第四章 決戦・長崎談判①

 日本の港も様変わりした。

さまざまな国の人々が行き交い、海外の人たち向けの店舗や露店が立ち並ぶ様子は、無国籍でどこか居心地よさげな独特の風情を醸し出している。

 洋菓子を売る店も随分増えた。幕末のあの頃の、翻訳もされていないレシピを片手に四苦八苦しながら作られた、固く素朴な菓子に比べて格段に美味なものが手に入るようになった。

 だが、楠之助には小麦粉を焼き固めただけのような、当時の拙い洋菓子の味は言いようの無い郷愁をもって思い出されるのだ。

 ビスカウトはいつのまにか〈ビスケット〉の呼び名のほうが定着していた。それを見るたび、あの時の不思議な娘を思い出さずにはいられない。

 決して歴史に名を残すことなく、そしてその存在すらも知られることのない特殊な務めを負っていた少女だった。生きていれば、これだけの世の変化が後押しして人並みの幸せを手にすることもできたのではなかったか。

 しかしそれは、彼女に限ったことではない。おびただしい数の人間が、歴史の彼方に忘れ去られていくのだ。もちろんそれは、自分とて同じことだろう。

 その一方で人々の記憶に深く刻み込まれ、永劫その名を語り継がれることになるであろう人間も存在している。

 そう、例えば坂本龍馬のような人物が。

 楠之助は頭を振って追憶を追い払う。

 時代を必死で駆け抜けたのは人も国も、同じだった。幕藩体制の終末期においても、藩という単位は一つの国家でもあり、その命運は不確定な波に翻弄されていた。いわば国という巨大な船の舵取りを、自分たちは任されていたのだと今更ながらにそう感じる。

 紀州は、巧みにその荒波を乗り越えたのだろうと思う。ごく少数の勇敢な人々が、先見の明と自身の命を懸けて新時代に望みを託したのだ。

 それは一見、日和見で侍の道義に反する態度だったかもしれない。だが、ほとんど血を流すことなく、また民を戦渦に巻き込むこともなく国を存続させたその絶妙な舵取りは、後世の歴史家たちによって必ず評価されるものと楠之助は信じている。

 長崎――。

 ヨーロッパと中華、そして日本の港町の情趣が渾然一体となったあの不思議な街で、紀州の運命は決まったのだ。

 楠之助は、再び深い追憶の底に心を委ねていった。



 慶応三年(一八六七)四月二九日午後六時一五分、明光丸は長崎に入港した。

 同乗していた海援隊士二名も下船し、それぞれに着崎する予定の仲間と落ち合うために街へと消えていった。

 鞆の津で幾度となく面談した才谷梅太郎こそが、あの坂本龍馬だったのだと楠之助から聞かされた紀州の面々は皆一様に驚愕した。しかし、その事実はかえって明光丸クルーの結束を強くし、今後の談判への意気を高めることになった。

 楠之助らはともかくも本来の任務を果たし、その間にも海上での衝突事故の経緯を長崎奉行所に報告するなど慌ただしく過ごしていた。

 そして五月一五日午後一時、ついに明光丸と伊呂波丸それぞれのクルーが参集し、衝突事件の航路についての討議が行われることとなった。

 明光丸側から出席したのは以下の十一名だ。


 艦長・高柳楠之助  岡本覚十郎  成瀬国助  福田熊楠

    岡崎圭助   筆記方・中谷秀助     長尾元右衛門

    村尾治作   尾崎十兵衛  上西米蔵  中崎市右衛門


 対して土佐側からは次の八名が集まった。


 船長・小谷耕蔵   橋本麒之助  才谷梅太郎

    森田晋三   渡邊剛八   佐柳高次

    腰越次郎   文司・長岡謙吉


 いまだ〈才谷〉を名乗る龍馬と再会した楠之助たちは、さすがに緊張を隠せない様子だ。だが当の龍馬は依然として飄々とした態度を崩さず、あてがわれた座にどっかりと腰を下ろしている。

 紀州と土佐の談判は静かに始まったが、両者の主張にはのっけから大きな食い違いが生じていた。そう、互いの針路に関する問題だ。

 紀州側は左舷方向に一点の光を確認したと記録している。だが、土佐側は右舷方向に明光丸のセインランプと青いブーフランプを認めたと航海日誌に書き付けているのだ。つまり、明光丸から見て左舷側に伊呂波丸が位置していた場合、伊呂波丸から見えるのは明光丸の左舷にある赤いブーフランプとなるため、どちらか一方の主張が事実とは異なることを意味している。

 紀州の福田・長尾・村尾と、土佐の小谷・渡邊・佐柳らが中心となっての議論となったが両者一歩も譲らず、ほとんど感情的な言い争いの様相を呈してきた。

 声を荒らげて互いの航路の矛盾点をあげつらう様子に、たまりかねて割って入ったのは楠之助だった。

「双方とも、落ち着いてください! 枝葉の感情論に流され、大幹を見失うのは本末転倒ではありませんか。冷静に、事実だけを確認していけば必ず本当のことが分かるはずです」

 そう言って、座に一枚の紙を広げて見せた。楠之助が作成した洋刻航海図だ。備中沖の島々の位置関係と、明光丸から見た互いの航路が詳しく図示されている。

 この図を前にしてそれぞれの航路を詳細に検討していけば、自ずと矛盾点が詳らかになるだろう――。合理的かつ至極当然な思惑ではあったが、楠之助のそんな願いもほどなく水泡に帰することとなった。依然として両者の主張は平行線のまま交わることはなく、もはや談判とさえ呼べない険悪な雰囲気に座が支配されつつあった。

 その流れを決定的に変えたのは、それまで黙して聞くだけだった才谷、つまり龍馬の提案だった。

「まあまあ、お互いに言うことが違うっちゅうことは、どっちかが間違うとるちゅうことですろうが。ですけん、それを証明しようにも証拠がありませんきに」

 海の上のことですきのう、そう言って航海図に描かれた明光丸と伊呂波丸の絵に、ぱしん、と扇子を打ち付けた。

「一旦航路のことは置いといて、それ以外のことから話さんがかえ?」

 解決策とも言えないような実にシンプルな方法だが、確かにこの時代に確実な航路を証明する手段は絶無に等しい。双方の主張が決して曲げられることはないだろう。

 議論すべき点は他にいくらでもあるため、この提案を紀州側も受け容れた。

 また、公正を期するために明光丸と伊呂波丸、それぞれの航海日誌を交換し、詳細を確認しながら談判を続けることにも双方が同意した。

 航海日誌の熟読と、昂ぶった心を鎮める時間を見込み、翌日の継続を確約して初日の争議は解散となった。

 宿舎に戻り、伊呂波丸の航海日誌を読み始めた楠之助は、温和な彼としては珍しく、見る間に眉間のしわを深くしていった。

 それぞれの船影を発見した時点の状況については実にさりげなく、明光丸のセインランプと右舷の青いブーフランプを確認した旨が記されている。

 明光丸から見て左舷側に伊呂波丸のセインランプを確認したということは、相手側からはこちらの赤いブーフランプしか見えないことになるのだ。

 怒りを通り越したやるせなさと共に読み進めていくと、次々に不審な点が浮かび上がってくる。中でも楠之助を呆れさせたのは、航海日誌でありながらまるで漢詩の常套句を思わせるかのような散文的な言い回しだ。


〈その響き雷の如し。潮水混々〉

〈月まさに山頭に昇らんとす〉

〈唯海水の蒼々たるを見るのみ〉


 航海日誌とは事実をあるがままに、無駄なく記してこそのものだと楠之助は思う。その情報は今後の航海や、これからその海を行く者たちにとってかけがえのない指針となるからだ。したがって、その時どう思ったかという主観的な事柄や、比喩的な麗句には意味がないと考えている。

 改めて伊呂波丸の航海日誌を読み込むと、そのクルーたちの挙措動作から受けた印象が、ある種の確信へと変わっていった。

 おそらく彼らは喜怒哀楽がはっきりとしており、悪くすればかなり感情的になりがちなのではないか。〈劇場型〉とでも言おうか、物事に対して真実以上にヒロイックな感覚であたる者が多いのではないか――。楠之助には、そう思えてならなかった。

 ならば、こちらは徹底的に事実を追及して、事故の真相を明るみにするだけだ。

 楠之助は、明日も続く談判に向け思いを新たにするのだった。


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