【 第一章  ② 】

「……は? ……え? 代わり、で、ございますか……?」


 そっくり同じ顔と体型の双子だからこそできる芸当となると、肖像画のモデルだろうか。レティは昔から、じっとしていることが苦手だったし。


(それくらいなら、まあ……)


 肖像画は、注文主――たいていはモデル本人の意向が多分に反映され、仕上げられる。


 つまり、顔立ちから立ち姿、描き込まれる小物類の細部に至るまで、ありとあらゆる〈修正〉が施されるのが常識だ。


 見合い用に受け取った肖像画を見て結婚を決め、現物を目の当たりにして絶望したという話は枚挙に暇がない。


 レティの肖像画がレティにそっくりである必要はなく、完成品の見た目が別人になる可能性だって大いにある。


 ならば、同じ顔と同じ体型ならロジィでもレティの肖像画と〈同じ仕上がり〉になるだろう。


 しょうがないわねと頷きかけたロジィに、レティはつらつらと言葉を続けた。


「お姉さまは真面目でしょう? だから、長ったらしい臣下の挨拶とか、ご機嫌伺いとか、あれとかこれとか、きっとそつなく対応できると思うの、わたしよりずっと」



(……ん?)



 肖像画のモデルではなかった、のか?

 突拍子もない申し出にぱちくりと瞬き、しばし考え込んで、ロジィは言った。


「……マダムのご公務のいくつかを、わたくしが代役として務めるということですか」


「その通りよ! やっぱりお姉さまは頭がいいわね!」


 きゃっきゃと手を叩いて喜ぶレティを呆然と見つめる。


 この子は、自分が何を言っているか、きちんと理解しているのだろうか。公妃がいるべき場に、公妃とそっくりの別人を送り込む。――――それはつまり。


「畏れながらマダム、廷臣の方々を騙すと、そう仰っているのですか?」


「もう、人聞きの悪いこと言わないで。周りが勝手に、わたしとお姉さまを間違えるんじゃない。昔からそうだったでしょ。わたしたちに騙す気持ちはなかったんだもの」


「それは並んでいるときに区別がつかなかっただけです。マダムがご臨席なさる場にわたくしが出ることは、間違いなく人々を――いえ、国王陛下を欺く行為です。それは大逆罪です!」


「黙って頷くだけでいいんだから、わたしでもお姉さまでも変わらないわよ!」

「変わります! ベリエ公妃でいらっしゃるのは、わたくしではありません!」



「本当は、お姉さまだったじゃない」



「――――」

 息が、詰まった。


「本当は、今、ここにいるのはお姉さまだったはずでしょ」


 若葉色の瞳にロジィが映り込んでいる。

 妹の眼差しを正面から見つめ返すことができなくて、ロジィは逃げるように視線を逸らした。


「あの綺麗な花嫁衣装はお姉さまが着るはずだったし、豪華なパリュールはみんな、お姉さまのために用意されたものだわ。臣下から挨拶を受けるのは、わたしじゃなかったはずなのに」


 どこか、寂しげにも聞こえるレティの声。

 ロジィは、はっとして顔を上げた。


 結婚相手から棄てられたと、自分のことばかり哀れんでいたけれど。


 レティはレティで、ロジィの「代わりに」結婚しているのだと、引け目に感じていたのかもしれない。そうだとしたら、とても残酷で可哀想なことをしてしまった。


「マダムはわたくしの〈代わり〉になられたのではないのですよ」

「……お姉さま?」


「王子殿下よりお聞きになっておられないのですか。あの御方はマダムを心から望まれて――」

「知ってるわ」


 レティは、けろりと頷いた。


「もう何度も聞いたもの。綺麗で可愛いわたしに一目惚れしたから邪魔なお姉さまには修道院へ行ってもらったって」

「……え、ええ。その通りです」


「だから、わたしのために用意された衣装や装身具じゃない、借り物で挙式して悪かったって、いまだに謝ってくれるわ。うんざりするほど贈り物もくれるの。せめてもの埋め合わせなんですって」


「…………そう、ですか」

「だから、わたしが言いたいのは、公妃になるのはお姉さまのはずだったんだから、公妃の仕事をお姉さまが務めても何も問題はないってことなの」


 ――――問題だらけだ。

 ロジィは内心で大きく溜息を零す。


 根本的に理解できていない妹に、なんと言って説明すれば納得してもらえるのだろう。


 結婚は、家同士の決めごとだ。姉がだめなら妹、という例は珍しくない。

 だが、今回の件は少し異なっている。


 ルガール王室側から要求された王弟妃となる条件はローゼリアが有していたのに、当人である王弟ルイ・フランソワが望んだのは妹のセレスティーヌだったからだ。


              ※


 太陽と海の薫りに満ちたラルデニア。

 そよぐ風には開放的な空気が漂い、人々は陽気で明るい。


 ただひとつだけ残念なのは領主に男児誕生の兆しがないことで、病弱だったラルデニア伯ロベールはやがて諦め、娘のローゼリアを筆頭相続人に指定した。


 領主に女児しか誕生しない場合、年長者を自動的に筆頭相続人として所領のすべてを相続させるのが古代からの法だが、ロベールの子は双子の姉妹。どちらが筆頭相続人になるのかは繊細かつ重要な問題だ。


 出生時、教会に長女と届け出たローゼリアに相続権を限定することで、無駄な混乱を避けるのが狙いだった。


 次代の継承者が定まっても、相続権が女子にも認められている以上、将来的に姉妹の家系で相続争いが生じる可能性はある。ロベールは一計を案じた。


 領地の統治権は永劫、ローゼリアの子孫のみに相続されるという付帯条件を添え、その内容の承認を周辺諸侯にも求めたのだ。

 これにより、セレスティーヌとその子孫の、恒久的な相続権放棄が正式に定められる形になる。


 それを待っていたかのように、ルガール王室から縁談が舞い込んだ。

 厳密には、王室というより王太后から、息子の嫁に伯家の姫をという要求だった。


 ラルデニアの筆頭女子相続人が王族と婚姻した場合、その子も〈王族〉となり、ラルデニアは王室領に吸収される。

 領地を守るため伯家は当初、相続人でないセレスティーヌを嫁がせようとした。これに猛反発したのがマリー王太后だ。


 王弟の妃となるからには、ラルデニア伯領を持参金として持ってこなければ釣り合いが取れないと強硬に言い張った。

 伯家の姫、という曖昧な表現をしながら、実質はローゼリアを指定していた。


 王領拡大を目的としたあからさますぎる縁談だが、ラルデニアがルガール王室に従属している以上、断るという選択肢は存在しない。

 伯家は再び周辺諸侯に、筆頭相続人ローゼリアが王室に嫁ぐ承諾を求めた。


 が、事態は紛糾した。

 独立心の強い南方諸侯が、ルガール王室直轄領の拡大を恐れ、返事を渋ったからだ。


 早急な事態の収束を望んだルガール王室は、南方諸侯に条件を提示した。

 将来、ローゼリアの血を引いた王族に伯家を必ず再興させ、王室の分家として独立させると。


 これにより、王家の嫡流が断絶した場合、ラルデニア伯家からルガール王が誕生する可能性が発生した。


 悪い条件ではないと判断した南方諸侯が頷いたことで、ロジィの結婚相手は王弟ベリエ公爵ルイ・フランソワ王子と定まった。十四歳の夏のことだった。


 それから一年以上を要して結婚の支度が調えられた。

 花嫁衣装はもちろんのこと、用途ごとに仕立てた百着近いローブ、当面の生活に必要な下着一式トルソー、扇子や手袋、帽子などの小物に加え、整理箪笥や普段使いの鏡台といった大きな調度品も次々と新調された。


 そして、いよいよ挙式を一週間後に控えた、よく晴れた秋の日。

 ルガールから花婿一行がやってきた。


              ※


(あとは怒濤の展開だった……)

 結婚後の不平と不満をぶちまけ続ける妹の声を聞きながら、ロジィは窓の外に視線を向けた。


 分厚い窓ガラスは暖かな室内と外との温度差ですっかり曇っている。

 尼僧院もそれなりに寒かったが、しんしんと雪が降り続けるここは、やはり温暖なラルデニアとはまったく気候が異なる。


 だから、だったのだろうか。

 頑迷とも言える意志の強さで、ベリエ公は結婚相手をローゼリアからセレスティーヌに変更した。変更してのけた。


 常識に照らせば、王族の結婚は個人の感情より国益が優先される。下世話な言い方をするなら、相手の美醜より財産がものを言う。


 ルガールの将来を考えれば、戦わずしてラルデニア領を併合できるなら、それに越したことはない。ベリエ公の好みは二の次、三の次にされるべきだった。


(でも、違った)


 王族の誰よりも自制するべき立場にいた王弟は意志を貫いて、セレスティーヌを選んだ。


 周囲がどれだけ反対しても、神の御前で神聖な誓いを終えてしまえば、その婚姻に異議を唱えることは難しくなる。

 ロジィとレティが双子だったこともベリエ公には幸いした。


 顔も体型もそっくり同じだから、ロジィのための花嫁衣装を、そのままレティに着せることができたのだ。


 強引かつ無事に、結婚式は執り行われた。

 だが、問題はまだ残っていた。


 ルガールにとって、ラルデニアを相続するのは王弟妃と、その子孫だけでなければならない。


 早い話が、ロジィを邪魔に思ったのだ。

 ロジィを介してラルデニア伯家の血脈が不用意に広がらないよう、ルガールはロジィの非婚を要求した。


 ――――修道女となり生涯を神に捧げよ、と。



「んもう! お姉さま! 聞いてるの!?」

「……聞いております」


 ロジィは、雪が降り続く風景から視線を戻す。

 両親であるラルデニア伯夫妻はルガールの要求を呑み、筆頭相続人をローゼリアからセレスティーヌに移行しようとした。


 しかし、周辺諸侯はそれを承認しなかった。

 ラルデニア伯領を取り囲む領主には、ルガール貴族だけでなく、西隣グロリア王国の貴族も含まれている。

 加えて、ロジィの母方の祖母はグロリアに属するエスターリャ公国の姫。血縁があるため発言権は強い。


 グロリア王国はそこを利用し、国境線にも関わる事柄であるため、ラルデニアの継承問題に口を挟んできたのだ。

 グロリアが、ルガールとの国境に王室直轄領が誕生することを承諾するはずはない。戦争も辞さない態度で拒絶した。


 そのため、ラルデニアの相続権は、いまだローゼリアが保有している。

 それは、レティが考えているよりもずっと重く、大きな問題だ。


 顔が同じだから中身も同じだとは、誰も考えてくれない。

(レティの言い分は罷り通らない)

 それなのに、入れ替わる、なんて。


「わたくしに公妃の重責は務まりません」


 そもそも、ロジィがルガール宮廷に出入りすること自体、どこに、どのような影響を及ぼすか見当がつかないのだ。


 両親もそれをわかっているだろうに、どうしてレティの望みを叶えて欲しいと言ったのか。


(お父さまもお母さまも、レティには甘かったけど)


「お姉さまに無理ならわたしにだって無理だわ。だって、双子ですもの」

「双子だから、ではなく、わたくしは公妃ではないのですから務めを果たすことなど……」


「じゃあ、お姉さまが公妃だったら、ちゃんと務めを果たせたのよね」

「そ、れは――」


 努力しただろう、と答えることは簡単だし、ロジィの偽らざる本心でもある。


 だが、その言葉を口にすると「レティは努力をしていないから」と責めることに繋がってしまう。

 王弟妃の務めがどれほど大変か知らないロジィが安易に口にしていい言葉ではない。


「口ごもられるということは、ローゼリア様ご自身も無理だとお思いなのでしょう。それほどの困難を妃殿下に押しつけていらっしゃることに、お心は痛まないのですか?」


 それまで黙っていたミミが唐突に口を挟んできた。

 冷ややかな眼差しがロジィを刺し貫く。


「ローゼリア様がベリエ公のお気に召していさえすれば、妃殿下がこのようなご苦労を重ねられる必要はございませんでした。いわば、妃殿下のご気鬱はローゼリア様がそもそもの原因です。ご気鬱を晴らすためにローゼリア様が何をなさるべきか、わからないとは仰いますまい」


 それを言われるとロジィには返す言葉がない。

 その場に落ちる沈黙を振り払うように、レティはどこか懐かしむような声音で口を開いた。


「昔からよく入れ替わって悪戯したでしょ。だから今度のことも別に嫌じゃなかったのよ」


「いいえ、本来ならローゼリア様が果たされるべきお役目です。お気に召さなかった姉君の代わりに代わりに結婚せよなどと、あまりに不憫でなりません」


 大仰に泣き真似をしてみせるミミに、レティはあっけらかんと笑った。


「結婚したいって言い出したのは、わたしからよ」


「え――」


 ミミとロジィは同時に互いの顔を見つめ、そしてレティに視線を移した。初耳だった。


「ですが、奥方様からローゼリア様の身代わりにと、きつく命じられたのでは……」


「お母さまからは、ルイ様が、わたしのほうがいいって言って困ってるって言われただけよ。頭は抱えてたみたいだけど、代わりに嫁げなんて言われなかったわ。だから、わたしからお嫁に行かせてって言ったの。だって、王子様のお妃様になるのが夢だったのよ。せっかくの機会だもの」


「で、では、本当にご自分から……」


「そうだって言ってるでしょ。ルイ様の顔、わりと好みだったし。悪くないわって思って」


(……そうだったわね)


 どうせなら地方領主の妻ではなく、どこか大国の王子様と結婚したい――レティの口癖だった。


(よかった)


 ベリエ公が心底、レティを望んだのは知っていたが、レティ本人の気持ちはどうなのだろうと、ずっと気がかりだったのだ。


 自分とレティ、ふたり揃ってベリエ公のわがままに振り回されたと思っていたが、少し違ったらしい。レティが納得しているなら、……もう、それでいい。


「でも、思ってたのと違ったわ。こんなに規則がうるさい場所だなんて知らなかった。うんざりしてくると、たまに思うの。これ、暗記が得意なお姉さまのほうが上手に切り抜けられるんじゃないの、って」


「…………」


「もともとお姉さまが結婚する予定だったわけだし、じゃあ、せっかく同じ顔をしてるんだし、お姉さまにしてもらえばいいって思ったのよ!」


 名案でしょうと表情を輝かせるレティを、唖然として見つめ返すことしかできなかった。

 根本的に、いろいろと間違っている気が、する。


 けれど、少なくとも、レティはこの結婚を自分の意思で選んでいたのだ。……親の言いなりしか選べなかったロジィにとっては信じられないことだが。


 ならば、自分で選んだことに付随する〈面倒〉は、受け入れるよりないと思うのだけれど。


「……お許しください、マダム。そのように人々を騙すことは……」


「んもう、お姉さまって本当に頭が固いんだから。じゃあこうしましょ。明日の王太后様のお茶会。これだけはお姉さま、出て?」


 マリー王太后は先王の三人目の王妃で、王弟ベリエ公の生母。息子の嫁にラルデニアの姫をと指名したのも彼女だ。


 作法に自信がないレティは何かと理由をつけて結婚から半年間、王太后の招待を断り続けてきたそうだが、さすがに先日、夫のベリエ公を通して出席を厳命されてしまったという。


「王太后様は、ルイ様の妃にはお姉さまをって仰っていたらしいの」

「それは、わたくしが相続人でしたから」


 ルガールの国土を拡張するため、「土地持ち娘」を息子の嫁に欲しただけだろう。セレスティーヌが王弟妃に収まった今は、ローゼリアの相続権を取り上げようと工作しているわけだし。


「それもあるけど、お姉さまは勤勉だって宮廷でも有名だったんですって。だから王太后様はお姉さまがお気に入りだったのよ。でも、ルイ様と結婚したのはわたしでしょ。お茶会に行ったら何言われるのか怖くって。ねえ、お願い。お姉さまにしか頼めないのよ。助けて」


 ――――お姉さまにしか頼めない。


 その言葉を聞かされたら、頷く以外にできなかった。

 相手を騙すなんて神がお赦しにならないと思っても、困り果てている妹を見捨てることもできなくて。


「……今回だけでございますよ?」

「きゃあ! 大好きよ、お姉さま! 愛してるわ!」


 歓声を上げて抱きついてくるレティを受け止めて、ロジィは深く深く、息を吐いた。

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