兄を道連れに転生した妹は、兄妹婚を目指すようです

花林糖

ある兄妹の日常と最初の友達

序章 私が転生した理由

第1話 兄と一緒に転生する1

(あ……れ? ここは……)


 目が醒めると、そこは見知らぬ──ではない? 天井が見える。

 どうやらベットの上で寝ていたようで、外はすでに明るくて、清々しい朝の光が差し込んでいるのが分かる。

 体を起こして周りを見ると、広くもなく狭くもない部屋にいるようであるが、見覚えは……ない、という訳ではない。


「痛っ……」

 放心していると、突如激しい頭痛が襲う。


「わ、私は……ハルカ? 今日が十歳の誕生日で……」


 声に出した言葉に違和感はないが、どこか他人事のように感じてしまう。これは本当に自分の記憶なのか、何故か自信がなくなる。

 頭痛は酷くなる一方で──。


「そう、私は宮坂綾奈みやさかあやなで十歳……じゃなくて、十八歳で……これも違う?」


 色々な記憶が混ざり合う。

 知らない世界の記憶が、懐かしい世界の光景が蘇り、愛しい兄さんあのひとの顔が浮かび。


(あ、そうだ……私は、十八歳で自殺したんだった……)


 頭痛はいつの間にか消え去り、後に残るのは悔しさと苦い気持ち。そして、心の底から溢れる高揚感だった。


「本当に、成功したんだ……やっと、兄さんと──」


 ベッドから勢いよく飛び降りて、着替えもせずに兄の綾斗……ではなく、カナタの部屋へ向かう。



 宮坂綾奈には、二つ歳上の兄がいた。

 名前は宮坂綾斗みやさかあやと。二人はいつも仲良しで、綾奈に至っては『仲が良い』を通り越して『愛している』と言った方がいい。

 一般家庭で生まれた二人は、両親の愛情を一身に受けて暖かい日々を送っていた。ごくごく当たり前の平凡で、平和な日常を送り、未来に向かって歩む若者であった。


 しかし十八歳の誕生日を迎えた綾斗は、その二ヶ月後に交通事故で亡くなった。

 彼は赤信号の横断歩道を渡ろうとした子供を助け、その代わり自らが犠牲となってしまったのだ。


 その日を境に、綾奈は壊れてしまった。

 目から生気がなくなり、いつも虚ろで機械的に日常を送る日々だった。よく笑う子だった綾奈は、笑顔を見せることはなくなった。

 時折、綾斗の墓を訪れては静かに泣いていた。会話も次第になくなり、まるで死人のような状態になってしまう。


 そして綾斗の一周忌が終わった夜。

 綾奈は突如、可笑しそうにケラケラと嗤いながら、綾斗を何度も呼びながら、おかしな事を口にするようになる。


「あはっ……アハハハハハハ……に、にいさん……兄さん兄さん兄さんにいさん兄さん兄さん兄さん兄さんにいさん兄さんニイさん兄さん兄さんにいさん……ッ。ああ、にいさんニイさん兄さんにいさん兄さんニイさん兄さんにいさんぅぅ……ッッ!!」


「あ、綾奈……」


 綾奈の突然の奇行に、両親は痛々しいものでも見るように、悲しげに俯いた。

 この時の綾奈には、何故二人がそんな顔をするのか理解出来なかった。

 何故なら──。


「ねぇ! お父さん、お母さん。兄さんがね? 兄さんが微笑んでくれてるのっ! 大きくなったねぇーって、可愛くなったって! 嬉しいの……すっごく嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しいの!」


 綾奈の目には一体ナニが映っているのか、何が聞こえているのか、言動が滅茶苦茶になってしまった。

 そこで両親は悟った。


 壊れたのは今なのだ、と──。


 この一年。綾奈は懸命に現実と戦い、向き合って生きてきたのだ。

 最愛の兄の死という現実を受け入れて前に進もうと必死に戦い、そして──。


「あぁー……兄さん……。兄さん、にいしゃぁぁん? まら……たんりょうび、ぷれしぇんと……用意、してらかったよねぇ〜?」


 現実に打ち勝つことが出来なかった。

 綾奈の心は、負けてしまった……。


「あは♪ 兄さんったら……うん、私もね。兄さんが世界で一番大好きだよぉ? えぇー嘘じゃないもん! 本当の本当に愛してるんだよ?」


 その日から綾奈は、毎日のように『誰か』と会話するようになる。

 綾斗が死んで一年間。綾奈が笑ったことはなかった。けれど今は、朝食の席や学校からの帰宅後は、とても幸せそうに笑った。

 誰もいない空間に話し掛けて、夕飯は一人分多く作った。綾斗の部屋に篭り、楽しそうな笑い声だけがこだました。


 娘の痛々しい姿を見ていられない二人は、けれどその奇行を止めようとはしなかった。

 綾奈がそれで良いのなら、綾奈がそれで気が済むのならと放置した。


 しかし綾奈は、ふいに正気に戻ることがあり、その時は再び元の空虚な姿に戻る。

 自分の行いには意味がないこと、慰めようとして更に追い込んでいること、お人形遊びのようなことをする自分に激しい虚無感を感じる時がくるのだ。


 乾いた笑いが込み上げて、バカバカしい気持ちで一杯になっても、それを止めることは出来なかった。

 綾奈は心の均衡を保つには、堕ちていくしかなかったのだ。深く深く狂ってしまうしか、生き抜く術がなかったのだ。

 壊れ切った心は、決して治ることはない。


 そして更に一年が経過した。綾奈は綾斗と同じ十八歳となっていた。

 綾奈の精神は壊れたままで、今もなお一人芝居を継続していた。けれど綾斗の命日であるその日、綾奈は正気を保っていた。


「にい……さ、ん」


 虚ろな表情は変わらず、足取りは重いのにしっかりとしている。

 そして訪れたのは綾斗が亡くなった場所。

 子供を助けようとして、まるで身代わりのように命を落とした忌まわしき横断歩道。


「…………」


 ここに子供がいなければ。ちゃんと信号を見ていれば。綾斗にいさんがその場にいなければ。

 その子が死んでくれれば、綾斗にいさんが死ぬことはなかった。


 そんな思いを抱きながら、綾奈は後を追うかのように、赤信号の横断歩道を渡る。


 こうして──。

 綾奈は無事に綾斗の後を追い、十八年という短い生涯を終えた。




「……っ」

 少し強めの頭痛がして、綾奈は意識を取り戻した。

 白い……どこまでも続く白い空が見えた。


「お目覚めになったのですね」


 声のした方に視線を向ける。二十代……もしかしたら十代後半のような、整った顔立ちをした美少女が見下ろしていた。

 その姿を見て、綾奈は静かに目から涙を流す。


「ど、どうかしましたか? もしかしてどこか痛みますか?」


 そんなことではない。

 私が泣いている理由は──。


「死ね……なかった……」

「えっ?」

 困惑した声が聞こえるが、構わず続けた。


「私……兄さんのとこ、行き……ひっく、たく……て」

「…………」

「な、ずぅ……なの、に。ひっ……どうして……」

「…………」


 綾斗が死んだ日。

 あの日から、綾奈は一度たりとも泣いたことはなかった。涙は流す以前にとうに枯れ、感情はあの日に死んだ。


 なのに……。

 なのに何故、こうして涙が溢れるのか。


「私は……兄さんに会いたい……。もう……こんな、こんな世界に居たくないッ!!」


 嗚咽の混じる声をあげる。

 涙は止めどなく溢れ、一向に収まりそうにはなかった。兄と同じ場所に行こうとして、なのに生き残ってしまった。


(こんな……の、不幸すぎるよぉ……)


 会えない人を追いかけた。

 生きて会えないのが分かっていたから、同じ場所まで会いに行こうとしただけなのに。

 それさえも、こうして失敗した。


「もう、嫌……死に、たいよ……。会いたいよ……にい、さん……」


 子供のように泣きじゃくる。

 その頭に手を置いた少女は、ゆっくりと語る。


「誤解させて……すみません。宮坂綾奈さん。貴女は交通事故で亡くなりましたよ」

「……え」


 亡くなりましたよ?

 私は死ねたの? でも、私はこうして──。


「あっ……」

 何かに気付いたように、唖然とした声を漏らす。


 そう、ここは病室ではない。

 生き残ってしまったと、心の底から悔やんだせいで、状況判断が上手く出来なかった。

 ならば私は一体……。


「順を追って説明致します。貴女は──宮坂綾奈は交通事故で亡くなりました。既に肉体は致命的なダメージを受けて、助かることは決してありません。

 そして私は、凡ゆる世界の観測者。貴女たちにとっては『神様』という位置に存在する者です」


「か、かみ……さま?」

 状況についていけない綾奈は、混乱する頭をどうにか落ち着かせた。


「いいですか? 貴女は交通事故で亡くなりました。けれど、それは本来の流れではありませんでした」

「……どういう、こと?」


 あまりにも真剣な声音で話す自称『神様』に、綾奈はどうでも良さげに聞く。

 実際、綾奈にはもうどうでもいい事だった。

 こうして意識があったとしても、無事に死ぬことが出来たのなら、後は綾斗の所へ行くだけなのだ。ここでの話は何の意味もない。


 神様はより真剣な表情で息を吐き、重たい口を開いた。


「宮坂綾奈さん。貴女は本来、ここで死ぬ筈ではありませんでした。本来あるべき未来では貴女が……人類を壊滅寸前まで追い込む事になるからです」


 ──と、神様はとんでもないことを言い放ったのだった。

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