狐憑きの天気雨

陽本明也

第1話

二条駅から真っ直ぐ伸びる御池通りを突き進み、釜座通りにあるビジネスホテルまで、ほとんど戻ってきてしまった明子にとって、そのバーはまさに極楽浄土だった。

 すでに陽の暮れた御池通りは、昼間ほど観光客が多いわけでもなく、駅を離れるにつれて住宅街が顔を出してきたせいか人通りはほとんどない。日本随一の観光所である京都の夜の姿に明子は少し驚きながらも、町家や長屋といった歴史を重んじる家屋の隣に、平然と佇む現代建築のアンバランスさを眺めては、ここでしか見れない景色だ、と感動した。色んな人種の訪れる古都も、都内のように夜だろうがなんだろうが騒がしいとばかり思っていた。夜でも観光地のライトが灯り、どこもかしこも明るくて、昼間の京都駅のように人で溢れている。新宿や、渋谷の喧騒に類似したものを思い描いていたのだけれど、京都の夜は実に静かだった。

 御池通りを直進する明子とすれ違うのは、ヘッドライトを灯して意気揚々と走るタクシーや乗用車ばかりで、時々古めかしいシャッターの閉まった骨董屋や、営業を終了したカフェの前を通り過ぎ、小料理屋までもが看板の灯りを落としていることに、今日のスケジュールの一つである「一見さんのバーで飲む」という明子の目的は、危うく頓挫するところだった。敗因は今日が日曜日である、ということだ。久しぶりの旅行に浮かれていた明子は、日曜は大抵のバーの定休日である、という酒飲みの常識をすっかり失念していた。

 だから結局、折角旅行にやってきた京都の二条あたりを、ひたすら三時間ほど歩く羽目になった。ホテルから二条駅まで歩いて、駅前をぐるりと一周したけれど、一夜限りの酒をまったり楽しめるような店は見当たらない。仕方なく、インターネットで近くのバーを検索し、場所を聞こうと電話をしてみると、ことごとく「日曜は休みだ」と告げられた。

 片っ端から電話をかけ、駅の周辺をぐるぐるして、ようやく明子の中に諦めるという言葉が浮かんだ。京都旅行の初日の夜は一見さんのバーで過ごすと決めていた明子だったので、それはもう悔しさの残る決断だった。

 だから、散々歩き回ったのに、それでも「夜の散歩だ」と半ば意地のような心持ちで、タクシーも拾わず、ホテルへと戻るために歩いてきた押小路通りを道を真っ直ぐ引き返さず、御池通りで帰路に着こうとした明子は、住宅街の奥にぽつんと佇む〈Bar.moon〉を見つけて歓喜に打ち震えた。行き止まりの路地の奥にひっそりと存在するmoonは、通りに明かりのついた看板を掲げているだけで、バーを探すという目的がなければ明子も素通りしていたに違いない。街灯のない細い路地を突き進み、少しばかり不安を煽る暗がりに奮起していると、町家作りの小さなバーが目の前に現れる。雰囲気は満点に怪しかった。都内在住の明子にとって、バーというのは新宿の雑居ビルのテナントであったり、地下であったりするもので、そのほとんどは重たい押し引きするドアの向こう側にあるからだ。路地の奥の、明かりもなにも無いような住宅街の中に、手書きのメニューだけがぽつりと置かれているmoonは、なにか悪い組織のアジトのような空気を醸し出していた。それでも、当初の目的を達成すべく、明子は町家の引き戸に手をかける。

 この判断が間違っていなかったのだ、と明子は自分を褒めた。

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