第15話
朱い鳥居の並ぶ荘厳な雰囲気に、明子はよもや奇人がカミサマであることを疑う余地がないような気がした。見上げれば伏見の山に区切られた広大な青空に、白磁の雲が数片浮かんでいる。京都伏見区にある稲荷山は、普段はなら多くの観光客が訪れるはずの伏見稲荷大社の建つ場所だ。その歴史は古都と呼ばれる京都の中でも長く、平安時代を飛び越えて、奈良時代から続いているのだという。きちんと参拝をするのなら、山一つをぐるりと登り、降りていかなければならず、一日を費やしてしまうだろう。だから今回の旅行の日程には、組み込まれていなかった場所だ。伏見稲荷を訪れるのなら、一日をきちんと使いきるつもりで足を向けたかったからだ。
石造りの道を進み、立ち並ぶ朱色の美しい鳥居をくぐって行きながら、深く呼吸をする。湿気の多い、冷たい空気が肺の中へと入ってくる。これから真っ直ぐに山を登らなければならないのだから、気温は丁度良くなっていくのだろう。
二条から電車に乗り込んで、最寄り駅にたどり着いた途端に、大雨が降った。十分ほどのゲリラ豪雨であったけれど、明子は改札を通った時、鞄に入れた鈴が大きく鳴ったことに気づいていた。財布やハンカチのおかげで、底に押し込まれているはずの鈴が、まるで奇人が交差点の向こうに見えた時のように、駅構内に明瞭な音で響いた。
それが偶然であったとは、今の明子には到底思えなかった。ホテルを出た時点では、空は快晴で心地よく、昨日よりもずっと気温が高く、山を登るにはそれなりの覚悟が必要だった。それが突然の大雨で洗い流されたかのように、たった十分の足止めで、過ごしやすい気温に変化し、今から明子と同じく稲荷大社に向かう予定だった観光客たちが、まばらに雨宿りをしている。鈴の音を反芻しながら、呆然と突っ立ったままだった明子は、雨が上がったのと同時に駅を抜け出す。そうして、雨で濡れたアスファルトを眺めながら、この旅でよくよくと縁のある雨に、必然性を見出してしまっていた。
人間は、身の回りと物事を関連付けてしまう癖があるのかもしれない。「千里を見通す」と笑みを浮かべた奇人が、今日の明子の足取りを追いかけてきているような気がする。そう思えば、なんだか背筋が伸びるような心地になった。首にかけたカメラで駅前の風景を捉えてシャッターを押す。持ってきていた一眼レフのカメラは、あまり出番がなかったけれど、今日もこれ以上の出番はないのだろう。もしも、奇人に会えなかったら伏見の山を余すことなく映すことが出来るのかもしれないけれど、きっと奇人は曖昧な約束を守ってくれる。明子には、そんな小さな確信があった。
明子の動きに合わせて鞄の中で揺れる鈴は、不思議なことに、もう音を出さなくなっていた。
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