第一章 【 麗しの薔薇 】
【 第一章 ① 】
西コランヌ大陸のほぼ中央に位置する、ルガール王国。
古に大陸を統一していた古代コランヌ帝国の流れを汲むと主張している、聖ダンベルク帝国と大陸覇権を二分する強国で、近年ではその繁栄ぶりから「太陽が守護する王国」と謳われている。
王都はトゥルザ。王国のやや東南に位置する街で、温暖な気候を好んだかつての王が離宮を建設して発展し、三代前のリシャール二世の御代から正式に都となった。現在では大陸でも一、二を争う大都市だ。
その華やかな都の中心にメルヴェイユ宮殿がある。
今にも雪が降りそうな重苦しい曇り空の下、要所に施された黄金の装飾が、圧倒的な存在感で周囲を威圧していた。
――――
畏敬をもって、人々がそう呼んでいるのは知っていた。
諸侯が所領に構える城館とは異なり、国王一家が生活する宮殿には廷臣たちも集い、政治の中枢となる。
王族が保有する他の宮殿とも区別するため、わざわざ「王の」という言葉を添えているのだから、それなりに立派なのだろうと想像はしていたけれど……。
(部屋が五百もあるなんて信じられない)
しかも、使用人たちに宛がっている部屋を除いて五百以上、という注釈がつくのだから余計に驚きだ。これなら、小さな町と呼んでも差し支えないのでは。
「こちらでございます、ローゼリア様」
セレスティーヌの許まで案内してくれるミミがいなければ、圧倒されて立ち尽くしたまま日が暮れていた。
「妃殿下は西翼棟の二階に
メルヴェイユ宮殿を構成している城館は三つ。中央棟と、回廊で繋がれた左右の翼棟だ。
一番小さな中央棟は議場や舞踏会場、劇場、王立礼拝堂など公的な空間に宛がわれ、東翼棟は宮殿での起居を許される栄誉を賜った貴族たちのために、そして、西翼棟に国王一家やその係累の部屋が設けられているという。
ルガール王弟ベリエ公の妃となったレティが暮らしているのもそこだ。
金銀の芸術品や立派なタピスリーで飾られた豪勢な空間に押し潰されてしまいそうで、くらくらと目眩を覚えながらついていく。
壊れかかった尼僧院にいたロジィにとって、メルヴェイユ宮殿の贅が過ぎる室内装飾は驚嘆を通り越して、もはや息苦しかった。
この世のものと思えないほど無駄に壮麗な宮殿で生活していたら、ロジィだって逃げ出したくなったに決まっている。より自由を好むレティならば、なおさらだろう。
「ねぇ、ミミ。レティはこちらに馴染んでいるの?」
「ローゼリア様」
ぴたっと足を止めたミミが、焦らすようなゆったりした所作でこちらを振り向く。
ロジィと二つしか違わないはずなのに、ずいぶんと貫禄のある動きだ。声音も重々しい。
「メルヴェイユでは、妃殿下、公妃様、あるいは
ルガール宮廷の規則では、王族に仕える女官や侍従は、爵位を有していなければならない。
手っ取り早いのは、爵位持ちの男性貴族と結婚してしまうことだが、そんな話は聞かなかった。つまり。
(ミミ本人に爵位を与えた、と)
この場合の「夫人」という呼称は、女性であることを意味する一種の敬称で、婚姻の有無は関係なかった。
ラルデニアの城館にいた侍女のミミアンは、王弟妃付き女官として、体裁を丁寧に取り繕われたのだ。
「ご忠告ありがとう、メラニエ男爵夫人」
「他にも折に触れご指導いたします。田舎からいらした方にメルヴェイユの作法は煩雑でしょうから」
満足げに頷いたミミは、前に向き直って堂々と歩き始める。
昔より落ち着きが出てきた、というより、威張ることを覚えたといったほうが的確に思える態度だった。
(レティも、そうかしら)
王弟妃らしく、つんと取り澄ました態度をロジィに取るのだろうか――。
考え込んでいるうちに、黄金で白鳥の装飾が施された白漆喰の扉に行き当たる。白鳥は、ルガール王弟妃の紋章だ。
両開き扉の横に垂れている太い房飾りをミミが引っ張ると、細かな鈴の音が響いた。来訪を室内に告げる合図だという。
過剰装飾に走った宮殿だが実用性を重視している部分もあるようで、少しだけ安心した。
室内に五歩ほど入ったミミがその場で足を止めたので、ロジィもそれに倣う。
「申し上げます。ローゼリア・ブランシュ・ドゥ・ラルデーニュ様をお連れいたしました」
ミミの紹介の言葉が終わってから、左足を斜め後ろに引いて膝を折る、宮廷式の礼を執った。
「ご無沙汰申し上げております、マダム。このたびは拝謁の栄誉を賜り恐悦しご……――ッ」
挨拶の言葉を最後まで紡ぐことはできなかった。
「お姉さま!」
弾むような声と一緒に、セレスティーヌが体当たりする勢いで突進してきたのだ。
屈んでいる姿勢だったため彼女の体重を受け止めきれず、二人して絨毯の上に倒れ込んでしまった。……打ちつけた腰が痛い。
「まあ、妃殿下! お怪我は!」
大げさな声を上げて駆け寄ったミミが、ロジィに覆い被さっているレティを助け起こす。
立ち上がりながら、レティは上機嫌に笑っていた。
「うふふ、お姉さまって昔からそう。わたしが抱きつくといっつも転んじゃうの」
(言われてみれば……)
駆け回ることが大好きなレティは、どんなときでもどんな場所でもよく走っていて、その勢いを殺さないままロジィに抱きつくことが多かった。
不意を突かれる形になるロジィは、いつもそれを受け止めきれなくて、よく転んだ。
だから、ロジィが転ぶ理由の十割はレティに原因がある。
――が。
レティがそういう娘だということを忘れていたロジィに非があると、そこで睨んでいるミミは言いたいのだろう。
「大変失礼をいたしました。わたくしの不敬と無礼をお許しいただけましたら幸いに存じます」
ロジィの謝罪は女官殿の満足を得たようで、叱責するような視線から解放された。
ほっと息を吐いたロジィは、改めてセレスティーヌに目を向ける。
光沢のある黒の絹地をたっぷり使って仕立てられたワンピース型のローブには、金銀の糸で繊細な小花模様が刺繍され、小粒の真珠がふんだんに縫い留められていた。
スカート部分がふっくらと柔らかな曲線を描いているのは、肌着と間着を兼ねるジュップを贅沢に重ねているから。
かつて大陸中の宮廷を席巻していたパニエが窮屈という理由であっさり廃止されて以来、貴婦人たちは競うようにジュップを重ねてシルエットを調整するようになった。
ジュップの使用は美観目的だけではない。
より多く重ねればスカートに広がりが生まれ、布地の使用量が増える。結果、財力を誇示することに繋がるためだ。
また、冬ともなれば防寒性能も求められ、高貴な女性ほど多く重ねる。基本は三枚のところ、レティはおそらくそれ以上の枚数を使用しているだろう。今は真冬なのだし。
彼女が着用しているローブの色もまた、権威を示す重要な色合いだった。
漆黒に染めるには特別な染料が必要となり、それはルガールでは産出されない。
つまり、貴重な輸入品で染められたローブはルガールの貴婦人にとって最高級のお洒落であり、贅沢ということになる。
ローブのスカート部分は前開きで、そこから覗いている一番上のジュップは可愛らしい淡桃色。
もちろんジュップにも無数の宝石が縫いつけられていて、レティのはしゃぐ動きにあわせて細かく光った。
(元気そう。……それに、昔と同じ)
重苦しい宮殿で、鬱々と過ごしているのではと気が気でなかったけれど。
ジュップと共布のリボンで凝った形に結い上げられた明るい栗色の髪。
生き生きと輝く瞳は生命力にあふれた若葉色で、上気した頬は紅を一滴垂らしたミルクのように、しっとりとした質感を伝えてくる。
瑞々しい桜桃の唇は幸せそうに緩んでいて、最後に見たときとまったく変わらない。
お転婆でおっちょこちょいで奔放なところも、何ひとつ。
「お姉さま、少し痩せたんじゃなくて?」
言いながら、レティがぺたぺたとロジィの顔や体を触っていく。
「ほら、やっぱり頬の丸みが違う。ミミ、あのお菓子も用意して。お砂糖とクリームと卵をたっぷり使った、ミミがわたしに食べちゃだめって叱るお菓子よ。お姉さまにはすぐに太って、わたしと同じになってもらわなくちゃ困るもの」
命じられたミミはすぐには動かず、もの言いたげな視線をロジィに投げかけてくる。
「マダム、わたくしがマダムと同じなど畏れ多いことで……」
察したロジィはやんわりと謙遜を口にしたのだが。
「何を言うの、お姉さま。わたしとお姉さまが同じ顔なのは当然でしょう。だって、わたしたち、双子なんですもの!」
「…………」
きっぱりと言い切られ、ロジィは仕方なく口を閉ざした。
同じ日、同じ刻に生を受け、そっくり同じ顔をしている自分たち。
好き嫌いも大まかな部分では同じだったし、考えていることも、だいたいは一緒だった。
「ほらほら、こっちでゆっくりお話ししましょ」
どことなく公的な空気を漂わせていた空間から、少し奥まった私的な応接間のような部屋へ通される。
壁は白く、長椅子やカーテンなどは、花模様を織り込んだ淡紅色の布地で統一されている。
コンソールをはじめとする調度品の細部には凝った彫刻や金細工が施され、甘く女性的な部屋の雰囲気にほどよい華美さを添えていた。レティ好みの様式だ。
室内を一目見るだけで、職人の腕前の確かさと、素材の高価さが伝わってくる。ラルデニアの城館に、これほどの品はひとつとしてなかった。
まるで、おとぎの国に迷い込んだみたい。
目に映るすべてに幻惑され、酔ったような気分でいると、レティが手を引いて長椅子に促してくれた。そして、そこでも驚いた。
「急がせたからちょっとしか用意できなかったの。がっかりしないでね」
六人ほどがつける大きな大理石テーブルの上には、ブリオッシュやクッキー、コンポートにタルトなど、とりどりの菓子が銀の大皿に盛られている。うずたかい山のようにこんもりと。
(どこが、ちょっと?)
カップから湯気を立ち上らせているのはショコラだ。
ルガール宮廷では、飲み物と言えばショコラを指すほど大人気だという。ラルデニアにいた頃に噂として聞き及んでいたが、目にするのは初めてだった。
「ショコラはまだ熱いから猫舌のお姉さまは冷ましたほうがいいと思うわ。先にソルベを食べて。溶けないうちに」
バラやスミレの香り付けがされたソルベはガラスの器に盛られていた。
ラルデニア伯領は交易港を二つ保有するため、小国と呼んでも遜色ない豊かな財力を誇っている。ロジィも何不自由なく育ってきた。
充分に贅沢を享受していると思っていたのに、ガラスの器ひとつでルガールの国力の底知れなさを痛感する。
ラルデニアにもガラスは流通しているが、普段使いの食器として使うことはまず考えられない高級品だからだ。
(なんだか、感覚が麻痺しそう……)
話に聞くだけだった食べ物。高級な素材で作られた道具。そもそも入手困難な輸入品。
それらが当たり前のように置かれている光景を目にすると、ラルデニアが貧しかった気がしてくるから怖い。
「ほら早く、遠慮しないで。わたしはこのコンポートが大好きなの」
さっと手を伸ばすレティをたしなめるように、ミミが後ろからやや大きな声を出す。
「妃殿下は控えられますように。ローブをお召しになれなくなりますよ」
「ええ? お姉さまは食べるのに?」
ミミが、じろりとロジィに眼を向けた。「レティに諦めさせるため遠慮しろ」という彼女の主張を察して、ロジィは菓子を固辞した。
勧められた菓子を真っ向から断れば非礼に該当するので、遠慮の言葉も婉曲に、丁寧に選ばなければならない。
「マダムのお心遣いに感激いたしておりますが、素晴らしいお部屋を拝見して胸が一杯で、せっかくのご厚意を頂戴することが叶いそうにありません」
「部屋が豪華だと食欲がなくなるの? お姉さまって変わってるのね」
言葉を額面どおりに受け取らないで、と言いたいのを我慢して、ロジィは沈黙を選ぶ。
「妃殿下、無理にお勧めするのはよろしくありません。こちらはすべて下げさせましょう」
すかさずロジィの言い訳に便乗したミミが片付けようとしたのだが、唇を尖らせたレティは引き下がらない。
「だめよ。お姉さまが何を言っても食べてもらうわ。これ全部」
「全部!?」
声が裏返る。
固まるロジィに、レティはにっこりと笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。無理ならわたしも手伝うし。半分くらい」
「妃殿下!」
今度はミミが悲鳴を上げる。
それを待っていたかのように、レティはころころと声を上げて快活に笑った。
「冗談よ。せっかく仕立てたローブが着られなくなるのはわたしも嫌だし。食べたいけど、我慢は嫌いだけど、お姉さまが食べるのを見て満足しておくことにするわ」
「ご立派なお心掛けでいらっしゃいます」
「だから、ほら、お姉さまはたくさん食べて。わたしの代わりに」
なぜ、そうまでしてロジィに菓子を与えようとするのか。
さっぱり意味がわからない妹の言動に内心で首を傾げつつ、「妃殿下のご所望です」と嫌そうに催促してくるミミに促され、ロジィはソルベを口に運んだ。
「どう? どう?」
「……冷たくて、甘いわ」
「ソルベですもの当然でございましょう。田舎の尼僧院で過ごされた方のお口には、合わないかもしれませんね」
刺々しい声でミミが言う。ロジィの口調が砕けたことを遠回しに咎めているのだろう。
「大変に貴重で美味なものを頂戴いたしました。お礼申し上げます、マダム」
「……ずっと思ってたんだけど、何よそれ」
「それ、とは?」
「その喋り方! 何よ何よ、フロランタン夫人みたいだわ!」
「ロラントゥ……?」
「お姉さまって昔っからそう! 舌を噛みそうな話し方を平気でするの。もう信じられない! 頭の中どうなってるの。辞書でできてるの!?」
突然に癇癪を起こしたレティについていけない。
立派な暖炉のおかげで部屋が暖かいので、気を抜くとあっという間に溶けてしまうソルベを慌てて食べ終え、ロジィはミミを見た。
「メラニエ男爵夫人、ロラントゥ夫人とは、どなたのことですか?」
「ロラントゥ夫人ではありません。フロランタン侯爵夫人です」
訂正が丁寧に入る。
「その、フロランタン侯爵夫人とはどのような方でいらっしゃるの?」
「妃殿下にお仕えしている女官長です。メルヴェイユにおける作法やしきたりをご説明申し上げる役割を与えられ、ご成婚以来、妃殿下のお側に」
ミミの上役ということか。この場に控えている女官はミミしかいないから、今は外しているのか、外させているのかの、どちらかなのだろう。
「お姉さま、ここに来てすぐわたしのところに来たんでしょう?」
「はい。メラニエ男爵夫人が迎えに来てくれましたから」
「本当に? わたしより先にフロランタン夫人に会って、喋り方をこってり指導されたんじゃなくて?」
「……いえ、そのようなことは……」
というより、話に聞く限り、礼儀作法に煩そうな教育係が半年間もつきっきりで張り付いていたのだろうに、どうしてレティの言動は「こう」なのか……。
「なんで昔みたいにレティって呼んでくれないの? もう、わたしのこと、嫌いになったの?」
「滅相もありません」
「じゃあレティって呼んでよ」
いや、それは――。だってほら、そこに監視役がいるし?
と、はっきり言うことはできず、ミミの厳しい視線をそれとなく無視しながら、ロジィは曖昧に微笑みを浮かべる。
許可が下りても親しく呼ぶのは無礼だと手厳しい指導が入ったばかりだ。二人きりならいざ知らず、ロジィを叱った張本人がいるのに呼ぶなんて――。
「ローゼリア様はまことに冷たい方でございますね。妃殿下がこれほどお望みでいらっしゃるというのに」
先ほどと言っていることが正反対のミミ。ロジィは、唖然として彼女の顔を見た。
(宮廷人が二枚舌だって話、忘れてたわ)
時と場によって言葉と態度を使い分け、平然と嘘を並べ、それを恥と思わない。
ラルデニアの城館で素朴な村娘だったミミは、すっかり宮廷の気風に染まってしまったようだ。
「妃殿下がご所望でいらっしゃるのです。慕わしくお呼びになるのが姉君のお優しさと存じますが」
けれど、それはそれで正しい姿だと思う。
ミミはロジィのことを「田舎から来た」と馬鹿にするが、それはきっと、ミミがこの宮廷で周囲の人々からぶつけられた言葉と同じなのだろうから。
(おそらく、レティも言われた)
だからミミは、主人のレティが見下されないように精一杯、肩肘を張って仕えているのだ。
レティのことを思うなら、ロジィが選ぶ答えは決まっている。
「わたくしは今でも、昔と変わらず大切な妹だと、そう思っております。……大変に畏れ多いことだとは存じますが」
レティの表情が、ぱっと明るくなる。
「じゃあ――」
「ですが、今と昔は違います」
「え……」
若葉色の瞳が陰った。
「今のわたくしは、偉大なるルガールの王弟妃殿下に馴れ馴れしい物言いが許される身分ではございません」
「お姉さまは、お姉さまでしょ、わたしの」
「わたくしは尼僧院へ追放処分を受けました。もはやラルデニア伯の娘ですらないでしょう」
「でも、まだ修道女になってないってお母様が。だから、どうしても呼びたいなら呼んでもいいのよって、そう仰ったわ。今だって、お姉さま、僧服は着てないじゃない」
正式に信仰の道に入ったわけではない。家名を捨て切れていないから、厳密に言えば、ロジィはいまだラルデニア伯の娘だ。……それによって波風が立たないならば。
「お姉さまに堅苦しい物言いをされると、なんだか知らない人みたいで落ち着かないの」
「慣れていただきませんと」
「どうして!」
「わたくしの大切な妹でいらしたセレスティーヌ・ブランシュ姫は、ルガール王弟殿下のお妃様となられた御身ですから」
不服そうに頬を膨らませ、しばらく黙り込んでいたレティは、唐突に表情を輝かせた。
「じゃあ、お姉さまより、わたしのほうが偉いってことよね」
「はい。もちろんです」
「お姉さまは、わたしの命令には逆らえない、そうなのね?」
「……昔から逆らった覚えはありませんが」
小声で反論した内容は幸い、レティにもミミにも聞かれなかったようだ。
「わかったわ。レティって呼んでくれなくていい。その代わり……」
すくっと立ち上がったレティはテーブルを回ってロジィの隣に腰を下ろし、内緒話をするように顔を近づけてきた。
「あのね、ずっとずっと悩んでいて、お姉さまに聞いて欲しかったんだけど、今度は、なんてお願いすればいいのかわからなくなっちゃって……」
だらだらと要領を得ない話し方をするのはレティの特徴だ。
彼女の言葉を話半分に聞き流しながら、おそらくこれから聞かされる内容が、手紙で泣きついてきた本題なのだろうと腹をくくる。
「何か、お困りでいらっしゃるのですか」
「そう! そうなの! さすがお姉さまね。わたしが言わなくてもわかってくれるわ!」
ロジィは苦笑した。まるでそれだけがよすがのように、ぎゅううっと自分の右手を握っているレティの手を、左の手でそっと撫でる。
「ですが、何にお困りでいらっしゃるのかは、マダムのお言葉を賜りませんと拝察申し上げることが叶いません」
「ええ? 双子なんだもの。わたしの目を見たらわかってくれるんじゃないの?」
ぷくっと頬を膨らませてレティが拗ねる。子供の頃から何も変わらない、甘えた態度を微笑ましく思うと同時に、このように幼い仕草を乱発していて、王弟妃として大丈夫なのかと心配になってくる。
拗ねたレティから聞き出すのは至難の業なので、ミミに尋ねることにした。
「……メラニエ男爵夫人、マダムを煩わせているものは何か聞いても?」
「すべてです」
「…………すべて」
またずいぶんと雑な回答だ。聞き返してよいものか迷っているうちに、ミミが詳細を説明してくる。
「さようです。宮廷で行われる数多くの儀式、人間関係、そのすべてが妃殿下を煩わせている諸悪の根源です」
教育係ともそりが合わないようだし、確かにレティには苦痛だろう。
「気晴らしになることは?」
ロジィの問いに、ミミは鼻先で笑った。
「ローゼリア様、妃殿下はお忙しい御身なのです。お気晴らしをなさる時間がおありだと本気で思っていらっしゃるのでしたら、妃殿下への大変な侮辱でございます」
「することなくて暇なのよ。乗馬もだめ、狩猟もだめ、あれもだめこれもだめって王太后様が怒るから、お菓子を食べることくらいしか息抜きがないの。おかげで太っちゃったわ」
まったく正反対の二人の話を総合すると、レティが望んでいる気晴らし方法が許可されないため、彼女が不満を募らせているという現状なのだろう。
「新しい乗馬服と狩猟服を仕立てたいのに、それもできないの」
双子のロジィとレティでもっとも異なるのは、運動に関する事柄だ。
ロジィは運動が苦手で、室内でおとなしく余暇を過ごすことを好む。
一方、レティは体を動かすことが大好きで、乗馬は得意中の得意。曲芸乗りまでできる腕前だ。
貴婦人はあまり好まない狩猟も大のお気に入りで、猟銃片手に城館近くの森に入るのは日常茶飯事だった。
それらが禁止されているなら、レティにとっては退屈で仕方がないだろう。
(……で、お菓子を食べまくる、と)
運動せずに食べることだけ続けていれば、それは太る。
見た目には変化がないように思えるが、もともとレティは顔ではなく胴回りに重さが増えるタイプだった。
ローブは体型ぴったりに採寸して仕立てるので、ちょっとでも余計な肉がつくと恐怖の事態を招く。ミミが必死になって止めるはずだ。
「わたくしは、マダムのお話し相手を務めればいいのかしら、メラニエ男爵夫人」
退屈しのぎに食べるのではなく、お喋りをするようにという思惑だろうか。
宮廷内の人間関係はとかくややこしいと聞く。取り巻きを定めるのも、おそらくは一筋縄ではいかない。人選している間の応急措置として姉に白羽の矢が立った。
ロジィは、そう考えたのだが。
「妃殿下のお話し相手を務めるのは、わたくしの役目にございます」
「……では、わたくしが招かれた理由は」
「おわかりになりませんか」
小馬鹿にするように言われて、ロジィも少しだけ腹が立った。
「残念だけど教えていただかないとわからないわ。何しろ、メルヴェイユに来たばかりの田舎者ですから」
「もう! 回りくどい言い方しないで、はっきりお願いすればいいでしょう、ミミ!」
レティに叱責され、さっと顔色を変えたミミは、弁明するように両手を揉んで言い募る。
「で、ですが妃殿下。内容は妃殿下のご名誉に関わることです。言わずとも察することができる程度の機転をお持ちでなければ――」
「もういい! ミミは黙ってて!」
クッションを投げつけて侍女を黙らせると、レティはロジィの瞳をのぞき込んだ。
「わたしの代わりをして欲しいの」
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