第18話 「…よ。」

「…よ。」


 ふいに、目の前に…詩生しお

 約二ヶ月半ぶりの再会。


「…久しぶり…」


 あたしは、寂しい笑顔。


「仕事、忙しそうだな。」


「詩生こそ…」


「あー、でも、やっと終わったし。」


「終わった?」


「ツアーだよ。」


「…」


 あたしは、目を丸くしたまま詩生を見上げる。

 つい、顔が赤くなってしまった。


「…何、おまえ…まさか、俺がツアーに出てること知らなかった?」


 詩生にズバリ指摘されて、あたしの赤はますます派手になる。


「だだだって…あたし、あまり…」


「テレビも音楽雑誌も見ないよなあ…それにしても、これだけ長く会わなかったら何か思うだろ?」


「…電話くらい、してくれたって…」


「スケジュールわかんねーからさ、かけにくかったんだよ。」


 思わず、顔を覆ってしまった。

 あたし…詩生のこと疑って…



「それよかさ、俺、おまえに頼みがあって来たんだけど。」


「…頼み?」


 詩生は、あたしの目線までしゃがんで。


「俺、もうすぐ誕生日。」


 って。


「う…うん…」


 6月、27日…

 来週。



「二人きりで、すごしたい。」


「…詩生…」


「仕事終わってから…会えないかな。」


 嬉しくて、胸がはやる。

 ついさっきまで、詩生のこと疑ってた自分が恥ずかしい。



「大丈夫。」


 あたしの返事に、詩生は満面の笑みで。


「じゃ、迎えに来るから。」


 って…周りに人がいないのを確認すると。


「またな。」


 って、優しくキスをしたのよ…。



 * * *



「前田さんに言ったら、あれ?あんた知らなかったのー?なんて言うのよ。」


「あははは、おまえもニブイけど、前田さんもニブイよな。教えてくれてもいいのに。」


「でしょ?」


 夜景のきれいなホテル。

 あたしは、詩生とその光を眺めながら食事などをしている。

 詩生の、20歳の誕生日。



「いつも、こんなオシャレな所に来るの?」


 詩生の意外な面を見たような気がして、そう問いかけると。


「いーや、初めて。いつもは希世たちとむさくるしいとこばっか行ってる。」


「その方が、らしいよね。」


「だろ?でも、絵美さんがせっかくの誕生日くらい、洒落たところで食事しろって、ここ教えてくれたんだ。」


「絵美さんが?」


 思いがけない言葉に、あたしは身を乗り出す。

 最近、絵美さんは詩生の名前を口にしなくなった。

 きっと、あたしに頼まれてばかりで面倒になったか…

 あたしが疑ってるのに気付いて腹を立てたのかなって思ってたんだけど…



「…あたしね。」


「ん?」


「詩生と…絵美さんのこと、疑ってた。」


「俺と絵美さん?」


「うん。詩生の部屋に、ピンクのピアスが落ちてたの見て…」


「ピンクのピアス?」


 あたしの言葉に、詩生は首をひねって考えこんでる。


「そのピアスが、絵美さんのだったのか?」


「だと思って…詩生、誰も連れ込んでないって言ったクセに…って。」


「ねえってば。だいたい、絵美さんは、何かこうー…お姉さんっていうか…」


「あ、分かる。」


「だろ?あれこれ相談のってくれるし、世話好きだし、そういうノリなんだよな。」


 詩生は、その瞳の中に夜景を映しながら。


「…華月。」


 ふいに、真顔になって…あたしの手を握った。


「ん?」


「上…行こう。」


「上?」


「部屋、とってあるんだ。」


「……」


 体が、硬くなってしまった。

 一瞬の内に、顔が強張ってしまったと思う。

 あたしは…



「…イヤか?」


「…イヤとか…そういうんじゃなくて…」


「……」


「……」


 しばらく沈黙が続いてしまった。

 あたしがうつむいたまま言葉を探してると。


「…詩生?」


 ふいに、詩生が立ち上がって、あたしの車椅子を押し始めた。


「とりあえず、部屋に行こう。」


「とりあえずって…」


「黙って。」


「……」


 エレベーターに乗り込む。

 何だか、詩生が…詩生じゃないみたい。

 突然のように、詩生を怖いと思ってしまった。



 エレベーターは25階で止まった。

 開いた扉の向こう、静かな廊下が広がってる。

 詩生はポケットからキーを出してドアを開けると。


「きれいな部屋だな。」


 って、部屋中を見渡した。

 確かに…夜景もバッチリ…

 あたしは車椅子を動かして、窓際に近付く。



「前田さんと、リハビリしてるんだって?」


 ふいに、後ろに来た詩生が耳元でそう言って、あたしは身構える。


「あ…あ、うん…」


「どんな調子なんだ?」


「…別に…変わりない…」


「…そっか…」


 詩生はあたしの髪の毛に唇を落とした後。


「…え?」


 あたしを、車椅子から抱えた。


「ちょっ…ちょっと、詩生…」


「俺は、いつだっておまえに触れたいって思ってる。」


「……」


 優しくベッドにおろされる。

 そして…。



 * * *



「…え?」


 あたしは、ポカンとした顔で振り返る。


「だから、あたしがマネージャーになっちゃったわけよ。」


 八月。

 突然、仕事が終わったあとの控え室で、前田さんが言った。



「でも…絵美さんは?」


 ブラシを持ったまま問いかけると。


「何か、辞表出したって。一身上の都合って。」


 前田さんは、髪の毛をかきあげながら、そう言った。


「……」


 一身上の都合…


「…あたし、何も聞いてない。」


 最近、少しよそよそしいな…って思ってたけど。

 まさか、辞めるなんて…



「…あたし、ちょっと話してくる。」


「どこで。」


「たぶん、まだスタジオにいると思うから。」


「ま、気が済むようにして。」


 あたしが車椅子を動かし始めると。


「あたしは、ここにいるからね?」


 前田さんは、手をひらひらさせて言った。


「うん。いってきます。」


 控え室を出て、スタジオへ。



 少し…ショック。

 そりゃあ、仕事でだけのつきあいかもしれない。

 でも、あたしにとっては頼りになるお姉さん的存在なのに…



 エレベーターでスタジオに上がると、絵美さんはイスに座ってボンヤリしていた。


「…絵美さん。」


 あたしは、ゆっくり絵美さんに近付く。


「あ…あ、華月ちゃん…」


 あたしに気付いた絵美さんは、少しだけ慌てて立ち上がった。


「…どうしてー…」


「え?」


「どうして、辞めるの?」


「……」


 あたしの問いかけに、絵美さんはうつむいて。


「…ごめんね。」


 一言、謝った。


「どうして何も言ってくれなかったの?一身上の都合って、何?」


「……」


「別に責めてるわけじゃない。絵美さん、本当にあたしのために色々よくしてくれて…でも、どうして急に?」


「体の調子がね…よくないの。」


 あたしの問いかけに、絵美さんは小声で答えた。


「…体の調子が?」


「うん…」


「……」


 体のことなら、引き留めるわけにいかない。

 本当は、前田さんのことが原因かな…なんて思ったりもしたんだけど。



「…華月ちゃん…」


 絵美さんが、驚いてる。

 あたし、涙が止まらない。


「な…何で泣くの?あたしなんかのために…」


「だって…」


 絵美さんは、あたしに近付くとハンカチを頬に当ててくれた。


「だって…あたし、気付いてあげれなかった…」


「…え?」


「体調悪いなんて…ずっと一緒にいたのに…」


 あたしの言葉に、絵美さんも涙目になって…俯いた。


「あたし、自分のことばかり…絵美さん、あたしのために無理してたのね…」


「………違うのよ。」


「……」


 絵美さんは、あたしの前にしゃがみこむと。


「泣かないで…あたしのためになんか。あたしは、華月ちゃんが思ってるような女じゃない…」


 難しい顔で、そう言った。

 でも、あたしは何が何だか分からなくて、絵美さんに抱き着く。


「…華月ちゃん…」


「いつも支えてもらってたのに…何もできない…」


 流れる涙が、自分を責める。

 あたしは、なんてちっぽけなの?

 自分のことばかり。

 周りの人のこと、全然気にかけれないようじゃ、この世界でやってけるわけない。



「…泣かないで…」


 絵美さんが、困ったような声であたしの体を引き離す。


「…ごめん…華月ちゃん…」


「そんな…絵美さんが謝ることなんて…」


「ううん…あたし、とりかえしのつかない事…してしまった。」


「…とりかえしのつかない事…?」


 あたしは、顔をあげる。


「…何?」


「……」


 あたしの問いかけに、絵美さんは無言。

 …何か…嫌な予感。


 しばらく目をそらさずにいると、絵美さんはとんでもない言葉を口にした。


「…妊娠したの…詩生くんの子供…」



 * * *


「華月。」


 絵美さんの衝撃の告白から三日。

 当たり前のように笑えなくなったあたしの所へ…詩生が、来た。

 詩生の誕生日以来…約二ヶ月ぶり。



「…話が、ある。」


「……」


 あたしは、詩生を知らない人を見るような目で見ていた。

 誰?これは…



「撮影…あるから、後にして。」


 小さくそう言うと、詩生は唇をかみしめて。


「…見てて、いいか?」


 って…言った。


「…何?」


「おまえの、撮影。」


「……」


 頭の中が、空っぽ。

 今、詩生が言った言葉さえ、把握できない。



「いいよ、見てなさい。」


 あたしがなかなか答えないから、前田さんが代わりに答えた。

 前田さんは、知ってる。

 きっと…詩生からも聞いたはず。

 おととい、何も言わずあたしを抱きしめてくれた。



「…じゃ、見てるから。」


「……」


 あたしは無言で車椅子を動かす。

 今日の撮影は父さんのバンドのCDジャケット。

 相変わらずジャケットに姿を映さない父さんたちの代わりに、あたしが登場することになった。


 確か…失恋の曲だったな…

 窓辺に座って寂しそうな顔をする…っていうのがコンセプト。

 今のあたしに、うってつけ。



「華月。」


 呼ばれて顔上げると、父さん。


「…どうしたの?オフでしょ?」


「ああ…ちょっと、見に来た。」


「…大丈夫よ。すぐ終わるから。」


「いや、そうじゃなくて…」


「?」


「……」


 ああ…

 父さんも、知ってるのか。


「父さん。」


「あ?」


「あたし、行こうかな…」


「どこへ。」


「アメリカ。」


「……」


「高原のおじちゃま、言ってたよね?アメリカの事務所にモデルが欲しいって。あたし、それ…行こうかな。何か、できそうな気がする。」


「おまえー…」


「あ、撮影始まるから…じゃあね。」


 あたしは父さんの横を通り過ぎる。

 前田さんが開けてくれたドアの向こうには、セットされた出窓。

 あそこが…あたしの泣いていい場所…

 あそこでしか、泣かない。

 絶対、泣かない。



「華月ちゃん、そこの枠に手ぇかけて頬杖ついてー。」


 指示された通り、前田さんに助けてもらって出窓に座って枠に手をかける。

 頬杖をついてガラスの向こうを見つめる。

 効果的に父さんの歌声が流れて…


「……」


 自然に、涙が流れた。

 まばたきもー…できない。

 あたしの表情に、周りは一瞬静かになったけど。


「あ、ああ!いいよ!もう少し首を傾げて!」


 カメラマンさんが、次々とシャッターを切る。

 こぼれ落ちる涙は、誰にもふいてもらえない…

 詩生も、もう…あたしを助けてはくれないんだ…



「よーし、いい画が撮れた。華月ちゃんお疲」


「詩生!」


 カメラさんが手をあげたところで、突然、詩生を呼ぶ大きな声がして。


「…親父…」


 スタジオの隅っこにいた詩生の所に、詩生のお父さまが怖い顔して入って来た。


「おまえ…!」


 おじ様が入って来た勢いのまま、詩生を殴った。


「きゃーっ!」


 その場は騒然となったけど、あたしはまるで他人事のように…ただ眺めてるだけ…


「……」


 詩生は倒れたまま、顔をあげない。

 そんな詩生を、おじ様は怖い目のまま見つめて…


「…呆れたよ、おまえには。」


 低い声で…そう言った。


「…早乙女。」


 父さんが、おじ様に近付く。


「神さん…」


 おじ様は、父さんに向き直ると深く頭をさげて…スタジオを出て行った。



「華月、OKだって。着替えよう。」


 騒然としたスタジオの中で、前田さんがあたしに手を貸してくれながら言った。

 あたしは流れたままだった涙を拭って、車椅子に移る。


 何だか…やだな。

 だんだん、現実になってきた。

 詩生が…あたしのものじゃなくなる…



「華月。」


 車椅子を押し始めると、すぐに父さんがやって来て。


「ちょっと来い。」


 あたしをスタジオの奥に連れ込んだ。


「…何?」


「…正直言って、俺は詩生ばかりを責められない。」


「……」


「可愛い娘に辛い想いをさせてる事には腹が立つが…あいつは、おまえの足の事でずっと責任を感じてたからな。」


「……」


 父さんの言葉が、他人事のように聞こえる。


「…アメリカ、行って来い。」


「父さん…」


「行って、いろんな奴と会って来い。」


「……」


 父さんは、それだけ言うと車椅子を押して、心配そうな顔して待っててくれた前田さんの所に連れて行ってくれた。


「…頼む。」


「はい。」


 父さんの言葉に、前田さんは強い瞳で頷いた。

 あたしは…まだボンヤリしたまま。



「…大丈夫?」


「…ん。」


「次が待ってるけど。」


「…次?」


「詩生君。」


「……」


 そうだった…

 詩生が、話があるって…

 決定的なのかな。

 詩生の口から、別れを告げられるのは…辛い…

 そう思ってるそばから、詩生がスタジオの出口に立ってる。



「……」


 口元に、血がにじんでる…


「華月…」


「……」


 聞いたこと、ない。

 こんな…心細そうな詩生の声。



「…ごめん…」


「……」


「俺…」



 何か、何か…言わなきゃ。

 でも…何を言えば?

 きれい事は言いたくない。

 かと言って、詩生を傷つける言葉も言えない。



「…ごめん、今…何も話したくない…」


 あたしは、うつむいたままそれだけ言うと、自分で車椅子を動かし始めた。


「ちょ…ちょっと、華月。」


 前田さんが追ってきたけど、あたしは止まらない。


「あんた、ちゃんと話した方がいいと思うよ?」


「……」


「でないと、彼もずっと…」


「話すって、別れようって事を?」


 角を曲がって詩生が見えなくなった所で、あたしは止まる。


「詩生の口から…別れようなんて言葉…聞きたくない。」


「でも、それじゃ詩生君は…」


「わかってる。わかってる…詩生を解放してあげなきゃって…」


「……」


「詩生が…あたしを抱けなかったのも、あたしに対する負目があったからって…わかってる。詩生は、ずっと苦しんでるって…わかってる…」



 詩生の誕生日の夜、あたしは、詩生を拒んだ。

 それは、やっぱり…怖かったから。

 また、同じことの繰り返しだったらどうしよう。

 もう…傷つくのはイヤ。

 そう思ったら、涙が溢れて…

 詩生は、それを寂しそうな目で見てるだけだった。



「でも、詩生は言ったのよ?絵美さんは…お姉さんみたいな人だ、って…」


「華月…」


「どうして、絵美さんなの?こんなの、辛すぎるじゃない…」


 あたしの目からポロポロ涙がこぼれて。

 前田さんは、そっとあたしを抱きしめると。


「…一緒に、行くか。アメリカ。」


 って、涙まじりの声で言ってくれたのよ…。

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