【 第一章  ④ 】

(……よく、そんなことまで知ってるのね)


 ロジィはベルローズの博識ぶりに驚いた。

 ルガール宮廷でその呼び名を耳にする日が来るとは思っていなかった。


 ラルデニアの天使――それは、故郷でレティを示す愛称だ。


「ローゼリア」は、ロジィが生まれた季節に咲いていた冬薔薇ローゼリアにちなんで名づけられたが、「セレスティーヌ」はラルデニアに古くからある伝承の〈蒼空の天使アンジュ・セレス〉から採用されたので、領民たちは親愛を込めて、レティのことを〈ラルデニアの天使〉と呼んでいた。


 真白き、という形容がつくのは、セカンドネームに「純白ブランシュ」と付けられているから。

 ベルローズ公爵夫人は最大限の賛辞を用いて、ようやく宮廷行事に出席した王弟妃を国王に紹介してくれたのだ。


 フロランタン夫人が恭しくロジィを国王へ促す。

 ロジィは王弟妃らしく周囲の貴族たちに軽く会釈して、王の御前へと進み出た。


「ご参加を心より歓迎しますよ、ベリエ公妃。息災でしたか」


 膝を曲げて腰を落とし、宮廷における最上級の礼をとる。


「拝顔の栄に浴しまして恐悦に存じます」


 ベリエ公と結婚後、宮廷にお披露目された際に儀礼的な謁見をしただけで、以後は一度も国王に挨拶していないとレティは言っていた。

 これだけの至近距離で会話を交わすのはおそらく、初めてのことだろう。


 初対面に等しい関係性を鑑みて、ロジィはできる限りへりくだった態度を選んだのだが。


「ベリエ公の妃は、余の妹です。堅苦しい挨拶は無用に。さあ、お立ちください。こちらへ」


 国王は意外なほどの歓迎を見せてくれた。……ルガール宮廷は儀礼に煩い場所ではなかったのか?


 左にロジィ、右にベルローズ公爵夫人を伴いながら、国王は玉座へと歩いて行く。

 取り巻きの貴族たちもそれに付き従うので、人々が押し合いへし合いして大移動だ。


 玉座に到着した国王は、侍従たちに命じて王弟妃用の椅子を新たに用意させる。椅子が置かれたのは、王妃の椅子が設けられるべき場所だった。


 王太后が欠席で王妃不在となると、宮廷の席次は王弟妃が筆頭になる。儀典に従って用意されたのだろうが、地位の重みを改めて実感して、妹に成りすましている現状が恐ろしくなった。

 ロジィを席に促した国王は、上機嫌な様子で話しかけてくる。


「今宵、姿を見せてくださったということは、少しはルガールに馴染まれたのですか?」


 いいえ、まったく。

 と、本音を述べることができるはずもなく、ロジィは横に控えている教育係に丸投げした。


「フロランタン侯爵夫人が優しくご指導くださいますから」

「宮廷一の才媛を教育係に頼んで正解でしたね」


 話を振られたフロランタン夫人が、畏まって膝を折る。


「滅相もない。妃殿下のご聡明さに感服いたしている次第でございます」


「そのように仰らないでください。フロランタン侯爵夫人のお導きがあればこそ、わたくしはこうしてこの場に参ることができているのですから。これまでは模範的な生徒でなくてごめんなさいね」

「まあ……ま、あ…!!」


 言葉もなく、フロランタン夫人は感激していた。

 これだけ褒めちぎっておけば、しっかりと〈王弟妃〉に心酔してくれるはず。入れ替わっているとはつゆほども思わず、全力で味方になってくれることだろう。


「おや、公妃は模範的な生徒ではなかったのですか」


 くすくすと笑いながら国王が言う。


 王弟妃が教育係の施す「お勉強」をすっぽかしていたのは有名な話。国王だって知っているくせに、からかっている。

 ロジィはセレスティーヌになりきって答えることにした。


「お恥ずかしいですが、わたくし、お勉強は苦手ですの。昔から」

「では、侯爵夫人の顔を見るのもお嫌だったでしょう」


「申し訳ないことをいたしましたわ。侯爵夫人の教え方は、これまでの家庭教師たちとはまったく違って、とてもわかりやすいものでしたのに」


 レティに成りすましたロジィは「忘れてしまって」という言い訳をしながら、宮廷における人間関係の説明を請うた。その際、夫人は非常に的確な言葉を選んでくるので覚えやすかったのだ。


 物覚えの悪いレティの振りをしていたので、二度、三度と繰り返してもらったが、そのたびに表現を変えて噛み砕いてくれる器用さもある。

 誰それが不在なら序列が変わる、といった応用問題も実例を交えて説明してくれた。


 宮廷に不慣れな王弟妃の教育係に彼女を指名したのが国王なら、彼の観察眼は見事というよりない。素晴らしい人選だ。


 ……勉強嫌いのセレスティーヌには、国王の心遣いがまったく機能していなかったが。


「ああ、曲が変わったな。……公妃、一曲いかがですか」


 ゆったりしたテンポの踊りやすい曲目を宮廷楽団が演奏し始めたのを潮時に、国王がロジィに手を差し出してきた。

 ロジィは、無礼にならないよう言葉を選びながら遠慮する。


「困りましたわ。陛下のおみ足を踏んでしまっては、お詫びのしようもございませんもの」

「なに、公妃に踏まれる程度は、風に撫でられたようなものですよ」


 ここまでは一般的な社交辞令の範囲内だが、ロジィには、本格的に誘いを断らなければならない理由があった。

〈夫〉であるベリエ公ルイ・フランソワの厳命なのだ。


 彼は、異母兄の国王フィリップを嫌悪している。憎悪していると言ってもいい。

 フィリップさえいなければ、今頃ルガールの王冠を頭上に戴いているのは自分だという思いがあるからだ。


 ベリエ公が、国王主催の宮廷行事をボイコットするのはいつものことで、今回の舞踏会にも出席していない。

 妃であるセレスティーヌも欠席を決め込んでいたのだが、今後は息子の代わりに宮廷行事へ出るようにと、先日の茶会で王太后から頼まれてしまったのだ。


 息子が宮廷で批判されるのは困る。だが、嫌いな異母兄に頭を下げさせるのも可哀想……という、なんともお優しい母心からだ。


 母親の頼み事なので、ベリエ公もセレスティーヌの出席に真っ向から反対することができなかった。せめてもの抵抗が、「自分以外とは誰ともダンスを踊るな」なのだ。

 それをレティから聞かされたとき、ロジィは正直、思った。


 そんなことできるか――――と。


 舞踏会で、ダンスの誘いを断るのは相手に対する侮辱ととられかねない。

 しかも、義妹という立場のセレスティーヌが出席すれば、国王は礼儀として必ず誘いの言葉を述べる。


 ベリエ公の要求は、国王を衆目の前で侮辱しろと言っているのと同じなのだ。

 できるわけがない。


 考えなくてもわかりきったことなのに、レティは二つ返事で頷いてしまった、という。

 安請け合いしてきたレティは、いつもの決まり文句を口にした。「お姉さまならできるわよ」と。


 ベリエ公が出席していないなら、こっそり国王と踊ってしまってもバレないだろう――と思いたいところだが、そこは〈宮廷〉。無数の目があり、口がある。


 国王と王弟の反目を知り尽くしている宮廷人は、ここぞとばかりにベリエ公へ注進するだろう。

 あなたの妃が王と踊った、と、誇張も含んで盛大に。


 どうすればうまく断れるだろうか……と視線を転じたロジィは、にこにこと成り行きを見守っている貴婦人を見て、はたとひらめいた。


「ベルローズ公爵夫人は、とても素晴らしい方でいらっしゃいますね」

「?」


 唐突に話題が変わったと国王は思ったのだろう。不思議そうに首を傾げる。


「先ほど、殿方からダンスの誘いを受けておられました」

「ベルローズは踊るのが上手なのですよ」


「まあ、そうなのですか。公爵夫人は上手にお断りなさっていたので、わたくし、夫人のステップは拝見しておりませんの」


 ロジィは微笑んで、国王が何か言う前に、素早く言葉を続ける。


「公爵夫人は本当に、陛下を心からお慕いなさっておられるのですね。夫人のダンスのお相手は、命尽きるまで陛下お一人だと、堂々と仰いましたわ」

「まあ、妃殿下。お恥ずかしい」


 扇子で口元を隠しながら謙遜するベルローズは、本当に耳朶の先まで真っ赤にして照れていた。


 惜しみなく愛を伝え合うのがルガール宮廷の常識なのに、国王本人に知られるのは恥ずかしいのだろうか。面白い人だ。


 照れる公爵夫人の姿に国王と一緒に笑ってから、ロジィは、きっぱりと言った。


「わたくしも、ラフィーネ姫のような公爵夫人の貞節を見習いたいと思いますの」


 ここにきて、国王はロジィの言わんとすることを察し、軽く頷く。


「公妃も、ダンスの相手はベリエ公ただひとりと?」

「……お許しいただけますでしょうか」


「ベルローズの言葉を引き合いにされては駄目と言えませんよ」


 困ったように、けれど、どこか嬉しそうにも見える笑みを浮かべて、国王は手を下ろしてくれた。


「では、愛らしい天使と踊れなかった陛下と、わたくしが踊って差し上げますわ」


 上から目線の言葉を口にして、ベルローズ公爵夫人が席を立つ。


 その言葉が身の程知らずの無礼ではなく、国王との愛情関係に基づいた「冗談」なのは、彼女の笑っている蒼瞳を見れば一目瞭然だ。


「麗しい薔薇と踊れるのですか。実に光栄ですね」


 国王も笑って応じて、二人は手に手を取り、大広間の中央へと進み出る。踊っていた貴族たちが素早く移動して、国王と寵姫に場を譲った。


 まるで、そこだけ光が当たっているかのようだった。


 水鳥が水面を優雅に滑る姿にも似た、二人の流れるようなステップに、宮廷人たちが感嘆の溜息を漏らす。


「相変わらずお見事ですな」

「ええ、本当に。陛下はダンスがお上手ですが、それに合わせられるベルローズ夫人も素敵」


 宮廷人は、他者の失敗に容赦がない。お世辞は言っても本心から「褒める」ことはしないものだが、彼らの言葉に偽りはなかった。


 国王が何事かを語りかけ、ベルローズ公爵夫人がそれに答えて、国王が微笑む。時折、互いに見つめ合い、会話し、また国王が微笑んで、くるりとターンする。


 理想的なカップルだった。互いに、相手を尊重し、大切に想っていることが伝わってくる。


 あんな相手に巡り会いたい。

 ロジィは、踊る二人の姿を、夢中になって見つめ続けた。



 その頃。ローゼリアが見つめる先で「理想的なカップル」が何を話しているのかというと―――




 一国の王であるフィリップが、まるで傅くようにベルローズの手を引いて広間の中央に進む。


 ぴんと背筋を伸ばして国王に従うベルローズは、身に纏っているローブの色とも相まって、さながら一輪の氷の薔薇のようだ。


 宮廷楽団の曲に合わせ、二人はゆっくりとステップを踏む。

 動きに合わせて襟元のフリルがひらひらと舞い、青薔薇が回転しているかのようだ。漆黒の巻き毛も、くるんくるんと首筋で踊る。


 華麗なステップを披露している王の寵姫は、模範的なダンスとは裏腹に、国王に対しては模範的な態度を示していなかった。


 踊っているのに、ちっとも視線を重ねないのだ。国王と。

 見つめ合い、呼吸を合わせて踊るのが、ルガールでのダンスの作法。


 従って、その態度は大変に非礼なのだが、別に目を見なくたってフィリップの動きくらい読める、というのがベルローズの持論だ。


 フィリップの顔を見ても面白くないしね――と、無視を決め込んでいたら、からかわれてしまった。


「先ほど、面白いことを聞いたな」


 にんまりとした笑顔のフィリップを見て、麗しの寵姫は顔をしかめる。周囲の目があるので、一瞬だけだったが。


「死ぬまで私だけと踊ってくれるのか、ベルローズ」


 ――だああ、もう! 王弟妃が余計なことを言うから!


 ベルローズは内心で歯がみする。鬱陶しい宮廷貴族を追い払う適当な口実だっただけで、それを使われることになるとは想定していなかった。


 締まりのない顔で見つめてくるフィリップに、ベルローズは冷たい口調でばっさり答える。


「他の野郎と踊るのはゴメンだからね。それだけ」


 およそ、麗しの貴婦人とは思えない粗雑な口調。国王に対する敬意すら込められていないが、フィリップは笑うだけだ。


「そうかそうか。私以外の誰とも踊りたくないのか。ベルローズは私にぞっこんだな」


 ちゃかすように言い返されて、ベルローズは横を向く。


「勝手に言ってろ」


「こら、言葉遣い。おまえは今、宮廷一の貴婦人だろう。もっとこう、綺麗な物言いを」

「あんた相手に、今さら?」


 はんっと鼻で笑って、フィリップのリードに合わせてくるっとターン。

 海色のローブの裾が柔らかく弧を描き、袖口のレースがふわりと微風を起こした。


 向き直ったベルローズは、寵姫が王に甘える風情を演出しながら、自然な流れで身体をすっと寄せていく。


「気づいた?」


 唇もろくに動かさず、音楽にかき消されてしまう声量で、こそっと囁く。


 ダンスは便利な動作だ。身体を密着させて内緒話をするにうってつけ。しかも、衆目があるので、誰も重要な密談をしているとは思わない。


「ん? ああ、いい色のルージュだな。先日買い求めた品だろう?」

「違う! 王弟妃だよ」


「彼女の唇は見ていないぞ。おまえに夢中だったから」

「バカ。そうじゃない。っとに、どうしてあんたはそう、ボケてるんだか」


「笑わせてやろうという心遣いだよ。そんな怖い顔をするものではない。仮にも国王とダンスしている寵姫様だというのに」

「…………」


 フィリップの言い分には一理ある。ぐっと言葉に詰まったベルローズは、精一杯の愛想笑いを浮かべてフィリップに微笑みかけた。


「それは申し訳ありませんねぇ。陛下と踊るのは嬉しくないので」

「死ぬまで私と――」

「踊らない」


 わざと足を踏みつけて黙らせてから、ベルローズは改めて口を開いた。


「冗談は終わりにしてよ。王弟妃、あれ、別人だよ」

「――別人?」


 榛の瞳が、まあるく見開かれる。……やっぱり、わかってなかったか。


 ベルローズは大きく息を吐いて、ステップに乗じてさらに身体をすり寄せた。

 王の寵姫が、しどけなく甘えて寄りかかっているようにしか見えないだろうことを計算の上で、耳元で囁く。


「セレスティーヌじゃない」


 ダンスの動きに合わせて、さっと身体を離した。

 フィリップも慣れたもので、素知らぬ表情でベルローズをリードしながら、聞かれても構わない単語は大きな声で聞き返してくる。


「なぜ、そう思う。それに、仮にそうだとして、だったらあれは誰なんだ?」


 再び引き寄せられる動きに乗じて答える。


「なんとなく予想はしてるけど……まだ、確証が」


 離れた位置から観察しようと思い、話の流れもあってフィリップをダンスに連れ出した。

 が、観察対象である王弟妃が、やたら熱心にこちらを見つめてくるので、視線を向けることもできないのだ。


 殺意や敵意はないが、どうしてここまでじっくりと見つめてくるのだろう。……わからない。

 振り向きたいけど振り向けないというジレンマと闘っているベルローズに、のほほんとした口調でフィリップが言う。


「一度しか会っていないから記憶が曖昧だが、同じ顔に思えるぞ?」

「ああ、うん。顔は同じだよね、顔は、ね」

「同じ、顔。――まさか、例の双子の?」


 フィリップが、はっとしたように表情を引き締める。それにベルローズは軽く頷いた。


「その線は濃いと思う」

「だが、なんのために?」

「それだよね」


 ベリエ公の結婚前後の悶着は宮廷でも有名だ。王室領の問題も絡んでいるため、フィリップも詳細は把握している。

 王家が求めた姫とは別の姫と婚姻し、当初の姫を修道院送りにした――ということも、当然ながら承知していた。


「もしやとは思うが、取り戻しに来た、ということか?」

「妹から夫を?」


 国王の胴着に刺繍された宝石が、シャンデリアに照らされて眩いほど輝いた。


「本物の王弟妃に成りすまそうとしているのでは」

 くるりとターンしながらベルローズは頷く。

「……ない話じゃ、ないね」


 フィリップは独身だ。嫡子がいない。このままいけば、次期国王になるのは王弟ベリエ公に決まっている。王弟妃であることは、未来の王妃であることと同義だ。


 王弟妃の双子の姉は、そんな輝かしい将来を挙式直前、妹にかっさらわれた悲劇のヒロイン。

 得られるはずだった地位を欲して修道院を抜け出すというのは、大いに考えられる筋書きではある。


「……でも、妙じゃない?」

「どこが?」

「フロランタン侯爵夫人も騙くらかされてるんだよ?」


 意味がわからなかったのだろう。フィリップがきょとんと首を傾げた。そういう表情は年齢にそぐわずあどけないなと、ベルローズはいつも思う。


「あれが真実、双子の姉として、双子だったらそっくりなのも当然だろう。侯爵夫人が騙されるのも無理はないと思うが」

「顔は、ね。そっくりだよね」


 含みのある返しをすると、フィリップは苦笑した。

「やけにもったいぶるな。曲が終わってしまうぞ」


 続けて踊ることも可能だが、国王と寵姫が踊り続けては他の人々が遠慮してしまう。一曲踊り終わった段階で、玉座に戻るのがマナーだ。


 玉座に戻れば、その隣には「本人」がいる。彼女の前で「王弟妃」の話題は口にできない。


 のんびりとした口調に反して気が短いフィリップは、さっさと結論を教えて欲しかったのだろう。


「ベルローズ?」


 曲の終わりに従って音も小さくなっていく。会話が盗み聞きされる危険性も高まる、というわけだ。


 このあたりが頃合いかな。


 ベルローズは、にっこりと満面の笑みを浮かべて「寵姫らしい」振る舞いに転じた。


「このあと、陛下のお部屋に伺ってはいけませんの?」


 ここで話せる内容じゃないから部屋に通せよな――という脅迫。


 周囲には、寵姫が国王に甘えているようにしか見えないので、微笑ましく見守る視線が注がれる。


 頷こうとしたフィリップはしかし、突然に豹変したベルローズの態度に、どこか疲れ切った表情を見せた。小声で、ぼそりと呟いてくる。


「急に切り替えるのはやめてくれないか、本当に」

「あら。なんのことでしょう」


 しれっとうそぶくベルローズ。

 そんな「寵姫」の白々しい態度に頬を引きつらせたフィリップは、次の瞬間、何かをひらめいたのか笑みを深めた。


 まずい。妙なことを言ってくる!


 身構えたベルローズが逃げようと手を離すより早く、フィリップの口が甘い言葉を紡いだ。

 ちょうど曲の終わりだったので、その声が周囲に響き渡る。


「いつなりと会いに来てくださいと言っているでしょう。あなたは余の愛しい貴婦人でいらっしゃるのだから」

「――――」


 フィリップからの〈愛の言葉〉には、いつまで経っても、慣れない。

 ……いや、慣れたくもない、というのが本音で。


 気の利いた台詞が出てこなくなってしまい、無言を続けるベルローズに「勝った」と思ったのだろう。フィリップは嬉々として甘い言葉を重ねてくる。


「我が麗しの薔薇よ。あなたと過ごす時間は何よりも尊い。執務の時も、傍らにいてくださったらどんなに幸せでしょう」


「ゴジョウダンヲ」


 もはや棒読みだ。寵姫らしく振る舞う気力も出てこない。


 だが、何か言わなければフィリップの口は閉じないだろう。こちらの様子をちらちらと窺っている貴婦人たちの視線も、何かを期待して熱を帯びているし。


「薔薇の訪れを、余が心待ちにしていることを、どうかお忘れなく」

「光栄ですわ、陛下」


 愛想笑いとともに、ベルローズは、しおらしく礼を述べるのだった。

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