第4話 恐怖と幸せになるための秘密

 一部の生徒だけが知っている、夜の校舎へ忍び込む方法がある。選ばれた三年生にだけ代々伝わるその方法は、一階の保健室が見える廊下にあった。保健室を真正面にした窓の鍵は、外から斜めにガタガタッと少しだけ力を入れて引っ張るようにすると鍵が開いちゃうんだ。

 そんな噂を聞き付けた私は、当然その真実を確認したくなる。ただ、その噂にはもっと別の噂がくっ付いていて、私の興味を更に惹いていた。

「で? 何で俺と悠介まで巻き込まれてんだよ」

 純太が真っ暗な廊下を歩きながら、小さな声でボヤいている。でも、先頭を切って歩いているんだから満更でもなく、ボヤいているのはいつもの癖だと思う。単に私のすることに文句を付けたいだけなんだろう。

「だって、一人じゃ怖いもん」

「そうだね。夜の校舎は、異様な雰囲気があって怖いよね」

 悠介は、私のすぐ隣を歩きながらそんな風に言ってるけど、表情はとても冷静で少しも怖そうに見えない。先頭を行く純太は、ぶつくさ言いながらも僅かに弾むような足取りを見ればこの状況を楽しんでいるみたい。

 先日、とある筋から噂を聞き付けた私は、女の子特有の怖いもの見たさでここに居る。でも、夜の校舎って本当に怖い。やけに静まり返っているし、廊下に並ぶ栄光の写真たちでさえ恐怖の題材みたい。そんな場所へ一人で乗り込むなんて到底無理で、だったら二人を誘うのは当然の流れだよね。

 非常灯と窓から入る月明かりだけを頼りに、私たちはもう一つの噂を確認するために目的の場所へと向かう。

 夜の校舎っていうものは、無駄に恐怖を煽ってくれる。廊下を鳴らす自分の靴の音にさえ、びくついてしまう。靴音に反応した、想像もできない何かが襲い来るような気がしちゃう。私はビクビクしながら、悠介の袖をぎゅっと摘んで歩いていた。

「そんなに怖いんなら、やめたらいいだろ」

 純太は、悠介にくっついて歩く私を怖い顔で振り返り睨む。月明かりに浮かぶ怒った顔は、普段の二倍増しだ。

 それでなくても怖いんだから、そんなに怒らなくってもいいのにさ。

「大体、そんなの噂に決まってんじゃん」

 純太はいつもの体で、否定から入る。まるで私のすること総てが気に入らないみたい。

「でもぉ、確かめてみなきゃ分からないよ」

 純太の勢いに負け、ふにゃふにゃと言葉を返したら悠介が庇ってくれた。

「うん。そうだね。目で見たものだけしか僕も信用できない」

「それは、言えるけど……」

 悠介がきっぱり言い切ると、私に対して勢いづいていた言葉はすぐに尻すぼみになる。悠介の言葉は、絶対みたいだ。それでもまだ少し納得のいかない表情でぶーたれながら、横並びに歩き私と悠介を見ている。

 純太は、そんなにこの計画に誘い出されたことがイヤだったのかなぁ? こういう面白そうなことに、純太は一番にのってくれると思っていたのに、何だか残念な気持ちだ。

 好意を無碍に踏みにじられたようで、ちょっぴり寂しい気分になってしまう。

「まずは、鍵だよな」

 悠介が言い、職員室のドアに手をかける。職員室には、普段鍵がかけられている。ただ、警備員が見回る前後二、三十分の間は、不用心にも開放されている。これも、純太情報だ。

 こんなに詳しく学校事情を知っているってことは、普段から忍び込んでいるんじゃないかと疑いの目で見てしまう。

 猜疑心丸出しで純太を見てみたけれど、悠介が慎重な手つきで職員室のドアをゆっくり開ける姿に注目していて気がつかないみたいだ。

 ほとんど音もたてずに開いたドアの向こうに、スルリと三人で忍び込んだ。

 学校中の鍵が入ったケースは、教頭先生の机がある傍の壁に取り付けられている。スマホの明かりを頼りに、なるべく音を立てないようにキーケースの蓋を開けた。

 金属特有の硬い音を立てて開けると、中にはたくさんの鍵がぶら下がっていた。それぞれに、どこの鍵なのかわかるようプラスチックのキーホルダーがついていて、教室の名前が書かれたシールが貼られている。その中から二つの鍵を取り出し、ケースの蓋を閉じた。手にした鍵を私たちに見せ、悠介が口角を上げる。スパイ気分でちょっとワクワクしちゃう。

 入った時と同じようにそっと職員室を出ると、今度は階段を一気に三階まで上がる。

「この時間、警備員は見回りしないはずなんだ」

 どうやってそんな情報を仕入れたのか、純太が確信的な顔をする。純太の言葉を信じ、私たちは真っ直ぐ廊下を進んでいった。

「しっかし。そんな噂、誰から聞いたんだよ」

 特別教室の並ぶ廊下を歩きながら、純太が訊ねる。

「隣のクラスのさっちゃん」

「何で、さっちゃんがそんな噂を?」

 私に袖を掴まれたまま、悠介が訊く。

「さっちゃんの、五つ年の離れたお兄ちゃんが言ってたの。これを知ってるのは、本当にごく一部で。それを見たのは、自分と過去の先輩たちの何人かだけだって」

「ふーん。見たって事は、ウソじゃないってことだよな」

「うん」

「だったら、その兄ちゃんにどんななのか訊いた方が早くね?」

「それがね。人に訊いちゃだめなんだって。自分で見なくちゃ意味がないって」

「本当かよ」

 純太は、けっと鼻で笑う。紺色のパーカーのポッケに手を入れて、面倒臭そうな顔つきだ。

「まぁ、どっちにしても。噂じゃなく、実在はするってことだろ」

 じゃあ、確かめるしかないよなと、悠介は冷静に言う。

 迷いなく進む悠介のあとに、私がくっ付いていく。更にその後ろに、純太もついてくる。そして目的のドアの前に辿り着いた。

 三人ともが呼吸を合わせるように、一度息を吸い吐き出した。

「開けるよ」

 悠介が職員室で拝借してきた一つ目の鍵を差込み、中に踏み込む。そのあとに、純太と私も続ていた。

「いつ来ても、いい雰囲気じゃないよね、ここって」

 辺りをキョロキョロと伺いつつ、私は悠介にぴったりとくっついて歩く。

 真夜中の理科室は、実験のせいか異様な臭いが僅かに残っているし、わけのわからない標本や気持ちの悪いものがいっぱいだ。

 棚に並ぶホルマリン漬けの品々を、ジーっと見ていた純太が私を振り返った。その顔がいたずらに歪む。

「やっ、やめてよね……」

 純太が面白がるように、一つの瓶を手にして私に近づけ始めた。

「もぉっ、やぁーだーっ」

「別に襲ってくるわけじゃねぇし」

「でも、気持ち悪いじゃんっ」

 暗闇の恐怖と、以前は生きていたはずのゆらゆらと浮かぶ、元がなんだったのか考えたくもないような物体は、どう見積もっても気持ち悪い以外にない。目をぎゅっと瞑り恐怖を追い出そうとしたけれど、純太が面白がってオラオラなんて近づけようとするから、悠介のうしろに急いで隠れた。

「助けてっ、ゆうすけぇっ」

 私が半泣きになっているのを見て、悠介が純太を嗜める。

「純太」

「つまんねぇのぉ」

 本当につまらなそうに、純太は瓶を棚に戻しふくれている。

 まったく、やることがいちいち子供なんだからっ。

 純太の背中にあっかんべーをしたら、悠介がそんな私を見て苦笑いをしている。

 不満顔の純太を無視して、私たちは理科室の奥にある理科準備室へと進んで行った。

 理科準備室に生徒が入ることは、ほとんどない。先生が実験の準備や、小難しいことを考えるために使う部屋だからだ。

 理科室の鍵とは別の物を準備室の鍵穴に差し込み、ゆっくりとドア開けると微かにギーッと軋む音を立てた。

 それでなくてもホルマリン漬けや標本で怖い思いしているのに、静かで真っ暗な理科室に響く軋む音は、恐怖を煽るのに充分な効果音になっている。背筋に寒気が走り、体に力が入る。

 初めに悠介が中に入った。続いて私。そうして純太が後に続いた。

 狭い準備室は遮光カーテンが閉まっていて、月明かりも入らず真っ暗だった。

 悠介が、ポッケからスマホを取り出しライトを点けると手元が明るくなった。その灯りで、中にあるものがなんとなく見えてきた。

 書棚には、所狭しと並べられた書籍の数々。別の棚には、ビーカーやフラスコなど実験器具が雑多に置かれている。実験用のテーブルの上も、何が何やらわからないけれど、たくさんのガラスでできた器具が雑然と置かれていた。床には、何が入っているのか解らないけど、いくつかのダンボール箱も無造作に置かれていて、私たちはそれを避けるようにして奥へ行った。

「これか」

 悠介が、そいつの目の前で立ち止まる。スマホの心許ない灯りに照らされ浮き出た真っ赤な血管や、クネクネと這いまわる腸や臓器の数々は、ホルマリン漬けにだって負けない。何より、皮膚を剥がれた人間の中身というのはこんなにもおぞましいのかと、自身の体の中に恐怖さえ芽生えた。

「つーか、なぜ人体模型?」

 純太がダルそうな態度で、胡散くせぇってもらした。

「胡散臭いかもしれないけど、これなんだから仕方ないじゃん」

 文句を言い足りなさそうにしている純太を少し睨みつつも、人体模型からは少し距離を置く。だって、怖いんだもん。

「でも、この人体模型のどこかに、秘密の文章があるんでしょ?」

 純太を睨みつけていると、悠介がスマホで人体模型を照らしながら訊いてくる。

「うん。これのどこかに秘密の言葉が隠されていて。それを見つけた人は、幸せになれるんだって。さっちゃんのお兄ちゃんが言ってた」

「さっちゃんの兄ちゃん。マジで言ってたのかよ」

 人体模型を目の前にして、純太は猜疑心いっぱいの目で私を見たあと呆れている。

 きっと、私がくだらない嘘でもついているって思ってるんだ。

 こんな怖い思いまでして、わざわざ嘘なんてつかないからっ。

「本当だもん。さっちゃんのお兄ちゃんがそう言ってたんだもん」

 疑われているみたいで、納得がいかずいじけちゃう。

「実際、さっちゃんのお兄さんは、見たって言ってるわけだし。その言葉ってやつ、探してみようよ」

 悠介は、使われたことがあるのかどうかも疑わしい人体模型に手を伸ばす。足の部分をパカパカと開けてみたり、心臓や肺を開いては、スマホの灯りを当てて文字を探している。

 私は人体模型の気持ち悪さに相変わらず近寄れず、少し離れた場所からその様子を伺っていた。

「真央が言い出したのに、探さなくていいのかよ」

 遠巻きにしている私のそばに来て、純太が訊ねる。

「怖いんだもん……」

 うつむき加減で言うと、ただの人形だろ? と純太が笑う。

「でもぉ。もしかしたら、急に動き出すかもしれないでしょ。悪い子いねぇかぁっ! って」

「ふっ。それ、秋田のなまはげじゃん」

 怖さを忘れるために言った冗談に、純太がケタケタ声を上げた。

「あんなもんが襲ってきたって、どってことねぇし」

 悠介に探すのを任せっきりで、純太は私の横に立ちチャチャを入れてくる。

「意外と強いかもよ」

「負けねぇ」

「自分の心臓とか、肺とか投げつけてくるかもよ」

「なんだよそれ」

 笑いながら言うと、純太も笑う。

「とにかく。俺がちゃんと護ってやるから大丈夫だ」

 純太は、まかせろっと胸を張る。

 なんだか、珍しく頼もしい。でも、悠介と一緒に探しにはいかないんだね。

 冷静に純太の行動を分析していたら、悠介の手が止まった。

「……あっ」

 悠介が何かを発見したみたい。

「悠介、なんかみつかったか?」

 純太が、悠介の居る人体模型の方へ歩いていく。一人だけ取り残されるのがイヤで、私も慌てて純太のあとを追った。

「ほら。ここ」

 悠介が光を当てた場所を覗き込む。

 そこは、頭の部分で脳みそがウネウネと詰まっているから、とにかく気持ちが悪い。

 私は顔を顰めながらも、悠介がほらと指をさす部分を頑張って覗き見た。ずっと以前から書かれていたせいか、そこには掠れた文字が見えた。読み取るのに、少し時間がかかりそう。

「なんて、書いてあるの?」

 私が訊ねると、なぜか悠介が笑っている。純太は、そんな悠介を不審がり、目を凝らしてその字を見た。その途端。クックッと声を上げて笑い出した。

 え? なに、なに? なんで、二人とも笑ってんの?

 笑う二人を交互に見てから、もう一度掠れた文字に目を凝らした。

「きょうとうのあたまはズラ……。なに、これ?」

「だからー、教頭の頭は、ズラって書いてあんの」

 純太が呆れたように言い、笑っている。

「えっえぇー!? ちょっ、ちょっと待って。なによ、それ。てか、くっだらない」

 あまりのくだらなさに、逆にひどく驚いた。確かに、教頭の頭がズラだって言うのは知らなかったよ。だって、ズラだとしたら、よぉくできてるもん。どっからどう見ても、自毛に見えるもん。

 そんな教頭の頭が実は禿げてるなんて、きっと誰も知らないと思う。だけど、だからって。

「これが、幸せになれる秘密っ!?」

 私は、笑うよりも呆れてしまった。けど、二人はなぜだかまだ笑っている。

 きっと、ここまで真剣になって辿り着いた結果がこれで、逆に可笑しくなってしまったんだと思う。そんな二人の姿を見ていたら、私も段々笑いがこみ上げてきた。

「この秘密、くだらなすぎる」

 悠介は、目じりに涙をためて笑っている。

「誰だよ、こんな噂立て始めた奴」

 純太も、お腹に手を当てて笑う。

「さっちゃんのお兄ちゃんにはめられたっ」

 私も、クスクス笑う。

 幸せになれる秘密なんて、所詮はこんな程度よね。でも、こうやって些細なことを笑いあえる友達が居るってことが幸せなんだろうな。

 幸せになるための秘密の言葉は、そんなことに気づかせてくれた―――――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る