第22話 「おかえり。」

「おかえり。」


 目の前のわっちゃんは、笑顔。


「ただいま。」


「しっかり歩けるようになったな。」


「いろいろありがと。向こうの先生にも、とても良くしてもらって助かったの。」


 わっちゃんに挨拶を兼ねて、検診に訪れた病院。

 わっちゃんの後ろでは、佐野さんが涙ぐんでる。



「何泣いてんだ?佐野くん。」


 わっちゃんが、笑いながら振り返る。


「だっだって先生…華月ちゃん…こんなに頑張って…あたしは、嬉しいんですよ。」


「佐野さん…ありがとう。色々心配かけて、ごめんなさい。」


「化粧品のCM見た時も、もう泣けちゃって泣けちゃって…嬉しくて…」


 佐野さんは…あたしが手首を切った時も、そばにいた人だ。

 だから…


「あたし、たくさんの人が支えてくれたから…こうやって歩けるようになった。」


 小さく、つぶやく。


「みんなが背中を押してくれなかったら…きっと、あたしはつぶれたままだったよ。」


「…そんな事ないさ。さ、足診せて。」


 診察台に上がって、足を出す。


「感覚はどうだ?」


「ちゃんと、くすぐったいし、熱いとか冷たいのも感じる。」


「…まったく、おまえには脱帽だな。」


 わっちゃんが、あたしの指先を触りながら言った。


「本当に、奇跡を創れる奴だよ。」


 わっちゃんの言葉に、佐野さんが頷いてる。


「あ。」


「何。」


「そういえば、あたし…まだ言ってなかったよね。」


 突然のあたしの問いかけに、わっちゃんは首を傾げてる。


「何だ?」


 キョトンとしてるわっちゃんに、一言。


「遅くなったけど…空ちゃんとの結婚よ。おめでとう。」


 あたしの言葉に、わっちゃんは。


「あ…ああ、あれな…」


 なんて、照れくさそう。

 そんなわっちゃんを見て、佐野さんは。


「もう、未だにナースたちはみーんな怒ってるのよ。」


 って、あたしに笑いかけた。


「あたしだって、知らなかった。」


 あたしの答えに、わっちゃんは頭を抱えて。


「二階堂に行っても、朝霧に帰っても、嘘つきって言われてさ…まいってんだから、勘弁してくれよ。」


 って、うなだれたのよ…。



 * * *



「どこか出かけんのか?」


 聖が、カバン背負ってるあたしに問いかけた。


「うん。事務所。挨拶にね。」


 あたしは、このたび父さんと同じ事務所に所属することになった。

 日本のビートランドにも、モデルクラブを作ってくれた高原のおじちゃまに感謝。



 帰国して一週間。

 結構、驚きの連続だったりする。


 桐生院家初のOL、お姉ちゃんに彼氏が出来た。らしい。

 でも、それはまだ母さんとあたししか知らない。

 しかも、未だ相手を紹介してくれない。

 …お姉ちゃんは昔から、ちょっと秘密主義な所があるからな…


 そして。

 怪しい怪しいと思ってた泉と聖が、付き合い始めてた。

 でも、相変わらず前みたいにケンカしてばかりだ。



「乗せてってやるよ。ノンくんも一緒だし。」


「あ、本当?助かる。」


「親父はレコーディングだっけ?」


「うん。ちょっと見学もしようかな、なんて。」


「喜ぶぜ?おまえがいない時、やる気なしだったからなあ。」


「…そうなの?」


 父さんの子供激愛ぶりっていうのは、事務所では有名。

 でも、昔から『ナイフのような男』って異名を持ってたらしくて。

 ファンの人には、その父親ぶりがとても意外に思われるらしい。

 あたしにとっては、父さんがナイフって言う方が不思議。


 母さんは、ナイフについて。


「あはは、わかる気がするな。」


 って、笑ってるけど…。



「お兄ちゃん、近いうちにライヴがあるって本当?」


 ギターを担いで玄関にやって来たお兄ちゃんに問いかけると。


「ああ。ライヴっつっても飛び入りで出させてもらうんだけどな。」


 って、楽しそう。

 ずっと音楽に興味なさそうな顔を通してたお兄ちゃんは、あたしがアメリカに行ってる間に、紅美くみちゃんと沙都さとちゃん、沙也伽さやかちゃんとバンドを組んでた。


「沙也伽ちゃん、子供はどうしてるの?」


希世きよんちで親と同居だから、面倒見てくれる人はたくさんいるって喜んでるぜ。」


 沙也伽ちゃんは、烈の妹で。

 高校卒業と同時に希世ちゃんと結婚して、出産した。

 すごいよなあ…

 20で、妻であり母であるんだもん。

 そのうえ、ドラマーだなんて、脱帽。



「バンド、順調?」


 車まで歩きながら、お兄ちゃんに並ぶ。


「驚くほどな。」


「忘れもんないなー?」


 運転席の聖がそう言って。


「ないない。」


 あたしとお兄ちゃんが答える。


「本当かよ。華月、大事なもん忘れてないか?」


「え?」


 あたしは、バッグと、自分の格好を確認。


「…何?何か忘れてる?」


 あたしがキョトンとして問いかけると。


「…杖。ま、忘れるくらいなら、いらないんだろうけどな。」


 聖がそう言って笑った。


「あ…本当。」


 あたし、ここに帰って来て、ほとんど杖を使ってない。

 家の中が歩きやすいっていうのもあるけど…

 みんなに囲まれて安心しちゃってるからかな…。



「いいや、いらない。」


 あたしが首をすくめてそう言うと。


「大丈夫なのか?あまり無理すんなよ。」


 お兄ちゃんが、あたしの頭を鷲づかみして言った。


「大丈夫。事務所の中って、そんなに危険なとこないし。」


「じゃ、行くぞ?」


 聖が車をスタートさせる。

 杖のいらないあたし…こんな日が、来たなんて夢みたい。

 そう思いながら。

 あたしは、窓の外の景色を愛しく感じていた…。



 * * *


「見に来ちゃった。」


 あたしが首をすくめながら言うと。


「…おまえ、杖は?」


 父さんが、あたしの前に立って目を丸くした。


「忘れちゃったの。でも、忘れるくらい平気になったんだなって。」


「…そっか。」


 あたしの言葉に、父さんは目を細めて。


「じゃ、こっち来て座ってろ。最初から、あんまり無理すんな?」


 って、あたしの肩を抱き寄せた。


「うん。あ、今日は早く帰れる?」


「何で。」


「買物付き合って欲しいなと思って。」


 あたしは、お願いポーズ。

 すると、父さんは。


「じゃ、帰る。」


 って、即答。


「じゃ、帰る…じゃなくて。無理ならいいのよ?」


「無理じゃない。すぐ終わらせるから。」


「もう。手抜きなんかしないでね。」


「するかよ。」


 父さんは嬉しそうに。


「ここ座ってな。」


 あたしを座らせると、スタジオに入って行った。



「よっ。華月ちゃん。」


 ふいに、F'sの皆さんに囲まれる。


「あ、こんにちは。いろいろ、ご心配かけて…」


 立ち上がろうとすると。


「いいいい、座ったまんまで。」


 F'sのギタリスト、あずまさんがあたしの肩を叩かれた。


「す…すみません…」


 首をすくめながら恐縮する。


「いやいや。それにしても、元気になって良かったよ。」


「…これで、神の調子もバッチリだな…」


「今回のアルバムは、華月ちゃんの復活祝いなんだよ。」


 次々にそんな事を言われて、あたしは目を丸くする。


「…あたしの、復活祝い?」


「ああ。神が最高の企画をしてくれたから、俺らもノリノリ。期待してて。」


「……」


 あたしは、スタジオに入ってる父さんを見る。

 母さんのための曲っていうのは…よく聴いてるけど。

 あたしのため…って、初めて。


 全然、ナイフなんかじゃないじゃない。

 父さんの歌声が聞こえてきて。

 あたしは、そっと…目を閉じたのよ…。



 * * *



「あたし、ちょっと高原のおじちゃまのとこ行ってくる。」


「ああ。じゃ、話が終わったら、またここに戻って来い。」


「うん。」


 父さんが、録り終えて。

 細かいチェックに入ったところで、あたしはスタジオを出た。


 エレベーターの前に立ってると、ふと視線を感じて振り返る。

 すると、通路の少し先でこっちを見てる…背の高い…


「……」


「あ。紅美ちゃん。」


「えっ!?華月ちゃんっ!?」


 久しぶりの紅美ちゃんは、あたしに気付くとギターを担いで走ってきた。


「久しぶり、元気そう。」


「華月ちゃ~ん!本当に歩いてるっ!」


 紅美ちゃんは、あたしに抱きつくと。


「すごいよ!やっぱり華月ちゃんてすごい!」


 って…興奮してる。

 紅美ちゃんて、いつもはクールなんだけど…

 何か、様子が変わったな。



「紅美ちゃんも、すごいじゃない。」


「何が。」


「デビューしたし。早速ライヴだって。」


「あー、でも親の七光も手伝ってね。」


「そんなの、あたしだって。」


 顔を見合わせて笑う。



「紅美ちゃん…」


「ん?」


「辛かったね。」


 紅美ちゃんは、あたしの言葉に一瞬キョトンとして。


「………ああ、あのことか。」


 って、首をすくめた。


「辛かったけど、あれで周りがよく見えるようになった。それに、あたしはあたしだしね。」


「えらいなあ…紅美ちゃんは。」


「何で。えらくなんかないよ。すっごくひねくれたし、心配もかけたんだよ?」


「だって、あたしは未だに…向き合えないでいる事があるのに。」


「……」


「あ、ごめん。でもね、少しずつ…ちゃんと、しようかなって。」


「そうだよ。少しずつね。」


「…ありがと、紅美ちゃん。」


「何?」


「ううん。」


 開いたエレベーターに乗り込みながら。


「じゃ、またね。」


 手を振った。



 紅美ちゃんに会えて良かった。

 何だか、少し元気をわけてもらえた。

 前田さんがいないから…少しだけ沈んでる部分があるから…



 コンコンコン


『はい』


 最上階についてドアをノックすると、部屋の中から、おじちゃまの声。


「華月です。」


『華月?』


「入るね。」


 ドアを、開ける。


「久し………」


 部屋の中に入った途端、あたしの足は動かなくなった。

 そこに…詩生しおがいる。

 それだけで…動かなくなった。



「…ああ、久しぶりだな。まあ、こっちに来て座れ。」


 おじちゃまが、そう言ってくれたんだけど…


「う…ん…」


 足が、動かない。

 どうしたの?


「……」


 詩生が、見てる。

 あたしの足が動くかどうか…


「おまえ、杖はどうした?」


 ふいに、おじちゃまの声。


「…忘れちゃったの。」


「はは。忘れるくらいなら、もういらないな。」


「うん…」


 無理して笑ってみたものの…

 足が…


「…ほら。」


 あたしがなかなか歩かないからか。

 詩生が、あたしの前まで来て、手を差し伸べた。


「あ…だ・大丈夫。」


 うつむいて答えると。


「無理すんなよ。」


 詩生は、あたしの手を取った。


 …歩ける。

 良かった。

 また、歩けなくなったらどうしよう…って思ってしまったから…


 ゆっくりソファーに座って。


「…ありがと。」


 小さく言う。


「どういたしまして。」


 詩生は…少しだけ笑顔。

 …髪の毛、のびた。

 何だか、男っぽくなった。

 かわいいなって思ってたのに。

 そんな感じ、なくなったな。



「あ…打ち合せ中だったんじゃないの?あたし、邪魔…」


「いや、大丈夫。もう、終わったとこだから。」


 おじちゃまに問いかけると、その答え。

 …本当は、この場から逃げだしたいんだけど…

 それもできなくなってしまった。



「あ、ちょっと失礼。」


 電話が鳴って、おじちゃまがそれを取る。


「ああ…うん。わかった。ちょっと待ってろ、行くから。」


 おじちゃまは短く話すと。


「ちょっと下りて来るから、話でもしてろ。すぐ帰って来る。」


 そう言って…


「え?あ、おじちゃま…」


 部屋を出て行ってしまったのよ。


「……」


 詩生と二人きり?

 …どうしよう。

 話してろ…って、何を?



「…向こう、どうだった?」


 ふいに、詩生が口を開いた。


「…えっ?」


「アメリカ。」


「…あー…うん。良かった。すごく。」


「そっか…」


「……」


 話が続かない。


「…俺さ。」


「……?」


「おまえがCM出てるの見て、涙出たよ。」


「…詩生…」


「ちゃんと歩いてるって…あのCM、ビデオ録って何度も見た。」


「わざわざ?」


「一日中テレビにかじりついて…」


「…何度見ても同じなのに?」


「ははっ…だよな。」


 小さく、笑う。


「あれ見てさ…またいつか、俺の曲のMVに出て欲しいなって思って。」


「…今度は、もっとかわいらしい曲にしてね?」


 首を傾げて、詩生を見る。


「…ああ。」


 以前…詩生の曲のMV録った時は。

 激しくて、悲しい曲だった。

 雨に濡れて…

 そして、あの日…あたしは、足を…



「…詩生。」


「ん?」


「あたし、もう歩けるのよ。」


「…ああ。」


「だから、もう…あたしに罪悪感なんて持たないでね。」


 少しだけ、うつむいてしまった。


「…ああ。」


「何もかも、もういいの。」


「……」


 ふいに、詩生の手があたしの髪の毛に触れる。


「……?」


「おまえも、俺への罪悪感…捨てろよ?」


「…あたし?」


「ああ。」


「あたしは…」


「いっぱい持ってるだろ?」


「……」


 目が、合った。


「お互い、罪悪感持ったまま笑うのはやめよう。」


「詩生…」


「俺ら、幼馴染みだしな。きっと…これからも、いい関係でいられるよな。」


 泣きたくなった。

 詩生は、こんなにもあたしを楽にしてくれる言葉を…



「…色々、ごめんな。」


「そんなの、あたしだって…」


「あの変なメガネ、やめたのかよ。」


「わ…忘れたの。」


 涙があふれて…止まらない。


「…相変わらず、泣き虫。」


 詩生が、それをそっと拭う。

 あたしは、小さく…つぶやく。


「やっと…友達になれるね…あたしたち。」



 * * *



「新しいCD?」


「そ。だけど、まだプロデューサーが決まんねんだ。」


「陸兄は?」


「陸さん、今回紅美んとこにつくから。」


「なるほど…かわいい娘のためにね。」



 …嘘みたい。

 詩生と…こんなに話ができるなんて。

 …この勢いで、問いかけてみようか…

 絵美さんのこと。



『詩生、まだいるかー?』


 ふいに、インターホンからおじちゃまの声。


「はい?」


 詩生が、応答する。


『プロデューサー紹介するから、下りて来い。あ、しばらくここにいるから、華月も一緒に下りて来いよ。』


 おじちゃまの言葉にあたしと詩生は顔を見合わせる。


「噂をすれば、だね。紹介ってことは、ここの人じゃないのかな。」


 あたしが立ち上がると。


「あー…なんか、ロンドンだかアメリカだかに若くてすげえ奴がいるって噂だったけど、そいつかな。」


 詩生は、さりげなく…手をひいてくれた。

 胸が…少しだけドキドキしてる。

 エレベーターに乗っても、詩生は手を持ったまま。


「あの…いいよ、手。」


「…そっか?」


「うん。ありがと。」


 できるだけ、普通の顔。

 でも…ちゃんと、こんなふうにできるじゃない…


 チン


 開いたエレベーターのドア。

 それからエスカレーターに乗って、ゆっくりロビーに向かうと…



「…あ。」


 思わず、立ち止まる。

 だって…


「華月?」


 詩生が振り返った。

 あたしの視線の先には…


「…華月?」


 高原のおじちゃまや、朝霧さんに囲まれてる…ハリーが。

 あたしを見つけて。


「華月!」


 走ってきた…かと思うと。


「うっわ~!めっちゃ嬉しい!こんな早う会える思わへんかった!」


 すごい勢いで、あたしを抱き締めた。


「ちょっちょちょっと…どうして?どうして、ここに?」


「ロンドンのバンドが解散してもうてん。で、急遽こっちに呼ばれたんや。」


「じゃ…DEEBEEのプロデューサーって…」


「何だ。知り合いか?」


 おじちゃまが、あたしを抱き締めたままのハリーに問いかける。


「同じアパートだったの。」


 ハリーの代わりに、あたしが答える。


「なるほど…すごい偶然だな。でも、早く離れないと千里が来るぞ?」


 おじちゃまの言葉に、あたしは慌ててハリーから離れる。


「何で?」


 不思議顔のハリーに。


「言ったでしょ?あたしの父さん、やきもち妬きだって。」


「ああ、親父さんもここにいてはるんやったっけ。アピールせなあかんな。」


「アピール?」


 みんなの問いかけに、ハリーは満面の笑みで。


「華月の恋人候補ですねん。」


 って、あたしの肩を抱き寄せたのよ…。

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