだ。

 あたしは早口でその大まかな場所と部屋番号を伝える。暁月さんだけじゃなく、近くにいた人たちにも聞こえるようにだ。

 人員は多いに越したことはないはず。そう思って答えたんだけど――暁月さんの対応はあまりに予想外過ぎた。

「そうですか」

自問するように呟いて、その場で身をひるがえす。

「ちょ――」

その背中に霧子の手が届くよりもはやく。

「先に行きます」

 言葉だけを残し、暁月さんが視界から消えた。


「えっ?」「はっ?」


 目を疑ったのはあたしと霧子の両方で、――視線を走らせたあたしはその後ろ姿を見つけて、また目を疑った。

 ――身を低くした彼女は人の波を掻き分け、受け流すようにして出口へと向かっていたのだ。

 彼女に押しのけられた人々は何が起きたのかもわからずに首をかしげている。それほどの自然さ。抵抗する間もない。

「なんだ、ありゃ」

 同じモノを見た霧子がわけがわからないと言葉を漏らす。

 わけがわからないのは同感。まるで時代劇の忍者みたいなデタラメさだ。

 それにあれだけ無関心を貫いていた彼女が自分から動いてくれたことも意外だった。

「暁月さんって、御手洗さんたちの友達だったの……?」

 そんな疑問を口にした時、ちょうど矢島先生があたしたちのところにもやってきた。

 そこで、あたしたちにも暁月さんの事を考えている余裕はなくなった。

 

 事態は刻一刻を争う。

 まずは何よりも2人の無事を確認することが先決だ。

 

          ***

 

 ――少し前からケータイの通知がうるさくなった。

 

 友人の内の誰かが自分たちのやろうとしていることに気付いたのだ。タイミングから判断して、御手洗梨里香はそう判断した。

 しかし、それはとんでもない勘違いだ。自分たちのことをまるで理解していないこともわかっていた。

 ――あまりにもしつこいので通知を切ってやろうとしたが、そのために動かした手はあまりにも鈍かった。

 視界はぼやけていて、光の明滅は放射状に広がって騒がしい。

 探るように左右に手を伸ばしても見つからない。――というより、触っている感覚がないので確かめようがなかった。

 さまよわせた右手に、そっと別の手が重ねられる。

 そんな他人なんてどうでもいい、とたしなめているようだった。

 椚木芽衣の手だった。

 

 ――芽衣。私の芽衣。私のものになった芽衣。

 

 芽衣の唇が震えて、何か言葉を発しようとしていたけれど、耳が聞こえないのか。声がでていないのか。どちらかはわからなかった。

 それでも伝わるモノがあった。

 体温も触感も、音もなくなってしまっても、精神こころはたしかに通じていた。想いはたしかに伝わっているのだ。


 ――わかっている。今度もまた見つけてあげるから。


 かつては信じられなかった芽衣の言葉も、今は信じられる。

 この行為は単なる逃避じゃない。

 この世に不満があったわけではなくて、より良い未来を信じているだけなのだ。 もっと素晴らしい場所を目指しているだけなのだ。

 その兆しは目の前にあった。

 闇に浮かび上がる青い蝶は、この世と思えないほどに美しくて。

 此処ではドコカへ梨里香たちを誘っていた。


 すべての理解リセイが内側からドロドロと溶けていく。閉塞して喉がつぶれる。外部ノイズのない世界。


 羽化を待つ蛹は、きっとこんな心地なのかもしれないと思った。

 焦点も合わないはずの梨里香の視線がこの時、芽衣のものと重なった。確認するまでもなく、想いは同じ。溶け合って一つ。 

 

 ――

 

 これから成り果てるものに思いを馳せて、御手洗梨里香だった意識ものは消えていった。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る