第三章 紅茶と御庭番①

 陸軍兵学寮の教壇に立ち、若い下士官たちを相手に講義している最中、楠之助は言いようのない不思議な気持ちになることがある。

 自分たちがそうであったように、彼らもまた、軍人という名の「侍」なのだ。真剣な面持ちで知識を習得しようとするひたむきな姿には、胸を打たれざるを得ない。それに旧幕臣であった自分に対し、皆一様に畏敬の念を持って接してくれているのがひしひしと伝わってくる。だが、優れた頭脳と日々鍛錬を怠らない頑強な肉体を持った若者たちの中には、良くも悪くも突出したところが見当たらないのだ。いや、正確に言うとむしろ突出しないことこそが「軍」という組織の中で求められる基本的な素養と呼べるのかもしれない。

 一人ひとりが指揮官の号令一下、あやまたず命令を遂行する機械仕掛けのような兵士となることこそが、強力な軍隊を支えるための必須条件なのだ。

 それは徹底的に「個」を廃した、近代軍制の特徴と言って差し支えない。そういった考え方はひとえに軍隊だけにとどまらず、役所や教育機関、はては地方の自治体にまで急速に波及しつつある。

 つまらない――。

 ごく単純に、楠之助はそう思う。

 あの頃は本当に有象無象の個性的な人間がひしめき合い、時代の波に翻弄されながらも、どこかでそれを楽しんでいるかのように悠々と生きていたように思うのだ。

 いや、自分が年を取り、むやみな郷愁に思いを馳せるようになってしまっただけなのかもしれない。

楠之助は自嘲気味にそう思い直しながらも、やはり幕末という混沌の時代を追憶するとき、どうしてもあの男の顔が思い出されるのだった――。



 慶応三年(一八六七)四月二七日、明光丸は抜錨し鞆の津を出港した。

 蒸気艦の速力であれば、ここから長崎表へは一日半ほどの行程と考えてよい。

 ブリッジは副長の覚十郎が引き受け、楠之助は艦長室で今後の談判の動きについて考えを巡らせていた。

 四月も末とはいえ、この時期の海上はまだまだ冷え込むことがある。楠之助が室内に据えた火鉢の炭を足しているとドアがノックされ、クルーの一人が鉄瓶を手に入室してきた。

「キャップ、お湯をお持ちしました。お茶が済んだら、少しでも休まれてください」

「ありがとう。君も当直を交替したら、ゆっくり休んでおくれ」

 楠之助は鉄瓶を受け取りながらクルーに微笑みかけ、退室していく背中を見送った。ちょうど沸騰したところのお湯を持ってきてくれたので、冷めないように火鉢にかけ、ようやく大きく息をついた。これからほんのしばらくの間、一人の時間が訪れる。この間にゆっくりと考えをまとめ、きたる長崎表での談判に万全の備えをしておかなくてはならない。

 楠之助がキャビネットから取り出したのは、ギヤマンのティーポットに小さな白磁の湯のみ、そして古びた茶道具の棗だった。

 だが、抹茶を点てようというのではない。棗の中にはこの時代まだ珍しかった紅茶のリーフが詰まっているのだ。

 函館で英国人教師から操船や英語を習った楠之助は、その時初めて紅茶と出会った。かの国ではことに愛されており、士官はおろか兵でさえも、戦の折であろうと午後のティータイムを欠かさないのだという。

 日本茶とはまた異なる風味の、鮮やかな赤い茶に楠之助はすっかり魅了された。

 もっとも当時の紅茶はまだ国産化されていなかったため、いきおい舶来の贅沢品ではあった。しかし、海外の将官や商人をもてなすのに紅茶を出すと、侍とティータイムという意外な取り合わせが面白いのか好評を博するのだ。

 そんなこともあり、楠之助は身銭を切って紅茶の葉を自室に常備しておくようになったのだ。幾度かクルーたちにも振る舞ったのだが、慣れない風味のせいか好んで口にしようとする者はいなかった。副長の覚十郎にいたっては、

「なんや、気色悪い色やして」

 と、一瞥しただけで拒否反応を示していた。

 結局、楠之助はごくたまに一人寂しく紅茶を嗜むようになった。無論、船の共有備品のひとつという感覚ではあるが、ここぞという時や、心を落ち着けたい時などに喫するのが習慣のようになっていた。

 火鉢から鉄瓶を下ろし、楠之助はティーポットと白磁の器に湯を注いだ。茶器をあらかじめ温めておくのが、おいしく紅茶をいただくための基本だと教えてくれたのは英国の友人だ。ティーポットを湯で軽くすすぐようにしてから中身を水盤にあけ、リーフを入れた。このままでは真っ黒に見えるので、本場ではこれを茶葉の色からブラック・ティーと呼んでいるそうだ。

 そしてポットにお湯を少し高めの位置から注ぎ入れる。対流を起こしてなるべくリーフがポットの中で動き回るようにするためだ。こうすることで茶葉の旨みがよく抽出され、紅茶の秘めたおいしさが存分に引き出されるのだ。

 楠之助はこうして徐々に湯が紅く染まっていく、色の変化をぼんやりと眺めるのが好きだった。しばし何もかも忘れて、心がほどけていくような安らぎを感じられるからだ。だが、この時ばかりはそうではなかった。ポットの中で踊るリーフを眺めながらも、無意識にあの男のことを考えてしまう。

 ――才谷さん、何が狙いなんだ。

 返済期限を決めない状態での約一万両という高額の借金の申し出、それも突然のことだ。しかし、千両の見舞金は頑として受け取ろうとはしなかった。その時才谷は、「伊呂波丸に積み込んでいた金子は無事だったため、当座の資金に困っているわけではない」と明言したのだ。まるで、紀州藩の懐具合に探りを入れるかのような動きでもある。

 それに、一番気になるのが伊呂波丸の積荷についてだ。これは船長の小谷耕蔵から直接、「米と砂糖」という回答があり、移乗した覚十郎がその目で確かに見届けている。だが、才谷は最新の洋銃「ミニエー銃」四百挺を積載していたと主張している。しかし、沈没した船のこととて、すでに現物を確認する方法は絶無に等しい。

最悪の状況を考えると、積荷相当額の借用を過剰に請求しつつ、返済期限を設けないことでそのまま「踏み倒す」という筋書きに思い至る。

 しかも、今後の談判ではそれらの積荷の代金がそのまま据え置きになる保証もないのだ。あるいは、それ以上の額を要求してくる可能性も否定はできないだろう。それに明光丸と伊呂波丸、それぞれの回避義務と、その補償範囲にも触れられていない。場合によっては、事故原因のすべては紀州側に責任があるものとされて、補償ではなく「賠償」を要求される可能性すらある。

 しかし、楠之助はこの点に関してはさほど憂慮していなかった。知っている限りの諸外国の海難審判の事例を思い起こしても、明光丸側に重大な責任があるとは認めがたかったからだ。

無論、不幸な事故には違いない。だからこそ救難には全力を尽くし、またその後の補償にも誠意の限りをもって対応する姿勢を示してきた。

 それでもなお戦わなくてはならないのなら、法と道理に基づき正々堂々と振る舞うまでだ。

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