第二章 小さな異変

第15話 『恋』

 入学から早二ヶ月。

 兄の籠絡作戦はその悉くが失敗した。


 例えば常に添い寝してみた。

 当初こそ拒否反応を示していたカナタだったが、最近は特に何も言わなくなった。

 肉体的には接触するため、ハルカの体温や鼓動に至るまで感じ取っているにも関わらず、特に性的興奮等の邪な感情は芽生えていないように見える。


 カナタはロリコンではない。

 綾奈の体であれば、或いはやましい感情を抱く場面もあったかも知れない。

 しかしハルカの──十歳の子供体型に興味が注がれる筈もない。


 とまぁ、このように。

 ハルカの作戦は自身に『女』を感じさせ、カナタに悶々としてもらう。そしていずれ、男として我慢の限界を迎えたカナタが、自分を襲えば攻略完了──という作戦だ。

 単純な方法だが、どの時代、どの世界で生きようとも『男』という生き物は、『女』という果実には抗えまい。

『女』の本気に、『男』はただ蹂躙されるのみである。


 ……子供体型でなければ、単純だが有効的に男を堕とす方法だ。


(ぐぬぬぬぅぅ……どうして? もう二ヶ月も一緒に寝てるのに……。どうして? どうして兄さんは襲ってくれないの!?)


 今朝も着崩れた様子のない自分の姿を認め、ハルカは慟哭に打ち震えた。


 初めから破綻している事に、ハルカは未だ気付かない。

 しかし、それは仕方のないことだ。

 ハルカがこの事実に気付けない最大で、ただ一つの要因。それはハルカが、自分本位の考えと価値観を持っているからに他ならない。


 この二ヶ月。悶々としていたのはむしろ、ハルカの方だった。


 兄妹が一緒に床へ就けば、間違いが起こって然るべき──そんな考えを持っている。

 要するに、妹が無防備に寝ているのなら、兄は妹にイケナイ悪戯をするべきだ。そう、本気で思っているということ。


(私だって……私だって、兄さんを襲いたいのを必死で我慢してるのにっ!!)


 このように、兄が無防備で寝ているのに、妹が兄にイケナイ悪戯をしないなんてあり得ない。──とも、思っているということだ。


 そしてハルカの側から見れば、後者の考えが深層にあるのため、今回の作戦で何が間違いであるのかが分からない。

 というような事が度々起こっており、ハルカの計画はあまり先には進んでいなかった。


 そんな朝の一幕を人知れず過ごしたハルカは、今日もカナタのために朝食を準備した。こんな時こそ平常心を保とうと努める。


「兄さん。兄さん朝ですよ」

「ん……も、う少し……」

「ダメでーす♪ そろそろ起きてくれないと、朝ご飯を食べる時間がなくなります」

「ねぇ、ハルカ」

「なんですか?」

「お兄ちゃん、今日は学院を休みたい」

「病気ですか? それとも仮病ですか?」

「仮病で」

「バカ言ってないで起きましょう」


 休みたいのはこっちも同じ。

 学院に通うことを決めたのは、実家を出て生活習慣を変えたかったから。無理して学院に通う必要はないが、両親に迷惑を掛けてしまう訳にはいかない。

 よって、ハルカは心を鬼にしてカナタを起こしにかかる。


(あっ、こっちの兄さんはもう元気に起きてますね♪)


 カナタの恥ずかしい所を一目見て、さっきまでの憤りを完全に忘れた。悶々とした気持ちはちょっとだけ膨れたが……そこは我慢。

 あくまでも襲われる側になりたいと願うハルカの──妹としての意地である。



 朝食を済ませ学院に登校した二人は、ユリネ含むクラスメイトと挨拶を交わす。

 そしていつものように授業を受け、あっという間に昼休みになる。


「学食に行きましょう兄さん」

「そうだな。ユリネも行く?」

「もちろんよ。確か今日のメニューは──」

「ユリネさん」


 学食へ向かおうとした矢先に、一人の男子生徒がユリネに声を掛けた。

 それは見たことない生徒で、ネクタイの色から察するに本科一年の先輩だ。いつ教室に入って来たのか気付かず、ハルカだけでなくカナタもユリネも驚いている。

 そんな事など気にしていない様子で、男子生徒は話を続ける。


「これから少しお時間宜しいでしょうか?」

「え、あの……はい。ですが貴方は……」

「これは失礼、僕はマーク=ロレンツィ。ロレンツィ家の跡取りです」

「……初めてお目にかかります。私はユリネ=ナーヴァです。お話をお伺い致します」

「……! ありがとうございます。では──」

「はい、場所を移しましょう。……ごめんなさい、学食はお二人だけで……」

「あっ……うん、分かった…………」


 何かを察した様子のユリネは、どこか諦めにも似た表情で謝罪して、そのまま教室を出て行った。


 マーク=ロレンツィ。

 ナーヴァ侯爵家よりも上の爵位である、ロレンツィ公爵家の跡取り息子。

 その意味する所は──。


「求婚ですね」

「……やっぱり?」

「それ以外考えられませんよ。ユリネとは初対面の筈なのにあの感じ……」


 はっきりと断言するハルカ。

 嫌悪を含んだ瞳で、ユリネたちが出て行った扉を眺める。


「……大丈夫か?」

「はい、すみません兄さん……」


 無性にイラつく。

 貴族社会において恋愛は二の次で、互いの家の利益ばかりを注視する。恋愛の尊さを穢すその価値観を、どうにも許容できない。

 結婚に価値や利益を優先する考えは、ハルカにとって嫌悪の対象となる。

 自身が叶うかどうかも未知数な恋をして、成就するように懸命に努力をしている。その過程が楽しくて、苦しく辛くて悩んで……けれどその時間が尊くて──。


(とっても素晴らしいものなのに……。それを一切合切無視して、恋という感情も知らずに、どこの誰とも知らない男と添い遂げるなんて絶対におかしい……ッ)


 もちろんユリネが、マークの求婚を受け入れると決まった訳ではない。──が、それを決めるのは本人ではない。


「ふう……気に食わない……」

「……?」


 怪訝な表情のカナタに気付かず、ハルカはただ悶々とした気持ちを抱え込む。

 他人の人生なのだから、ハルカが憤る必要も理由もないのだが……。それでも恋を知っている者としては、貴族のその悪習を許すことなど出来ないのである。


「……遅くなりましたけど、そろそろ行きましょう兄さん」

「えっ、ああ……そうだね」


 考えても仕方ない。

 ハルカはそう自分に言い聞かせ、カナタと学食へ向かった。



 ◆◇◆◇◆



 学生食堂は人気の施設で、学年問わず多くの生徒が利用する。

 メニューも豊富で美味しくて、多くの利用者は入学時に前期分の支払いは済ませているので、学生たちの財布が直接ダメージを受けることがない。

 普段利用しない極少数の生徒は、その時々で支払いする仕組みになっている。

 ハルカとカナタは前者で、両親──というよりはミツハが支払いを済ませていた。


 両親、それにハルカ達の食生活の支障を最小限で留めることが出来た。

 しかし、そこまでして貰って尚不満が解消されない。


「美味しい……けど……」

「うん、薄っす……」


 味が圧倒的に薄い。

 実際はそこまで薄味ではない。その証拠に誰も文句を言わないどころか、幸せそうに昼食を楽しんでいる。

 何故ハルカたちだけが薄いと感じるのか。それは父親であるジルの料理が、とても濃いめだからという一点に尽きる。


 十年……離乳食期間等があるので正確には七年ちょっとだが、それだけの期間ジルの料理を食していれば、舌が慣れてしまうのは仕方のないことだ。

 その結果、学食が薄い味付けのように感じてしまうようになった。


「美味いけど、なんか物足りないなぁ……」

「そう、ですね……。私の手作りも、お父さんとあんまり変わりませんし……」

「……家でも少し薄くする? そうすれば、そのうちに慣れるかも」

「実家に帰った時、今度は濃すぎて辛くなりそうですね……」


 渋々料理を口に運ぶ。

 お弁当を作るという選択肢もあるのだが、ミツハに払わせておいて利用しない訳にもいかないと思い、ハルカはお弁当籠絡作戦を凍結しているのだ。

 本当なら自分で作った料理を食べて欲しいと願うが、全ての望みを叶えるのは難しい。故に妥協も必要である。


「後期からはお弁当にしましょう。ミツハさんには申し訳ないですけど……」

「いいのかい? またハルカの負担になるんじゃ……」

「いいえ! 全くそんなことないので、兄さんのお世話は私にさせて下さい!!」

「う、うん……」

「ホントですか!? 言質とりましたよ!」


 突如として元気を取り戻したハルカに気圧されて、カナタは微妙な苦笑いを浮かべる。


 ハルカは上機嫌だ。

 何しろお世話しても良いと言われたのだから、これはプロポーズを受け入れてくれたと思っていいだろう。──と、都合良く解釈したのだった……。

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