第9話 魔術学院 1

 ナツミの出生。ナツミとジル結婚、そして自分達の出生についての情報を得た、ハルカの機嫌は回復していた。

 当初ハルカが危惧した事案は起きそうにないと、改めて証明されたのだから、それも当然というもの。

 ナツミとミツハも和解して、今は昔話に花を咲かせている最中だ。しかしミツハは、突然何かを思い出してナツミに向き直る。


「ところでお姉様」

「ん? どうしたのよ改まって……」

「カナタ君とハルカちゃん。学院に通わせるつもりはないのですか?」

「え、うーん……どうしようかなぁ」

「「学院?」」


 聞き慣れた施設の存在を知った二人は、当然のことながら興味を持った。前世ではどちらも卒業する前に死亡したのだ。

 カナタ程ではないが、ハルカも少なからず未練があった。


 王国東部ユーステア地区・学研都市アレフ。

 この街には様々な研究施設や、分野ごとの学院などが多く建ち並んでいる。

 ハルカ達が魔術適性の検査を受けた、王国魔導研究所もこの都市にある施設だ。

 そこに住む国民のおよそ六割が、学生や教職員、または研究員が占めている。


 学研都市において、学院は大きく分けて三つ存在している。


 貴族・平民などの身分に関係なく通えるナデラート東部地区学院。

『東部地区』と示す通り、学院は東西南北、そして中央地区にある王都の計五箇所が存在している。

 主な一般教養。国民科、理数科、体錬科、芸術科に実業科と言う、日本の教育と同じ科目が設定されている。


 次代の王室親衛隊候補など、主に剣術や体術を扱う若者を育成するために設けられたナデラート王国騎士養成学院。

 騎士養成学院では、芸術科と実業科を除く代わりに、体錬科により力を入れている。


 そして魔術の素養のある者ならば、身分に関係なく通うことを許されたナデラート王国魔術学院。ミツハの言う学院とは、魔術学院を指している。

 この学院の一般教養こそは、騎士養成学院の体制とよく似ている。──が、他の学院と違い教科科目が更に多くなっている。


「魔術学院では一般教養の他に、魔術史学や魔導法医学、占星術学などなど……。色々な学問があるんです」


 端的に言えば、魔術関連の科目が追加されているということ。当然だ、なんたって『魔術学院』なのだから。

 ナデラート王国魔術学院は、他の学院よりも三年長い五年制となっており、予科二年を経て本科三年で卒業する流れである。

 さらに他が十三歳から入学できるのに対し、魔術学院は十歳から通うことができる。


 他の学院は十五歳、つまりは成人と同時に卒業できるのに対し、魔術学院は十八歳となってしまうのだ。

 ハルカやカナタからしてみれば、気にすることではないと思うのだが、学院は成人と同時に卒業することが、この世界の常識となっているのである。

 例外として、十一歳以上から本格的に魔術を学ぶ場合は、編入試験に合格しなくてはならない。


「えーと、つまり。今年入学する分には、特に受験する必要はないって事ですか?」

「そうよカナタ君。だからお姉様に訊ねたんです」

「……確か、五月中旬頃までに手続きすれば良かったのかしら?」

「はい、お姉様。どうやらお二人は、お姉様の子ということもあり、魔術の素質があるとお見受け致しました。

 ですので、一般の地区学院や塾に通うよりは、そちらの方が良いかと提案致しますわ」


 王国基本法には義務教育制度はない。

 学院への編入試験は免除されても、学費等の支払いが免除される訳ではない。

 国民の中には、学院より設備や教えも低レベルである代わりに、費用がそれほど掛からない塾に通わせようとする者も少なくない。また貧民の中には、通わせたくともそれが出来ない者も多い。


「二人は十歳の魔術使い。お姉様方の暮らしぶりを拝見する限りは、特に問題はないように思いますが?」

「魔術学院……」

「でも二人一緒は無理だと思いますよ?」


 ハルカは惚けたように黙ってしまったが、カナタは少し悩んだ末にそう答えた。

 学費のみの支払いという、平民にとって優しい制度ではあるが、だからといって経済的に余裕があるとは言い難い。ハルカだけなら問題はないが、そこにカナタ自身まで通うとなると少し厳しい。


「あの、お姉様方はどうお考えなのですか?」

「うーん……。もし二人が行きたいなら、なんとか遣り繰りすればどうにかなるとは思ってるけど……」

「ああ。俺としても、二人には将来の選択の幅を広げてもらいたいと思っている。宿を継いでくれるのは嬉しいが、もう少し外に目を向けてもいいと思うからな」

「でしたら我がルミーナ子爵家が、二人の学費などの面倒を見ましょう」


 ミツハは名案とばかりに、平らな胸を反らして提案する。ナツミ達にとって、それは願っても無い申し出ではある。

 しかしナツミは勘当された身で、現時点で逃亡している状況である。例え当主が妹に変わったとしても、ミツハとナツミのその関係性に変化はない。その子供も例外ではない。

 つまり子爵家が援助する理由がない。


 確かにミツハなら、五年分の学費を一括で二人分支払うことは容易い。ナツミ達が半年毎に支払うよりは、金銭面、精神面的にも楽になるのは間違いない。

 けれど、それを受けてしまうということは、ハルカ達と子爵家に何らかの縁があるという事を、わざわざ公開するのと同義。

 妙な噂や、何らかのトラブルになる可能性がないとは言い切れない。……限りなく低いのは間違いないが。


 その心配をしているのは両親だけで、カナタとしては単に申し訳なく、ハルカは上の空で別のことを考えている。

 ハルカの考えでは、援助してもらうこと自体は何の問題もない。寧ろ金銭面を考えれば、二人同時の入学に障害がなくなる。

 ハルカは今、それ以外で学院に通うメリット・デメリットの精査をしている


(魔術学院と地区学院。どっちでも今の環境を破壊して、兄さんと過ごす時間を増やすことが出来る……。でも同年代の雌豚どもと、兄さんを一つ屋根の下に詰め込むのはちょっとな……ううん、ホントは嫌だ)


 ハルカにとって、魔術など学ぼうが学ぶまいがどうでもいい。

 それよりも、同年代の女子とカナタが同じ教室で過ごすこと、それこそがハルカにとっては大問題なのである。

 考えただけで反吐が出る。


 だが、そればかりは譲歩するしかない。

 そうしなくては学院に通うなど、夢のまた夢になってしまうのは必然。

 同じクラスになれる保証はない。ならば塾に通う方が、カナタを守る意味でも確実ではないだろうか?


(……ううん。多分その選択は正しいけど、それは兄さんの望みを確認してからじゃないとダメだよね?)


 基本的にハルカは、兄の意思を尊重するつもりでいる。無理にカナタと結婚した所で、カナタが愛してくれるかどうか……。寧ろ嫌われる可能性も……残念ながら、ないという保証もない。

 ハルカはここ数週間で冷静になり、強引に迫るのをやめたのだ。


(あくまで兄さんの意思。兄さんの意思で、私を愛してもらいたい……)


 もちろん、そのために如何なる方法でもって籠絡する気満々のハルカ。

 普通ノーマルなやり方では、カナタが近親相姦を認めてくれる筈がない。だからやり過ぎない程度に、カナタへ迫ること。

 そのためにはまず、この現状を変えなくては何も始まりはしない。

 だから──。


「あのね、お父さん。お母さん。ハルカは、お兄ちゃんと学院に通ってみたいです。お兄ちゃんはどう?」

「ん……。父さん達に負担はかけたくないんだけど……」

「お兄ちゃんは? お兄ちゃんはどうしたいの?」

「う、うーん……。まぁ、興味はある……かな?」

「という事だから、お父さん。ハルカも、お兄ちゃんと一緒に学院に行ってみたい」

「……分かった。ミツハさん。差し出がましいとは思うんだが……」

「そんな! 全然大丈夫ですよ。寧ろ頼ってもらえて嬉しいんですよ、わたくし」


 心底申し訳なさそうなジルを前に、ミツハは満面の笑みで喜んでいる。

 子供好きで、しかも敬愛する姉の子を天使と呼ぶくらい溺愛している。そんな天使の役に立てて嬉しいからなのか、目には爛々と怪しい光が揺らめいている。

 当然視線はハルカ達へ……。


(怖っ……)

(……安易だったかな?)

「えへ、えへへへ……、……じゅるる」


 良くないものと契約した気分。

 二人は今後、ミツハに安請け合いしないようにしよう、そう心に誓った。



 ◆◇◆◇◆



 アレフの中央区自然公園には、全長およそ六百メートルの転送塔が設置されており、街で最も高い建造物とされている。

 アレフだけではなく、その他の四箇所の主要都市にこの塔が設置され、地方から地方への移動には最も効率的、且つ最も最短ルートとなっている。


 そんな歴史的、魔術的に見ても価値ある建造物を見上げているユリネ=ナーヴァもまた、魔術を敬愛する者の一人だ。


 ユリネはナーヴァ侯爵家の跡取り娘で、当時のルミーナ子爵家と似たような境遇を抱えている貴族の子女である。

 肩の掛かるくらいに伸ばした金髪が美しい彼女は、十歳にしては大人びた印象を受けるほどの存在感を醸し出している。


 ナツミ達の時代なら、男児恵まれない不幸を嘆いていた所であったが、昨今はそれほど問題視されることもなくなっていた。


 貴族の後継者は男児にのみ継がせる。

 そんなつまらない風習、考え方はなりを潜めつつあるのであった。

 特に魔術の才を持つ子であれば、例え平民の出であっても養子に向かい入れようとする程にまで緩和されている。


 ユリネ自身もまた、魔術の才を持つ令嬢であるため、他の貴族との交流会の場などによく出席することも多かった。

 ──が、未だ婚約者となりうる男性と巡り会うことはなかった。


「そろそろ時間みたいね」


 ユリネは最近流行りの腕時計を確認してから、ゆっくりと学院までの道を歩き出す。


「少し暑くなってきたかしら?」


 編入手続きを五月の上旬に終えた頃は、まだ少し肌寒さを残していたのが嘘のよう。


 六月三日の今日。

 いよいよ待ちに待った、ナデラート王国魔術学院への入学式が始まろうとしていた。

 ユリネは知らず高揚していたためか、半ば無意識に早足となっていた。


「あ、すみませーん」

「え、あぁ……はい。どうされましたか?」


 そんなユリネの前に、一組の学生カップル? が困り顔で話し掛けて来たのだ。


(この二人……私と同じ予科生?)


 ユリネは二人の装いを見る。

 話し掛けてきた二人はユリネと同じ予科生の制服に身を包み、男の子は学院指定のベストとスラックス、女の子はスカート姿で何故か表情が硬くなっている。


「何かしら?」

「突然ごめんなさい。あの、ちょっとお聞きしたい事があって……」

「…………」


 言葉通り申し訳なさそうな表情の男の子と、終始無言を貫く女の子。

 式までは多少時間はあるが、あまりのんびりと構えてる訳にもいかない。


「手短にお願い出来るかしら?」

「うん。そんな大した事じゃないんだ。ちょっと……その、道を聞きたくて」

「道……。学院までの道のりが分からない。という事でしょうか?」

「……恥ずかしながら」


 なるほど。だから同じ学院生の制服を着用した私に声を掛けたのか。


 仮に自分が同じ状況なら、きっと同じ事をしただろう。ユリネは可笑しそうに笑い、このカップルを案内しようと決めた。


「私もこれから向かうのよ。良ければ案内するけれど……どうかしら?」

「助かります。ありがとうございます」

「……ありがとう、ございます」


 この二人はどこかの貴族の出だろう。

 同い年でこの礼儀正しさ、丁寧な口調、それと同年代よりも上の者と接するような感覚が、ユリネを完全に誤解させた。


「それから……。改めまして、僕はカナタ=ナルミです」

「……ハルカ。ハルカ=ナルミ」

「ナルミ……。えっ、お二人は兄妹なのですか?」


 二人とも同い年の学院生という事と、ぶっちゃけ似ていなかったために、ユリネは素で驚きを露わにする。

 普段ならそんな事はないが、今日はずっと楽しみにしていた学院に通えるともあって、思った以上に舞い上がっていたのだ。

 そこへ不機嫌さを隠す気もないハルカが、初対面であるユリネを睨みつける。


「悪い……?」

「あっ……ご、ごめんなさい。そういうつもりではなかったの。てっきり恋人か何かだと思って……」

「──そ、そう。ふ、ふーん……そ、それならいいです。はい……」

「……?」


 何故だろう。

 兄妹よりも、恋人に見られた方が嬉しいような反応をしたのは何故だろう?


「あ、失礼。私はユリネ=ナーヴァと申します。これからの学院生活……少なくとも二年間はよろしくお願いしますね」

「「二年?」」

「えっ……?」


 まさか知らないのか?

 ユリネはまさかとは思ったが、一応説明する事にしたが……。


「とにかく、そろそろ行きましょうか。歩きながらでもお話は出来ますから」


 ハルカ達もこくんと頷いて、先行くユリネの後を追った。

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