第17話 想いのベクトル交差中

 残り僅かになった夏休みをなるべく有意義に過すために、今日の私はさっちゃんを襲撃していた。

 お土産のドーナツを手に現れた私を、さっちゃんが快く迎えてくれる。

 さっちゃんママが淹れてくれた、ちょっと高級そうな紅茶にチェーン店のドーナツはなんだか不釣合いのような気がするけれど、美味しいから別にいいか。

 今日のティーセットも、とっても素敵だ。繊細さの滲み出た真っ白な陶器に、薄い水色をしたレース調の柄が描かれていて、私なんかにこんな素敵なティーセットを用意してもらえるなんて、寧ろ恐縮してしまうくらいだ。

「高級そうだね」

 手を引っ掛けて落っことしてしまわないように気を付けながら眺めていたら、さっちゃんが「ふふっ」て微笑んだ。

「どんなにいいものを持っていても、使わなかったら意味がないんだって。真央が来て使ってくれるのがママは嬉しいみたいだから、気にしないで」

 さっちゃんママは、太っ腹な性格らしい。こんな雑な性格をしている私に高級ティーカップを惜しげもなく使ってくれるなんて、ドーナツじゃなくて、もう少しいいものを持ってくるべきだったかな。とは言っても、お小遣いには限りがあるから無理だけどね。

「ねぇ、さっちゃん。私って、狡いのかな?」

「え?」

 いつものようにお気に入りのクッションを抱え、柔らかさを確認するみたいにこれでもかってくらいにグニグニとしながらさっちゃんに訊ねると、どうしたの急に? と驚いている。

 それは、そうだろう。なんの前置きもなくそんなこと言われたって、困っちゃうよね。

「色々ね。ない脳みそだけど、ここの所考えることが多くて」

 はーっ、とわざとらしい溜息を吐きつつ、二個目のドーナツへ手を伸ばす。

 あの日、悠介に言われた言葉を、私はあれから何度も何度も考えていた。俯いてしまった悠介が、絞り出すようにして私に告げた「狡い」がどういう意味を持ったものなのか、ずっとずっと考えていた。けれど、どんなに考えたって、解らないものはやっぱりわからなくて。わかったつもりになったとしても、それは結局私の勝手な憶測や推察でしかない。

 私の緩い脳みそでは、考えることの限界なんてあっという間で。だから、こうしてさっちゃんに訊ねてみることにしたんだ。

「なに? 考えることって」

「純太や悠介や、それに岩崎君」

「その三人と何かあったの?」

 何かあった……、というわけじゃないよね。明確に何か行動してきたと言えば、岩崎君くらいなもので。悠介と純太に至っては、なんとなくギクシャクしているような気がする、というだけのこと。

 そして、先日の悠介ことだ……。

「特に何かあったってことじゃないんだけど。なんか……うん。色々」

 全く説明になっていない私の話に、さっちゃんが更に困った顔をする。

 沢山の言葉を知らない私は、胸の中にあるものをうまく言葉にして説明することができない。モヤモヤとする胸の中に渦巻くなにかは、喉元に詰まっている小骨のようだったり、乗り物に酔った時の気持ち悪さに似ていた。

 薬を飲めば、はいスッキリ、と言うわけにはいかず、ずっと胸の中でぐるぐると居座ったままでいた。

「真央は、優しいからね」

 さっちゃんの言葉に、目が見開いた。

「そうっ。それっ」

 まるで悠介との会話を知っているみたいに「優しい」という言葉を口にしたさっちゃんに向かって、私は人差し指を突きつける。

 急に突きつけられた間近の指に、さっちゃんは目を丸くして驚いた。私は、指を引っ込めてから、ふぅーっと息を吐く。

「悠介がね。私は、みんなに優しすぎるって言うの……」

「永井君が?」

「うん」

 私は、ドーナツを大きくひと口頬張りムシャムシャと咀嚼する。それから高級なティーカップをそっと持ち上げて紅茶を口に含み、口の中のパサパサ感を喉の奥に流し込んだ。

 こんな素敵なティーカップに、安いドーナツはやっぱり不釣り合いだったけれど、どちらも美味しいと思える私の味覚は、どこでも生きていけるくらいには逞しい気がする。

 それにしても、問題はこっちだよ。

「優しいって、いけないことなのかな? 優しいって、狡いことなの?」

 詰め寄るようにして訊ねると、若干身を引いたさっちゃんが少し考えてから話し出した。

「それは、相手の想いが誰に向ってるかによるんじゃないかな?」

「おもい?」

「永井君にしても速水君にしても。それからー、岩崎君だっけ?」

「うん」

「その彼にしても。気持ちが、どこにあるかだと思うよ」

「そんなの、わかんないよ……」

 さっちゃんの言いたいことはなんとなく解るようで、解らなかった。ただ、岩崎君の気持ちは、よく解っている。はっきりと口にして告白をしてくれたし、ふったあとでも諦めきれないというようなことを言われたからだ。けれど、純太や悠介のことは、よく解らない。はっきりと何かを言われたわけでもないし。ただ仲良く三人でいること以外に、何をどう思っているのかなんて、私にはわかりようもない。

 ない脳みそは、考えることをそろそろ諦め始めていて、つい下唇が突き出てしまう。

「岩崎君は、純太と悠介が最近ギクシャクしているのは、私のせいみたいに言うの。それで、数学なんか大きらいなのに、代入しろとか言うし」

 岩崎君がわけのわからないことを言いだしたおかげで、私の頭の中は余計にこんがらがっていた。

「代入?」

 さっちゃんは、なにそれ? と不思議そうな顔をしている。その顔に向かって、だよね。なんて心強い味方でも見つけたみたいに力強く頷いて見せた。

 けれど、何度断ってもめげずに度々登場する彼の事を思い出すと、つい苦笑いが零れた。

「優しくしちゃいけないなら、冷たくすればいいのかな?」

「……えっとぉ。そういうことじゃないと思うんだけど……」

 さっちゃんは、困ったように笑う。そこへ、ドアをノックする音がして、さっちゃんのお兄さんが顔を出した。

「真央ちゃん、いらっしゃーい」

 ドアを開けるなり、私の顔を見てニコニコと挨拶をして部屋に入ってきた。

「もうっ。入っていいって言うまで、開けないでよっ」

 返事をする前にドアを開けて入ってきてしまったお兄さんを、さっちゃんが睨みつけている。けど、可愛らしいさっちゃんがいくら睨んだ顔をしたところで、やっぱり可愛らしいから、効果はないみたいだ。

「はいはい」

 ちっとも解っていないような返事をするさっちゃんのお兄さんは、テーブルにあるドーナツに目をつけ、一つ貰うね、と私の隣に座って摘んだ。

「それ、真央のお土産なんだからね」

「あ、そうなんだ。真央ちゃん、ご馳走様」

 摘んだドーナツを顔の横に持っていき、満面のスマイルを向けられてしまえば、つられて笑顔になってしまう。相変わらず、人当たりがいい。

 さっちゃんのお兄さんが美味しそうにドーナツを口している姿を見ていたら、しばらく前のことを思い出した。

「そうだ。私、学校の秘密、見てきたんですよっ!」

 真横に座るさっちゃんのお兄さんへ膝を向け、私はテンション高めに話し出す。

 純太と悠介を連れて夜の校舎に忍び込み、人体模型に書かれていた幸せになる言葉を探しに行った時のことだ。

「えっ? 本当に?」

 驚いたと、言ったあとには、ケラケラとおかしそうに声をあげる。

「本当に忍び込むとは、思わなかったよ。真央ちゃん、なかなかのチャレンジャーだね」

「だって、幸せになれる言葉って、凄く気になったんだもん」

 私は、また下唇を出して拗ねる。すると。

「素直で可愛いなー、真央ちゃんは」

 そう言って、さっちゃんのお兄さんがドーナツを右手に持ったまま、座っている私に抱きついてきた。まるで大きなぬいぐるみにでも手を回すように、ふんわりと抱き寄せる。

「ちょっ、ちょっと。お兄ちゃんっ。なにやってんのよっ。離れて、離れて!」

 されるがままになっている私の代わりというように、さっちゃんがテーブルの向こう側から身を乗り出し、慌ててお兄さんを引き剥がそうとする。

「いいじゃん別に。とって食おうってんじゃないんだし」

「食べちゃダメッ!」

 兄妹の言い合いを黙って聞きつつ、さっちゃんのお兄さんに抱きつかれた隙間から手を伸ばし、三つ目のドーナツを摘んだ。

「だって、真央ちゃんて、ペットみたいで可愛いくて」

「真央は、ペットじゃないよっ」

 続く言い合いを他人事のようにして聞いていると、いい加減に離れてっ、と立ち上がったさっちゃんが傍に来て、私からお兄さんを引き剥がした。

 体が自由になったので、紅茶のカップを手に取り飲む。

 ちょっと、温くなっちゃった。

「真央ちゃんて、ふわっふわっとしてて、ほっとけないんだよね。目が離せなくなるくらい、可愛らしいんだよなぁ」

 さっちゃんのお兄さんはそう言うと、入ってきたときに摘んだドーナツに噛り付き再び咀嚼する。

 ふわふわ?

 抽象的な言葉に小首をかしげていると、さっちゃんのお兄さんが摘まんだドーナツを完食して私の目をのぞき込む。

「真央ちゃんて、もてるでしょ?」

「私?」

 驚いて自分を指差した。

 確かに、若干一名は、めげずに何度もアタックしてきているけれど、それ以外は特に……。

 もてると言われるほどの身に覚えもないので、更に小首を傾げた。

「もしかして、気付いてない系?」

 さっちゃんのお兄さんは、おかしそうに顔を歪める。

「そうか、そうか。真央ちゃんは、天然ちゃんだもんな」

 言うと、頭の上に大きな手を置いて、ペットを愛でるように撫で撫でされた。撫で撫でが心地よくって、ここでペットとして飼われるのも悪くない気がする、なんてことを少し考えてしまった。

 それにしても――――。

「私、天然?」

 訊ねると、兄妹で大きく縦に首を振っている。

 迷うことなく二人に肯定されたので、自分は天然なのか、と省みてみる。けれど、どこがどう天然なのかさっぱりわからない。小首はこれ以上傾げることができなくて、私は元に戻してさっきまでの本題に戻ることにした。

 さっちゃんのお兄さんにも、訊いてみようと思うんだ。

「私って、狡いですか?」

 相変わらず、前置きのない質問にさっちゃんが苦笑いしている。

 お兄さんも、え? と逆に訊き返してきた。けれど、すぐに頭を働かせて、質問を返してくる。

「誰かに狡いって言われたの?」

 私は、コクリと頷いた。

「あと、誰にでも優しいって……」

「ふぅん。それって、言ってきたのは、女の子? 男の子?」

「いつも仲良くしてる男の子です。悠介とは、いつも一緒にいて、凄く仲がいいの。あと、純太もいてね。三人でよく遊ぶの」

 言葉足らずな私の説明を、何とか頭の中で組み立ててくれたようで、ふむふむ、とさっちゃんのお兄さんは顎に手を置く。その表情は、ほんの初めは真剣だったのに、あっという間にニヤニヤとした顔に変った。

「お兄ちゃん、顔が気持ち悪い」

 しかめっ面のさっちゃんが指摘するけれど、お兄さんは意に介さない。

「よーし。天然の真央ちゃんに、頼りがいのあるこのお兄さんが教えてあげよう」

 お兄さんがそう言って胸を張ると、さっちゃんは呆れた溜息を吐いてしまった。得意気な表情のお兄さんに構うのが面倒になってしまったのか、さっちゃんはティーポットを持ち上げてカップに紅茶を注ぎ足し飲んでいる。

 さっちゃんの呆れ具合などなんのその。お兄さんは、胸を張ったまま人差し指をピンと立てて、話を始めた。

「まず第一に、真央ちゃんは、モテモテちゃんです」

 どっかの芸人みたいに人差し指を立てて言いきるお兄さんに、さっちゃんが更に呆れた溜息をついた。

「第二に、“狡い”や“誰にでも優しい”と言った人物は、確実に真央ちゃんの事を好きでしょう」

「うっそ!?」

 私は、第二の言葉に驚いて、さっき食べたドーナツが出てきそうになった。

 お兄さんは、驚く私を面白そうにして見ている。

 ニヤニヤとしたその顔に、本気で言ってますか? という目を向けると、深く頷いた。

 悠介が、私を好き? 確かに岩崎君は、そんなような事を私に言ってきたけど。あれは、彼の勝手な言い分で、私はそんなのちっとも信じてないし。

 そもそも純太も悠介も、友達だよ。大体、代入って何よ。数学なんて、嫌いなんだってば。

 それに、悠介は、悠介だし、純太は純太で。純太も悠介も、仲のいい友達で。なのに、その悠介が、私を好き? うそうそ。違う、違う。ないない。

 そんなの、さっちゃんのお兄さんの勘違いだよ。

「よぉく今までの事を振り返ってみて。一番近くに居るその彼らの行動や言葉に、いっぱいヒントがあったはずなんだけどな」

 お兄さんは、ニヤニヤ顔を少し真面目に変えて、立てていた指をおろした。どうやら芸人気取りはやめたらしい。

 ヒント? なんだかクイズみたい。

 最近のテレビ番組のクイズって、苦手なんだよね。だって、意外と難しくない? 私だけかな?

 悠介なら、きっとポンポン答えちゃうんだろうな。だって悠介ってば、あったまいいもんね。

 そうそう、純太とならいい勝負ができそう。ううん。純太には、負けられないよ、うん。

 クイズ番組のドリルみたいなの売ってるよね? あれ、買っちゃおうかな。そんで、毎日一ページずつやっていけば、純太になんか絶対に負けないよね。

 でもでも、毎日一ページを続けるほうが大変か。う~ん。

「ま、真央ちゃん……?」

 気がつけば、右の拳を強く握ったり、腕を組んで首をかしげたりしていた。

「ヒントについて、考えてる?」

 え? ヒント?

「あっ。そうだった」

 私が思い出すと、あらら、と言う声がさっちゃんからした。

 それから、色んな事を思い出してみた。

 さっちゃんのお兄さんが言うように、言われてみればそんな気もするということは、いくつかあるような……、ないような……。

 でも、それが本当にそうなのかって言われると、う~ん……。

 私が眉間に皺を寄せて唸り声を上げると、二人が、どう? 身に覚えあるでしょ? とばかりに顔を覗き込んできた。けれど。

「やっぱり、よくわかんない」

 と言うと、あ~……。と声を洩らし脱力した表情を浮かべている。

「訊いてみよっかなぁ」

「え?!」

 驚きの声をあげたのは、さっちゃんだ。

「本人たちに、訊いたほうが早い気がする」

「それ、本気?」

 さっちゃんが恐る恐る訊ねる。私は、うんと首を縦に振った。

「だって。わかんないんだもん」

 わからないことをいくら考えたってわからないんだから、訊いた方が早いと思うんだよね。

 自分で考える事を完璧に諦めてしまった私を、さっちゃんとお兄さんは困ったような顔で見ていた――――。

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