【 第一章  ③ 】

 一度が二度に。そして無数になるのは世の常だ。

 王太后の茶会をやり過ごしたロジィは、癇癪を起こして涙ながらに引き留めてくるレティに根負けして、メルヴェイユ宮殿に残っていた。


 ローゼリアの名で部屋は賜っていない。入れ替わりは内密に行われている悪事なので、王弟妃の双子の姉が宮殿にいると知られてはいけないからだ。


 ロジィの部屋は、ミミしか立ち入らない宝飾品管理庫を間借りする形に決まった。

 衣裳部屋の隣なので、ミミに手伝われながら〈公妃の衣装〉に着替え、すり替わって出て行くには都合がよかった。


「最近の妃殿下は人が変わられたようでございますわね。お言葉使いも大変に麗しくおなりで」


 内心ギクリとしながらも、ロジィは平静を装って上品な微笑みを浮かべる。


 とりあえず微笑んでおけば宮廷で発生するたいていの事態を回避できる――そうレティに教えてくれたのが、目の前にいるフロランタン侯爵夫人だと聞いた。


 年の頃は四十手前で、ロジィたちの母と同じくらい。羽振りのよい大貴族の妻なので、身に纏うローブもなかなかに豪勢だ。

 体型も、よいものをたくさん食べているのだろう、なかなかの貫禄。


「それに、なんと申しましても、貴族のお歴々とそつなくお話をなさるお姿はご立派でございます。以前の妃殿下は、廷臣の名を覚えるのは苦手でいらっしゃるとお見受けいたしておりましたが、ここ数日は、わたくしがお手伝い申し上げることなど何ひとつございませんもの」


 ミミの次にレティの側近くに控える女官は、この侯爵夫人だった。彼女に疑われなければ、ロジィは宮廷で気兼ねなく入れ替わりを務めることができる。


 子供の頃から家庭教師受けがよかったロジィは、「先生」と呼ばれる人々が何を言われると自尊心を満たすか、経験でわかっていた。

 会話を長引かせるとぼろが出るので、速攻で夫人を黙らせる手段に出る。


「わたくしの物覚えが悪いせいで、教育係の侯爵夫人が悪し様に言われてしまうのは耐えがたかったのですわ」

「ま! わたくしめのためにご努力あそばしたと仰いますの?」


 ロジィは悪戯っぽく微笑んで頷いた。

 内緒話をするように、扇子で口元を隠して親密さを演出しながら、夫人に顔を近づける。


「それ以外に、生徒が奮闘する理由があるとお思い?」


 感激のあまり失神しそうな夫人をその場に残して、ロジィはのんびりと広間を進む。


 王太后の誘いだけでなく、王弟妃の引見式や国王への拝謁、夜ごと繰り広げられる舞踏会など、メルヴェイユ宮殿で行われている催しのほとんどを、レティはすっぽかしていたらしかった。


 最初は「ラルデニアの田舎娘だから」と、行事不参加を冷ややかに見守るだけだった宮廷人たちも、半年を迎えると厳しい眼差しを向けるようになった。


 夫を介した王太后からの圧力も加わってレティは進退窮まり、あの手紙を出すに至ったのだという。


(――それにしても、驚くほど贅沢)


 透明度の高い水晶で作られた無数のシャンデリアが、数千本の蝋燭の灯りを煌めかせている〈アポロンの間〉は、王室主催の舞踏会にのみ使用されるという格調高い大広間だった。


 アポロンが司る領域は〈寛大〉と〈壮麗〉とされているため、多くの人々を受け入れる広さと、天井の四隅にも手を抜かない華麗な装飾が施されている。


 今宵の主催は国王その人とあって、参加している貴族たちの多いこと、多いこと。


 メルヴェイユ宮殿でも三指に入る広さの部屋と聞いたが、充満する人々の熱気で汗が出てくる。

 壁際で休息を取ろうと思って人混みから抜け出すと、ちょうど玉座がよく見える位置に移動していた。


 御年二八という王は、いまだ王妃を迎えていなかった。

 なので、玉座の向かって右隣にあるべき王妃の椅子は用意されてないが、玉座を挟んで反対側に別の椅子が設けられている。


 ――――国王寵姫ラ・ファヴォリットの席だ。


 大陸では聖王庁が掲げるリジオン教を信奉しているため、一夫一婦が原則。


 ただし、それはあくまでも〈建前〉で、貴族が、夫や妻の他に「親しい友人」という名の恋人を作るのは〈嗜み〉ともされた。


 国王、それもルガールほどの大国の統治者が愛妾を持つことは、国家の余剰財力を誇示する意味合いも含むので宮廷では歓迎される。


 一国の宮廷において、愛妾は王を飾りたてる〈生きた宝石〉なのだ。


 王が戯れに寵愛を向ける場合は単なる愛妾に留まるが、格別な寵愛を注がれるようになると待遇が変わった。

 世に言う〈宮廷公認愛妾メトレス・アン・ティトル〉だ。


 血統正しい貴族から選ばれ、王妃の座を望まないよう既婚であることが条件。


 宮廷での正式な役職でもあるため、大貴族を紹介者とし、王族や廷臣にまみえる〈認証式〉を経なければ名乗ることができない。


 しかし、それを乗り越えれば、宮廷が正式に承認した王の愛妾として、王妃と同等の扱いを受けられるようになる。


 当代の国王フィリップにも、お気に入りの愛妾はいた。

 だが、その出自があやふやな上に、独身。


 さらに、フィリップと継母マリー王太后は犬猿の仲であるため、慣例を破った認証式など行えるはずもない。


 そのため、国王フィリップは寵妾に〈宮廷公認愛妾〉ではなく〈国王寵姫ラ・ファヴォリット〉という地位を新設して与えた。王のお気に入り、という意味だ。


 宮廷公認愛妾ではないため、本来、宮廷行事に王の隣で列席する資格はない。


 だが、王太后が出席しない場合に限り特例として許可され、宮廷公認愛妾に準じる存在として〈公爵夫人〉の称号も与えられた。


 王太后や貴族たちの反対を慮り、公爵と言っても領地を伴わない、いわば名誉称号。


 領地からの収入はなく、国王が私費で彼女を養っているのが現状なのだという。そうまでして、国王は彼女を宮廷に留めたかったのだ。


(自分の感情に忠実なのは血筋かしら)


 ベリエ公も、国王も、愛した女性に対しては情熱的だ。あらゆる障害を踏み倒して添い遂げようとする。

 ロジィが見つめる先で、めかし込んだ男性貴族が自信たっぷりに寵姫の前に進み出た。


「今宵はまた一段とお美しくいらっしゃいますな、ベルローズ公爵夫人。まさに麗しの薔薇ベルローズ! 宮廷の華よ! 我が愛はあなただけのために!」


 彼女を一目見た王は、咲き誇る薔薇のように麗しいと讃えたという。そこから呼び名がベルローズとなったらしい。


 普通は領地名に爵位を加えて呼ばれるが、彼女の場合は爵位のみの名誉称号なので、ベルローズという呼び名に爵位を添えて呼ぶのが慣わしだと、フロランタン夫人が言っていた。


「お上手ですね。同じ台詞をリュネット夫人にも囁いていらしたと聞きました」


 ベルローズ公爵夫人が取り巻きの追従をさらりとかわす様子は手慣れていて、声音は落ち着いていた。


 貴婦人たちの甲高い話し声が飛び交う広間で、少し低くも聞こえる彼女の声は耳に心地よい。


「おお! いったい誰がそのような虚言をお耳に!」


 大げさに頭を抱えて苦悶の芝居を演じる貴族に、ベルローズ公爵夫人は眉一つ動かさず冷静に答える。


「宮廷には親切な妖精がたくさんいらっしゃるのです」

「ノンノンノン。意地悪な妖精の間違いですよ、公爵夫人」

「エグモン伯にとっては、でしょう? わたくしには親切ですよ」


 ばっさり切り捨てられて戦線離脱したエグモン伯と入れ替わるように、今度は若い青年貴族が颯爽とベルローズ公爵夫人の前に躍り出る。


「我が薔薇、我が愛、我が女神。今宵こそは、どうか一曲お相手を」


 舞踏会場で、申し込まれたダンスを断るのは非礼になるが――ベルローズ公爵夫人の切り返しは見事だった。


「お気持ちだけいただきます。わたくしのダンスのお相手は、命尽きるまで陛下お一人に決まっておりますから」

「……くっ、陛下一筋のところもまた……いい!」


 劇場で上演される喜劇を見るより面白くて、思わずロジィは彼らの掛け合いを観察してしまう。


 あまりに長く凝視してしまったからだろう。ふと、ベルローズ公爵夫人の眼差しがロジィに向いた。

 海のように深い蒼の瞳が驚きに瞠られる。


「ま……あ!」


 さっと立ち上がったベルローズ公爵夫人はローブの裾捌きも鮮やかに、あっという間にロジィの前まで歩み寄って来た。……逃げる隙を見つけられなかった。


 ベルローズ公爵夫人は、片足をひいて膝を曲げ、深く上体を落としていく宮廷式の礼をロジィにした。高貴な人に対する最上級の礼だ。


 王弟妃も彼女も爵位としては同じ〈公〉だが、王族の正式な配偶者という立場に、ベルローズが敬意を示したようだった。


 ルガール宮廷では男女の別を問わず、身分が下位の者から上位の者へ話しかけることは非礼とされている。レティがこれまで公爵夫人と面会した機会もないという。


 つまり、ベルローズ公爵夫人がロジィに礼をとった以上、ロジィから彼女に言葉を掛けない限り、公爵夫人は姿勢を戻すことができない。


 ――――厄介な事態になった。


 先日の茶会で、王太后が寵姫を毛嫌いしていることは充分に知らされている。


 その上、王太后の実子であるベリエ公の妃となったセレスティーヌは、宮廷において〈王太后派〉の所属。言葉を交わさずとも不自然ではない。


 が、国王主催の舞踏会というなかば公的な場面で、作法を守った公爵夫人を無視することもまた、王弟妃にとっては汚点となる。


(レティも、ベルローズ公爵夫人は嫌いだって言っていたわね)


 この場にいたのがレティだったなら、ベルローズに見惚れることはなかったのだろう。ロジィの失態だ。


 どうしたものか。

 レティから求められているのは王弟妃らしく振る舞うことだし、王太后も茶会で、今後は積極的に宮廷人と交流することを要求してきた。


 となれば、ここで公爵夫人と言葉を交わしても、彼女たちの怒りを買うことにはならないはず。


 胸中で素早く計算したロジィは、ルガール宮廷における「必要最低限の社交辞令」で応じることにした。


「ご機嫌よう、ベルローズ公爵夫人。素敵なローブをお召しね。とても上品だわ」


 ルガールの宮廷では、何も話すことがない、あるいは話したくないとき、相手が着用している宮廷服の感想を短く述べるのが慣例だ。


 なので、周囲が聞けば完全な社交辞令にしか思わないだろうが、ベルローズのローブを「素敵だ」と思ったのは、ロジィの本心でもあった。


 昨今の宮廷用ローブはデコルテを大きく開いて、肩も出すような意匠が主流だ。

 ところが、ベルローズ公爵夫人が着用しているローブはデコルテが狭い。


 それだけでは襟元が詰まって窮屈な印象を与えてしまうが、そこに一工夫してあった。


 ひらひらとしたフリルを、まるで花びらのように肩から鎖骨付近まであしらうことで、膚が見える面積を上手に減らしているのだ。


 胸元が大胆に見えるデコルテは女性らしさを前面に押し出せるのでレティ好みだが、ロジィはそうした露出の多い意匠は苦手だった。


 彼女に成り代わって出席するため、今のロジィは、レティ用に仕立てられたローブを着るしかない。


 大きく開いたデコルテは、すーすーとして寒いし、何より恥ずかしい。扇子を胸元で広げてデコルテを隠す癖を、なかなかやめられなかった。


「恐縮にございます、妃殿下。お声を賜り光栄に存じます」


 ベルローズ公爵夫人に見惚れてしまったのは、彼女が着ているローブのセンスが素晴らしかったからでもある。


 瞳の色に合わせた海色の生地は光沢のある素材のため、揺らめく蝋燭の明かりに照らされて、薄青にも濃紺にも見える。


 宝石は縫いとめず、金銀の糸も使わない。生地よりも濃い、わずかに紫がかった色糸で薔薇を刺繍するだけというシンプルな意匠だが、襟元にフリルがあるので地味な印象はなかった。


 ふんだんにあしらわれたフリルは派手すぎない勿忘草色。

 ローブの縁飾りもフリルと同色のリボンで構成され、前開き部分から覗くジュップの色はごく淡いリラ色だった。

 肘までの長手袋と、袖口から零れるレースも同じ色。


 青系一辺倒ではなく、ここに赤みがかった薄紫を持ってくることで、全体の雰囲気に甘さを添えている。


 首を飾るのは豪勢なネックレスではなく、青薔薇のコサージュがあしらわれた絹のチョーカーだ。ジュップと共布で、漆黒の髪を飾るリボンも同じもので揃えている。


 イヤリングと髪飾りはバロック真珠で、土台部分は、やはり薔薇の意匠を銀で仕上げてあった。


 他の貴婦人たちのように、けばけばしく宝飾品で飾りたてない装いだ。

 口さがない人は「貧乏くさい」と揶揄しているが、これだけ装飾をそぎ落としてもなお美しいのは、ベルローズの持つ天性の美貌だろう。


 王弟妃の格を保つため、ごてごてと宝飾品に包まれている自分が恥ずかしくなってくる。

 シンプルな装いは無理だとしても、胸元を隠せる意匠のローブというのは、大変に羨ましかった。


「畏れながら、妃殿下」


 社交辞令で会話は終了――と考えていたロジィは、〈王弟妃のお言葉〉を皮切りに話しかけてきたベルローズ公爵夫人に、少々、驚いた。


 ローブについて触れられたら、相手の貴婦人が自分に興味がないのだと察して、普通は引き下がるのだが。


「なんでしょうか」


 ロジィが応じると、公爵夫人はようやく宮廷式の礼を解いた。背筋を綺麗に伸ばした姿勢を保ったまま、さっと腰を伸ばす所作は見事だった。


(……背が、高い?)


 視線はロジィが見上げる形だ。すらりとした立ち姿。貴婦人たちの中でも長身の部類に入るだろう。


 鼻筋は高く通っていて、品のよい形をしており、切れ長の瞳が印象的だ。左目の眦近くに、ムーシュつけぼくろを貼り付けている。薔薇をモチーフにした複雑な意匠にカットしてあるのは、名前のベルローズにちなんだのだろう。


 ムーシュはつける位置で意味が異なる。目元付近は「情熱家」だ。反対を押し切って国王に寄り添おうとする自身を表現したいのかもしれない。


 顎のラインはすっきりとしていて、鋭利にも見える細面。肉厚の薄い唇には鮮やかな朱色の口紅がさしてあった。


 フリルを多用したローブの意匠でごまかしてはいるが、顔立ちと同様、全体的に肉付きの薄い体型をしている。


 縦に長い細身のシルエットは、ふくよかな体つきのご婦人方が多い宮廷で、非常に華奢な印象を与えていた。


 ルージュの色がドキリとするほど鮮烈なのは、弱々しい見た目を払拭する狙いだろう。

 つやつやと色づいた唇が、ゆったりと言葉を紡ぐ。


「フロランタン侯爵夫人はどちらに?」

「……え?」


 フロランタン夫人に用事があったの?

 びっくりして、ロジィは瞬いた。王弟妃に話しかけてきたのだから、てっきり〈セレスティーヌ〉と近づきになりたいのだろうと思ったが、その教育係と?


 ぽかんとして返事ができない〈王弟妃〉を見てどう感じたのか、公爵夫人は眉根を寄せて声を落とした。


「失礼ながら、妃殿下がこうした行事にご出席なさるのは珍しいこと。お側を離れずお仕え申し上げるのが、フロランタン侯爵夫人のお役目でしょうに、なんと怠慢なのでしょう」


(ああ! そういうこと!)

 側近の女官が見当たらないから心配した、あるいは不快に思ったと、そういうことだ。


 意外にベルローズ公爵夫人は、生真面目な性格の持ち主なのかもしれない。ロジィは少しだけ好感を持った。


「……実は、わたくしがフロランタン夫人を撒いてしまったのですわ」

 レティが教育係から逃げ回っていたことは宮廷中に知れている。


 だから、もし、フロランタン夫人に見破られそうになったら逃げてしまえばいいと、レティから助言されていた。それを言い訳にも使ったのだ。


 ベルローズ公爵夫人は、お転婆な妹を見るように優しい眼差しをする。


「教育係はとかく窮屈なものでございますからね。ですが、それでもお側に侍るのがお役目でございますのに」

「あらまあ、妃殿下。寵姫様とお親しくなられたのですね、ようございました」


 唐突に割り込んできた甲高い声。ロジィとベルローズ公爵夫人が同時にそちらへ顔を向ける。

 今まさに話題に上っていたフロランタン侯爵夫人だ。


「そのように、お一人でも多くのご友人をお作りあそばしませ。貴婦人たちもそれを待ち望んでおりましょう。何しろ、このルガール宮廷でもっとも尊い女性は妃殿下でいらっしゃるのです。誰もが皆、妃殿下のお言葉を待っております」


「ええ、本当に」

 にこやかに微笑みを浮かべて同意したベルローズ公爵夫人は、けれど、フロランタン夫人に釘を刺すことを忘れない。


「妃殿下が「よろしくないご友人」に取り巻かれてしまうことがないよう、お側を離れるべきではありませんね」


 王弟妃を単独で行動させたことを暗に咎める一言に、フロランタン夫人は恐縮した様子で頭を下げる。


「妃殿下のまばゆさに気後れしてしまったのでございます」

「もったいない。オランジュの花のごとく可憐な妃殿下のお側に侍る栄誉を賜れたのですから、いかなる風雨からもお守りしたいと思うものでしょうに」


「お言葉でございますが、ベルローズ公爵夫人。妃殿下は、そのように弱々しい花ではいらっしゃいません。まっすぐに花を咲かせる水仙のように、賢くていらっしゃいます」


 王弟妃は馬鹿ではないぞと反論するフロランタン侯爵夫人に、それを正しく理解したベルローズ公爵夫人は悪戯っぽく微笑んだ。


「それは素晴らしいこと。でも、フロランタン侯爵夫人はお役御免になってしまいますね」

「はい。まことに残念ながら」


 二人の貴婦人が、顔を見合わせて笑い転げたところで、ラッパの音が響いた。

 国王入場の合図だ。


 ベルローズ公爵夫人は、ロジィと、フロランタン夫人に順に会釈をし、扉の近くへと向かう。


 侍従たちが重々しく引き開けた黄金の扉から、宮廷舞踏服に身を包んだ国王フィリップが姿を見せた。


 暗褐色の髪に榛の瞳をした、端正と言っていい顔立ちだ。

 ルガール宮廷式の上着アビ脚衣キュロットは深緑色で、金糸でびっしりと刺繍が施され、もっとも趣向を凝らす胴着ジレは淡いプリムラ色。こちらには刺繍ではなく、細かな黄玉がビーズのように縫い止められていた。


 首元を彩るクラヴァットは純白で、フィオーレ産の華やかなレース仕立て。結び目にはダイヤのブローチを留めている。

 靴は、古くからの伝統を守って膝までのロングブーツだ。クラヴァットと同色にコーディネートされていた。


 侍従長の先導で〈アポロンの間〉へと入ってきた国王は、貴族たちの先頭で頭を垂れるベルローズ公爵夫人の姿を見つけるなり、相好を崩した。


「今宵の趣向は青薔薇ですか、公爵夫人。花の王国フィオーレにも咲かぬ貴重な花は、まれに見る美姫にこそ、確かに相応しいですね」


 伝説に咲くという花を引き合いにした、手放しの賛辞。

 国王の言葉に追従するような拍手とざわめきが広がる中、ベルローズ公爵夫人は一礼して口を開いた。


「このたびの陛下主催の舞踏会には、青薔薇よりも貴重な花がおいでです」


「ベルローズよりも貴重な花が、この世にあると?」

「もちろんでございます」


 白レースの扇子を優雅にこちらへ差し向けて、ベルローズはにこやかに続けた。


「陛下、ようございましたね。ラルデニアの真白き天使が、ご出席くださいましたよ」


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