第二章 才谷梅太郎②


 同日午後六時三〇分、楠之助は成瀬を伴い枡屋清右衛門邸を訪れた。しかし取り次ぎに出た者の話によると、才谷は先日来の疲労により床に臥しており、代わって応対に現れたのは伊呂波丸船長、小谷耕蔵だった。

 楠之助は、土佐藩の面々に明光丸で共に長崎に向かってもらうこと、そこで両藩の重役同席の上で、世界各国の海難事故審判の類例と照らし合わせながら納得ゆくまで議論することの二点を提案した。

 小谷は人のよさそうな顔に神妙な表情を浮かべ、うん、うん、と何度も頷きながら楠之助らの話を聞いていた。彼らが会談しているのは枡屋の表口からほど近い、六畳ほどの小座敷だ。その間にもひっきりなしに土佐藩士たちが忙しく行き来して、落ち着かないことこの上ない。廻船問屋の邸宅とはいえ、宿泊施設ではないため明らかに手狭な様子だ。この奥に続いている座敷に二十名ほどの男たちが寝起きしているらしい。気の毒にも思う楠之助だったが、土佐の人たちにとって気心が知れた家なのか、みな割合気ままに振る舞っているのが感じられる。

「怪我をされた方の具合は、その後いかがですか? 傷が疼く頃でしょうから、新しい膏薬をお持ちしました。もしよろしければ、包帯を替えさせてください」

 話が一段落したところで、成瀬がドクターらしい気配りを示した。小谷は恐縮しつつも怪我人三名を呼び寄せ、成瀬の厚意にしきりに謝意を述べていた。

 手当てが終わると、楠之助と成瀬は早々に暇を告げることにした。長居してはやはり土佐側にも、そして枡屋側にも負担になるだろう。

「では、才谷氏に以上の事柄をよろしくお伝えください。なかなかお身体の休まる暇もありませんでしょうが、お大事になさいますよう」

 そう見舞った楠之助は、返答を聞くために明朝再訪する約束を取りつけ、枡屋邸を後にした。

 丁寧にも門前まで見送りに出た小谷が、何度も頭を下げるのが何故か心に残るのであった。


 楠之助ら紀州一行が宿舎としている圓福寺は、かつては水軍の城があったという海岸沿いの小高い丘の上に建っている。一見して港からは陸続きのようではあるが、実際には小さな島となっており、満ち潮の時には小船を漕ぎ出して往還する必要があった。だが引き潮になると島と港をつなぐ道が顔を出し、歩いてでも渡ることができるようになるのだ。

 古来、風待ちの港にして風光明媚な景勝地として知られてきた鞆の津は、多くの文人墨客が訪れることでもつとに名高い。品がありながらも港町特有の親しみやすさがあり、しかも穏やかな海と島の借景がいたるところで贅沢な彩りを添えているため、まるで時の流れがゆっくりと進んでいるかのような和やかさがある。

 圓福寺から陸地の方を見下ろすと、すぐに眼に入るのが福禅寺だ。

 平安時代中期、かの空也上人による創建と伝えられる古刹で、その客殿である「対潮楼」は江戸期を通じて朝鮮通信使が滞在する迎賓館として用いられたことがよく知られ、現在では国史跡に指定されている。


 正徳元年(一七一一)、ここを訪れた朝鮮通信使の従事官・李邦彦(イ・パンオン)は眼前に広がる眺望を愛で、「日東第一形勝」、つまり日本で一番の景色だという最大級の賛辞を贈っている。また、「対潮楼」とは延享五年(一七四八)の朝鮮通信使正使・洪啓禧(ホン・ゲヒ)によって、当時正式な名称が付いていなかったこの客殿に「潮のぶつかり合うところの望楼」という意味で贈られた名である。

 無論、遊山に来たわけではない楠之助たちには景勝を愛でるゆとりなどあろうはずもない。だがそれでも、この港町の持つやわらかな空気感が、張り詰めた彼らの心にほのかな安らぎを与えているのも、また事実であった。


 一夜明けた二五日午前六時、楠之助は覚十郎と成瀬を伴い、約束通り枡屋方に赴いた。しかし昨日の手狭な様子を慮ってか、場所を最初に面会した魚屋万蔵方に改め、そこで話したいという才谷の伝言により、楠之助一人がそちらに向かうこととなった。

「キャップよう。何でもはい、はいて言うたらあかんど。相手の話を鵜呑みにするんとちごうて、ちょっと疑ってかかるくらいで丁度ええんやして」

 誰も同行しないことがよほど不安なのか、覚十郎がしきりに注意を与えている。あまりにしつこいので成瀬が、

「副長、心配し過ぎです。キャップは人の良過ぎるところもありますが、その辺はしっかりされていますから」

 と、苦笑交じりに覚十郎をたしなめる。

(全然信用されていない……)

 二人の副官にはさまれた楠之助は彼らに聞こえないよう小さくため息をつきながら、魚屋万蔵方へと足を速めた。

 魚屋に来訪の意を告げ案内を乞うた楠之助は、上がり框に揃えられた大きなブーツに目を留めた。才谷は既に到着しているらしい。

 ほどなく奥の方からどすどすと賑やかな足音がし、才谷自らが楠之助を出迎えた。

「やあ、楠之助さん。ウロウロさせてすみませんのう。ささ、上がってたもんせ。すぐに茶でも出しますきに」

 ニコニコと愛想よく声を掛けてくる才谷は、もはや楠之助とは長年の知己であるかのような様子だ。それに存外顔色も良く、体調は回復したようだ。まるで勝手知ったる我が家のような遠慮のない振る舞いに、魚屋の使用人たちも好意的な忍び笑いをもらしている。そんな様子に思わず楠之助も頬を緩めてしまう。

「才谷さん、病み上がりに申し訳ありません。お疲れが出たのでしょう。すぐにお暇しますので、どうぞお気遣いなきよう」

「いやいや、昨晩当地名物の〈保命酒〉っちゅう生薬入りの酒をいただきましてのう。これがまた甘うてなんぼでもいけるがじゃ。お蔭でほれ、この通りぴんぴんしとりますろう」

 そう言って、才谷はその場で軽く飛び跳ねる真似までしてみせた。人の毒気を一瞬で抜いてしまうような、何とも不思議な人物だ。そして、やはり船上で感じたような言い知れぬ人間的魅力を発散している。楠之助はそう思いながら、通された座敷に腰を落ち着けた。

 紀州側から土佐側に提案する内容は単純明快だ。申し合わせの通り、明光丸に紀土両藩の人員が乗り込んで長崎に向かい、そこで事故の対応について協議する。明光丸のクルーは当初の任務を果たし、伊呂波丸のクルーは無為な時間を過ごさなくて済む。断る理由のない、最適な方法だと楠之助は思っていた。

 だが、黙って聞いていた才谷は急に真面目な表情になると居住まいを正し、声をひそめて予想だにしなかったことを言い出した。

「楠之助さん、ご提案はよう分かりました。じゃが、今回お一人でお出で願ったんはほかでもない、頼みがあってのことですがじゃ」

 そう言いつつ、懐から一枚の紙片を取り出し、楠之助の前に差し出した。

「不躾ながら、ちっくと金子をお貸し願いたい」

 唐突な借金の申し出に驚きながら楠之助が紙に目を凝らすと、どうやら借用書になっているらしくこんなことが既に書かれていた。


  金 ○○○両

 右某預り

金 ○○○両

 右某預り

 〆金壱萬四百五十両余


 最後の総額に目を走らせたとき、楠之助は絶句してしまった。

 金、壱萬四百五十両――?

 想像を絶する巨大な金額に、思わず我が目を疑ってしまう。

 江戸時代を通じての貨幣価値は金・銀・銭の三つが混在している上に、複雑な米価の変動があるため、現在の価値との比較が困難とされている。

 一般には米や蕎麦などの料金を基準として換算されることが多いが、幕末当時の物価高騰により、一両の価値は今で言う五万円程度だったと考えられている。

 すなわち、この時才谷が借用を申し出たのは単純計算で五億円超という、途方もない金額だったのだ。

 無論、楠之助が独断で返答できるはずもない。

「京に運ぶべき物資など、急ぎ手配せねばなりません。そのための金子ですき。もちろん無理にとは申しませんが、どうか我らの窮状をご憐察の上、前向きに検討してたもんせ」

 才谷は借用書をすぐ懐にしまい込み、そう言って頭を下げた。

 楠之助にできることは、「紀州藩重役と相談して返事をする」という受け答えのみだった。

 宿舎の圓福寺に急ぎ戻った楠之助は、真っ直ぐにある人物の部屋へと向かった。才谷から突きつけられた問題を相談するのには、この人をおいて他にない。

「御免。高柳でございます」

 来訪を告げた楠之助に、障子越しにのんびりとした声が返ってきた。

「艦長け? 入りよ」

 そっと障子を開け、一礼した楠之助にニコニコと笑いかけたのが、そう、紀州藩勘定奉行・茂田一次郎その人だ。

 温和そうな八の字眉に愛嬌のあるつぶらな目が、一見して好好爺のような印象を与えている。とても奥祐筆まで務めたほどの重役には見えないが、その紀州人らしいゆったりした挙措と物言いが大人(たいじん)の風格を醸し出している。

「怪我した人はおったかて、命に関わらんでほんまよかったでなあ。船の上ではなんも役に立たんとすまんかったよう。海のこと分からん年寄りがうろついとったら余計迷惑やさかい、じっとさせてもらっとったよう。土佐の人らにはほんま難儀なことやったかして、えらい気の毒やでなあ」

 楠之助はこのおよそ重役らしくない、むしろ近所の楽隠居のような風情の老人のことが、藩内の立場を超えた理屈抜きで好きだった。しきりに恐縮する茂田の様子に、思わずほっと心がほぐれていくのを感じていた。

 少し落ち着きを取り戻した楠之助は、才谷から依頼された借金の件について、順を追って説明していった。柔和な表情を崩さずに、その都度頷きながら耳を傾ける茂田は、まるで孫の話に相槌を打ってでもいるかのような風情だ。

 ひとしきり相談を受けた茂田は、変わらぬ様子でこともなげに言い放った。

「そら、あかな」

 駄目だ、という意味で紀州人がよく使う言い回しだ。だが、「何とかしなくてはいけない」とも「どうにもならない」ともとれる曖昧な方言なだけに、どちらの意味で使ったのか見極めようと、楠之助は答えの続きをじっと待っていた。

「その才谷さんらはよっぽど困っちゃあるんやで。えらいことになってしもたなあ。せやけど、わしらかて急にそないな金子用意でけんわよう。お城建つような額やしてよ」

 無論、大げさな例えではあるが、やはりおいそれと承諾できる額ではない。だが、茂田の言う「用意できない」というのは文字通りの意味ではなかった。

 先に述べた通り、明光丸は蒸気艦と銃火器調達を主な任務として長崎を目指しており、充分な資金を用意していたのだ。

 しかし、今ここで即座に貸与するには大きすぎる額であり、海難事故の審判も定まらない状態では後々の支障となる恐れすらある。

 そこで茂田は、ぽんと膝を打ち、

「艦長、ほな、こないしたらどないやろか?」

 と、言いつつ何かをさらさらと紙にしたため、楠之助に差し出した。

「これを持って、才谷さんらの本心がどこにあるんか、あんじょう見てきちゃり」

 茂田はつぶらな瞳に、元・奥祐筆としてならした辣腕の面影を光らせ、楠之助に土佐側との協議の継続を促した。

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