第21話 「きゃっ!」

「きゃっ!」


 転びそうになって、しがみつくと。


「あはははは。誰やねん。案外才能あるかも…なんて言うてたんは。」


 ハリーは大笑いしながら、あたしの両腕を支えてくれた。


 今日は…二人でローラースケートに来てる。

 まだ杖をついてはいるものの、結構しっかりした足取りになったあたしは、足首とふくらはぎの筋力アップを目指して、ローラースケートにチャレンジすることにした。



「やっぱ、いきなりコレはないんちゃうか?」


 ハリーは、そう気遣いながらも大笑い。

 意外と万能なあたしの運動神経を持ってやれば、なんて自慢そうに言ったのに、あたしはこれ。

 ハリーが笑うのも仕方ない。



「あ、10分経ったで。ちょい休憩せな。」


「もうちょっと。」


「だめ。最初から無理してケガしたらどないすんねん。」


「…はい。」


 ハリーは、若いクセにしっかりしてる。

 その根元は、母子家庭にあるそうだ。

 あまり家の事を話さないけど…お母さんが大好きで、そのお母さんのために一生懸命働いてる…って。



「何か飲む?」


「ううん、あたしはいい。」


 ハリーに手を引かれながら、ベンチに辿り着く。


「はあ~…」


 大きくため息を吐きながら座ると。


「足、痛うない?」


 ハリーが顔を覗き込んだ。


「うん、平気。ありがと。」


 ふくらはぎを、軽くマッサージ。


 …嘘みたいだな。

 一昨年の今頃、自分が歩けないって知って…絶望に打ちひしがれてたなんて。


 ふいに、左手首が疼く。

 傷は随分薄くなったけど…違う意味での傷になってしまった。



「華月。」


「……」


「華月。」


「…あ、え?」


「なん、ボーッとして。」


「ううん、何でもない。」


 あたしが笑顔でそう言うと。


「まーた、んな作り笑いして。」


 ハリーは、唇を尖らせた。


「作り笑いだなんて…」


「そうやん。」


 それまで同じだった目線が、高くなった。


「ハリー…」


「無理して笑うこと、ないやん。何で、そう気ぃ使う?」


「別に、気を使ってるつもりなんてないよ?悪いけど。」


「今、何か思い出して寂しゅうなってたやろ?」


「……」


 見透かされた気がして、つい目を泳がせる。

 どうして…?


「…そんなことないよ。」


「嘘つけ。」


「何でわかるの?そんなこと…わかるわけ、ないじゃない。」


 少しだけムキになって、あたしは立ち上がる。

 ふらつく足取りで、リンクを回ろうと…


「!」


「華月!」


 転ぶ!

 そう思った瞬間…ハリーが、後ろから抱き止めてくれた。


「あ…ありがと……大丈夫だから、離して。」


 なかなか手を離さないハリーに、そう言うと。


「一人にしとかれへんわ。」


 耳元で、ハリーの声。

 あたしは、後ろから抱きしめられてる状態になってる。


「…ハリー?」


「好きやから、分かんねんで?ああ、今何か考えごとしてんねんなーとか。それが辛い事とか悲しい事やったら、華月すぐに顔に出てるのに…無理して笑うたりすると、こっちも辛いやん。」


「……」


 何も答えられなかった。

 あたしは、まだ…


「それとも、俺がこない想うのは大迷惑っちゅう感じ?」


「迷惑だなんて…あたしは…」


「……」


「だって、あたしは…いつか日本に帰るのよ?」


「こないだ聞いたやん。」


「離れ離れになるのに…約束なんてできない。」


「……」


 ハリーは、ふいにあたしを向き直させると。


「ハ…」


 強く、抱きしめた。


「俺は、離れ離れになっても平気なんやけどな。」


「…無理よ…」


「そんなの、試してみんとわからへんやん。」


「……」


「俺って、全く恋愛対称にならへん?」


「…あたしね…」


 ハリーの胸に身を任せたまま、あたしは話しだす。


「あたし、逃げてきたの…」


「逃げて来た?」


「大好きな人が…いたわ。」


「……」


「だけど、辛いことがあって…彼から直接別れを言われるのが辛くて…逃げるようにアメリカに来たの。」


「…そいつを、まだ好きなんか。」


「…わからない…」


 あたしは、ゆっくりハリーから離れる。


「今は会ってないから、次に会ったら何て言おう…って考えられるけど、いざ会ったら…きっと、そんな余裕ないんじゃないかなって。」


「それって、まだ華月ん中で終わっとらんっちゅうこと?」


 ハリーの言葉に、息を飲む。


「…終わって…ないと思う。」


「……」


 一瞬、ハリーの表情が変わったような気がした。


「でも…でもね。」


「…なん。」


「ハリーと出会ったことは、とても…あたしにとって財産になったと思うの。」


「財産?」


「あなたは、あったかいわ。」


「……」


 ハリーの目を見て、気持ちをこめる。


「あたしを想ってくれること、とても嬉しい。でも、こんないい加減な気持ちで…あなたに向き合えない。」


「華月…」


「ごめん…あたし、あなたに甘えすぎたね…」


 少しだけ、うつむいてしまった。

 ハリーといると楽しくて、あったかくて。

 詩生のことも、忘れられるかな…って気がした。

 だけど、結局…あたしは、帰国する。

 離れ離れになって、また別れが来るのは…辛い。

 だったら、このまま前に進まない方がいい…



「華月。」


 ふいに、ハリーがあたしの頬に手を当てて。


「え…?」


 引き寄せられた背中。

 重なる唇。

 身動きが、できない…


 驚いた顔のまま、唇が離れて。


「…なんや、その顔。」


 ハリーが、笑う。


「だ…だって…」


 赤くなってしまうと。


「友達でも、ええから。」


 ハリーは…笑顔。


「こんなの、俺らしゅうないなーとは思うけど…もう、日本に帰ったらそれっきり、なんてのも寂しいやん。俺、会いに行きたいし。な?」


「ハリー…」


「俺かて、華月に会えたのは財産やで?なんか、華月がおってくれるだけで、生活に張りがでたっちゅうか…生きるって楽しいなーとか思うたり。」


「…オーバーだな…」


 うつむいて、ハリーの胸に額をぶつける。


「辛かったら、無理せんで何でも話してくれてええねんで?男の話しかて、俺、ちゃんと聞いたるわ。」


「そんなの…」


「華月のことは、何でも知りたい。友達としてでも。な?」


「……」


 涙が、こぼれた。

 こんな都合のいい話し…

 ハリーは、友達でいてくれるなんて。


「泣くようなことかいな。」


 ハリーが、あたしを抱き締める。

 そのあったかさを切なく感じながら…

 あたしは、ハリーに背中に手をまわしたのよ…。



 * * *



「かーづきー。」


 前田さんと烈を招いて、うちで食事をしようと家の前でタクシーを下りると。

 二階の窓から、大きな声。


「…彼?」


 前田さんが、笑う。


「ハ…ハリー…やめてよ、そんな大声で…」


 あたしが慌てて手を振ると。


「お客さん?」


 ハリーは二人を見て言った。


「そう。」


「じゃ、一緒に上がってん。パーティーや。パーティー。」


 ハリーの言葉に。


「いいねえ…関西弁…」


 烈が笑ってる。


「パーティー?」


 あたしが問いかけると。


「華月の契約更新パーティーやって。さ、上がってん。」


 よく見ると、ハリーはエプロン姿。


「興味あるなあ。お邪魔しよっか。」


 前田さんがそう言うと。


「だな。」


 烈がそれに答えて。


「ちょ…ちょっと…」


 あたしの声も聞かずに、二人はハリーの部屋に向かった。



「いらっしゃーい。」


「お邪魔します。」


「噂の新婚さんやな?」


「噂の、なんだ?」


「ああ。華月がいっつもあてられるー言うてる。」


「そんな事言ってないー!!」


「これ、ハリー君が作ったの?すごく美味しそうなんだけど…」


「あ、ハリーでええですよ。そ。関西弁で料理の出来る男。高評価頼んます。」


「あははは。よく分かんないけど、誰かに推してみる。」


「そこは華月に推してくれんと…」



 パーティーは…ずっと笑いっぱなしだった。

 ハリーがみんなを笑わせてくれて。

 そのせいか…お腹もすいて。

 目の前に並んだ料理はどれも美味しかったし、久しぶりにお腹いっぱい食べた気がした。



「ごちそうさま。」


「楽しかった。」


「こちらこそ。また来てや。」



 烈と前田さんをドアの外で見送って。

 あたしがハリーの部屋に戻ると。


「あれ、まだいてくれるん?」


 ハリーが嬉しそうな顔をした。


「片付け手伝う。」


「ああ、ええよ。俺するし。」


「ううん。疲れたでしょ?これくらいさせて?」


「ええって。華月が喜んでくれたんなら、それだけで大満足なんやから。」


 嬉しい事言ってくれるな。

 そう思いながら、シンクに食器を運ぶ。



「でも、驚いた。ハリーがギター弾けるなんて。」


 食事の途中、ハリーがアコースティックギターを手にして、間近に迫ったクリスマスに向けて。

『聖この夜』を歌ってくれた。

 日本語で歌うかなって思ったんだけど、英語で。

 英語歌ってると、なんだかアーティストみたいだなって感じた。



「弾けるっちゅうても簡単なコードだけやんか。あんなの、子供でもできるがな。」


「音楽関係の仕事してる人って、みんな楽器ができるのね。」


「それはどうかな。」


「充分シンガーになれるんじゃない?」


 あたしの問いかけに、ハリーはお皿をシンクに置いて。


「無理無理。こんなん、ごろごろしてるやん。」


 って、笑った。


「でも、もったいないよ。あんなに歌もギターも上手いのに。」


「あー、俺、夢断たれてこっちの方入ったし。も、こっちのが向いとるし。」


 ハリーの言葉に、あたしは振り返る。


「…夢断たれて…って?」


 ハリーは、あたしに背中向けたまま洗い物を始めた。


「これこれ。」


 背中向けたまま、左手をひらひらって。

 続いて、グー…パー…


「……」


 親指と…中指。

 動きが…


「それ…」


「気ぃつかへんかったやろ?こんだけ普通んなったんや。」


 あたしは、ハリーに近付く。


「どうして…?」


「五年前な、事故で。それまでは俺もギタリスト目指してたんやけど、神経やられてんやから、仕方ないわな。」


「……」


「ぜんっぜん動かへんかったんやで?それ思うたら、すごいやろ?」


 思わず、ハリーに抱きついてしまった。


「華月?」


「…ごめん…」


「何が。」


「気付かなくて…」


「んなの、気付かへんって、普通。それに、気付かれんほど普通やってことやん。俺ってすげぇなあ。」


「……」


「…泡、つくで?」


「…ありがと、ハリー。」


「なんが?」


「何だか…元気になれる。あなたといると。」


「……」


 ハリーは泡だらけの両手をジーンズのポケットで拭くと。


「せっかくやから、抱き締めさせてもらお。」


 笑いながらそう言って、あたしを抱き締めたのよ…。



 * * *




「華月…」


 耳元で、詩生の声がする…。

 何だか、不思議な夢。

 ボンヤリしてて…優しい色。


 詩生のこと思い出すと悲しくなるクセに…どうして、夢ではこんなに優しいの?

 愛しいとさえ思ってしまう。



 あれから詩生のことは全然耳にしてないのに。

 どうしてー…突然、こんな夢を見るの?

 詩生が、あたしに手を差し伸べてる。

 来いって…言ってるの?

 どこへ?



「…詩生…」


 小さくつぶやくと、詩生の手が頬に触れた。

 懐かしいぬくもり…



「華月?」


「……」


 うっすら目を開ける。


「……あ。」


 やだ。

 あたし、寝ちゃってた。


「ごっごめん。何だか、ぐっすり寝ちゃって…」


「いやいや。疲れてるんやない?最近休みないやん。」


「せっかく久しぶりに会ったのにね。ごめん。」


「ええって。」


 ハリーはあたしの隣に座ると。


「ええ夢でも見とった?」


 髪の毛に、唇を落とした。



 季節は夏。

 春辺りから、お互い急に忙しくなり始めて。

 久しぶりに二階の窓から声が降ってきた。

 一緒に食事しよう。

 ハリーの声は、安らげる。

 どんなに疲れてても…一緒にいたくなる。

 でも、あたしたちは未だに「友達以上、恋人未満」の関係だ。



 ハリーの事、好きかと聞かれると…好きって答えると思う。

 だけど…

 愛…には足りてない。

 なのに、ハリーの言った『友達でいい』に甘えてしまってる…。



「リハビリ、どやった?」


「うん。もう杖も普通のに変えていいって。」


 今までの杖は、いかにも!って感じだったけど。

 今度から、軽いステッキタイプになる。


「さすがやな。ミラクルガール。」


「ありがと。あ…もうこんな時間なんだ。ごめんね、せっかく誘ってくれたのに…あたし一人熟睡なんてしちゃって。」


「ほんまええって。俺の前では無防備なんやなー思うたら、俺かて嬉しいし。」


 少しだけ、心が痛んだ。

 あたし…ハリーの部屋で、詩生の夢見ていい気分になってたなんて…



「じゃ、また。」


「華月。」


「ん?」


 立ち上がってドアに向かうと。

 ふいに、ハリーがあたしの肩に手をかけた。


「…あの…」


「何?」


「いや、うん。おやすみ。」


「?…おやすみなさい。」


 ゆっくり階段を下りて、部屋に入る。

 二階からは、ハリーの足音。

 その足音も…もうあと少ししか聞けないな…なんて感じながら。

 あたしは、ベッドに入った…。



 * * *


「元気でね。」


 前田さんが、あたしに抱きつく。


「うん。前田さんも…あ、また言っちゃった。」


 つい、前田さんって言ってしまう。

 もう一年も前から、宇野希望さんなのに。


「いいわよ。何でも。」


「烈に叱られちゃうわ。」



 空港。

 とうとう、あたしの帰国の時が来た。



「烈によろしくね。夕べはありがとうって言っといて。」


「わかってる。」



 夕べ、あたしのためにパーティーが開かれた。

 こっちのスタッフや、烈と前田さんを含めての楽しいパーティーだった。



「ハリーから連絡は?」


「うん。またな、って。今朝早くに。」


「まあ、彼なら本当に日本まで会いに行きそうだしね。」


 前田さんは、笑顔。

 ハリーは、一週間前、仕事で突然ロンドンに行くことになった。

 なんでも、大抜擢らしい。



「…帰ったら、ちゃんと…詩生くんと向き合うのよ?」


「…うん。」


 前田さんが、あたしの肩に手をかける。


「あたしも、来月には烈の契約切れるから帰るし…その時は、ちゃんとした笑顔でいてね?」


「…頑張る。」


「よし。」


 ずっとマネージャー代わりとして、あたしについててくれた。

 一人で帰るのは…ちょっと不安。

 だけど…平気。

 あたしは、強くなった。

 強くなってる…はず。



「あ、そろそろ登乗だね。」


 前田さんが、時計を見て言った。


「…華月…」


 涙目になったあたしを、前田さんはそっと抱きよせると。


「また、来月から一緒にいようね。」


 そう言って、あたしの頭をクシャクシャにしたのよ…。

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