第6話 知的、真央的 インテリ計画
いつもの朝が始まった。ちょっぴり慌ただしくて、なのにどこかほのぼのした空気で、先に出勤したパパの食器を片付ける音がキッチンから聞こえてきている。
「まーお。早くしないと遅れちゃうわよー」
「うーん。わかってるぅ」
洗い物をしているママが、リビングに居座る私を急かす。
早く家を出ないと、いつもの電車に乗り遅れちゃうのは解っている。でも、一本くらい乗り遅れたって、死んだりしないし平気だよ。それより、これだよ。
私はテレビから流れている、朝の情報番組に釘付けだった。そこには、最近モデルから俳優に転向したKEIが映し出されていた。長い手足に切れ長の瞳。いつもセンスのいい服を身に着け、笑った時には真っ白な歯がキラリと見えて、乙女心をぎゅっと鷲づかみなんだ。
そんなKEIは、最近メガネを掛け始めた。以前は、メガネをしている姿なんて雑誌でも見掛けたことなどなかったのに、テレビの露出が増え始めた頃から度々目にするようになっていた。
「うーん」
私が唸ると、ママが心配して傍までやって来た。
「真央。学校、遅れちゃうわよ」
「ねぇ、ママー」
「なに?」
ママの心配をよそに、私はテレビから視線をはずさないまま訊ねた。
「メガネってさー。頭が良さそうに見えるよね」
「え? そうねぇ」
この子、何言ってるのかしら? ママは、そんなニュアンスが含まれた返事をする。その後、私の視線を辿ってテレビへ顔を向けた。
「あぁ。この俳優さんね、そういえば、最近メガネしてるわよね」
それほど興味はないにしろ、一応話を合わせてくる。
「私もメガネしようかなぁ。そしたら、できる女に見えるでしょ」
「何、バカなこと言ってんの。外見より、中身を磨きなさい。ほら、さっさと行くっ」
隣に立つママに真剣な眼差しで訴えてみたのだけれど、一蹴されてしまった。まるで邪魔者を追い出すように鞄を持たされ、玄関へと追いやられてしまう。
ママに急かされても、ダラダラと学校指定のローファーを履きのんびりと玄関を出る。通りに出て、漸く私は学校へ向かう気になった。いつもより三つ電車を乗り過ごしたせいで、学校に着いたらギリギリだった。
席に着くと同時に、朝のホームルーム開始のチャイムが鳴った。
「遅かったじゃん」
純太が少し離れた席から言った。それと同時に、担任が教室へとやってきたから、私は頷くだけで言葉を返せなかった。頭の中は、KEIがしていたメガネのことでいっぱいだった。
KEIってば、ノンフレームのメガネがよく似合ってたなぁ。元々、頭の悪そうな顔つきじゃないけど、メガネ一つであんなに頭脳明晰、みたいな感じになっちゃうんだね。
凄いなぁ、メガネ。かっこいいなぁ、メガネ。メガネ、欲しいなぁ。
私もノンフレームメガネをして、ビシッと「頭良いのよ」光線を振りまきたい。ちょっとできる感じの女って、かっこいいじゃない?
なんとかママにおねだりして、メガネ知的計画を遂行しよう。うん。そうしよー。
授業の間、私はそんなことばかりを考えていた。
昼休みには、いつも通り三人の机をくっつけてお弁当を食べる。栄養バランスも色使いもきれいな悠介のお弁当。大きいお弁当箱に、これでもかってくらいのご飯と、盛りだくさんのお肉メインのおかずが詰め込まれた純太のお弁当。私のは、ちょっとだけ手の込んだ可愛い感じのお弁当。プチトマトやウインナーの他に、ミートボールには可愛いスティックが刺さっている。緑が入るだけで彩が綺麗になるのよ、と言って毎回ママが入れるブロッコリーを摘まんで咀嚼していると、悠介が訊ねてきた。
「真央、今日はどうして遅かったの?」
悠介が、行儀よく口の中の物を咀嚼し、飲み込んでから訊ねる。
「そうだよ。休みかと思ったじゃん」
純太が行儀悪く、口の中の物を飲み込む前にしゃべる。
「純太、汚い」
しかめっ面で指摘すると、ああ、ごめんごめん。と慌てて飲み込んだ。
その後、箸を唇に置いたまま、二人の顔を交互に見てみた。
二人とも、メガネしてないのよね。この二人もメガネを掛けたら、やっぱり知的になっちゃうのかな?
でも、悠介の場合は、元々がインテリチックだから、ノンフレームの知的なメガネをかけたら、近寄りがたいくらいのインテリになっちゃうんじゃないかな。
まー、純太はねぇ。メガネをかけたからと言って、中身が中身だし、KEIのようには大変身なんてことはないだろうなぁ。
二人の顔を交互に見ていたら、純太が顔を顰め始めた。
「なんか言いたいことでもあんのかよ」
あんまりじっと見るからか、純太が不機嫌になっちゃった。また言い合いになるのは面倒だから、私は話を進めた。
「ねぇ。純太と悠介って、目は良いの?」
「俺、両目二・〇」
訊ねると、純太がすぐに応え、目をバチバチさせて視力が良いことをアピールする。
「僕は、悪いよ。今もコンタクトしてるし」
「え、悠介ってコンタクトしてたんだ。気がつかなかった」
悠介の瞳に近づき、私はジーっと覗き込む。すると、確かに黒目のところにハードレンズが見えた。
「ほんとーだー」
顔を近づけたまま、悠介の目を見ていたら、近いっ! ってなぜか純太に怒られた。
純太は、いつも私を怒る。カルシウムが足りてないんじゃないの? お弁当箱の中に入ってるお肉を見て、全部お魚に変えてもらった方がいいよ、とそんな目で見ていると、なんだよぉっ。て、どうしてか純太が片眉を上げ、不機嫌さをあらわにしている。
「なぁんでもなぁい」
怒られた事に少しの不満を抱きつつ、私はスティックを摘まみ上げ、ミートボールを口に入れる。このミートボール、少し味が濃い気がする。喉が渇きそう。
ペットボトルのアイスティーを手に取り、ゴクゴクと飲んでいると悠介が訊ねた。
「真央は?」
「私も目は良いんだよね。多分、両目とも一・五くらいあると思う」
だから、困っちゃうんだよねぇ。これじゃあ、メガネを掛ける理由がないもん。ママなんて、中身を磨きなさいなんて言ってたし。
中身は、一応磨いているつもりだけど、残念ながら成績はなかなか芳しくない。多分、後ろから数えたほうが早いだろう。ううん。多分じゃなくて、確実に、だ。
「僕、家に居るときは、メガネしてるよ」
悠介が、そう言いながら机のフックに引っ掛けていたカバンの中を探り始めた。
「何かあったら困るから、いつも持ち歩いてるんだ」
鞄の中から取り出したのは、KEIがしていたのに似ているノンフレームのインテリメガネだった。まさか悠介がメガネを持っているなんて思いもせず、目の前に現れた知的変身アイテムに一瞬で心が躍った。
「うっわー。貸してっ、貸してっ」
一気にテンションマックスになった私は、悠介の手から眼鏡を受け取る。
これを掛けたら、私も知的に見えるかも。
すぐさま掛けてみる。すると、視界が歪みグワングワンと目が回ってきた。
「あれ? あれれれ……うわぁっ」
度のきついレンズに目が慣れず、座っている椅子からずり落ちそうになっちゃった。
「危ないよ、真央」
すかさず悠介が手を伸ばし、落ちそうな私を支えてくれた。
「バカじゃねぇのっ」
純太は、また怒った口調で私のしているメガネを取り上げた。
「悠介は、スゲー目が悪いんだぞ。そんなやつのメガネ掛けたら、ふらふらになるの当たり前だろ」
悠介に支えられながら、私は怒り口調の純太をジーっと見た。
「な、なんだよ……」
すると、なんだか気まずそうに目をそらす。
あんまり怒ってるからその真理を探ろうと思って眼を見てみたのに、私から目をそらすとお弁当をガツガツ食べ始めた。
そっか。イライラの原因は、お腹が空いてたから?
私は、黙って純太がお弁当を完食するのを待った。満腹になったら、少しは穏やかになるかもしれないもんね。
「で、メガネに興味でも持ち始めたの?」
するどいっ。
「流石、悠介」
ニコニコしながら純太から奪い返した悠介のメガネを持ち、目の前にかざして見せる。
「メガネを掛けるとさー。すっごく頭よさそうに見えない?」
「うーん。一概にそうとも言えないけど、ありはありだよね」
悠介が、私がかざしていたメガネを手にとり、掛けて見せる。
「わわわっ。悠介ったらよく似合うっ」
朝見たKEIの姿と悠介が、ちょっと被って見える。近寄りがたい感じになるかと思ったけれど、ちっともそんなことはなくて。寧ろ、いい感じ。元々良い顔立ちだけど、メガネを掛けると悠介ってば益々知的に見えちゃうじゃん。
「チョー頭よさそうっ」
悠介のメガネ姿に私がはしゃいでいると、純太が横からメガネをひったくり自分も掛けた。
「俺だって、メガネ掛けたら頭よさそうに見えるってのっ」
悠介に負けたくないのか、純太は度のきついメガネをかけ、目をしばしばさせながら、どうだって顔をする。
そんでもって、それがかなり得意げだったりするからちょっと面白い。
けど、純太のその顔を見て、私は首を斜めにした。
「う~ん……」
私が唸ると、悠介も唸る。
「うぅん……」
「な、なんだよ。その反応はよっ」
二人の反応に、純太は納得がいかない様子だ。
私は、ポッケの中からコンパクトミラーを取り出し純太に手渡した。純太はそれを受け取り、メガネを掛けた自分の顔を覗き込む。
「だ……ダメだ……」
鏡を見ながら純太が呟いた。
「あ、やっぱり」
「うん。だろうね」
私と悠介は、メガネを掛けた純太の顔を見ながら、しょうがないよ、って顔をする。
すると、純太が、首をかしげた。
「え? 何が?」
メガネを鼻の方へずらして、純太が私たちを見る。
「何がって、何が?」
訊ねられたのに、私は純太へ訊ね返す。するとまたメガネを掛けて、鏡を覗き込み、うぅ、やっぱ無理だなんて言っている。
「だから、純太はやめた方がいいってば」
またもチャレンジしている純太へ、私は呆れた顔を向けた。
「はぁ?!」
すると純太が、訝しがる。
「あっ……」
そこで悠介が、何かに気づいたように声を上げた。
私は、何度も鏡を見ようとする純太の肩をぽんぽんと叩き、無理無理、純太には似合わないんだから。という意味をこめて首を横に振った。すると悠介がマズイって顔をしながら、違うってと私に耳打ちしてきた。
「え、何が?」
せっかく悠介が耳打ちしたっていうのに、私は普通に返事を返してしまって、そんなやり取りを見ていた純太が怒り出した。
「お前らぁ!」
え? 純太がまた怒ってるよ。お弁当が足りなかったの? それとも、やっぱりカルシウム不足? ちゃんとお魚食べてるのかな?
そうだ。純太の誕生日には、カルシウムのサプリでもあげよう。うんうん。そうしよう。けってーーい!
私がそんなことを考えていると、純太が益々怒り出した。
「くっそー。どうせ俺には似合わないよ」
「え? 今更?」
私が言うと、ガタンッと椅子から勢いよく立ち上がり腕を組み仁王立ちしている。そして、ぶんぶんにふくれた顔で睨みつけられてしまった。
ええっ。何でそんなに怒るかなぁ。だって、さっき自分でもダメだって言ってたじゃん。無理だって、自覚してたじゃん。
助けを求めるようにして、純太の怒りにおびえながら悠介を見る。
「ダメて言ってたのに、ねぇ……」
そう悠介に言うと、また耳打ちしてきた。
「違うって。それは、度がきつくて鏡の中の自分がよく見えない。って言う意味だったんだよ」
「え? そうなの? 似合わないって自分で自覚したわけじゃないんだ」
へぇー。悠介ってば、純太のことがよく解るんだー。
なんて、感心したような声を上げると、立ったままの純太が腕組みを解き、急に私のほっぺをひっぱった。
「ひやぁーー。痛い、痛いっ」
ジタバタしながら、抓られたほっぺをおさえ涙目で純太を見上げる。
「どうせ俺は、インテリメガネなんか似合わねぇよっ。何がメガネで知的だ。中身で勝負しろっての」
誰に言ってるのか判らないけれど、とにかく誰かに勝負は挑んでいるみたい。
それにしても、さっきまでの得意げな顔はどこへやら。自信があったのに似合わないとわかったら、中身の問題に摩り替えるなんて。純太らしいといえば、らしいよね。
でも、中身って……。
「純太、この前のテストも赤点ギリギリだったのに、中身でも勝負できないじゃん」
私が抓られたほっぺを押さえながら訴えるように言うと、んん……。と唸り声を漏らす。
「とにかくっ。人は、外見で判断するもんじゃねぇんだよっ」
ふんっ。とそっぽを向くと、ドスンと椅子に腰掛けメガネを悠介につき返す。
「人は中身が大事なんだ。なっ、悠介」
同意を求められた悠介は、メガネをケースにしまいながら苦笑いを浮かべている。
私は、中身を磨けっていう純太に怒られるのがイヤで、メガネ知的計画をこれ以上口にするのはやめた。
それから、怒りながらママとおんなじことを言う純太を見る。
制服の胸元には、ご飯粒がプチプチとついている。そんなのをくっつけて、中身で勝負だっ! なんて意気込んでいるけれど、その姿にはまったく説得力がない。
悠介と一緒に笑いを零し、純太の胸元を指さした。
「どこにお弁当くっつけてんのぉ?」
笑いながら胸元のご飯粒をとってあげると、気づいた純太が真っ赤な顔をする。
「さ……さんきゅ……」
恥ずかしそうに俯き、頭をかく純太の姿は、なんだか小さな子供みたい。可愛くなって、よーしよしって頭を撫でてあげたら、バカにすんなってまた怒られた。
首をすくめて悠介を見たら、澄ました顔で笑いを堪えながら私の方へと手を伸ばす。
「真央も。どこにお弁当、もって行く気?」
「え?」
伸ばした悠介の手が、リボンについたご飯粒をとった。
「あ。私にも付いてたんだ」
純太によーしよしなんてして、自分にもくっ付いていたなんてとても恥ずかしい。純太と一緒に顔を赤くして、笑ってごまかしてみる。
やっぱりママが言うとおり、頑張って中身を磨かんなきゃダメかも。メガネをするのは、もう少し中身が大人になってからの方がいいみたい。制服に、ご飯粒をくっつけなくてもいいようになったらおねだりしよっと。
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