第12話 「きゃー!」

「きゃー!」


華月かづき!」


 父さんが、車椅子で逃げ回るあたしを追って来る。


「よし、捕まえた。」


 後ろからガシッと両肩を掴まれて、仕方なく車椅子を止める。


「あーあ、バンドマンって足遅いと思ってたのに。」


「俺を甘く見たな。」



 父さんは…まだ、あたしに打ち明けられずにいる。

 母さんも、そうだ。

 あたしは、なるべく普通に…ううん、普通以上に明るくしてる。



「あ、父さん、もう仕事行かなきゃ。」


「あ?ああ…」


「いってらっしゃい。ここで見送るから、行って。」


「…華月。」


「早く。遅れたらクビになっちゃうよ?ただでさえ最近サボっちゃってるんだから。」


 あたしが明るくそう言うと。

 父さんは、首を傾げて。


「…そうだな。」


 って、あたしの頭をくしゃっとして歩いて行った。


「いってらっしゃーい。」


 父さんに手を振って、ふっ…と我に返る。

 外を見ると、夕焼け。

 きれいなオレンジに…なぜか追い詰められる感覚になった。

 …病室に帰って、早く寝よう…


 小さく溜息を吐きながら車椅子を動かそうとすると…


「?」


 誰かがそれを押し始めて。

 振り返ろうとしたら、頭を押さえられた。


「だ…誰?」


「…俺。」


「…詩生…」


 声を聞いた途端、あたしの中で何かがはじけた。



「何だよ、あの電話。心配したじゃねーか。」


 病室に入ってすぐ、詩生はあたしの頭を押さえたまま…そう言った。

 顔…見せてくれないの…?


「来てくれて…ありがと。」


 あたしは、詩生の手を取る。


「……」


「…会いたかった…」


「…横んなれよ。」


「ううん、このままでいい。」


 詩生の手を頬に当てると、その手が一瞬ピクリと動いた。


「…詩生、すごいね。この間もロビーのテレビで見たよ。」


「…おまえ、ケガの具合いどうなんだよ。」


「この通りよ。元気。」


「で、あの電話は?助けてって、何だよ。」


「……退屈で死にそうなの。」


 詩生は、あたしの手を振り解くと。


「ふざけんなよ、おまえ。」


 冷たく言った。


「本気で心配したんだぜ。」


「…ありがと。」


「ありがと?言葉が違うんじゃねーか?」


「……」


 …バカだよね、あたし。

 ケガしてるなら…心配して仲直りもしてくれるかも…って。

 そんな甘えた事、考えてたなんて。


 それだけ詩生の傷は深かったって事なんだ。

 あたし…こうならなきゃ気付かないって…

 どれだけダメな子なんだろう。


 …ほんと…

 ダメ…

 何の価値もない…。



「忙しいのに…ごめん。あたし、わがままで…」


「…神さん、毎日来てんのか?」


「…うん。」


「じゃ、退屈なんかじゃねーだろ。俺なんかより、遊んでくれる奴もたくさんいんだろ?」


「……」


 詩生はぶっきらぼうにそう言って。


「俺、帰るから。」


 って…ドアを開けた。


 詩生の声は冷たいのに…なぜかそれにホッとしてる自分がいた。

 ああ、あたし達はもう…こんなに離れてたんだなあ…って。

 ちゃんと確認出来た気がして。



「詩生。」


「あ?」


 車椅子の向きを変えて…詩生を見る。

 詩生が開けたドアの向こうは、さっきよりも濃いオレンジ。

 それをバックに、詩生はとても輝いてて。

 あたしは…自分が見えなくなってしまった。



「…頑張ってね。」


 とびきりの笑顔でそう言うと。


「…早く元気んなれよ。」


 詩生は、そう言ってドアを閉めた。



 …もう、いい。

 これで、いい。

 あたしには、何もない。

 夢をなくしたあたしなんて…何の魅力もない。



「……」


 引き出しから、果物ナイフを取り出す。

 …怖くない。

 何も見えない未来より…ずっと、楽…


 左手にそっと刃をあてると…


「…くっ…」


 血が、パジャマに飛び散った。

 不思議と痛みはなくて。

 ただ溢れて来る「赤」を、ボンヤリ見つめた。


 床は、みるみる真っ赤になって。

 あたしのギプスも、赤く染まった。


 窓の外の夕焼けが…なんとなく、あたしを優しく抱きしめてくれてる気がして。

 このまま…優しい気持ちのままで、死ねるならいいかな…

 なんて、目を伏せかけると。


「華月!?」


「!」


 帰ったはずの詩生が、突然病室に入って来て。


「何やってんだ!」


 シーツで、あたしの手首を覆った。


「離して!」


「ばか!やめろ!」


「いやっ…!」


「華月!」


「きゃ…!」


 詩生に叩かれて、車椅子から転げ落ちる。


「誰か!来てくれ!」


 詩生がナースコールを押しながら叫ぶ。


「誰も来ないで!」


 あたしは花瓶を割って、その破片を首に押し当てる。


「か…」


「来ないでよ!」


「…何考えてんだ。やめろ。」


「出てって。」


「…手当しないと。」


「出てって!…いやっ!」


 詩生が、あたしの手を掴んで破片を奪い取った。


「華月ちゃん!?」


 担当の看護婦さんが飛び込んで来て。

 血だらけの病室を見て口を押さえた。


「落ち着けよ!華月!」


 詩生が、あたしを抱きしめる。


「あたしなんて…!歩けないあたしなんて!」


「…華月?」


「歩けないあたしなんて、生きてたって!」


「華月!」


「いやーっ!!!!」



 次々に看護婦さんが入ってきて。


「華月!?」


 わっちゃんも、血相を変えてやって来て。

 あたしは、ベッドに押さえつけられる。

 上半身しか動かないんだもの。

 …かないっこない。



「華月、華月!」


「出てて下さい!」


 詩生は廊下に押し出されて。

 病室と廊下には、あたしの悲鳴に近い叫びだけが響きわたっていた…。




 * * *




「…悪かった…」


 真っ赤な目をした父さんが、あたしの目を真っ直ぐに見て言った。

 鎮静剤のようなものをうたれて、ずいぶん長く眠っていたような気がするけど…

 目をあけると、同じ日の夜。

 病室の隅っこに、わっちゃんがうつむいて立ってる。

 ボンヤリした視界の中で、父さんは続けた。



「言い出せなかった…」


 詩生から連絡を受けて。

 父さんと母さんが駆け付けた。

 母さんは…廊下で泣いてる。



「華月…」


 父さんは、あたしを抱きしめて。


「歩けなくても、おまえは大事な娘なんだ。死ぬなんて考えるな。」


「……」


「おまえのためなら何だってする。ずっと、そばにだっている。だから…」


「…父さん…」


「……?」


「ごめん…」


「華月…」


「どうしていいか…分からなくなったの。歩けないって知って…じゃ、あたしは何をすればいいのって…もう何もかもいやになって…楽になりたいって…」


 涙がとめどなく流れて。

 父さんは、それを優しく拭ってくれた。



「ごめんなさい…自分の事しか考えてなくて…」


「…詩生が、血をくれたんだぜ。」


「……」


 ふと、詩生の剣幕を思い出して目を閉じる。


「…もう、大丈夫か?」


 あたしは、頷く。

 すると、父さんはドアを開けて…母さんと、詩生を病室に呼んだ。



「華月…」


 真っ赤な目をした母さんが、あたしに抱きついて。


「母さん、心臓止まるかと思った…」


 って、ポロポロ涙を流し始めた。



 あたしの名前は…父さんが付けてくれた。

 母さんが…命を懸けて産んでくれた。


 クリスマスイヴ。

 華やかな月の夜に、仮死状態で産まれたあたしは、みんなをハッピーな気持ちにはしてあげられなかった。

 だけど…奇跡が起きて。

 あたしは…生きた。


 …何してるのよ…あたし。

 歩けない事が…何だって言うの…?



「母さん…本当に…ごめんなさい…」


 あたしの言葉に、母さんは何度も小さく頷きながら…あたしの頭を撫でてくれた。

 父さんと母さんにもらった大切な命なのに。

 歩けなくても…生きてるだけでいいじゃない。

 夢は…また、探せばいい…



「知花…」


 父さんが母さんの肩を抱き寄せて、二人があたしから離れる。

 あたしは涙を拭って…


「詩生…」


 詩生の手を取った。

 その手は、あたしから花瓶の破片を奪ったせいで…包帯が巻かれてる。


「…痛い?」


「いてーよ…バカ…」


 詩生は、母さんみたいにあたしを抱きしめると。


「俺、まだ震えてるよ…」


 って…


「…詩生…」


 あたしも、詩生を抱きしめる。

 父さんと母さんとわっちゃんはそっと病室を出て。

 あたしは涙を拭うと、詩生の耳元で言ってみせる。


「…ずっと、言いたくて言えなかったことがあるの…」


「…何。」


「…大好き…」


「……」


「詩生…大好き…」


「…っんだよ…」


 詩生はポロポロ涙をこぼしながら。


「おまえ…マジでやな奴だな…」


 額を合わせた。


「…ごめん…それでも…好き…」


「…ん…うん……俺も…」


 お互い…涙でぐちゃぐちゃ。


「…もう…二度とこんな事…しない…」


「…絶対だぜ…?」


「うん…」


 詩生の頬に触れて…涙を拭うと。

 詩生も同じように…あたしの頬に触れた。


「華月…」


 詩生の唇が、額に…頬に…そして、唇に来た。

 …それは、少し震えてて…


 あたしに…



 生きていく強い決意を、与えてくれた…。

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