第17話 「…え?」
「…え?」
「だから、
「家が同じ方向じゃないんですか?」
鏡の前、あたしは髪の毛をとかす。
「でも、華月ちゃんの用事だとか言って、よく詩生ちゃんの事務所に出入りしてるみたいだし。」
「……」
詩生のことも…よく相談にのってくれる。
「わかりました。さりげなく聞いてみます。」
こうでも言わなきゃ、収集つかない。
「じゃ、おつかれさまでしたー。」
車椅子を動かして、部屋を出る。
なんとなく…疲れた。
ドアの外でボンヤリしてると。
『さっきの話、本当?』
部屋の中から、聞こえてくる会話。
『あー、詩生ちゃんと笠井さんでしょ?』
『確かに、最近怪しいわよね。』
『まあねえ…いくらキレイでも、車椅子の彼女より歩ける女の方がって思ってるんじゃない?』
…悪気はないんだと思う。
きっと、誰もが思っても不思議じゃない。
でも…詩生はそんな事思わない。
それが伝わらないのがもどかしい。
噂に惑わされたわけじゃないけど、無性に詩生に会いたくなったあたしは、タクシーに乗って詩生のマンションに向かう。
なるべく考えまいとするのに…『車椅子より歩ける女の方が』って言葉が、耳についた。
「…華月?」
突然訪れたあたしに、詩生は目を丸くした。
「どうした?一人かよ。」
「うん。」
「仕事の帰りか?」
「うん。」
「入るか?」
「……」
詩生の部屋に入るには、車イスのままじゃ、入れない。
あたしが黙ったままうつむいてると。
「そんな、深刻な顔すんなよ。抱えてやっから。」
って…
「ひゃっ…」
詩生は、ヒョイっとあたしを抱えて。
「車椅子、たたんで玄関に置いていいか?」
額を、くっつけた。
「う…うん…」
何だか、緊張しちゃう。
「嬉しいな。華月が来てくれるなんて。」
詩生はあたしを座椅子に座らせて、車椅子をたたんだ。
「…会いたいなと思って。」
「そっか。」
詩生は、満面の笑み。
「きれいにしてるね。」
部屋を見渡す。
「あ、初めてだっけ。」
「うん。」
詩生が、冷蔵庫を開ける。
「ビールしかねえや。コーヒーでもいいか?インスタントだけど。」
「うん。」
部屋を見渡して…目が止まった。
…ピアス?
「…誰か、連れ込んだりしてる?」
「まさか。」
詩生は…ピアスあけてるけど、ピンクのピアスなんて…
…あのピアス、確か…
「ほい。」
ふいに、目の前にコーヒーを差し出されて驚く。
「あっあ、ありがと…」
「…何時までいい?」
詩生は、あたしの隣に座ると遠慮がちに顔を覗き込んだ。
「んー…撮影、思ったより早く終わったし、ゆっくりできるよ?詩生は?」
「俺?明日の夜までヒマ。」
「タイミングよかったね。」
コーヒーを、一口。
顔を上げると、詩生が嬉しそうにあたしを見てる。
「何?」
「いや、嬉しいなと思って。」
「本当?」
「ああ。」
肩を抱き寄せられる。
「キスして、いっか?」
「…聞かないでよ…」
そっと…唇が来た。
久しぶりのキス。
目を閉じてると、さっきの言葉が浮かんでしまった。
『車椅子の彼女より、歩ける女の方が』
「…華月?」
とっさに、あたしの手は詩生の首に回ってた。
「…抱いて…」
その言葉に、詩生はしばらく絶句してたけど。
「…いいのか?」
耳元で小さくつぶやいた。
「…うん。」
これじゃ、あたし…
詩生をつなぎとめたいだけみたいじゃない。
でも…
「大好きよ…詩生…」
ベッドに運ばれて、あたしは詩生にしがみつく。
少しだけ、涙がこぼれそうになってしまったけど…。
* * *
「…わっちゃんと行く、リハビリの旅?」
「そ。」
久々の検診。
いつもは浮かない顔して。
「仕事ばっかしてんじゃねーよ。」
って言ってるわっちゃんが、ご機嫌な顔でメニューを見せた。
「へえー…温泉かあー…」
あたしがスケジュール表を見ながらつぶやくと。
「環境を変えてみるっていうのも、手なんだぜ?」
わっちゃんは笑った。
「ふうん。で?何人くらい行くの?」
「おまえだけ。」
「あたしだけ?」
メニューから、目を上げる。
「そ。」
「……」
まあ、お兄ちゃんみたいな存在だし…
全然問題はないんだけど。
「二人きり?」
「そこを強調すんな。」
「だって。」
「詩生ならOKとってるぜ?」
「……」
一番、気になってたこと。
詩生とは…最近会ってない。
あの夜、詩生はあたしを抱けなかった。
いざという時になって…ダメだったらしい。
どうしても足のせいに思えてしまって。
それを振り払いたくて、わざと笑おうとしたのに。
詩生が、あまりにも深刻な顔して『ごめん…』なんて言うから、泣いてしまった。
あれから…あたしたちは連絡もとってない。
「クララだって、アルプスの大自然の中で歩けるようになったしな。」
目の前のわっちゃんの笑顔が、妙にまぶしい気がした。
「あはは、乙女チックだなあ。」
むりやりだけど、あたしも笑う。
「仕事の方、しばらく空けろよ?」
「わかった。」
あたしの返事に、わっちゃんは満面の笑みで。
「じゃ、またな。」
って、あたしの頭をクシャクシャっとした。
* * *
「前から聞こうと思ってたんだけど、どうして結婚しないの?」
あたしの問いかけに、わっちゃんは腰を砕かせた。
「あ、あたしも聞きたいなー。」
リハビリの旅。
突然、泉が付いて来て、わっちゃんは年頃の女の子二人の面倒を見る羽目になってしまってる。
「…別にいいだろ、そんなこと。はい、左足。」
きれいな山の麓。
あたしはわっちゃんにマッサージなどしてもらっている。
「彼女は?彼女はいるの?」
泉が温泉饅頭を食べながら、わっちゃんの顔をのぞきこむ。
「……」
わっちゃんは、一瞬泉の顔をじっと見て。
「…何よ。」
不審そうな顔の泉に。
「いや、おまえこそ、結構可愛いのになんで男ができないかなーと思って。」
って、笑った。
「ほっ…ほっといてよ。」
泉は饅頭を二つ握りしめると。
「あたし、散歩してくる。」
そう言って、部屋を出て行った。
「だから言ったのに。来ても退屈よ、って。」
「あいつも仕事でストレスたまってんだろうな。」
「で、わっちゃん。さっきの続き。彼女は?」
あたしが目をキラキラさせながら問いかけると。
「…人の事はともかく自分はどうなんだ?詩生の奴、えっらいブルーんなってたけど。」
痛いところを、つかれてしまった。
「あー…あたしたち…ね。」
少しだけ、伏し目がちになってしまった。
あたしたちは、これからどうなるんだろう…
「よく、わかんない。」
「何だよ、それ。」
「わかんないの…あたしの気持ちも、詩生の気持ちも…」
「……」
わっちゃんの、マッサージしてる手が止まった。
「も、だめかも。」
「何で。」
「…内緒よ?」
「ああ。」
わっちゃんになら、いいかな。
こんなこと、誰にも相談できないし。
「あの…できなかったの。」
「できなかった?」
「詩生、いざって時に、だめだったの。」
「……」
わっちゃんは、しばらく考えこんで。
「ああ…そういうことか。」
小さく、笑った。
「笑う?」
「気にすんな。」
「気にすんなって…」
「詩生も案外神経質なとこあるしな。そういうこともあるさ。」
「…でも…」
「でも?」
「あたしのマネージャーさんと、怪しいって…」
「……」
「歩けない彼女より、歩ける人の方がって…」
「誰が。」
「……」
「そんなの気にしてたら、きりがないぜ?詩生はアイドルみたいなもんだし、やっかみも入ってんのさ。」
「…詩生の部屋に、その人のピアスが落ちてた。」
「ピアス?」
「誰も連れ込んだことなんてないって言ってたけど…じゃあ、あのピアスは何?って思ったら…」
わっちゃんはあたしの隣に座りこむと。
「おまえも、案外嫉妬深い奴だな。」
って、頭をクシャクシャっとした。
「…だって…」
「ま、まだ二十歳そこらじゃ仕方ないか。」
「…あたし、イヤなの…」
「何。」
「自分が、だんだん嫌な女になってくようで…」
「一時的なもんだろ。」
「それでも。人を妬んだり…詩生を疑ったり…すごく不安なの…」
「……」
いつから、こんなふうになってしまったんだろう。
昔は良かったな…
何も考えず、ただじゃれあって…
兄弟みたいな付き合いができてたのに。
…あたしたち、恋人って関係にならない方が良かったのかも。
「おまえさ。」
ふいに、わっちゃんが口を開いた。
「?」
「本当に歩きたいって思ってる?」
あたしは、わっちゃんを見上げる。
「お…思ってるわよ。」
「じゃあ、俺から提案。」
「…提案?」
「今は、自分のことだけを考えろ。」
「……」
「詩生が違うって言ってんなら、違う。それでいいじゃないか。余計な気分使ってると、集中できないぞ?」
「………そう…だよね。」
歩きたい…
詩生のためにも、自分のためにも。
そして、あたしを支えてくれてるみんなのためにも。
わかってる…けど…
* * *
「今日の撮影、早く終わって良かったわねー。」
絵美さんが、隣で笑った。
詩生とは連絡も取らなくなってしまって…二ヶ月が経った。
以前はそんなことがあったら。
「私に任せて。」
って、詩生の事務所に出入りしてくれてた絵美さんも、最近は言わなくなった。
…本当は、すごく…二人のこと疑ってる。
でも、わっちゃんにも言われたし。
自分のことだけを考えるようにしてる。
「華月。」
ふいに、控え室の入口から…
この声…
「前田さん…?」
あたしは、驚いて振り向く。
「あはは、何。その、すっとんきょーな声。」
前田さんだ!
あたしは嬉しくて、車椅子の向きを変えると前田さんに手を差し伸べた。
「なーに子供みたいなマネしてんのよ。」
前田さんは、あたしのそばまで来ると、あたしの両手を取って。
「久しぶり。」
って…笑ってくれた。
それが、すごくすごく嬉しくて…
「何で泣くの。」
つい、ポロポロ涙をこぼしてしまった。
「…あの、勝手に入られると困るんですけど。」
絵美さんが、面白くなさそうな声で言った。
でも、前田さんだもの。
負けるわけがない。
「あら、失礼。でもちゃんと許可もらってるんだけどね。」
「許可?」
「そう。華月に付いててやってくれって。」
「…え?」
今度は、あたしが前田さんを見上げる。
「誰が?」
「いろーんな人。光栄だなー。こんなに信頼されちゃって。」
「付いててって…マネージャーはあたしです。」
絵美さん、ちょっとだけキツイ声で言った。
「わかってるわよ。別にあたしはマネージャーになりに来たわけじゃないわよ。」
「じゃ…何に…」
「ま、別にそれはいいじゃない。さ、もう終わったんでしょ?あたしが連れて帰るから。じゃっ。」
前田さんは途方に暮れてる絵美さんを残して、あたしの車椅子を押して控え室を出た。
「あの…」
あたしが小さい声で声をかけると。
「みーんな、心配してたわよ?あんた、目ぇ笑ってないって。」
前田さんは、ケラケラ笑いながら言った。
「……」
「最初はね、詩生君から電話があったんだ。」
「…詩生から?」
「うん。そしたら、わっちゃん先生からもかかってきてね。」
「わっちゃん?」
「そう。そしたらもうたて続き。あんたの親からもかかったし、烈君からも聖君からも。」
「……」
「やっぱりさ、あんたにはあたししかいないのねって、すっとんで来たのよ。」
前田さんは、優しくあたしの髪の毛に触ると。
「あの意気込みはどこ行った?ん?」
って、顔をのぞきこんだ。
「…詩生からは、いつ連絡があった?」
「いつだっけなー…一ヶ月くらい前かな。」
「あたし…もう、二ヶ月詩生と連絡とってない。」
「嘘。」
「…本当…」
「何で。」
「……」
あたしがうつむくと、さすがに前田さんも深刻な顔になって。
「とりあえず、帰ろうか。」
って、車椅子を押し始めた。
「あ…前田さん、また一人暮しを?」
「ううん、居候することになったんだ。」
「どこに?」
あたしの問いかけに、前田さんは怪しい笑顔を浮かべて。
「あんたんち。」
って、あたしの頭をクシャクシャっとしたのよ…。
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