第3話 三人で半分こ 争奪戦の行方は?

 相も変わらず、純太と真央は学校帰りに僕の家にやって来る。部屋に上がるなりだらけた様子でブレザーのネクタイを緩めた純太に、だらしないと言いながらローテーブルの前にちょこんと座る真央がクッションを抱き寄せている。

 そんな二人を部屋に残してキッチンへ行けば、ダイニングテーブルにはおやつの用意がされていた。冷蔵庫からペットボトルのコーラを取り出そうとしけれど、置かれているお洒落な洋菓子を見てやめた。母親は、スーパーへでも行っているのか留守にしている。洒落た洋菓子にあうように、食器棚から真央の好きそうなティーセットを取り出し紅茶の準備をした。

 それらを盆にのせて部屋へと戻ると、二人が意外にも仲良さそうに会話をしていたものだからちょっと新鮮に思えた。共通の話題で盛り上がっているのか楽しげだ。いつもそんな風にしていたらいいのに。

「お待たせ」

 テーブルにティーセットと、頂き物のちょっといい目の洋菓子を置くと、二人の目がすぐさま釘付けになった。

 すると、さっきまで仲良さそうに和気藹々と会話していたはずの二人の間に、いつもの如く火花が散りだした。

 恒例の言い合いが始まってしまったんだ。

「だーかーらーっ。さっきから言ってんだろ。俺が三つで、お前らは二つずつ」

「どぉーしてぇーっ」

 純太の言い分に納得がいかない真央が、勢いよく言い返している。

「僕は、二つでもいい―――……」

 二人の言い合いを収めるが如く身を引く発言をしたのだけれど、小競り合いに遮られてしまった。

「ダメだよぉっ!! 悠介はいつもそうやって純太を甘やかすんだからっ」

「はっ? 甘やかされてんのは、真央の方だろっ」

「私は、甘やかされてるんじゃないもーん。悠介が、真央には優しいだけだもーん」

「それが甘やかされてるって言うんだよっ」

「違う、ちがうぅっ」

「まぁまぁ……」

 今日のおやつは、うちの父親が貰ってきたお洒落なマカロンだった。細長いクリーム色した綺麗な箱の蓋を開けると、カラフルでコロンとした姿が一列になって顔を出した。

 何だろう、何だろうと目を輝かせる二人の前で、包みを開けたまではよかったんだけど。中身を見てみると七つという割り切れない数で、それを確認した瞬間に二人はいつものパターンになってしまった。

 それまでは、どんな味があるのかなぁ? なんて、真央はニコニコ、ワクワクしていたし。純太は、マカロンなんて初めて食うぜ。なんて意気揚々としていた。なのに、一瞬でこの険悪なムード。誰が一つ多く食べるかで、さっきから二人の言い合いは続いている。

「じゃあさ。僕は一つでいいから、真央と純太で三つずつ食べなよ」

 二人の争いは時に楽しいけれど、度を超す場合があるから気を付けなくちゃいけない。うまく流れを変えてあげないと、いつか大変なことになる。

「ダメダメー。そんなのダメなのっ。悠介のお父さんが貰ったものなんだから、悠介が我慢することないよ」

「イヤ、別に、我慢っていうほどのレベルのものじゃ……」

 美味しそうなマカロンを目の前に、真央の鼻息も荒い。幼稚園児並みに洋菓子を欲しがっている姿は可愛くて可笑しい。

 僕が笑いをかみ殺していると、純太が反撃してきた。

「そうだよ。悠介の父ちゃんが貰ってきたんだから、悠介はいいんだよ。真央が一個で我慢すればいいじゃん」

「えぇっ!? ちょっと純太。普通、女の子には優しくするものでしょ。いいよ、俺の分も食べなよ。ニコッ。くらいするもんじゃないのっ?」

 下手な三文芝居のように、真央がニコッのところでうそ臭い笑顔を作った。その表情が可笑しくて、僕はまた笑いをかみ殺す。

「けっ。世の中そんなに甘くないんじゃ、ぼけっ! 強い者が勝つんだっ!」

「ぼ、ぼけぇーー?! 悠介ー、純太がぼけって言ったーーー。私にぼけって言ったあっ」

 はっはっはーっ。なんて、ミュージカル並みの笑い声を上げる純太に、真央は泣きそうな顔をしている。

「よしよし。大丈夫、真央はボケじゃなくて、ネイチャーなだけだから」

「ねいちゃあ? ねえちゃん? あっ、姉ちゃん? ……私、一人っ子だよ」

 首をかしげて、真央が考え込んでいる。もう少し勉強しましょう。

 天然ボケ全開の真央に、苦笑いが浮かぶ。

 言い合う二人を尻目に、いい感じに香り立ち始めた温かい紅茶をカップに注いだ。

「紅茶、飲もうか」

 二人に笑顔を向けると、素直にカップを手にした。

 手懐けた憶えはないけれど、パブロフの犬みたいだな。悪いなと思いつつも、両手でカップを持ち素直に紅茶を口にする二人を見て、クツクツと笑いがこぼれそうになる。

「何、笑ってんだよ」

 純太が、怪訝な顔をする。笑いを抑え込んでいたつもりだったけれど、どうやら表情に現れていたらしい。

「ううん」

 僕は、すぐさま笑いを引っ込め真央を見た。

「どう? この紅茶、美味しいだろ?」

「うん。すんごく美味しい。なんか、ちょっとおしゃれで高級なカフェに行ったら出てきそうな味。それにこのカップ。とっても素敵」

 真央のために選んだカップは、正解だったようだ。恍惚とした表情で、淑やかに振る舞い紅茶を口にしている。

 うんうん。なんて、カフェに縁のない純太は解っているのかいないのか、大きく首を動かし頷いている。

「この紅茶も、父さんが貰ってきたやつ。仕事絡みで、いい物いっぱい貰ってくるんだよね」

「へぇー」

「ふーん」

 二人同時に相鎚を打つと、同じような顔をしてふぅーふぅー言いながら、熱い紅茶をすすっている。

 そんな二人の姿は、僕からしたらとってもお似合いなんだけど、どうも顔を合わせると言い合いになってしまうんだよね。

 真央の気持ちはよく判らないけど、純太は真央が好きなんだから、もう少し優しくしたらいいのにと僕は常々思っている。

 なのに、純太曰く。顔を見てしまうと、つい喧嘩腰に話してしまうんだって。好きな子をいじめてしまう小学生となんら変わらない。もう少し大人になりましょう。

「ねぇねぇ。とりあえず、一つずつ食べてみない?」

 カップを両手で包むように持ったまま、真央が可愛く小首を傾げて提案する。自然と滲み出る、この愛らしい仕草に純太はやられているのだろう。

 がんばれ、純太。

「おうっ。そうしようぜ」

 争い続けて時間ばかりが過ぎ、ずっとお預け状態だったマカロンを、とりあえず一つ食べることができるならと純太が同意した。一先ず休戦かな。

「どれにしよっかなぁ」

 真央は、カラフルなマカロンをニコニコとしながら選んでいる。おもちゃを選ぶ小さな子供みたいで愛らしい。

「俺、この茶色いの」

 真央が選んでいるうちに、純太が言って一つ摘んだ。

「それ、ショコラだよね。じゃあ、私はー、これっ」

 真央が摘んだのは、ピンク色のフランボワーズ。可愛い真央に、よく似合う色だ。

「悠介は?」

「僕は、キャラメル」

 三人それぞれマカロンを摘み、せーので口に含んだ。

「おいしぃっ」

「うめっ」

「うん」

 真央は、ほっぺがキュウッてなるぅー。とジタバタしながらマカロンの美味しさにはしゃぎ。

 純太は、スゲー。なんだこれ。シュワッとするって言うか、サクッて言うか。中のクリームと一緒に溶けてくっ。うんめぇ。とひたすら感動だ。

 僕が食べたキャラメルはほんのり苦みがあって香ばしく、甘さを少し控えた大人の味だった。

「マカロンて、うめーなぁ」

 むしゃむしゃと一つ目のマカロンを完食した純太が、紅茶を飲んでシミジミとしている。まるで、縁側で緑茶を飲むおじいちゃんみたいだ。

「よしっ。もう一個食おうぜ」

 初めて食べたマカロンの味がたいそう気に入ったようで、純太がもう一つを選び始めた。その姿を見て、真央もすかさず二つ目を選び始める。

 バニラを選んだ純太。抹茶を選んだ真央。

「悠介は?」

 選んだマカロンを見せ付けるように摘んで、真央が訊く。

「じゃあ。オランジェ」

 真央の表情に促されるように、橙色をした洋菓子を摘まみ上げた。口元へ近づけると、オレンジの香りがふんわりと漂い、頬張るとなんとなく懐かしい味がした。田舎で食べた素朴なミカンゼリーの味に近いような、それでいて洋酒を少しだけ効かせた都会の味もする。

 二つ目も完食してしまった二人は、箱の中に一つだけ残るマカロンをジーっと見つめている。

 また、バトルか?

 紅茶のカップを口元に持っていきながら二人を観察する。残っているのは、大人味のエスプレッソだった。

「ねぇ。美味しそうだよね」

 真央が、マカロンを見つめたまま目を輝かせている。

「うん、うまそう。エスプレッソって苦いのか?」

 純太が真央に相鎚を打ちながらも、やっぱりマカロンから目を離さずに応えた。

「ゆうすけー。エスプレッソって大人の味だよね?」

 真央が訊ねるから頷いた。

「ちょっと大人の雰囲気は、あるよね」

 とは言っても、お菓子なのだから甘く作られているだろう。甘味の利いたエスプレッソ味を食べた後に、芳しい紅茶を飲むっていうのは粋な感じがするな。

 僕が応えると、真央は純太にまっすぐ視線をやる。その瞳は、何やらイタズラな雰囲気を孕んでいた。

「純太はさー、まだまだ子供だから、エスプレッソは早いんじゃない?」

 なるほど。そう来ましたか、真央ちゃん。

 純太にシラッとした顔を向けた真央が、ちょっと誇らしげな顔をしている。きっと、私は純太よりも大人だから、というところなのだろう。そんな風に言うところがまず子供だよ、という突込みは口にせず、黙って経緯を見守ることにした。

 純太は真央に言われた意味がすぐに掴めなかったようで、キョトンとしてしまった。純太の表情を見て取った真央は、できるОLさながらにピッと胸を張り、説明口調で言いだした。

「私と悠介は大人だと思うのね。けど、純太って我儘言ってばかりだし、まだまだ子供でしょ?」

 自分が持つ最大限可愛いだろうと思うほどの笑顔で、純太へ皮肉を言っている。真央の言い方も可笑しいけれど、すぐに理解できない純太の純粋さみたいな鈍感さは可笑しくて、僕は笑いを必死にかみ殺していた。

 当の純太は、真央に言われた言葉よりも、真央の表情に見惚れているくらいだからしょうがない。それでも、ブルブルと首を振って現実に立ち返ると、皮肉られていることに気づいたのかこめかみをピクつかせた。

「あーのーなあぁぁっ。真央に我儘なんて、言われたくねえしっ」

 純太が腕組みをし、怒り出した。

 あぁあ、やっぱり始まっちゃったか。

 僕は、苦笑いを浮かべながら二人のバトルを見守ることにした。下手に止めてもとばっちりを受けそうだから、少しだけ様子見だ。頃合いのいいところで、巧く止めにはいる術を考えておこう。

 残り一個のマカロンを巡って、純太と真央の戦争が再び勃発だ。

「純太、男なんだから譲りなさいよぉ」

「意味わかんねぇしっ」

「レディーファーストでしょっ。レディーファーストッ」

 まったく。そんなんじゃ、ジェントルマンには一生なれないんだからっ。と真央は頬を膨らませている。

「へんっ。俺は、生まれた時からジェントルマンだっつーのっ」

「……純太、さすがにそれは、意味がわからないよ」

 僕のボヤキなど耳にも入らず、二人の言い合いは続く。

「だいたい、どこにレディーが居るんですかぁ?」

 下唇を突き出すようにして、純太がわざとらしく辺りをキョロキョロと探すように見て言い返す。

「目の前にいるでしょー。こんな素敵なレディーがっ」

 真央も負けじと言い返す。

「そういうのは、自分で言わないほうがいいよ、真央……」

 呆れて窘めたけれど、やっぱり僕の言葉はスルー。そんな言い合いが数分続いたとき、玄関ドアの開く音がした。

「ただいまー」

「あれ? 父さんだ。今日は早いな」

 いつもより帰宅の早い父親が、廊下を歩いてきて僕の部屋をノックした。

「いらっしゃい」

 ノックしてすぐにドアを開け、父さんは愛想よく純太と真央に挨拶をした。

「おっ、お邪魔してますっ」

「こんにちはー、お邪魔してますー」

 さっきまで争っていたのが嘘のような二人。ピタリと言い争いをやめたかと思うと、純太は、ノックと共に胡坐をかいていた足を正座に変え、俺の父親に向かってしどろもどろの挨拶をし。真央は、まるでお嬢様気取りで緩やかに頭を下げ、清楚に微笑んだ。

 そんな二人の変貌振りが可笑しくて、僕は笑いを堪えるのが大変だった。

「おっ。マカロンか。どうだった?」

 テーブルの上のマカロンを見て、父親が訊いてくる。

「はいっ。美味しかったです」

「とても美味しかったです」

 畏まったままの二人がさっきと同じように応えると、父さんはどれどれと言って、残り一個になったエスプレッソのマカロンを摘んだ。そして、マカロンはそのまま父さんの口の中へ―――――。

「あっ……」

「あぁ……」

 まるでスローモーションのようにマカロンの行方を目で追っていた二人は、父さんの口の中へと消えてしまった残り一個の洋菓子を、口を開けたまま見続け呆気にとられてしまった。

「うん。マカロンてやつは、旨いな」

 エスプレッソのマカロンをあっという間に食べてしまった父さんは、満足げな表情でゆっくりしていきなさいと言い置いて部屋を出て行った。

 閉まったドアを見つめたまま、二人は放心状態だ。

 僕は、思わぬ人物によって終戦したこの争いにほっと息を吐き、カップに紅茶を注いで二人に勧める。

「紅茶、飲みなよ」

「……うん」

 声を揃えて頷くと、二人はズズズッと音を立て素直に紅茶を飲んでいる。無言の室内に残るのは、マカロンの甘い残り香りと紅茶の香しさ。

 そうしてマカロン争奪戦は、呆気ない結末を迎えたのだった。

 父さん、ナイス!

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