第5話「遅い。」

「遅い。」


 目の前で、親友の二階堂にかいどう いずみが唇をとがらせた。


「ごめんごめん。」


 あたしは、手を合わせて軽く頭を下げる。


「電話があった時、まだパジャマだったんだもん。」



 久しぶりに電話があって、待ち合わせたダリア。

 いずみは無愛想に外を眺めると。


「…一人で出てきた?」


 って、小声で言った。


「え?うん。」


 変な事聞くなあと思いながらいずみの前に座ると、ウェイターさんが水を持って来た。


「えーと…ココア。いずみは?」


「…コーヒー。」


「ココアとコーヒーですね。」


 ウェイターさんが、カウンターに戻る。


「…いずみ、コーヒー嫌いじゃなかったけ?」


 苦い苦いって、全然飲まなかったクセに。と思いながら問いかけると。


「…飲めるようになったのよ。それが。」


 いずみは、いつになく元気のない溜息をつきながら答えた。



 あたしにとって、いずみは特別だ。

 親友っていうより、家族に近い。

 それは、イトコの紅美くみちゃんにも言えることだけど。


 いずみは、うらら姉の旦那さんであるりく兄の姪。

 あたしと同じ歳。

 でも、特別な家に生まれたいずみは、あたしたちと同じ学校には通っていない。



「で?何。」


 あたしが頬杖ついていずみを見ると。


「…何?」


 いずみも、頬杖ついて、あたしを見た。


「何って…何かあったんじゃないの?」


「どうして?」


いずみが電話で呼び出すなんて、だいたいいつも何かあるじゃない。」


「そうだっけ?」


「そうよ。前はさ、うみ君に女の影がある、なんて騒いで。」



 うみ君は、いずみのお兄ちゃん。

 いずみは家族が大好きで大好きで…

 だから、家族の誰かに怪しい影が見えると、不安でたまらないらしい。


 結局、うみ君の女の影は泉の誤解だった。

 でも、もう彼女がいたって不思議じゃないよね。

 実際…去年の秋から桜花おうかの高等部に体育教師として勤務してるうみ君は、女子生徒の間でも大人気。



「今度は何?」


「……」


「ん?」


 いずみが、じーっとあたしを見つめる。


「…何よ。」


「あたしさあ…」


「うん。」


「一人暮ししようと思って。」


「…………え?」


 思いがけない言葉に、思わずキョトンとする。

 一人暮しって…

 だって、いずみは…



「何があったの?一人暮しなんて…」


「んー…何か、急に一人になりたくなってさー…うちって、大家族じゃん。落ち着かないのよね。」


「……」


 いずみの家は、二階堂にかいどう組というヤクザを装った警察の秘密機関だ。

 だから、敷地内には本宅の他に別宅やら寮やら道場やらがあって…

 家族以外の人間が、常にわらわらしている。

 でも、いずみは…そういう環境が大好きだったはずなのに。



華月かづきは一人暮ししたいって思ったことないの?」


「あたし?あたしはないな…」


「そうだよね…あんたんち、みんな仲いいしね。」


いずみんちだって、みんな仲良しじゃない。」


「…だったけどね。」


 今更な反抗期なのかな。


「高校卒業してからでしょ?」


「ううん、来月から。」


「来月?」


「うん。昔、りく兄が住んでたとこ、たまたま改築してたから空いてるうちに契約したんだ。大学も、そこから通おうと思って。」


「…へえ…」


 不思議な感じ。


 あたしといずみは…

 お互い、家族自慢なんてしてしまうほどだったのに。

 そのいずみが、家を出るなんて…



「お父さんとか、お母さんはなんて?」


「いい勉強になるかもね、って。」


 …そりゃあ、そうだけど…

 いずみは頭もいいし、スポーツだって万能だし…

 もう勉強なんてしなくていいのに。



「…なんか、寂しいな。」


 あたしが小さくつぶやくと、いずみは頬杖をやめて。


「遊びに来てよ。華月かづきだけには合鍵渡すから。」


 って。

 やっと運ばれてきたコーヒーにミルクを入れると、外に目をやりながら飲み始めたのよ…。




 * * *




きよし、ごはん…あれ?」


 夕飯の時間になってもきよしが来ないから、部屋に呼びに行った…ものの、不在。


「…どこ行ったんだろ。」


 テスト期間中は、ここで詩生しおと二人して、きよしに勉強を教えてもらった。

 あたしと詩生しおは、仕事上、学校を休んだり早退することが多い。


 詩生しおの場合は、みんなが知ってるけど。

 あたしは「病気がちで通院している」っていう、とんでもない嘘で…。

 撮影は、なるべく放課後や夜にしてもらうようにはしてるんだけど。

 それでも、あたし中心にしてもらうわけにはいかない。


 でも、頭のいいきよしのおかげで。

 あたしたちは、ギリギリ…楽しい冬休みを迎えられることになった。



「…?」


 ふと、きよしの引き出し。

 隙間から見えてる…手紙。

 一瞬のうちに、頭に血が上ってしまった。


『おまえなんか、早乙女さおとめ君に似合わない。ブスのくせに!』


華月かづきなんて名前負けもいいところ』


「…きよしってば…」



 あれ以来、何の嫌がらせもなくなったと思ってた。

 手紙攻撃は続いてたのね。

 それを、きよし


「うおっ…なっ何やってんだよ。」


 ふいにきよしが部屋に戻ってきて、あたしを見て驚いてる。


きよしこそ…何よ、これ。」


 あたしが手紙をつきつけると。


「…おまえ、人の机…勝手に。」


「引き出し開いてた。」


 あたしの言葉に、きよしは頭をかきながら唇をとがらせた。


「どうして、こんなことすんのよ。」


「…いーじゃねーか。俺、おまえにやな想いさせたくないからさー…」


「だからって、あたしに来たものをきよしが持って帰んなくても。」


「また、この間みたいなことになったら面倒だろ?れつに助けてもらってばっかりってわけにもいかないし。」


「……」


 今度は、あたしが唇をとがらせる。


「も、しないから。」


「…本当かよ。」


「しない。卒業まで、あと少しだし…我慢する。だから、あんた、いちいちこんな気使わなくていいから。」


 あたしが唇とがらせたまま言うと、きよしはあたしの手から手紙をとって。


「本当はさ、詩生しおに頼まれてやってたんだけどね。」


 って…


「…詩生しおに?」


「すごく気にしてたから。かと言って、あいつがおまえの靴箱の周りウロウロしちゃまずいし。」


「…でも、一度あたしの靴箱の前で堂々と待ってたことがあったよ?」


「ああ…」


 きよしは天井を見上げて小さく笑いながら。


「あの次の日、すごかった。」


 ってつぶやいた。


「どうしてかな…れつが、あたしと詩生しおはつきあってないって言ってくれたのに。」


「おまえ、詩生しおに何か言われなかった?」


「何かって?」


「いや…別に…」


「あたしって…」


「ん?」


「そういう…嫉妬?それが、わかんない。恋したことがないからかな…」


 あたしのつぶやきに、きよしは少しだけキョトンとして。


「おまえ、恋したことないの?」


 間抜けな声で言った。


きよし、あるの?」


「あるだろ普通。」


「悪かったわね。でも、きよし、彼女なんていないじゃない。」


「俺は不特定多数と、広く浅くおつきあいしております。」


「不健康ね。」


「品定めしてんだよ。」


 そっか…恋したことがないってのにも原因があるのかも。

 あたしが、詩生しおに片想いしてるんだったら…



「て言うか、こういうのさっさと捨ててよ。大事に持ってるからバレるんじゃない。」


 あたしが目を細めて言うと、きよしは拗ねた顔をして。


「まあ…そうなんだけどさ。学校で捨てると、それをまた拾った知らない奴からも変な噂たちそうでイヤだったっつーか…」


 もごもごと答えた。


「あたしなら焼却炉に持ってくけどね。」


「はっ…」


きよしって頭いいのに…」


「頭いいのに…何だよ。」


「…ううん。なんでもなーい。」


「言えよ。」


「何でもないって。」


 頭いいし優しいんだけど、間抜けな所もあるきよし

 あたしの叔父であり、双子みたいな感覚。

 なんだかんだ言いながら、いつも助けてくれる。


 …こう見えても、感謝はしてるんだけどね…。



「何してんのー?ご飯よー?」


 母さんの大きな声に、あたしは我に返る。


「あ、あたし、きよしを呼びに来たのに。」


「何だよ、おまえはー。」


 あたしたちは階段をバタバタとかけおりて。


「遅いよっ。」


 頬をふくらませてるおばあちゃまに、一つずつゲンコツをいただいてしまった…。

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