第14話 ユリネ

 ハルカが生還した放課後。

 約束通りユリネは、ハルカとカナタを人気のない教室に呼び出した。


「……ほ、本当に大丈夫?」

「ふ、ふん……別に、心配されるほどの事はなかったもん……」

「でも……やつれてない?」


 一体キャロルに何をされたのか、借りてきた猫のように大人しくなったハルカは、終始暗い雰囲気で授業を受けていた。


「それより、早く話してよユリネ。兄さんもわざわざ来てくれたんだから」

「なんかごめんね、ユリネ。ハルカは最近口は悪いけど……」

「分かってる。ハルカがこんな子なのは」


 ユリネは魔術の名門であるナーヴァ侯爵家の一人娘で、名門であるが故に厳しく、そして期待も大きい。ユリネ自身もその期待に応えようと努力していた。

 ユリネが六歳になったばかりの頃。王都で開かれた舞踏会に出席した彼女の両親は、帰り道で外道魔術師の集団に襲われた。


「お父様が亡くなり、お母様は運良く生き残りました。けど──」


 その日から、母ミューネは人が変わったように厳しくなってしまう。

 ナーヴァ家の次期当主としての品格。名門に恥じぬ魔術の深層を極めようと、四年間、休む暇のない勉学と、淑女の嗜み等を叩き込まれたのである。


「厳しくはありますが、私はそれに応えようと努力しました。けれど、お母様には認められた事がありませんでした」


 例えば、史上最年少で汎用魔術を起動した。

 例えば、七歳で儀式場を作った。

 例えば、八歳で魔導器を作り上げた。

 例えば、九歳で二連起動に成功した。


「『そんなこと、貴女なら出来て当たり前』だそうです……」


 その偉業の全てを、その一言で片付けた。

 唯の一度も褒められず、それよりももっと上を目指せと諭された。


 そんなことが五年も続けば、親子の関係に亀裂が入るのも当然と言えよう。


「学院に入学してからは、更に厳しくなりました。学院で軍用魔術を習うには、本科三年次まで進級しなくてはいけません。けど、それはあくまで学院側の法であって、家庭の法ではありません」


 学院側が規則を設けている最大の理由は、未成熟な少年少女に、人を殺すための技術を身に付けさせたくないため。命の重さを知らない子供に、銃を持たせる筈がない。

 しかし魔術とは、気軽に生物を殺めることの出来る兵器に等しい。魔術に殺傷性のあるものが多いのは、元々は戦争などに使われてきたからである。

 故に道徳を持たぬ十歳の子供相手に、確実に生物を殺す術を教えるなど、なんとも恐ろしいことだ。いくら魔術の名門とはいえ、あまりにも、あまりにも早過ぎる。

 ハルカ達が習得した攻性魔術は、殺傷性が極めて低いもので、『一角獣の爪ナム・クロー』なんかは精々数分から数時間気絶させる程度のものでしかない。


「つまり、最近貴女の様子がおかしかったのは、軍用魔術を練習していたからって事?」

「少し違うわ。私は──怖かった」


 伏し目がちのユリネの手は、酷く怯えたように震えていた。


「初等攻性魔術と軍用攻性魔術では、あまりにも"力"が違い過ぎた……。今日、みんなが使った魔術とは、似て否なるものだった」


 魔術は誇らしいものである。しかし、美しさばかりが魔術ではない。もっとドロっとした、暗く恐ろしい一面も併せ持つ。

 それを齢十歳の少女は痛感した。その歳で、魔術の暗黒面に触れてしまった。達観とした性格の彼女であっても、まだほんの小さな子供で弱い。


 二人はなんて声を掛けるべきか迷う。

 家庭の事情に、とやかく口出す問題ではない上に、二人まだ、軍用魔術の恐ろしさを知らないのだ。母親が、どのような人物像なのかも分からない。


「ね? 話しても仕方のない事でしょう?」


 無言になった二人を気遣うように、ユリネは微笑を浮かべる。


(逆に気を遣わせてどうすんだよ……)


 いつの間にか、カナタは手を強く握りしめて悔しげにユリネを見つめた。

 精神的には、カナタの方が何年も長く生きているのに何も言えない。それが悔しくて、そして情けない。

 それはハルカも同じようで、静かに俯く事しか出来なかった。


「ごめんなさい。こんな話を聞かせてしまって……。今日のことは忘れてくれていいからね!」


 気丈に振る舞う姿が痛々しい。

 そう感じるほど、今のユリネは辛そうに微笑むだけだった。


「ユリネのお母さん……。どうして、厳しくなったのか、ユリネは分かってる?」

「それは……やっぱり、心が病んでしまったとしか思えないわよ」

「そうかな? 軍用魔術のことは、知識でしか知らないから何とも言えないけど。僕は、ユリネが自分自身を守れるようになって欲しいと、そう感じたから厳しくなったんじゃないかと思ったよ……」

「……それも、あるかもしれないわね。お母様は、あの日以来外出は極端に少なくなったもの。きっと、外が怖いのかも……」


 外道魔術師に命を狙われて、恐怖を覚えない人間などいないだろう。精神的に狂ったとしても、なんら不思議はない。

 しかし同時に、愛する子供が同じ目に遭ったら? そう考えて、対抗する"力"を身に付けさせたいとは考えないだろうか。


「どっちにしても、十歳の女の子に人殺しの道具与えるなんて酷い母親だと思うわ」


 ハルカはふんっと鼻を鳴らし、ぶっきらぼうに吐き捨てた。


「でも、気持ちは分かる。私が同じ目に遭ったら、きっと同じ事をしたと思う」


 一度、兄を交通事故で亡くしているハルカにとっては、ミューネの気持ちの方が理解できるのだ。

 この世界の治安は、日本よりは悪い。極端に悪い訳ではなかったが、自己防衛の術を身に付けておいて損はない。カナタが魔術を習うのは、そういう意味でも悪い事ではないと思うし、ハルカ自身が兄を守るために力を手にするのも良いだろう。

 もっとも、今は魔法薬学にしか興味はないのであるが……。


「ただ時期が早過ぎるとは思う。ユリネなんて、まだまだ子供なんだから守られる側で当然なんだから」

「それはもっともな意見だけど……。ハルカだって、それは同じだからね」

「分かってますよ兄さん。何かあっても『行き遅れキャロル』に助けてもらいましょう」

「あ、貴女って……どうしてそう恐れ知らずなのよ……」


 散々な目にあった矢先にこれである。

 確かにキャロルは、既に十九歳であるにも関わらず男の影はない。行き遅れたと言われても仕方ない段階まで来てしまっている。

 ──が、本人がいないとはいえ、いきなり不名誉なあだ名を付けるなど、恐れ知らずにも程がある。


「この情報を流して、キャロルのあだ名を意図的に浸透させてみせます。さっきの怨みは、必ずや晴らしてみせます……。ふふ、ふふふふ……」


((絶対に返り討ちに合う……))


 初めてカナタとユリネの意見が、見事に一致した瞬間であった。



 その後。

 これといって良い意見が出る訳もなく、ハルカ達は少しだけ気まずい雰囲気を残したまま帰宅した。


「なんとかならないもんかなぁ……」

「無茶ですよ兄さん。ミューネさんの気持ちがどうなっているのか、それが分からない事には対策のしようもありませんよ?」


 ハルカの意見は最もだ。

 そもそも、十歳の平民が貴族相手にどうしろと言うのだ。ユリネの抱える不安や恐怖など、母親なら当然理解しているだろうことは、想像に難くない。


「それでもあえて教えてるのは、娘まで失う事に対する恐怖心からなんだと思う」

「最愛の夫が亡くなって、次は自分か娘。どちらかがまた襲われてしまったら……。そう考えているってことか……」

「もしくは、恐怖に屈して何も出来なかった自分への憤りがそうさせているのかもしれませんね」


 詳しい状況を知らないため、ハルカ達は想像で物事を語るしかない。

 魔術の名門といえど、目の前の恐怖、狂気に立ち向かえるかどうか別の問題だ。特に突然、なんの前触れも準備もなく訪れた災厄ならば、尚のこと動こうにも動けない。

 そこは心構えと、場数の問題になる。


「襲われた理由も分からず、その犯人は未だに行方知れずとなれば……。不安になって当然かも知れないね」


 そう。未だに犯人は捕まっていない。

 外道とはいえ、襲った連中は優れた真の魔術師だった。そんな彼らなら、魔術によって姿形を変えることは造作もない。

 ──よって、人相が判明していようと意味はない。


「ふん。名門としての自尊心が強いから、いざって時に足が竦むんですよ」

「……ハルカ。そう言うことは言っちゃダメだよ。僕らだって……同じ状況下で動けるかは、その時にならないと分からないんだからね?」

「……分かってます。少し言い過ぎました」


 窘められたハルカは素直に謝罪した。

 ハルカ達はもっと緩い世界で生きてきた。命の危険なんて、一瞬たりとも考えた事などなかっただろう。

 しかし、この世界の人々は大なり小なり危機感を感じて、日々を懸命に過ごしている。理不尽に苛まれても、それに立ち向かうための心構えだけは、ある程度出来ている。


「でも、私はきっと兄さんだけは必ず守ってみせますから」


 ぼそっと口にした言葉は、カナタの耳には届かなかった。

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