第8話 後継者問題なんてある訳ない
宿泊者の多くは、すでに個々の部屋でのんびりと疲れを癒し、または夜の街へと駆り出している。宿に泊まるお客とは、即ち冒険者や行商人であったり、旅芸人や観光客である事が多い。
この街の住人が、わざわざ金の掛かる宿に泊まることがまずあり得ない。そして家族経営である宿の部屋数は、他の大きな宿に比べたら少ない方だ。
そのため『春晴れ亭』では、夕食時が終われば途端に静かになる傾向が強く、同時に、その日の仕事はほぼ完了と言っても過言ではない。
(ようやく終わった……。これでミツハさんから事情が聞けるってもんね)
苛立ちと逸る気持ちがあったためか、時間の流れがいつもより遅く感じたハルカ。途中、カナタに怒られて自室に戻った時は、これからの会話を想定して、対応を検討していたのたが、それに集中というか熱中していたら、あっという間に時間が過ぎていった。
時間が惜しい時には早く感じ、待ち時間を意識すれば遅く感じる。人の深層意識とはなんと脆く、扱い辛いものだろう。
数分間の休憩の後、ナツミの方から声が掛かる。宿泊者に聞かれたくないため、母は家族で過ごす一室に子供達を連れて行く。そこには既に、父とミツハが楽しそうに談笑をする姿があり、ハルカとカナタが入室したのに気付けば、ミツハが興奮したように詰め寄り、それをサラッと避ける双子。もう対応は学習したのであった。
ナツミが妹を黙らせると、ようやく本題を語り始める。
「まず始めに、わたくしとお姉様の出生について。もう勘付いてるとは思いますが、わたくし達は貴族家で生まれました」
そこは完全に予想通りである。
二人はナデラート王国のルミーナ子爵家の令嬢で、ナツミは次期当主となる予定だった。本来爵位とは、長男または次男が継ぐ事になるのだが、残念なことに、ルミーナ子爵家は男児に恵まれなかった。
「そこでやむを得ず、お姉様が爵位を継いで婿養子をとることになったのですが……」
当時のナツミは、ルミーナ子爵領で近衛騎士をしていたジルに一目惚れをした。ナツミの猛烈なアプローチの末、二人は恋仲になったのだが……。
「父が猛反対しまして……」
「「あぁ……」」
察しの良い二人は、すぐにその情景が頭に浮かんだ。次期当主となる子爵家長女と、身元不確かな平民を婚約させる筈がない。それは次女のミツハも同様で、貴族の令嬢の多くは一つ上か、同等の爵位持ちの家に嫁ぐ事になる。貴族家はそうして少しずつ力を強め、繋がりを深めていくのである。
「なるほど。何処の馬の骨とも分からず、ましてや貴族じゃない平民なんかと婚約させたくなかったんだ」
「馬の骨って……カナタ、お前……」
「ルミーナ子爵? が、爵位に固執して貴族同士の結婚しか認めないクソジジイだったんだね」
「こ、こらハルカまでなんて事を……」
カナタはともかく、ハルカの貴族に対する暴言はあまりにも辛辣だった。機嫌が悪かった事もあり不安だったジルだが、ここまで容赦なく自らの祖父を貶すとは正直思っていなかった。しかも、いくら孫とはいえ貴族への反感の罪に問われかねない。
「本当に最ッッ低なのよね」
「ナツミ……。お前までそんな……」
「ほんと……くたばればいいのに……」
「ミツハさん!?」
長女が勘当され、次期当主が自分に変わった事で、同じような被害を被っているのだろうミツハは遠い目をしている。
「あ、でも少し訂正しますね。確かにお父様が、お姉様とジルさんの婚約を否定した理由の一つが、貴族と平民、という事なんだけど。別に権力が欲しかった訳でも、強固な繋がりを優先した訳じゃないの。あわよくば、という思いはあったと思うけど、その本当の理由は……」
『うちの娘が……うちの可愛い娘がその辺の大したことない平民の男と婚約じゃとおおおおぉぉぉぉッッ!!
お、おのれ……我が娘を誑かすなど断じて許さんぞッッ!!
ナツミもミツハも、パパと結婚するって言ってたんだああああぁぁぁぁッ!!』
「──と、言うことなの」
「「うわっ……キモっ……」」
「「キモ?」」
カナタもハルカもドン引きである。まさか二人も、そんな理由で婚約を認めないとは思っていなかった。
親バカここに極まれり、である。
「そんなのが領地持ってて大丈夫なの? というか、よくそんな変態がお母さんの家出を許したね」
「一応形の上では勘当なんだけど……まだ、諦めた訳じゃないの。今も、血眼になって探してるんですよ」
「それにしても……。母さんも父さんも、よくもまぁ、十年以上も見つからずに暮らしてたよね?」
「全くです。まさかこの国に残っていたなんて、誰が思います? てっきりもう、亡命したものだと……」
灯台下暗しとはまさにこのこと。ナツミは幼い頃から聡い子で、悪知恵が一番よく働くため何度となく関係者を困らせた。
友人達や学院のクラスメイトの間でも、貴族らしくないだの、平民に溶け込んだら誰も気付かないと言われていた。実際、十年以上誰にも気付かれる事はなかったのだから、なんとも恐ろしい。
「それにあれは何だったんですかお姉様?」
「何って、もしかして亡命の痕跡を消したように見せかけたこと?」
「やっぱり……」
父親と大喧嘩したナツミは、爵位を継がないと宣言して家を飛び出した。当然、大事な娘を野に放つつもりのない子爵は、すぐにナツミの捜索に尽力した。そしてジルと共に、王国を亡命した痕跡を発見。
国内での捜査を完全に打ち切り、以降は国外へ捜査範囲を伸ばしたが発見されず、二年後、泣く泣くナツミを勘当扱いし、ミツハに継承権を譲る事にしたのだ。
「国を出た痕跡を消そうとした痕跡を発見したお父様は、まんまと騙された訳ですね」
「ふふ。我ながらナイスアイデアだったわ」
「まったくお姉様は……。まぁ、わたくしも騙されたんですけど……」
ルミーナ子爵領では、既にナツミは死んだとも噂されている。世間知らずの貴族の娘が、ただの平民と亡命して無事で済む筈がないと、誰しもが思った。
子爵本人は当然信じていない。十年経った現在も、愛しい娘を探している。
無論、国外を中心的に……。
「でも、だったらどうしてミツハさんはここを嗅ぎ付けたんですか?」
今回最大の謎がそこだ。ハルカが最も聞きたかった事を、兄は特に意味なく尋ねた。
流石は兄さん、ファインプレー!
「たまたま、こっちで買いたい物があって来てみたら……」
「母さんを見つけた、と?」
「そう言う事です。最初は人違いかと思って半信半疑でしたけど、そもそも、このわたくしがお姉様を見間違う筈ありません!」
(そんな自信いらないっ!!)
ハルカは心の中で毒づいた。十年以上経った今になって、厄介ごとを連れてきたミツハを許してはいない。そこで余計な事さえしなければ、妙なフラグが立つ事もない。
そして真に許せないのは──。
(誰がこんな複雑で面倒な家庭にしろと言ったシャルぅぅぅぅッッ!!)
ハルカは平静を装いながら絶叫した。
(確かに平民とは言ったよ! いくら勘当してるからって、どうして親バカを拗らせた子爵家の娘の子供として転生させるの!?
平民なんだからもっと普通の家庭でいいのよ! バッカじゃないの!?)
しかも勘当したと言っても、あくまで形だけのものであり、現在もねちっこく探し回っているというオマケ付き。こうしてミツハに見つかった以上は、本人にその気はなくてもバレてしまう可能性が出てきた。
姉思いの妹ではあったが、あまりにも軽率な行動であるとハルカは非難する。
(くっ……思った以上に厄介な事になった。そもそも、なんでミツハさんに護衛が居ないのよ? こんなの絶対本人の与り知らぬ所で、ベテランの護衛がつけられてるパターンじゃない!)
それほどの親バカなら、同じ過ちを繰り返さぬように、次女は徹底的にマークされる。そうじゃなきゃ、こうして簡単に外出などさせてもらえる筈がない。
ハルカの考えが正しければ、間違いなくミツハは監視兼護衛されている。
(今日の事は報告されるはず……。そしたらお母さんの居場所がバレて……はっ! 兄さんが次期後継者として連れて行かれちゃう!?)
例え娘ラブで、それに手を出したジルを恨んでいようとも、孫とは会ってみたいと思うだろう。そして都合良く男児がいるのなら、次の後継者に最も相応しいだろう。
──否、そうじゃない。
「ミツハさん!」
「わっ……ど、どうしたんです?」
急に詰め寄られたため、かなり驚いたようだが、ハルカは完全に無視して続ける。
「お母さんが勘当という事は、今はミツハさんが次期当主ですよね? いえ! 年齢的に考えて、もう爵位は継いだんですか!」
「え、ええ。子供を安全に産めなきゃいけないから……。だからなるべく若いうち婚約は済ませて、子供もすぐに……」
「じゃ、じゃあ既にお子さんがいらっしゃるという事ですね!?」
「そうだけど……」
それだけ聞いて、ようやくハルカは体から力を抜いた。カナタ達は突然の奇行について行けないようだが、ハルカはそんな事気にも留めずに難しい表現を浮かべている。
(つまりミツハさんは結婚して子供がいるから、その子供が次の当主になる? でも待ってよ? 仮にお母さんが発見されて、勘当が取り消しされたりしたら後継者問題勃発?
いや違う、それはない。だって爵位は既にミツハさんが継いでる。つまり、今のルミーナ子爵はミツハさんという事で……)
そこまで考えが至り、今度こそようやく肩の力を抜いたハルカは、今日一番の緩んだ表情で安堵した。
「ハルカ……本当に今日はどうしたの?」
「兄さぁん……良かったよぉ……」
「そ、そう。よく分からないけど……良かったな」
「うん……これで、安心だね」
「「「……?」」」
面倒な家柄で、厄介そうな過去はあったが、取り敢えずドロドロの後継者争い的な構図は消滅していた。
一度継いだ爵位を別の誰かに譲渡するのであれば、本人が直接進言するか、死亡して次の代へ強制的に移行するしか道はない。
(仮に先代がお母さんに爵位を継がせようとしても、今のジジイにその権限はない。そしてミツハさんは姉思いだから、そんな事は絶対にしない。さらにミツハさんの夫だって、きっと反対するに違いない!)
ドラマでよくある、大富豪の後継者問題で血で血を洗うような事にはならない。それが確定しているのなら、ナツミが今さら発見された所で状況は何も変わらない。
ナツミも今になって、実家に帰りたいとは思っていない。ホームシックになるくらいなら、初めから駆け落ちなどしない。
「ふふ、ふひひひひ……。きひひひひ……」
思わず嗤いが溢れるハルカだが、周りはもう何が何やら分からず、とにかく恐怖した。
兄としては、妹の奇行をどうにかしてやりたいと思うが、反面、あまり関わり合いになりたくない複雑な気持ちを抱いた。
(ううぅ……僕が、死んでしまったばっかりにこんな……っ)
ハルカが狂った責任を感じるカナタは、悲しみと悔しさで涙が溢れそうになるが、それをなんとか堪えた。ここで弱音を見せる訳にいかない。
(ハルカ……いや、綾奈。僕はずっと傍で見ているから。今度こそ綾奈が幸せになれるようにね?)
綾斗が死んだショックは相当なものだった。それこそ綾奈の精神を崩壊させて、タイムマシン開発などという無謀に、人生を捧げてしまうほどにだ。
だからこそ、二度目の人生は幸せになって欲しいと願う。
(僕が必ず、ハルカを幸せにしてみせるから。今度はきっと……)
(兄さん兄さん……にいさん、兄さん兄さん兄さん。にいさ〜ん♪ 今度こそ、二人だけで幸せになろうね。ううん、私が本当の幸せを教えてあげるからね?)
思いは通じているが、幸せの定義があまりにも掛け離れている事に、カナタが気付くのは更に先の話になる。
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