第13話 初めての汎用魔術

 キャロルの号令の後、四組の生徒たちは学院の中庭に向かっていた。教室の中で攻性魔術を使用するのは危険だからだ。

 折角苦労して覚えた汎用魔術だが、起動するのは『一角獣の爪ナム・クロー』のみだ。治癒は自分か、他者が傷を負っていなければ効果はないし、教室内で遠耳魔術はあまり意味がない。

 以上のことから、今回使用する事が出来る魔術は攻性魔術しかない。


 入学以来、一度も魔術を発動していなかったために、ようやくかという思いは誰の心にもあった。ハルカですら、やっと扱う事を許された高揚がないとは言えない。

 けれど、ここ最近でハルカが欲した魔術とはこれではない。そもそも分野も違う。


(魔法薬学。もし……もしも、を作る事が可能だとしたら……)


 数日前に気付いてしまったこと。今まで気付かなかった事を不思議に思うほど、ハルカにとっては最も意味のある魔薬。

 例え兄であっても、簡単に籠絡できるであろうその魔薬──。


(惚れ薬……それさえ、あれば──)


 カナタを半強制的に自分だけのものにできる。可能なら、そのまま媚薬を盛るのも良いだろう。

 そんな風に、ハルカは考えていた。

 地球上にも、惚れ薬と呼ばれる種類の薬は確かに存在する。しかし、それは恋心と誤認させるくらいの効果しかない。だが、この世界でなら、魔術的に本物の惚れ薬を作る事ができる可能性があるのだ。


(もちろん、強力なものじゃなくていい。少しずつ、ゆっくりと私を意識してもらって、それが『普通』の事として、浸透さえすればそれでいいの)


 だから半強制的。強制的に恋心を抱かせるという行為は、結局は偽物の心だ。カナタには、自分の意思で好きになって欲しい。

 それがハルカの望み。


(後押しする程度でいい。それ以上の効能は必要ない……。それは──邪道だから)


 通常、兄妹で恋心を抱ける筈がない。

 自分が異常と呼ばれる部類の人間であることは、ハルカ自身がよく理解している。兄は普通の人間で、決してこちら側ではない。


(でも……可能性がない訳じゃない)


 可能性が万に一つもないのなら、そもそも添い遂げようなどと思わない。いや──願っても諦めていたかも知れない。

 とっくの昔に決意は固めている。今更、諦めるなどという選択肢はない。


 実の兄に恋慕し、欲情して何が悪い?

 誰がそれを咎めるというのか?


(だから兄さんにも、狂ってほしい。そのためにも……私の望みを叶えるためにも、利用できる物ならなんでも利用したい)


 目的のためならなんでも利用する。

 例えそれが薬物であっても、仮に違法であっても、目的のためなら手段を選ばない。


(『魔術師』っていう生き物は、そういうものでしょう?)


 けれど残念ながら、魔法薬学は予科一年後期で行う授業である。入学したばかりのハルカたち四組の生徒は、とにかく魔術の基礎を学ばねばならない。

 数学で公式を覚えなくては、応用問題が解けないのと同じ。基礎を学ばねば、その先を切り開くことは叶わない。


「急いでない時は早くて、急いでいる時は遅くなるよね……」

「……? 唐突ね。どうしたの?」

「なんでもない」

「本当に? もし疲れているなら無理はしない方がいいわよ。先生に伝えとく?」

「本当に大丈夫だから、心配しなていいからね。ユリネこそ、なんだか疲れたように見えるけど?」


 隣を歩くユリネを心配そうに覗き込む。

 ここの所、ユリネは誰の目で見ても明らかなほど、疲労の色が濃くなっている。指摘するたび『気にしないで』と返されるが、日に日に酷くなっていくばかりで、いい加減、許容できる範疇を超えている。


「私は──」

「嘘。そっちの事情だから、あんまり踏み込まなかったけど、これ以上は私も兄さんも看過できないから」

「………………」

「……それこそ、先生に言いつける事も考えているからね。私は」


 いつになく真剣な表情のハルカに詰め寄られ、ユリネも愛想笑いで、その場を収める事をやめた。少々強引かも知れないが、ハルカが(恐らくカナタも)親身になってくれる事に対し、ユリネは僅かながら救われた気分になっていたのだ。


「……話しても解決するような事ではないのよ? それでも?」

「それでもよ。別に、私が心配で言ってるんじゃない。兄さんが気にしてるから、仕方なくなんだからね? 勘違いしないでよね?」

「…………素直じゃないわね、本当に」

「ち・が・う・か・らッ!」


 憎々しげではあるが、その頰に赤みがさしている事をユリネは見逃さなかった。


 中庭には五つの的が設置されていた。

 魔術師同士の決闘、命のやり取りを伴う戦争においては、先に魔術を当てた方が勝利する場合が多い。何故なら、攻性魔術には一撃必殺の力が備わっているからだ。それは初等の魔術でも変わりはない。


「扱い方を間違えれば、例え初等であっても人を殺しかねん。ド素人の君たちは加減が出来なければ、コントロールだって出来やしないだろう。つーことで、今回はあの的を正確に撃ち抜け。それだけでいい」


 魔術とは元来、己自身を変革させ世界に介入する技術と言われている。呪文は魔術式の内容の一部を切り取ったもので、魔術式は世界と人類を繋ぐパイプのようなものだ。


 魔術師が呪文を詠唱する事で、魔術を起動させやすい精神状態へと持っていくと同時に、魔術式の一部分に干渉して現象を起こす。

 この一連の流れこそが、現代魔術の基礎中の基礎となっている。


「さて、誰からやる?」


 瞬間、サッと後退する四組。誰だって、一番最初にやりたくないに決まっている。特に実践経験のない平民なら尚のこと。

 それは例年恒例らしいが、その光景にキャロルは深い溜息を吐くしかない。


「んじゃ、仕方ないから名指しすっか。それじゃあ……ハルカ、君がやれ」

「……どうして私なんですか?」

「お前が一番早く下がったから。それが理由だ、以上」

「むぅ……分かりました……」


 渋々前へ出てるハルカ。

 カナタが心配そうに見つめるのを、チラッと確認して頰が緩む。

 ある意味はアピールチャンスだ。ここで決めれば格好いいだろう。


「じゃあ、まずは呪文の確認だ。魔力を込めずに、呪文を声に出せ」

「すぅ……《雷神の眷属よ、蒼き衣纏いて打ち据えよ》」

「ん? 随分と声が小さいな、どうした?」


 覚えている。だが、前世でも味わった事のないほど羞恥がハルカを襲う。


(は、恥ずかしいよぉぉ……。一体なんなのよ、この厨二言葉はああああああぁぁぁぁぁぁ──ッ!! ああ、もう恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいよぉぉぉぉぉぉっ!!)


 勉強している時から分かってはいたが、あまりにも痛々しい呪文だ。

 仮に日本の教室でこんな言葉を発すれば、間違いなく嗤われる。バカにされ、そしてイジメられるかもしれない。狭い教室の片隅で、一人迫害されるだろう。


(もっとマシな呪文はないの!? まさか……全ての呪文がこんなんなのッ!?)


 元・日本人としては、あまりにも滑稽で痛くて恥ずかしい。日本では厨二病患者は珍しくはないが、例外なく迫害された。寂しい青春を送って、いずれは黒歴史として自らを刺々しく痛め付けるがんとなる。


「ハルカ? そろそろ魔術を起動しろ。的は五つ、魔術行使も五回だけだ」

「うっ……ぅぅ、ぅぅぅ……」


(分かる。分かるぞハルカ……)


 恥ずかしそうに唸るハルカを理解できるのは、この場ではカナタだけだった。

 しかし、詠唱しなくては魔術は起動しない上に授業も進まない。


「ら、ら……《雷神の眷属よ、蒼き衣纏いて打ち据えよ》ッッ!」


 羞恥に耐え、ようやく『一角獣の爪ナム・クロー』を起動したハルカだったが、初めてでコントロールが上手くいかずに──。


「ぎゃああああああぁぁぁぁ──ッッ!?」


 ──隣で優雅に立っていたキャロルへ、見事に命中したのだった。

 ハルカが気付いたのは、キャロルが絶叫を上げて地面に崩れ落ちた直後だった。


「あ、ぁぁ……やっ、ちゃったあ?」

「「「「………………」」」」


 倒れ伏すキャロルから顔を上げ、ハルカはぶるぶるとクラスメイトに視線を飛ばす。

 だが、誰も目を合わせようとはしない。


「に、にい……さん?」

「…………」

「ゆ、ユリネ?」

「ぅっ…………」


 カナタもユリネも、助けを求める視線からそーっと逃れ、後方へと下がる。


(ごめん、ハルカ。流石にムリ……)

(今日の放課後は……やめた方が良いいかしら……)


 心の中だけで謝罪して、薄情にも見捨てることを選択した兄と友人。いくら肉親でも、いくら友達でも救えないものは救えない。


「ハ〜ルゥ〜カぁ?」

「ひっ……あ、あああの……せん、せい?」

「お〜う……なんだァ? 言いたいことがあんなら、手短になァ〜?」

「あの……その、わ、わざとでは──」

「君は同じ状況下で『わざとじゃないです』で、済ませるのかぁ?」

「うっ……え、ええ。わざとではありませんから……」

「ほぉう? 君はもっと冷淡な女だと思っていたが、案外寛容なんだな?」

「え、ええ。当然ですわ、お……ほほほ」

「だが、私は違うぞぉッ!?」

「ひっ……」


 復活したキャロルの眼力に気圧され、何も言い返せなくなったハルカは、ジリジリと逃亡の機会を窺う。


「よし、あっちで話そうかハルカぁ?」

「えっ……ええッ!?」


 いつの間にやらハルカの体は、キャロルの片腕によって持ち上げられ、逃げられないような凄い力でホールドされていた。


「痛い痛い痛い痛い痛いってえええええええええ──ッ!?」

「全員、順番に的当てをやっておくこと。それから、クレア!」

「ひゃい……!?」

「君はこの用紙に記録を書いておいてくれ。私はちょーっと、こいつと話があるんでね」

「い、いえっさーッ!!」

「……なんだ、その返事は」


 それだけ言い残すと、キャロルは軽々と抱えたハルカを連れて中庭を去って行く。


「い、いやぁああああ──ッ!! た、助けてください兄さああああんぅぅッ!!」


 その間、ハルカは痛みに苦しみながらも必死に助けを求めたのだが、誰一人、目を合わせる者はいなかった。

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