/3 暁月妙理


 男が線路に飛び込み、電車に跳ねられて死んだ。

 

 2番ホームへとつながる連絡通路の窓から、暁月妙理あかつきみょうりはその現場を見下ろしていた。

 事故が起きた午後5時から半刻。現場はいまだ騒然としており、ホームに残された人々への対処もおざなりだった。

 妙理は窓際から動くことなく視覚・聴覚の両方を用いて情報を掬い上げる。ようやく駆け付けた警察官や作業員、居合わせた報道関係者たちの話を雑音ノイズの中から聞き分け、事実を再構成する。

 自殺者の名は城ケ崎権悟じょうがさきけんご、年齢は22歳。隣県で医療品関係の商社に勤めていた男性だ。

 目撃者は多数。電車が来る直前まで権悟がケータイを忙しなくチェックしている姿が確認されているが、特に異常な雰囲気はなかったという。しかし、権悟は電車のブレーキ音が駅に響くと同時に2番ホームから線路に飛び込んだ。その場にいた誰にも止める間はないほどに一瞬の出来事だった。

 権悟は虚空に手を伸ばして何かをつかもうとしていた、という証言もあるが真偽は定かではない。

 ただし、彼の最期の表情は淀みのない笑顔であったということだけは確かなようだった。

「……」

 ――2日連続で自殺者が出たのは初めてのこと。

 このまちを覆う死の霧がより深くなっていることは誰にとっても明らかだ。

 暁月妙理が主に報告するべきことは要するにその一点だった。

「おい、君!」

 背後からかけられた声に、妙理は顔色ひとつ変えずに振り返る。そうして、声のした方向に顔を向けた。

「……」

 相手は壮年の駅員だった。下のホームから妙理の姿に気付き、急いで駆け上がってきたと判断できる。息があがっていた。

「なんでしょうか」

「なんでしょうか、じゃないよ! あっちは立ち入り禁止だ。事故があったんだよ。見ればわかるでしょ」

「わかります」

 妙理は問われた通りに答える。その機械的な返答に駅員は一層、表情を険しくした。

「いや君ね。電車はしばらくとめるから、出ていってもらわないと困るよ」

「そうですか」

「君、あまり人をからかうんじゃ――」

 駅員が言い終わるより早く、妙理はその横を通り抜けていた。ここでの役割(しき)は十分に果たしている。そう要求されるのなら、立ち去ることに異議はなかった。

「お、おい!」

 その呼びかけに妙理は今度こそ応じない。

 連絡通路の階段を降りる。未使用の切符を改札に通し、妙理は5番目の自殺現場から立ち去った。

 

 

          ***

 

 

 ――暁月妙理は式神シキガミである。

 

 その意識と記憶が生まれた時にはすでにそう呼ばれており、事実、陰陽師によって使役されている身であった。

 妙理のあるじは陰陽寮――古くより陰陽師を総括している組織――に所属しているが、一月前に総本山である京の都から飛ばされてこの土地にやってきた。

 妙理は詳しい事情を知らない。

 その情報を与えられていなかった。

 だから、このような僻地にきて主が骨董屋などを始めた理由も認知していない。しかし、式神としての運用はそれで問題なかった。

 式神とは、いわば陰陽道における使い魔。

 斯くなれば斯くなる、というシステムの具現である。

 故に、与えられた命令しきの通りに妙理は動くだけだ。今回、自殺現場に足を運んでいたのも、そう命じられたからに過ぎなかった。

 表通りの景色を認識し――けれど、まったく意に介さないままに、妙理は歩を進める。そうして、妙理は大通りから外れた小路に入った。そこにある小さな2階建ての建物が主の根城だった。

 カタカタと音を鳴らすアルミ階段を規則正しいリズムで登っていく。

 入口は大きなモダンの黒扉。

 脇には看板が一つ。『骨董・葛ノ葉』とある。

 呼び鈴を鳴らすなどという手間はいらない。ただ自然に玄関に足を踏み入れる。

「……」

 その瞬間、妙理は何者かの視線を感じ取った。――否、あるモノからの視線を感じた。

 未だ引越し用ダンボールが散逸する長廊下。その突き当たりに、柔和な笑顔を浮かべる黒目の大きな狸の置物があった。

 信楽しがらき焼きと呼ばれる滋賀の名産品。その発祥は明治時代にまで遡るというが、この狸に関してはより古い歴史があると聞かされている。本筋ではない傍流の職人がほんの遊び心から作ったモノだと。

 だからなのか、この狸は他の信楽にはない悟りきった仏の破顔かおをもっていた。

 視線を感じる。だがそこには命の痕跡もなければ、強烈な違和感があるわけでもない。

 狸はただ笑っているだけだった。

「……」

 これに応える意義はない、とばかりに妙理は無反応を貫く。

その置物を知覚から追い出し、右側の部屋――葛ノ葉の事務室の扉をあけた。

「戻りました」

 端的に、それだけを告げる。

 対して奥のデスクから返答があった。

「お疲れ様。……それで結果は?」

 そちらもまた要点のみを訊ねてきた。

 声の主は部屋の一番奥にあるデスクで寛ぐ赤いスーツの男。陰陽師・穀雨玉兎くらさめぎょくと

 この開店作業が停滞している骨董屋の店主オーナーであり、暁月妙理という式神の打ち手でもある男だ。三十代後半。眼鏡と整える気もない黒髪が男の特徴だった。

 自らの式神を一瞥もしない玉兎に対して、妙理は特に感情を動かすこともなく返す。

「自殺でした」

 妙理は散らかった足下のモノを避けて、辛うじて一人分のスペースが空いた来客用のソファに座る。両脇には陶器が詰まったダンボールがあり、隙間なく填(は)まるような形である。

 そんなおかしな姿勢に疑問を抱くこともなく、妙理は淡々と与えられていた役割を果たす。

 ――自殺の概要。見聞きした情報を告げていく。

 これまでの何人かの自殺者の時と同じように。

「――以上です」

 妙理がそう結ぶまでの間に、玉兎は特に口を挟まなかった。

寛いだ態度を変えることもなく黙って聞き、ぽつり、と最後に感想を漏らす。

「……少し流れが変わったかな」

 流れが変わった――その言葉には多少ばかりの重みが込められていた。

 先月から続く連続自殺。ともつかない異常事態ではあるが、『葛ノ葉』にはそれがの案件であるならば対処しろ、という依頼がきている。

 本業の骨董屋ではなく、副業の陰陽師としての仕事だった。

 しかし、調査を開始してから早半月。特に目立った成果をあげていないのが実情だった。

 誰がいつ死ぬかもわからない上に、自殺者の死体は常識の範疇で扱われるため手出しができない。さらに彼らには一見、共通点というものがまるでなかった。

 ――だが今回の自殺者に玉兎は何かヒントを得たらしい。

 玉兎は無反応な妙理の態度に少しだけ肩を竦めてから、質問を投げかけた。

「これまでに自殺した4人のことは覚えてるでしょ。ちょっと復習してみようか。自殺方法と、それから動機とか」

 ほんの気まぐれ。暇つぶしの遊びだと言わんばかりに、ふざけた調子で玉兎は命じる。

 それに対して妙理は無機質に応じる。与えられた情報を引き出し、蓄音機レコーダーのように再生した。

「1人目は藤田源次郎ふじたげんじろう。用務員。頭部を自室の壁に打ち付けて死亡。推定される自殺の動機は家族間に秘匿した多額の借金の露見。

 2人目は中村ちえみ。大学事務員。浴槽でのリストカットによる失血死。推定される動機は恒常的な職場ストレス。元々リストカットの常習者であり、その延長であったと予想されています。

 3人目は獅童昌也しどうまさや。大学研究員。市内の池に長時間浮遊した末の体温低下による衰弱死。動機は就職活動の失敗、大学院進学の失敗。父のガン治療の開始。将来への絶望に起因するものだと考えられます。

 4人目は風見巴子かざみともこ。大学4年生。所属する研究室の4階からの転落死。動機は――」

「いや、けっこう。そこまででいいよ」

 ひらひらと手をふって、玉兎は妙理に停止の命令を出す。

 これだけの情報で十分だ、と言いたいらしい。

「こういう風に並べてみると異様さがよくわかるでしょ?」

「わかりません」

 何を訊ねているのかわからない、という意味で妙理は返答していたのだが、当の主はその点には頓着しない。

やれやれ、と笑みを浮かべたまま、その異様な点とやらを語り始めた。

「いいかい。連鎖的な自殺、いわゆるっていうやつは方法を模倣するのが一般的なんだよ。

 あの人は自分と同じように苦悩していたから。あの人は勇気を出して死んだのだから、次は自分の番なんだ。人間はそんな風に錯覚して、最後の一線を踏み越える。その感情の引き金、きっかけは死者への一方的な親近感だ。

 要するにアイドルや有名人に対する同化の憧憬の類だよ。だからこそ模倣するんだ。死という主題テーマよりも、模倣という命題テーゼに意識を逃避させる」

 模倣するという行為に重きを置くこと。それは死に向かうストレスを軽減させ、自殺のハードルを一気に低くする。一般に自殺はそのように連鎖するものだ、と玉兎は語る。

 実感できずとも、妙理にも意図は理解できた。

 そして、その情報を踏まえるのなら、たしかに4件までの自殺はそういった凡例からは外れている。

「彼らは一般的な後追い自殺のパターンとは違っていた。その点が異様だということですか」

まさしく。――彼らはかろうじて同じ大学の関係者という接点しかない。その上、方法や理由にしてもバラバラだったでしょ。年齢も性別もそうだし。遺書を書くぐらい周到な人もいれば、衝動的としか思えないような死に方もあった。時期が重なったというだけで、その本質は個別に完結した自殺でしかない。互いに影響を受けたと思われる部分が薄すぎる」

 だというのに連続自殺だと騒ぎ立てている外野は真相になど興味がない蒙昧なのか――あるいは無意識にその異様さに気付いているのか。どちらにしても穀雨玉兎はどちらをもわらっていた。

 妙理としては、これが連続自殺だという情報を与えられているために、そのように定義していたに過ぎないのだが――

「そもそも連続していない、という再定義が必要ということですか」

 連続していないのならばこれはただの自殺。死にたくなった人間が偶然にも同じ時期に死んだだけだ。そう悟ったが故に、流れが変わったと宣告したのか、と主へと確認を仰ぐ。

 その問いかけに玉兎は否定する。

 まさか、と笑い飛ばした。

「今日の自殺で確信したよ。今回の件は異様な死が連続している。4番目と5番目だけにある関連性などはこの際、些細なことさ」

 その言葉通り。間近に起きた2つの死だけは他の自殺よりも模倣という要素が強いと言える。

 飛び降りと飛び込みは方法として類似する。また、他の自殺が1、2週間の間隔を開けて行われたのに対して、5番目が自殺を決行するまでの期間が短い。

 後追い自殺としてはこの形式の方が模範的だ。あるいは、2人にはなんらかの関係があった疑いも残る。

 ならば関連しているのはこの2つの自殺だけで、それ以外は繋がりがなかったという可能性も残りうる――が。

「……――」

 そこまでの思考で、妙理は主の出した解と同じものを算出するに至った。

 ――ここで城ヶ崎権悟が不自然な死に方をしたという目撃証言が意味をもつ。

 表情のまったく変わらない妙理を横目に見ながら、玉兎は満足したように続きを語る。

そこに引き込んでいるがいるのさ。連続自殺というより、これは連続自殺教唆かな」

 いわく、電車のホームで待っていた城ヶ崎権悟は直前まで死の気配など纏っていなかった。まるで何かを追いかけるように線路へと飛び出した、という。その顔に幸福な笑みを貼り付けて。

 それだけでも、かなり特異な事例であったことに疑いはない。

「何者かが死にやすい連中の意識に干渉して、自殺させてまわっている。偶然にもこれまでの自殺者は死の瞬間を誰も目撃していなかったが、おそらくは城ヶ崎権悟と同じように向こう側に引き込まれたんだろうさ」

 饒舌に語る玉兎の声には確信が込められていた。

 つまり主の判断はこうだ。

 5番目の自殺には常識から外れたモノが関与している。ならば普通の後追い自殺など、今のこのまちで起こっているはずがない、ということ。

 玉兎にとっては今回の仕事は妙理を大学に入ることの交換条件として押し付けられた程度のものだったらしいのだが、半月かけて、本腰を入れることに決めたようだった。

「これで安心して部屋の片付けを後回しにできる」

 軽く部屋を見渡しながら、玉兎は本気か冗談かわからない戯言を口にする。

 妙理の記憶では、玉兎が引越しの作業をしていたのは仕事の有無に関わらず初めの数日だけだったはずだが――別にそれを指摘する意義はなかった。

「そうですか」

 陰陽師がそう判断したのなら、それに合わせて式神は動くだけだ。故に妙理が口に出すべき提案は決まっていた。

役割しきに変更はありますか」

「……いや、そのままでいいよ。自殺教唆の精神感応者テレパスでも見つけたら殺してしまって構わない」

 市内で自殺が起きた場合は即座に現場に向かうこと。そして、情報収集を収集し、場合によってはその関係者を排除すること。

 現状、妙理に与えられた式はそれだけだ。そして、主はそれで十分だと断言する。

「事態が進展しているのは間違いないからね。ボロが出るのももうすぐじゃないかな」

 案ずることはない。自殺者はまだ出続けるだろう、と玉兎は他人事のように語る。それに対して、妙理は他人事ですらない無感動で応じる。

受容わかりました」

 いつもどおりの返答を聞き届けて、玉兎は虫でも追い払うように手をヒラヒラとふった。

 これで今日の話は終わり、ということらしい。

「それじゃ、もう戻っていいよ。長話ししていたから喉が渇いて仕方ないんだ」

 気の利いたアルバイトがお茶の一つでも淹れてくれればいいんだけど、と皮肉げに苦笑する店主。

 ――妙理はその言葉を背中で受け止める。すでにソファから立ち上がり、事務室を出ようとしていたところだった。

 別段、足を止めろと命じられたわけではない。

 暁月妙理シキガミへの命令にゅうりょくでないのなら、それに応じる道理はない。

「あー、ところで」

 そこで玉兎は何か思いついたように声を挙げた。その声量、指向性からその矛先は式神でしかありえない。

 振り向くと主は口元を半月に歪ませて、妙理を見ていた。その露悪的な表情のまま玉兎は問いを投げる。

「大学の方はどうだい? 何か楽しいことはあったかな」

 そこで一瞬、妙理は記憶を反芻トレースした。

「……」

 楽しいことがあったかどうか。

 自分が与えられた大学生と言う枠組み。

 その生活の中に娯楽的な要素はあっただろうか。――否、それは精査するまでもなくゼロだった。

 そも、暁月妙理は個人の嗜好というものをもっていない。

「特にありません」

 だからこそ、その応答はまったくの無味乾燥なものであり――訊ねた側も応えに対して表情を失していた。

「あっ、そう」

 玉兎の口から関心のない声が漏れる。それでどうでもよくなったのか。妙理のことを気にとめもせず、茶の準備などを始める。

 それ以上の言及がないことを確認してから、妙理は事務室を出た。

 

 

          ***



 そうして、一日の活動を終えて、暁月妙理は眠りにつく。

 夢は見なかった。

 ずっと昔からそうだったから、もとより、夢がどんなものかを知らなかった。

 

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