第16話 『ぼんぼん』

 ユリネがマーク=ロレンツィと昼食を共にして二週間が経過した。その間も何度か一緒に食事をしたり、学院が休みの日も会っていたそうだ。

 着々と関係を重ねている両者に苛立ちを覚えているハルカであったが、それを表に出すことは決してなかった。限りになくゼロに近いと踏んでいるが、もし二人の間に『恋』でも芽生えているのなら文句はない。

 だが最近のユリネ様子から、やはりその可能性はないと考えていた。

 しかし、数日間で溜まった鬱憤は一気に爆発することもある。


「……最近、付き合い悪くなったわよね」

「あ、うん……ごめんなさい……」

「ふん、謝るってことは迷惑なんじゃないの? だったらいっそフッちゃえば良いのに……」


 今日は久しぶりに学食を共にしていたが、ハルカの口から出るのは不満の言葉ばかり。

 連日のように教室に押し掛けてくるマークの行動には、流石のハルカも文句をつけたくなってしまった。

 カナタは不干渉を貫いており、基本的に彼女らの仲に割って入りはしない。余計なトラブルを回避したいのと、当人同士が納得しているなら他人の出る幕はない……と、考えてのことだ。


「別に……まだそういう仲じゃないわ」

でしょ? そろそろ鬱陶しいのよね、あのぼんぼん……」

「『ぼんぼん』?」

「お坊ちゃんって意味よ」

「そんな言葉があるの?」

「変なことに興味持たないでよ」


 時折、日本で使われた言葉を口走ることがあるハルカとカナタ。探究心の強いユリネは、そういった大して意味のない言葉ですら気にしてしまうことが多々ある。

 ハルカ達も気をつけてはいるが、記憶持ちの転生者であるからには、無意識で言葉に出るのはよくあることである。


「と・に・か・くッ! あの男が教室に来るたびイライラするの」

「どうしてハルカが苛立つの? あの方は私にしか……」

「あのカッコつけたような口調が痛々しくてキモいったらない……ッ」

「ハルカ……卒業までにはその口汚さを直しましょう」

「問題ありませんことよユリネ! いつもはもっと丁寧に会話してますもの♪」

「………普段が酷すぎて、今の口調と人懐っこい笑顔は全く似合わないわね」

「ほっといてよ……」


 心底哀れんだような視線を向けられたハルカは、仏頂面で頬杖をつく。


 ハルカ──綾奈は、元々は明るくて表情豊かで社交的な性格だった。しかし綾斗の死後、それまでの明るさは見る影もなくなり、全ての人間を避けるようになった。両親や友達、先生や人間以外の生物に至るまで関わりを持たなかった。

 元々綾斗が絡むと、性格が豹変することは多々あったが、恐らくその頃から色々とおかしかったのだ。

 そして綾斗の死を切っ掛けに精神の崩壊、それに伴い性格そのものが変質してしまったのである。


「それよりユリネよ。実際の所どうなのよあの男は?」

「どうって……確かに少しお調子者だけど、良識的な方よ」

「じゃなくて、恋愛感情を向けられるのかって訊いてるの」

「……今は違う。でも──」

「付き合っているうちに好きになる?」

「…………」


 確証なんてどこにもない。

 貴族同士の結婚には重みと責任が伴う。平民のように気軽に結婚して、嫌いになったり浮気されてしまえば簡単に離婚する……なんてことはほぼ不可能だ。

 貴族にとって結婚は、平民が思う以上に重要な意味を持っている。よって平民のハルカが貴族であるユリネの気持ちなど分かる筈がない。ないのだが……。


「……そうね。彼の目的は最初から分かってる。ナーヴァ家が代々受け継いできた魔術の研究成果を得ることでしょう。

 逆にこちらは、ロレンツィ家の魔術研究の閲覧が可能になるわね。

 私個人に関心はないでしょうね。そして、私も彼に個人的な感情は今の所は皆無よ」


 ユリネは本音で答えた。

 仮にハルカ以外の生娘に諭されれば、まず間違いなく反論しただろう。貴族でもない癖に何が分かるんだ、と……。


 だが、ハルカに対してはそうしなかった。

 単に友人というだけではなく、ユリネは社交場にもよく顔を出す事が多いためか、人を見る目は確かだ。

 ただの平民にしては、ユリネの知らないような知識と知恵を兼ね備え、時折まるで大人の女性と接しているように感じることもある不思議な少女。

 カナタも同様に、初めて会った際は何処ぞの貴族だと勘違いしたことだってある。

 そんな不可思議な少女から出た言葉には、反論を許さない重みが確かにあるのを感じていたのだ。


「よくそんな軽率で不躾で、個人的感情より家の利益を優先するような……ううん、まるで屍肉に群がるハイエナみたいな男の子と、よくもまぁ表面上でも仲良く出来るわよね」

「流石にそれは言い過ぎよハルカ!? というか、その喩えだと私が屍肉って事になりませんか!?」


 あまりにもあんまりな事を言ってのけるハルカに、流石のユリネも反発した。

 まさか友人から、自分を屍肉に喩えられるとは思わなかったのだろう。


「ユリネもユリネよ! 嫌なら断ればいいのに、いつまでもくよくよと悩んでるのを見るとイラっとするのよね……ッ」

「なっ……き、貴族とはお家のことを考えて行動するのが自然な──」

「それならもっと堂々としていなさい。そんな中途半端な気持ちでいるとすぐに後悔することになるわよユリネッ!」

「〜〜〜〜っ」


 それを自覚しているためか、ユリネはそれ以上反論できる言葉がなかった。

 このような時こそ、ハルカはまるで大人のような風格を醸し出して、ユリネを更に困惑させてしまうのだ。


「いつか好きになる? ええ、その可能性も否定はしないわよ。けれど本当にそうかしら? 貴女はその歳の割には聡明な女の子だもん。あの坊ちゃん気質のちんちくりんと、その背後関係に最初から気付いていたんでしょう。そして裏事情を感じ取って、愛されない事実を自覚して、尚あのぼんぼんを好きになれるというの?」


 容赦ないハルカの言葉責めに、ユリネは更に大ダメージを受けてしまう。ついでに学食を利用している同じ境遇の令嬢達にも、少なからずダメージが飛び火した。


「ぅぅ……と、いうかですね……こんな所でそんな悪口を言っては……」

「名指ししてないでしょ。別に特定のの事は言ってないわよ」

「貴女って……本当に怖いもの知らずね……」

「褒め言葉として受け取っておくわね」

「褒めてないわよ……」


 脱力したユリネは窓の外へ視線を飛ばす。

 そんなユリネを見たハルカも、その視線を追うように外を見る。


「……ユリネ」

「…………」

「あの男、目障りだがら早く殺処分しときなさいよ」

「…………だからやめなさい」

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