第5話 宿屋の一日

 宿屋『春晴れ亭』の朝はお客の朝食を作るところから始まる。

 早朝の四時には家族の朝食を終え、前日の仕込みがあるとはいえ、お客への朝食準備や掃除は早めに終わらせなくてはならない。

 そのためハルカとカナタは、幼少の頃から手伝いをしているのは言うまでもない。それは転生を果たした現在も変わることはない。


「ハルカはこれを二番テーブルに、カナタは五番テーブルの片付けを頼む」

「はい、お父さん」

「父さん、三番テーブルのお客さんチェックア……じゃない、お帰りだって」

「お母さん六番テーブルのお客さんがお会計だって!」

「分かった、すぐに行くわね」


 二人はテキパキと淀みない動きで両親をサポートする。

 宿屋の一階は食堂となっており、朝食と夕食のみを宿泊費とは別料金で提供している。家族経営であまり多くのお客を呼び込むことは出来ないため、宿泊者のみが利用できるような体制をとっている。

 二階に宿泊者用の部屋が設けられており、一人部屋が十五部屋で、団体部屋が五部屋となっている。これ以上増やせば間違いなくパンクするだろう。


「ありがとうございましたー!」


 最後の宿泊者を見送ると、ようやく家族全員が休憩時間に入る。

 すでにベッドメーキングも終えているため、もうほぼやる事はなくなった。


「二人ともお疲れ様」

「お母さんもお疲れ様。ねぇ、もう出掛けてもいい?」

「もう、元気ね。気をつけるのよ?」

「はーい。行こうお兄ちゃん!」

「え? あ、ああ……」


 カナタの手を握り、ハルカは颯爽と外へと飛び出した。

 普段のハルカも同じような行動は起こすが、強引に引っ張るような真似はしなかった。そのためカナタとしては、若干驚いた様子である。


「何処に行くんだハルカ?」

「何処でも良いけど……取り敢えず二人と一緒じゃあ話が出来ないでしょ?」

「……朝の続きか」

「兄さんも気になるでしょう? 私たちがこうして転生した理由」

「転生……」


 ハルカは全ての事情を知っているが、カナタはそうではない。神であるシャルに出会う訳でも、事前に説明を受けた訳でもない。


 ハルカは誰もいない街外れの林までカナタを連れて歩いた。そこで適当な場所に二人で座る。

 これから話すことを聞かれた所で、誰も理解は出来ないだろうが、念のための処置であった。


 ハルカが語ったのは、綾斗が亡くなって丁度二年後に自分もまたしたこと。それが神様であるシャルの仕業であったことだ。

 その時点でカナタの中には、シャルを憎む心が生まれたのは言うまでもない。最愛の妹を事故死に見せかけて殺したのだから、それは当然の反応であった。

 だがその理由が人類史の継続。人類滅亡を阻止するための緊急措置だと聞かされて、けれどやっぱり納得出来ない……というよりは理解が出来なかった。


「た、タイムマシン開発だぁ?」

「そう。兄さんを救うために、私はタイムマシンを開発しようとして、その研究成果を狙った海外企業と戦争になるの」


 何と言って良いか分からない様子で、カナタは愕然とした。

 まさか自分の死が、世界そのものを滅ぼす結果に繋がるとは誰も思わない。

 それで何の罪もない綾奈を殺すのはどうかと思うが……。


(綾奈って……天才だったんだ……)


 何とも妹らしい行動だと納得した。

 だって綾奈なら、本当にやり遂げてしまうだろうと思わせてくれる。

 ……って、やっぱ怖っ!


 綾斗が死んでからの二年間の話を、ハルカはする事はなかったが、それでも兄を救うためにタイムマシンに手を出すという思考は、まさに狂人のようである。

 夢物語でしかない方法を思い付くまでは良いが、それを実現させようと抗い、そして戦争が始まっても尚続けるその精神。

 何かが狂ってなければ出来ない芸当だ。


「そして神様に出会ったの。そこで色々と頑張って、兄さんと一緒に転生できるようにしたの♪」

「そ、そうですか……」


 何をどう頑張れば、都合よく双子として転生させて貰えるのだろうか?

 怖い、うちの妹怖い……。

 昔からブラコンであったのは知っているが、今はもうそれ以上のステージに立っているのがカナタにも分かった。

 転生を果たして、ようやく再会する事が出来たのは良いが、病みは治ってない。


 ハルカの恍惚とした笑顔。

 実の兄に向けるようなものじゃないソレは、カナタにとって嬉しい反面、ちょっと……否、かなり怖い。


「それでね、十歳くらいなら良いかと思ったの。だから今日ようやく、私たちは再会出来たんだよ♪」

 褒めて欲しそうに甘えるハルカは、カナタの膝をイヤらしい手つきで撫で回す。


 ハルカは真の目的は語る事はなかった。

 カナタの心を手に入れて、二人で一生の時を共にする為には、計画の全貌を明かす訳にはいかないからだ。

 兄妹婚の正当性を無理矢理にでも刻み付け、心と体を虜にするためにも、ゆっくりとじっくりと犯すつもりでいる。


「ねぇ兄さん。これからは……ずーーっと、一緒だからね? もう絶対に離さない」


 まるで恋人に語り掛けるように、ハルカはカナタと自らに誓う。


◆◇◆◇◆


 午後三時を過ぎれば、それなりの数の宿泊希望者が訪れる。その時の受付や案内が二人の仕事の一つだ。

 自宅兼宿屋に帰った二人は早速自分の持ち場で待機する。

 すると早速若い男性のお客が訪ねて来た。


「あの、一泊したいんですが」

「一泊ですね。夕食と明日の朝食はどうしますか?」

「えーと……いくらかな?」

「一泊銀貨五枚に、朝食は小銀貨四枚で夕食が小銀貨六枚です」

「ではそれで頼む」

「ありがとうございます。では奥へどうぞー」


 先払いでお金を受け取り、後はカナタに任せたハルカは次のお客の応対に移る。そんな中でも考えるのが、今後の自分の方針だ。

 カナタを籠絡する目的は定まっているが、肝心の計画は深く考えていた訳ではない。

あれがしたい、これがしたいという思いはあっても、それをどう実行すれば効率的に作用するかが未知数。


(くだらない倫理の除去、恋人からの結婚。そして子作り……ふふ、ふふふふふ……)


 最も理想的なプランAを妄想して舞い上がりそうな所を抑えて接客する。

 不気味な笑いにお客、ドン引きである。


(プランBは監禁からの既成事実を作ってから、私なしでは生きられないようにしてから結婚すればいい。

プランCは監禁して、兄さんの知性を崩壊させる。そして結婚って所かな?)


 まともな方法が一つもなかった……。

 しかもどのプランも、カナタの精神を堕とすこと前提である。それで本当に幸せになれるのか。

 しかしそんな小さなことは、興奮状態のハルカに分かる筈もない。


「へ、へへ……へへへへへへ…………」


 お客だけじゃなく、家族からもドン引きされる羽目になっても、ハルカのヤバい嗤いは全く止まることがなく……。


(ハルちゃん……?)

(きょ、今日のハルカちゃんは変だ……)


「ふふふふふ……ふふ、ふふふふ…………」

 より一層壊れたように嗤った。


 宿屋の団体部屋を借りるお客は、ちょっとした観光目当ての者か、新米の貧乏冒険者パーティである。

 最近になってDランクに昇格を果たした彼ら『星の瞬き』のメンバーや、冒険者にしては珍しい女性だけのEランクパーティである『赤羽の渡り鳥』は、この宿屋に大変お世話になっている。

 そんな彼らであっても、ハルカの病んだとしか思えない嗤いを見聞きするのは初めてで、ドン引きよりは心配する気持ちの方が上回っていた。


「ハルちゃん……だ、大丈夫なの?」

「ハルカちゃん。何か悪いもので食べたのなら、すぐに治療院に行った方がいいよ?」


『赤羽の渡り鳥』のリーダーであるラウラと、『星の瞬き』リーダーのカッシュが、まるで示し合わせたかのようなタイミングで、揃ってハルカに話し掛けた。

 恐る恐る……。


「あ、はい。ハルカは全然大丈夫ですよー。ふ、ふひひひ……」

((全然大丈夫に見えないよぉぉっ!?))


 頭の中に思い描く未来のビジョンは、当然ハルカにしか分からないため、誰もがハルカの奇行を不気味がる。当たり前である……。


「寧ろハルカは幸せなんです。この日を……十歳の誕生日を迎えたこの日を!」

「「お、おめでとう……」」

「はい♪」


 今度は満面の笑みだったため、二人は一応は安堵してメンバーの下に戻るが……。


「ねぇラウラ。どう思う?」

「あれは……ダメね」

「そんな……」


『赤羽の渡り鳥』では葬式のような雰囲気が流れて、『星の瞬き』に至っては言葉すら交わさずに涙する始末だった……。


 ◆◇◆◇◆


 夕食時になる頃にはテーブル席やカウンター席に、本日の宿泊客が集う。事前に代金の支払いは終えているため、彼らはただただ待つのみである。

 因みに『春晴れ亭』は専門の料理人を雇ってはいないため、オーナー自らの手作りとなっている。種類こそないが、一般家庭料理を食す事ができる宿屋として、意外にも受け入れられている。

 特に地元の冒険者に。彼ら曰く『お母さんの味を思い出すぅぅ……』だそうだが、ジルが作っていることを知った時はショックでその日の仕事を休んだらしい……。

 なんと失礼な事か。しかしジルの方が申し訳なかったようで平謝りした。


「あ母さんはなんで作らないの?」

「え? だってジルが作った方が美味しいからよ?」

「母さんのも美味しいと思うけど……」

「あの人には敵わないわ。絶対」


 なんて言い訳しているが、二人は気付いていた。

((面倒くさいからだ、絶対……))


 それが本当の答えだろう。

 夕食が終わると後片付け、そして明日の仕込みはジルがやるため双子の仕事は終わる。


(……って、ちょっと待って? 毎日こんなに忙しかったら……兄さんを籠絡するための時間がないじゃん!?)


 ハルカはその事実に気付いてしまった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る