/4 ガールズトーク
「うぇ……ねむぃ」
昼休み。
午前の講義が終わって食堂につくなり、あたしはテーブルにうなだれた。眠気がキツいのでちょっとダウン気味だ。
「どうしたよ巡。今日ずっとそんなだけどさ」
向かい側に座った霧子があたしの顔を覗き込んでくる。
すると同時に漂ってくる鰹ダシの香り。この定番中の定番の匂いは学食そば200円(税抜)だ。味は微妙だけど、コストパフォーマンスに定評がある。
「いや、ちょっと寝不足で……」
「昨日なんかあったんかー?」
と、投げてきたのは隣にちょこんと座った禀。こっちのお盆にはトンデモないカイブツがのっていた。
どんぶりご飯にゴツい唐揚げが6個、ウィズマヨネーズ。その上からたっぷりとしょうゆダレがかけられている。
すごいカロリーお化けだった。
「えっと……むしろ、そっちがなんかあったの?」
「んー。昨日のわたしは大健闘でなー。スリーポイントシュートだったのだぜ」
ニヒッと胸を張る禀。
どうやら、あたしの知らない間にバレーのルールは変わったらしい。
いわゆる自分へのご褒美ってヤツみたいだ。それにしたってミニマムな禀が食べるとなると大盛りすぎる。
こんなものがこの小さな身体のどこに入るんだろうか、と心配になってしまうほどだ。
「安心めされい。わたしにはこれがある」
そういって彼女がつきだしたのは『三食分のヤサイぎっしり』ジュース。どうみても気休めにしかなってないような……いや、気休めにもなってないような……? 栄養バランス的なこと?
安心めされい、という言葉どおりに禀は物怖じすることなく、唐揚げを小さな口に運んでいく。
「それより巡っち。なんで寝不足なん?」
無理に唐揚げをほおばってから、また訊ねてきた。
別に大した事じゃないんだけど――とも思ったけど、内緒にしているのもたしかに気持ち悪い。なので、さっさと話してしまうことにした。
「あの転入生いるでしょ。暁月さん」
言葉を返しながら、コンビニ袋からタマゴサンドとコーヒー牛乳を取り出す。眠気のせいかあまり食欲はない。さらに唐揚げ丼のインパクトで胸焼けしているあたしにはちょうどいいくらいのボリュームだった。パクリ、とタマゴサンドを一口。
「昨日、テレビ見てたら。隅っこの方に映ってて」
「テレビぃ? あいつなんかやらかしたのか?」
目を丸くして驚く霧子。禀も少しびっくりしている。
このままだと勘違いさせてしまいそうなので、早めに訂正を入れることにした。
「なんかニュース番組でさ。画面にコソっと入ってただけなんだけど」
だけど、そのニュースの内容が問題だった。
なにせそれは例の自殺現場の様子を伝えるもので――それを見下ろしていた彼女の表情はぞっとするぐらい冷めていたのだ。人の死なんてどうとも思っていないような、そんな怖さがあった。
その姿がどうしてか不吉に思えて、昨晩はソワソワして寝付けなかったのである。寝不足の原因はそれだ。
あたしはニュースのVTRに映っていた彼女の印象をそのまま霧子たちに伝えた。
「ははぁ――あいつ意外とゴシップ好きだったりするんだな」
「意外かもねー」
話を聞いても2人は、いたって平気な顔のまま。
「巡もさ。転入生が変なヤツだからって、いるだけで悪いヤツみたいに言うのもどうかと思うぜ」
というのが霧子の意見。
たしかに言うとおり。現場に居合わせただけの人をどうこう言うのもおかしな話だ。他にも人はたくさんいたし、別に暁月さんが何か怪しいことをしていたわけじゃなし。
現場を見に行くというだけなら、あたし自身だってやっている。――そう指摘されると言い返せない。
「うーん。たしかに失礼だったかも……」
釈然としないような気もするけど、大した接点もない相手を勝手に怖がっているのはあまりよろしくない――けども、でもどこか釈然としないものは残っていた。
霧子の方は別段、暁月さんの事は気にならなかったようで、会話は自然と別な方向に流れていく。
「それよりさ。こんなすぐに5人目が出るなんて信じらんないよ、私は」
なんだかやりきれないような調子で霧子は呟く。
「ホントに、ね」
そこはあたしも同じような気持ちだった。
間が開くなら自殺者がいてもいい、と思ってたなんてことは絶対にないけど。こんな不意打ちをされると、気にしないフリだってできない。
少しの間、あたしたちの間に嫌な沈黙が流れる。
昨日の自殺は5人目。それはもう周知の事実だった。
一昨日、昨日と続いた自殺。そこで亡くなった城ヶ崎という男性もまた、この大学の関係者だったのだ。
「あの人。ウチのOBだったんだってな」
「みたいだね」
これは今朝のニュースで知ったことだけど、昨日亡くなった男性はこの大学の卒業生だった。それだけじゃなくて、彼は飛び降り自殺した女性の恋人でもあった。
愛する人の死を追ったのではないか、とコメンテーターはまとめていた。
「いつまで続くんだろうね、これ」
そう呟いてしまったのは、これが最後ではないと無意識に感じてしまっているから。
この町を覆う死の霧がより深くなっていると誰もが確信している。
だから、もしかしたら、早いうちに次が――
「……うーむ」
わざとらしい唸り声に、あたしと霧子は我に帰る。
声の主は禀。
ちょっと青ざめた顔で、こちらを睨んでいる。
「君たち、ランチ中なのだから。そーいうのはほどほどに――」
言い終わるより早く、うぇっぷ、と女子にあるまじき『戻しちゃいそう』のジェスチャー。
その顔にあたしも霧子もつい吹き出してしまった。
「ごめんごめん。つい」
「すまんな禀」
2人して友人に謝罪する。
素直にデリカシーがなかったと反省だ。……でも、たぶん、禀の状態と話の内容はあんまり関係ない。
「わかればよろしい。罰として、ちょっと食べぬ?」
キレイに半分だけ食べたどんぶりを前に出される。これでも割とがんばった方なんだろう。
友人のために一肌脱いであげたいところだけど、ごめん。
「揚げ物にマヨネーズはちょっと――」
一応、ダイエット中なのもありまして。
「だから無理すんなっていっただろ。ったく」
そんなこんなで結局、霧子が禀のフォロー。あーだこーだと文句を言いつつ結局なんとかしてあげる彼女の優しさ。
元々それを見越していた疑いがあるくらいのナイスフォローだ。
何はともあれ、禀のおかげでどうにか雰囲気が沈みきらずに済んで助かった。この小さな友人は空気が読めないようでいて、誰よりもそういう気遣いができる。あたしとしても見習いたいところ。
そうして霧子にカロリーお化けがパスされる。
あたしはとっくにサンドイッチを食べ終えていたので、後はぼんやりとコーヒー牛乳をすすっていた。
12時を過ぎて、食堂もにわかに騒がしくなってくる。講義終わりの学生たちがドッと押し寄せてきて、席が全部埋まってしまうこともしばしば。
「あ」
そんな人ごみの中に、あたしは見知った坊主頭を見つけた。相手もこちらに気付いたようで――ついでに座る場所も見つけたとばかりに笑顔で近づいてきた。
「君たち久しぶりー」
坊主頭は気さくに声をかけてきた。その顔には年長者の威厳なんてまるでない。けど、その代わりにやたらと親しみやすい笑顔。
「お疲れ様です」
「ヤッホー先生」
「やっほー……ぅうぷ」
振り向いたあたしたちが各々テキトーに挨拶する。
この人はあたしたちの学級担任でもある矢島浩二(やしまこうじ)先生。
生まれは北海道。育ちは関西。勤務先は東北。なんちゃって関西弁を使う変わり種の先生だ。マルッとしたわかりやすい講義で学生には人気がある。階級は助教。33歳。独身(彼女あり)。
「ここ、ええかな? どうも座れんくて」
もちろんいいですよ、と4人がけテーブルの空いている席に座ってもらう。
ちなみに先生の昼食はB定食。白身魚のフライがメインのバランスのとれた昼食だった。さすが社会人。
「相変わらずガールズトークしとったんかー? あ?」
辛そうな禀の顔と奮闘中の霧子の様子を見て、先生の表情は苦笑に変わる。
だいたいの事情は言わずもがなだった。
こうなると、わりと無事なあたしが先生に対応するしかなさそう。
先生が来る前の話題と言えば――例の事件のことだけど……さすがにそれはマズいので話題を45度の面舵いっぱい。
「転入生の話してたんです。ほら、4月に入ってきた」
「あー。あのエラいベッピンの」
「あの人。もう半月になるのに、あんまり馴染めてないみたいで」
そこまで口にしてから気付く。
これは的外れなコメントだ。暁月さんの場合、あっちがあまりに堂々としてるから、こっちの方が居心地が悪くなる感じ。
馴染むどころか、周囲の空気を自分色に染めている疑いがあるほどなのだ。
けどまぁ、話題の振り方としては妥当な聞き方だったと思う。
担任なら何か知ってないかな、という期待を込めてもう少し踏み込んでみることにした。
「どこ大学から来たとか、わかります?」
「京都の方――と言うとったかな。いや、オレも詳しくは知らんで」
先生はあっさりと答えてくれたけど、京都の大学って言ってもピンキリなのであんまりピンとこない。かくいう先生も同じような感じらしい。
「編入が決まった時も、なんや学長からの推薦だとかでスルスルーと決まっとったからなー。試験もいつやったかよく知らんし。特待生なんかね?」
先生のお口はユルユルのようで内部情報がダダ漏れだった。どうも先生方にも情報は行き渡っていない様子。
――特待生って、あの感じで?
あたしも首をかしげてしまう。
「でも、暁月ってあんまり研究のイメージないよな」
霧子が横からコメントを入れる。その感想にあたしもまったく同意見だ。いつも黙々と講義に参加してるから頭は良さそうなんだけど……研究とか実験っていうイメージがない。
なんというか。自分から何かをやろうという気力を一切感じないのだ。それでいて何故か優秀そうに見える、というズルさ。沈黙は金なり、みたいな感じだ。
「ほんま。オレの講義も聞いとるんだか聞いとらんのだか、サッパリやしね」
とほほ、と笑いながら先生は語る。
――ますます謎は深まるばかり。
そこで禀が苦しげな顔に、アヤしい笑みを浮かびあがらせる。
「裏口入学……だったり」
「あんまり滅多なこと言わんといてや」
否定しきらない苦い顔。先生としても怪しいとは思っているんだろう。何かを飲み込むように一度、味噌汁をあおった。
「一応な。オレも保護者とは軽く面談したんよ。親戚のおっちゃんとな」
そこで先生は、こんくらいならええかな、とちょっと自問してから口を開いた。
「暁月さんは実家を離れて、おっちゃんとこに下宿みたいな感じらしいで――商売手伝わせながら大学に通わすっちゅう話なんやて。しかし、おっちゃんもスーツもヨレヨレやし、安そうやったし……まぁ、大枚はたいてズルしようって人やなかったんよ」
面談はわりとしっかりやったようで、先生も相手方の素性はある程度きちんと把握しているみたいだ。
暁月さんの親戚って言っても……あたしにはなんだかさっぱりイメージできない。
「その親戚の人って、やっぱり無口な人なんですか?」
「逆やね。おしゃべりもおしゃべり。オレが負けるくらいやから、相当やね」
うぇー、とそれだけ聞いてあたしたち3人はドン引き。
矢島先生以上となると、さすがにちょっと相手をするのが面倒くさそうだ。いや、口には出せないけど。
すると当然のようにもう一つ疑問が出てきた。おじさんの店の手伝いだなんて、一体どんな仕事を彼女はやってるんだろうか。これもさっぱり想像がつかない。
「お店って。暁月さん所は何やってるんです?」
「なんか骨董屋いうとったで」
これまたあっさりと教えてくれた。
骨董屋。
言われてみれば暁月さんの和風な雰囲気はどこか骨董品のような趣きがあるような、ないような。それにしても――
「なんという文系……!」
思わず、あたしの口から感嘆の息が漏れる。
霧子と禀はそんなあたしをじーと見つめている。考えていることが筒抜けなのは間違いない。
「あんたも好きだねぇ、トンデモ設定(ファンタジー)」
「また呪いの道具(アイテム)とか買ってくんなよー」
なんか誤解を招くような言い方だった。前科があるとはいえ、あんまりだ。
そんな2人の呆れた様子を見て、先生の視線もあたしに向かう。
「何? 君、そういうの好きなん?」
「えっと、その。はい」
そういうのがどの範囲を指してるかはわからないけど。この広い世の中、未確認生物とか、幽霊とか、魔法使いとか陰陽師とかがいてもおかしくないとは思ってる。実家にも神棚とか仏壇あるし。
ふーん、と気のない返事をしたあと、先生は自分のカバンをあさり始めた。
馬鹿にされるのかな?とも思ってたけど、どうやらそういうワケでもないみたいだ。
「あー。どこやったか――おっ、これこれ」
そう呟いて、名刺入れから一枚の紙を取り出す。それをあたしに差し出してきた。受け取ったものを3人で覗き込む。
「なんだったら遊びに行ってもええんとちゃうかな」
暁月さんの親戚のおっちゃんとやらの名刺みたい。
骨董屋『葛ノ葉』。お店の電話番号と住所も書いてある。
そのオーナーの名前は――
「たま、うさぎ……
「芸名っぽいなー」
「苗字はこれなんて読むんだろ。コクウかな?」
なんだか変わった名前だった。
さんざん、あることないこと話した後、先生から読み方を教えてもらう。
穀雨玉兎――クラサメギョクト。
やっぱり変な名前で、先生いわく名前通りの変な人だったという話だ。狸なのか狐なのかわからない、とかなんとか。
一通りの話を聞いた頃には先生の昼食も終わっていた。
「そんじゃ、オレいくわ。ほな、またな」
「お疲れ様です」
「またな先生」
「まーたなー」
去り際に下手くそなウィンクを残して、先生はテーブルを離れていく。どうやら次の講義の準備があるみたいで、少し急ぎ足。
なんだか聞いちゃいけない裏話みたいなのも聞いちゃった気がするけど、口外しなければ大丈夫なはず。たぶん。
禀と霧子が配膳を下げて戻ってくる。その時点でも昼休みはまだ10分以上残っていたので、あたしたちはもう少しここで雑談タイムを続けることにした。
「そう言えば、この前、
話題は知り合いカップルの進展について。
「椚木さん、お姉さまの毒牙にかかっちゃったかー……」
「ひゅー。やるねー」
これぞガールズトーク――なのかはアヤしいけど。
そうしてあたしたちは、事件とか事故とか関係なく、ちょっと下世話な話に花を咲かせたのであった。
その日から二日間、暁月さんが大学に顔を出すことはなかった。
関係はないだろうけど、その間は特に事件も起こらないまま、ちょっとだけ曇り気味の日常が続いてくれた。
そうして――3日後の夜にあたしたちは――
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