第一章 外れる思惑
第6話 来訪者
ハルカ達が転生して二週間が経過した。
そのうち最初の一週間以外は、宿屋『春晴れ亭』で通常業務に従事しており、特に変わったことは全くなかった。
それは即ち、カナタ籠絡作戦の進展が全くないことも意味している。
(むぅぅ……。兄さんに迫る余裕が殆どないじゃない! お昼なら少しはと思ってたのに、なんだか上手くいかないし……)
ハルカ達が居を構えているのは、王国西部マーレリア地区に位置する広大な島で、海上都市ビレフと呼ばれている。
八百年程前。
未だ帆船が主流だった頃は、島に辿り着くだけで一日は掛かった。さらに肝心の要の風向きは、大抵東側へ吹くためそもそも進む事が出来ない事が多かった。
誰が最初に言ったのか、当時の人々の間では『絶海の孤島』などと呼ばれていた。
しかしそれは昔の話。
現在の船にはエンジンが取り付けられており、島への到着時間を大幅に減少させた。
更に何百年もの歳月を掛け、現在の海上都市へと繋ぐ橋を建設したのである。また近年では、魔術が大きく発展した事も後押しして、ビレフの中央には転送塔が設けられた。
転送塔は王国の主要都市全てに建設され、街から街への移動の際は重宝されている。
話は少し逸れたが、十歳となった二人は国の規定に則り、魔術の適性を検査する事になった。
場所はビレフの真逆。
王国東部ユーステア地区の、学研都市アレフの南区にある王国魔導研究所である。そこで各種検査が行われ、一週間も拘束された。
それ以外でも、何かと忙しかった。
(これじゃあ何のために転生したのか……)
食器を洗う手を止めることなく考える。
宿屋の仕事は思った以上に重労働で、夜になるとカナタはすぐに休んでしまう。兄思いのハルカとしては、疲れた兄を無理に起こしてまで会話する事はしたくなかった。
そうなると、昼の自由時間を使うしかないのだが、それも難しい状況にある。
検査の結果、二人には魔術師としての素質がある事が判明して、これからは魔術のお勉強をする事になってしまったのだ。
王国の規定で、魔術の基礎は必須科目なのだという。
こんな筈ではなかった。
私の本来の計画ではもっと……。
「ハルカ。洗い物終わったら休憩して良いってさ」
「あ、うん。待っててね兄さん」
「急がなくて良いからな」
「兄さん……うん!」
優しい眼差しを向けられたハルカは、それだけで舞い上がった。
早く成人して、兄さんと既成事実を……。
ハルカの心はそればっかりであった。
何か生活に変化をつけなくては、いつまで経とうと同じに日常を送るのは目に見えている。そもそも両親は、この環境でどうやって子作りしたのだろうか?
ハルカ達が成人するにはまだ時間がある。いずれは親元を離れる可能性もあるが、今のままでは、カナタと甘酸っぱい青春を送る事が出来ない。
……甘酸っぱいものになれば良いが。
(とにかくアプローチしなくちゃ。兄さんと恋仲になる為にも、ここは少し……)
まず貴重なお昼を魔術のお勉強とやらに費やす状況を変えなくてはならない。それがハルカの今やるべきこと。
幸いなことに、それは容易いことだった。
「ねぇ兄さん。今日のお勉強はお休みしよ?」
「え、なんで?」
「だって兄さん……私たち、せっかく再会出来たのに一度も遊んでないよ? 私、少し寂しい……」
「ハルカ……」
こうして甘えれば、カナタは必ず言うことを聞いてくれると確信している。
二人は前世で死に別れた。ハルカにとっては十二年も離れ離れなった気分であった。それが分かっているカナタは、ハルカの気持ちを無視する事など出来る筈もない。
「分かった。確かに、転生してから遊んでなかったな。たまにはのんびり遊んで、離れた時間の埋め合わせをしよう」
「兄さん……ありがとう。じゃあこれからデートだね!」
「デート……か。まぁ、そっか」
兄妹で出掛けることを、果たしてデートと言っていいか微妙だが、カナタは特に否定する事はなかった。男女で出掛けるのだから、その表現でも構わないと思ったのだ。
「やった……兄さんとデート♪」
心の底から幸せそうな声を上げるハルカ。
例え転生したとしても、『ブラコン』という不治の病は絶対治る事はないのだった。
ついでに死別の影響で、『ヤンデレ』という病も併発した事を、カナタまだ知らない。
休憩時間に入ると、ハルカは慌ただしく私服に着替えて、綺麗な髪に櫛をいれる。地球とは違いこの時代ではあまり良い化粧品がない事が悔やまれるが、そこは仕方がないと割り切るしかない。
とはいえ、今の年齢は十歳という事もあり、そこまで気にするような事でもない。何せ若く艶々の綺麗な肌なのだから。
「よし、これでいいかな?」
鏡の前に立つ自分の姿を見て、満足そうに一回転するハルカ。
カナタが待ち惚けしているのは言うまでもないが、女の子は準備に時間を掛けるものである事は承知しているので、怒る事はまずあり得ない。
「お待たせ兄さん」
「ん、似合ってるよハルカ」
「も、もう……兄さんったら……」
女の子が着飾ったら取り敢えず褒めろ。
いつか聞いたことを実践しただけのカナタであったが、ハルカは照れ臭そうに太腿をもじもじさせて喜んでいる。
取り敢えず褒めろ、効果は実証された。
「それじゃあ兄さん。行きましょう」
「う、うん」
二人は腕を組み、手は恋人繋ぎで体は隙間なく寄せて歩き始める。
二人を知らない者が見れば、間違いなく恋人に間違えられるだろう光景であった。知っている者から見れば、微笑ましい兄妹の絵にも見えるだろうが……。
そして外でお昼を食べ、異世界の色々な店を回り久し振りの娯楽を堪能した二人は、その足で宿に戻った。
「「ただい……」」
「お姉様っ!!」
ただいまの挨拶は、それより大きな怒声により掻き消されてしまった。
宿泊客だろうが、その風貌は平民のものとは明らかに違っており、どこかの大規模な商会関係者、或いは何処ぞの貴族である事はすぐに分かった。
恐らく観光か仕事で訪れた姉妹が喧嘩しているのだろうと思い、二人はそっとその人を尻目に去ろう──。
「どうしてなのかご説明くださいませ!」
「うーん、そんなこと言われても……」
──としたが、何やら聞き覚えがあり過ぎる声が応対していたため、二人は無意識に足を止めた。
貴族令嬢(仮)と応対していたのは、母であるナツミと父のジルだった。二人ともバツが悪そうな顔で女性と向き合っており、ハルカ達の存在に全く気付く様子がない。
放心したハルカの手を引き、カナタは物陰に隠れて三人の会話を盗み聞く。
「あー……ミツハさん。これはその……」
「ジルさんは黙っててくださいませ。どうせお姉様が仕組んだことなんですよね?」
「いやまぁ、そうだが……」
「ミツハ……そんなに怒らなくても」
「ナツミお姉様が私に黙って駆け落ちなんてするから怒ってるんですよッ!」
((か、駆け落ち……?))
何やら複雑な事情が垣間見える言葉が……。
ナツミをお姉様と慕い、何らかの理由でお怒りの貴族令嬢らしき女性と、気まずそうに仲裁を図ろうとしているジル。
そしてミツハという女性が放った『駆け落ち』という滅多に聞かぬワード。
ハルカは一人、背筋に悪寒を感じる。
情報はあまりにも少ないが、これだけあれば誰でもそこへ行き着く事になる。カナタが驚愕の表情に変わっているのが良い証拠だ。
(いやいやいやいや……え、だって平民家庭ってちゃんと言ったよねシャル!?)
往生際の悪いハルカは現実逃避に走る。
(そう、ミツハさん? がお母さんをお姉様と呼んでいるのは、単に学園のお姉様的な尊敬の念が生み出した言葉の可能性がある。
仮に二人が本当の姉妹だとしても、ミツハさんが貴族であると決まった訳じゃない。
大規模な商会の娘だったお母さんは、更に規模の大きい商会との繋がりのために貢物とされそうになって、それが嫌でお父さんと駆け落ちした可能性だってある!)
頭の中でぐるぐると考えを巡らせ、その上で最適解を導き出そうとするハルカであったが、ミツハの無意識な仕草が、たかがちょっと金持ち商人の娘がするものではない事は、誰だって見れば分かる。
しかしハルカのこれは、ただの現実逃避であるため、その辺は完全に無視していた。というか見て見ぬ振りをしていた……。
「それは分かってるわよ。でも仕方がないじゃない。だって……ずっとジルと結婚するつもりだったのに、勝手に婚約者候補を紹介したりして……最低よあの分からず屋」
「それは分かってます! 確かにお父様は分からず屋で鈍感で、どうしようもない親バカです。お姉様がジルさんを好いているのを認めず、尚且つ平民出の近衛騎士との婚約を認めないなんて、まるでジルさんの事を名指ししているかのような態度で……それが原因で、お姉様に嫌われてる事にも気付かなかったマヌケですけど……」
言ってて情けなくなってきたからなのか、ミツハは徐々に悲痛な表情に変わっていった。
ミツハもまさか、実の父のダメさ加減をここまで執拗に独白することになるとは、夢にも思わなかった……。
「そ、それでも! せめて、わたくしくらいには行き先を教えてくれても良いではないですかっ! それともお姉様は、わたくしがお父様に報告すると思われたのですか?」
「あ、違うわ。単純に忘れてただけよ?」
「なお悪いですよッ!!」
ミツハは顔を真っ赤にして叱り付ける。
恋は盲目とはよく言われる言葉だが、家族のことまで頭から抜け落ちて謝罪も何もないのでは怒られて当然である。特にミツハは姉であるナツミを心から慕い、尊敬していたからこそ、その姉に忘れられたショックは想像に難くない。
「酷いですよお姉様! わたくしは……お姉様とジルさんの仲を、誰よりも応援していたのに……」
「ごめんごめんって……もう、相変わらず泣き虫さんね」
「「…………」」
涙ぐんだミツハをあやすナツミの姿は、姉妹というよりは母娘のようだった。
ただ泣かせている本人があやしても、対して効果はないようで、寧ろナツミにしがみ付いて啜り泣きを始めてしまう。
((出られる雰囲気じゃない……))
この修羅場のような状況は、前世においても経験のない二人には、この先の展開が全く読めない。取り敢えずジルが仲裁役を担っているが、あれでは全くいないのと同じ。
この場は少しでも和ませるに越した事はないのだが、出て行った所でどう声を掛ければ良いのだろうか悩む……。
「ん?」
「「あっ……」」
困り果てていたジルの目に映ったのは、影でこそこそしている我が子であった。
「「「…………」」」
数秒の沈黙。
そして……にやっと、ジルが嗤った。
「帰ってたのかカナタ、ハルカ!」
((子供を巻き込んだああああっ!?))
わざとらしく大きな声で、しかもニヤニヤとした嫌な笑い方をするジルは、ここぞとばかりに二人を呼び寄せる。
それにつられるように、ミツハも視線をハルカ達に向ける。
「あの子たちはもしかして……お姉様?」
ミツハが確認込めて姉を見上げると、一度だけ姉は頭を縦にふる。
そして放心したように姉から離れたミツハは、よろよろとハルカ達に近付き、瞼にほんのり残った涙を拭う。
「…………」
「「……?」」
「…………」
「「????」」
実に三分間。
ミツハとハルカ達は黙って見つめ合った。途中カナタはバツが悪そうに晒したが、それでも二分半は見つめ返していた。
「か……」
「「か?」」
「か、可愛いぃぃぃぃっ!!」
「「!?」」
何故か身の危険を敏感に感じ取ったハルカとカナタは、咄嗟に逃げの体制に入ったが一歩遅く、ミツハの俊敏なハグに為すすべもなく捕らわれてしまった……。
「な、何なに!?」
「うっ……ぐ、ぐるしいぃ……」
逃れようにも、体格差とホールドする腕の力強さで抵抗すら出来なかった。
「なんなんですか。なんなんですかこの可愛い生き物達はっ! はぁ、すんすん……ハァァァ♡ お、お姉様と同じ匂いぃ……」
((へ、変態だったこのヒトォォッ!))
実は超が四つ……五つ頭に付くくらいの子供好きであるミツハは、我を忘れたようにハルカ達をホールドしての頬擦り攻撃を仕掛ける。
無我夢中だからであろう、二人が苦しそうな事には全然気付いていなかった……。
「ハァ、ハァ……こ、子供……お姉様の子供、天使……? お、姉様……この子達連れ帰っても、良いィ?」
「あ、ごめん。流石にあんたに預けるのは無理かな?」
「そんなぁぁ……」
気品溢れる姿は何処へやら。ミツハはすっかり本性を曝け出して、怨みがましい視線をナツミに向ける。
カナタとハルカとしても、この人に連れて行かれるのはだけは御免被りたい。
「ね、ねぇ……二人は私と一緒に──」
「「お断りしますッ!!」」
目が据わっている危険な状態で誘われて、それに乗るほど二人は子供ではない。見た目はただの十歳の少年少女であるが、精神年齢的には十八である二人の危機回避能力は高い方なのである。
だからといって、ミツハの絞め技的なホールドからは抜け出せないが……。
「ミツハ。そろそろ離してあげなさい。なんかこのままじゃ二人とも気絶するから」
「はっ……天使が青い顔になって……」
「だから早く離しなさい!」
ようやくナツミが引き離して、どうにか失神を避けたハルカ達は、逃げるようにナツミの背後に隠れた。
子供に警戒されてショックを受けているようだが、指だけはわしゃわしゃと気持ち悪く動いていて、やはり危険である。
「お、お姉様……天使じゃなくて、子供がいたんですね。それならせめて、お父様たちに会わせて差し上げては?」
「私は勘当された身よ? そんな娘の子供達に会うと本気で思ってるの?」
「確かにお父様はアレですが……でも、お母様もお姉様をご心配になられていますよ? それに、もし孫がいるなら会ってみたいとも仰っていましたよ」
「そんなこと言われても……」
家を捨てた身としては、今さらどの面下げて帰れば良いか分からない。特に父親とは未だに会いたくはないし、子供を合わせる気にもなれない。
そんな時、ハルカが警戒しながらもナツミの背後から出てくる。
「あの……お母さんって、何なの?」
ハルカは母ではなく、ミツハに質問を投げかけた。
今日に至るまで、ナツミの出生について聞いたことがなかったハルカは、本人に聞いてもはぐらかされるのではないか。そんな疑いの気持ちが芽生えた所であった。
そのため、真実を包み隠さず話してくれそうなミツハに尋ねたのである。
その気持ちを察してか、ミツハもまた、真剣な面持ちでハルカとカナタに向き直った。
「お姉様。話していなかったんですか?」
「だって、この子達には関係のない話でしょ?」
「はぁ……全くもう……」
心底呆れたと言わんばかりに、盛大な溜息を吐いたミツハは、もう一度気を引き締めて語り始める。
「じゃあ説明したいけど……」
「あー、すまないがミツハちゃん」
「なんですかジルさん? まさか、貴方まで話さないおつもりですか?」
「そうじゃない。そろそろ、今日の宿泊希望者が入店してくる時間帯だ」
「あ、なるほど……それでは仕方がないですね」
「って、ホントだ! 行くよハルカ」
話し込んでいて時間を気にしていなかったカナタは、慌ててハルカの手を掴んで準備に入った。
(もー! こんな時に……っ)
やっと真実を聞ける所を邪魔されたハルカは、終始不機嫌な応対をする羽目になった……。
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