最終話 聞かぬが花? どころか聞き耳遠し ついに来たか、この瞬間!

 長かったはずの夏休みが終わり、新学期が始まった。

 悠介のおかげで、生まれてこのかた、宿題というものを初めて期日に提出する事ができた。しかも、答えの欄が穴ぼこだらけだったり、白紙だったりなんて事が一つもないのだ。あまりに凄すぎて、自分で自分に表彰状を贈りたくなる。

 俺が早々に宿題を終わらせたことが信じられないようで、本当に終わっているのかと母さんも何度も夏休み中に訊いてきて鬱陶しいくらいだった。

 自分で言うのもなんだが、よく頑張ったと思う。胸を張って言いふらして歩きたいところだが、真央に話したら馬鹿にされるから言わないでおく。

「ねぇねぇ、悠介。私、新学期に宿題提出できたの初めてー。凄くない? 表彰状貰ってもいいくらい」

 そんな俺のすぐそばで、悠介に向かって真央がはしゃぎながらおんなじことを言っている。脳内は一緒のようで、嬉しくも可笑しい。

「悠介に手伝ってもらったんだから、あったりめぇだろ」

 自分も同じ事を思っていたなど微塵も感じさせずに言うと、真央はぷくうっとほっぺを膨らませる。

「純太だって、初めてのくせにぃっ」

 いーっと子供みたいに口を横にして、ガキみたいに言い返された。

 二人の小競り合いが始まると、悠介は、まぁまぁ、と俺と真央の間に入って宥める。新学期が始まっても、この三人のやり取りは一向に変る気配がない。

 なぜなら、公園でやった花火の時に、俺たち二人は真央に負けてしまったからだ。

 あの時、俺か悠介のどちらかが勝っていたら、この状況は一変していたはずだった。けれど、まんまと真央に負け。というか、真央の一人勝ちになってしまい。つい先日、俺と悠介は、「最悪の食べ合わせ」なるものを実行させられていた。

 結果がどうだったかといえば、気持ちの問題なのかもしれないが、俺も悠介も微妙に腹を壊した。

 ああいうのは、腹が痛くなるかもしれないなんて思うと、余計にそうなるものだから、実験的には、失敗だろう。

 ただ、二人がなんとなくもよおして交互にトイレへ行く姿を、真央はニタニタと可笑しそうにしながら楽しんでいたのは言うまでもない。

 真央のそんな表情を見て、悪魔だと思ったのは言うまでもない。

「そうだっ。私、二人に訊きたいことがあるんだよね」

 宿題の話で得意気になった後は、人差し指をピンと上に向け、真央が交互に俺たちの顔を見る。

「なに?」

「なんだよ?」

 真央のことだから、どうせ碌でもないことだろうと思っても、つい訊ねてしまう。すると真央は、顎の下に人差し指を持っていき、話を始めた。

「この前ね、さっちゃんへ行ったの。その時に、私がお土産に持っていったドーナツを食べてたら、さっちゃんのママが美味しい紅茶を淹れてくれてね。チェーン店のドーナツだったから、申しわけなくってぇ。それにね、素敵なティーセットだったんだよ。ぶつけないように、ひっくり返さないようにって、ちょっと緊張しちゃった。あっ、でもね。さっちゃんのお兄さんが喜んでドーナツを食べてたから、まぁいいかなって」

 ふふふっと笑う真央だけれど、何が言いたいのかさっぱりだ。俺は、少しばかり頬を引きつらせていたが、隣の悠介は腕を組んで話の続きを待っている。相変わらず、辛抱強い男だ。

「で……?」

 低い声ですぐに続きを促すと、ああ、そうだ。と思い出し話の軌道を元に戻そうとする。

「でね、さっちゃんのお兄さんに色々訊いてもらったの」

「何を?」

 悠介が訊ねる。

「代入の事とかー」

「代入? なんだよ、数学かよ。だったら悠介に訊いた方が、はやいじゃん」

 代入なんて言葉が出た瞬間に、俺の脳内が拒絶反応を示す。いくら宿題を期日までに全部終わらせたからと言って、勉強が好きになったわけじゃない。だから代入なんて話は、聞きたくもない。

「違う、違うっ。そうじゃなくってー、それは、岩崎君が言ったことで、私は数学なんか嫌いだもんっ」

 俺がふんっ! とそっぽを向くと、真央が慌てて岩崎の名前を出してきた。

「岩崎?!」

 真央の口から出た名前に、悠介と二人、同時に大きな声を洩らした。

 あのヤロー。まだ真央の周りをうろちょろしてんのかよ。ファミレスで飯を奢らせるくらいじゃ、懲りねぇみたいだな。今度は、なにを奢らせてやろうか。

 そうだ、ワンピース全巻、今現在発売している分を買わせるってのはどうだ。あの漫画、おもしれーんだよなぁ。泣けるし、笑えるし、感動するしでよ。毎週雑誌で読んでるけど、やっぱり単行本を手元において、バイブルにしときたいよな。

「岩崎君が、なにか言ってきたの……?」

 俺が岩崎を懲らしめる案から脱線して漫画のことを考えていると、悠介が冷静に訊ねた。

「え? ああ、岩崎君は別にどうでもよくって。そうそう、さっちゃんのお兄さんにね、訊いたの」

 あっちこっちに話が飛び過ぎて、そもそも何の話をしたいのか解らず、ついイラっとしてしまう。

「だから、何を訊いたんだよっ」

「純太、恐いーーっ」

 俺の言い方が気に入らなかったようで、真央が悠介の影に隠れながらこっちを窺うようにして見ている。悠介も悠介で、自分の背後に隠れた真央に向き直りよしよしなんて宥めていた。

 俺は、今学期も悪者扱いだ。ちっ。

「で、さっちゃんのお兄さんに、何を訊いたの?」

 悠介が、宥めながら優しく訊ねた。

 優しくされた真央は、俺の顔色を窺いながらも再び前に出てきて話の続きをする。

「えっとね。ヒントがあるから考えなさいって言われて」

「ヒント?」

「クイズかよ」

 さっちゃんに遊びに行って、お兄さんと仲良くクイズでもしてたってことか?

 益々何を言いたいのか解らなくて、俺は首を捻り始める。

「そうそう。最近のクイズって、難しいよねぇ。でも、悠介なら、チョチョイのチョイでしょ?」

「うん? まぁ、それなりに。ただ、あまりクイズ番組は観ないけどね」

「そうなんだー。悠介だったら、どんどん答えちゃうんだろうなーって、クイズ番組観ながらいつも思っててー」

 キャラキャラと声をあげて笑いながら話す真央だけれど、一向に話は進まないし、核心も見えてこない。

 悠介も悠介だよ。真央の天然な話に、まじめに答えてどうすんだっつうの。

「あのさ、真央……。結局、俺らに何が訊きたいんだよ」

 思わず嘆息してしまった。

「あっ。そうだった、そうだった」

 天然にもほどがある。

 夏休みの間に、天然に拍車がかかった気さえするぞ。このままじゃ、ただのボケ老人と変らないじゃないか。

 ピクピクとし始めた頬の痙攣をなんとか宥めすかし、真央の話を待った。

「さっちゃんのお兄さんに、私の悩みを訊いてもらったら、変なこと言うんだよ」

「悩み? 真央に悩みなんてあんのかよ」

 ニヤニヤしながら突っ込んだら、またぷくっとほっぺを膨らませた。

 この怒ったような拗ねた顔が可愛くてたまらないんだよなぁ。

 心の中でニヤニヤしていたら、悠介が続きを促した。

「変なことって?」

「それがね、おっかしいの。あのね……」

 真央は、本当に可笑しいというように、口元に両手を持っていって口元を隠しながらクスクスと小さな笑いを零す。

 真央が口元に手を持っていったおかげで声が届きにくくなり、俺たち二人は少し腰をかがめて真央のそばに耳を持っていった。

「……純太と悠介が、私の事を好きだなんて言うの」

 真央が、またクスクスクスと笑い声を洩らす。けど、俺と悠介は、少しも笑えない。というか、その瞬間、俺たちは腰をかがめたまま固まってしまったんだ。

「ねぇ。おっかしいでしょー?」

 笑いながらそう言って、真央は俺たち二人を見る。

 俺はかがめていた腰をカクカクとした不自然な動きで元に戻し、呆気に取られた表情で真央を見た。悠介は悠介で、どんな顔をしたらいいのか判らないといった、とても言葉では言い表せない複雑な表情を浮かべている。

 言葉をなくした俺と悠介の時間がしばらく止まってしまうと、真央は、どうしたの? なんて言ってくる。その恐ろしいほどの天然ぷりに、開いた口が塞がらない。

 真央の取扱説明書があったら、すぐにでも購入したいくらいだ。

「でね。本当は、どうなのかなって思って」

 えっ! 訊く?

 それを今ここで、俺たち二人に、しかも同時に訊く?

 二度目の衝撃に、俺たちは動揺を隠しきれない。

 悠介なんかは、若干青ざめている。俺だって、唇がカサカサに乾いてきた。今ものすごく面白いことを言われて大口を開けて笑ってしまったら、唇がピッと裂けて血が出るだろう。

 それにしても、これは今ここで答えるべきことなのか? もし、俺と悠介が好きだといったら、真央はどうする気なんだ?

 俺と悠介の気持ちを聞いた真央は、どっちかと付き合うのか?

 悠介か?

 俺か?

 もし、悠介が好きなんてことになったら、俺はどうすればいいんだ。もう、友達ですらいられない、とか言い出すのか?

 それとも、俺のことが……好き……?

 うあぁぁぁっ。考えたら、めっちゃ恥ずかしいぞっ。

 いや、待てよ。まっ、まさか。あの岩崎の事が好きだ、とか言い出さないだろうな……。

 そんなことになったら、パルプンテだ。

 真央がどんなに岩崎を好きだと言ったって、それだけは認めないぞ。うん。ぜってー、みとめねぇっ!

「純太、怖い顔……」

 脳内であらゆる妄想を繰り広げていた俺の顔は強張り、気がつけばキリキリと歯噛みをし、こぶしは強く握られていた。

 その顔を見て、真央が少し怯えた顔をしているから、咄嗟に表情を和らげる。

「べっ、別に怒ってねぇよっ」

 慌てて繕ってから、悠介を見る。

 悠介の顔から青白さは消えたものの、かわりに何をどうしたらいいのかという苦悶の表情を浮かべていた。

 真央はといえば、ねぇねぇ。というように、俺たちが答えるのをクリクリッとした目で見つめながら待っている。その目は、普段ならメチャメチャ可愛くて、できることならぎゅっと抱きしめたいと思わせるのだけれど、今はとにかく小憎らしい。

「あ、あのさ。真央」

「なに、純太」

 俺は、次の言葉も決まらないまま、飄々としている真央の名前を呼んだ。

 何をどう言ったらいいのか解らないけれど、とにかく今のこの場の雰囲気をいつもの状態に戻したかったんだ。

 すると、ずっと黙りこくっていた悠介が真剣な面持ちで口を開いた。

「好きだよ」

「えっ!」

 驚いて声をあげたのは、俺だ。まさか、悠介が告るとは、これっぽっちも思っていなかったからだ。

「僕は、真央のことが、好きだよ」

 悠介は、重ねるようにして、もう一度真央を真っ直ぐに見てそう言った。

 瞬間、先手を取られた俺は、負けてなるものかという思いから、後を追うようについ口を開いてしまった。

「俺だって、真央のことが好きだっ」

 負けじと宣言すると、悠介が俺を見る。

 二人の視線の間では、火花がバチバチというところだ。

 こうやって真央を前にして、二人の想いを同時に口にする日が来るとは思いもしなかったけれど、言ってしまったからには宣戦布告だ。これは、負けられない戦なんだ。

 二人からの告白に、真央はどんな答えをくれるのだろう。俺を選ぶのか、悠介を選ぶのか。

 ジリジリと緊迫した空気が流れる。教室の暑さも手伝って、額にはじんわりと汗が浮いてきた。

 二人の視線は真央へと向き直り、ジッとその愛らしい唇から出る答えを待った。

 さあ、どう出る、真央。

 俺か?

 悠介か?

 それともあの岩崎のヤローか?

 まさかのシロは、今更ありえないよな?

 真央の目をじっと見て、その愛らしい唇が動き出す瞬間を今か今かと待つ。

 俺たちの真剣な眼差しに気付いているのかいないのか、真央は相変わらず飄々とした顔をしている。何なら空気も読まず鼻歌でも歌いだすんじゃないかという雰囲気だ。

 天然真央の振る舞いをじっとこらえて眺めていると、その唇が開いた――――。

「そっか――――」

 ゴクリ。

 自然とツバを飲み込み、喉が鳴る。

「そうなんだー」

 少し驚いたような顔で、真央はなんとなく納得しているようだ。

 俺の心臓がドクドクというか、バクバクと激しく動く。次に出る言葉を、気持ち前のめりになって待つ。

 すると、春の柔らかな日差しを受けたみたいな表情で真央が言った。

「二人とも好きだったんだー。なぁんだ、早く言ってよねぇ」

 まるでふわふわのスカートを波打たせ、くるりくるりと回ってでもいるかのように、真央が楽しげな声をあげる。

「えっと……」

「ま、真央……?」

 なんでもないことのように微笑みを浮かべる真央に、悠介と二人顔を見合わせ同時に脱力していった。

 一世一代の大告白、とまではいかないかも知れないけれど、意を決し伝えた告白に、あっけらかんとした言葉と笑みを返され、体からひゅるるるぅ~っと魂が抜け出ていく。

 避暑地を訪れたお嬢様然とした雰囲気と、天然丸出しの雰囲気の両方を併せ持つ真央を見て、今までの攻防戦は一体何だったのかと、ヘナヘナと床に座り込みそうになるくらい気が抜けてしまった。

「二人とも好きだったんだねー。嬉しいなぁ」

 ありがとねぇ、うんうん。なんて、満面の笑みで真央が頷いている。あまりにあっけらかんとした真央の態度に、悠介と二人、切ない胸の内にヤキモキしたり、探り合ったりしていた日々が、アホらしくなってしまう。これが天然の恐ろしさというものか。

 ガックリと力の抜けた体がくず折れそうなのを何とか支え、告白なんてたいそうな事をたった今されたとは到底思えない軽いのりの真央を恨めしく見ると、真央が俺たちのことをまっすぐ見つめてきた。

「二人とも、ありがとう」

 爽やかな極上の笑顔を、真央が俺たち二人へと向けた。

 その表情があまりにも可愛くて、更に胸を撃ち抜かれるほどの愛らしさに、思わず赤面してしまい慌ててそっぽを向いた。

 さっきまで脱力していた体に、今度は心臓を貫くほどの一撃必殺の笑顔を喰らって、俺の体はもうフラフラだ。まさに魂を抜かれて、天へと昇っていきそうだ。

 悠介はと言うと、同じように思ったらしく、耳まで真っ赤にして固まっている。真央がくれた極上の笑顔は、刺激がかなり強いらしい。

 勢いで言った告白と引きかえに、真央から貰った「ありがとう」と極上のスマイル。

 それは、きっと一生忘れる事のない、大切な俺たち三人の共通の宝物になるだろう――――。


 で。結局、告白したことで俺たちの関係が変ったかといえば、何も変らなかった。

 真央は変わらず天然を炸裂させ、悠介は子守をするように俺たち二人の面倒を見、俺は俺で好き放題やっている。ついでに、あの岩崎も相変わらず真央の周りをチョロチョロしている。

 そんな感じで、俺たち三人の関係は相変わらずそのまんま。そんな関係もいいのかもしれないと思ったり、思わなかったり……。

 真央を独り占めしたくなるときは、この先もきっと何度もやってくるだろうけれど、こうやって三人でいられる関係も悪くないんだよな。寧ろ、そっちの方が楽しいのかもしれない。そう思ってしまう俺は、甘いのか。

 この先もこうやって、バカみたいな事にドキドキしたりワクワクしたり声をあげて笑って、時には本気でぶつかって。

 そんな風にしあえるこの二人と、ずっと三人でいるのは、悪くないどころか幸せなことなのだろう――――。

 だから、真央がくれた「ありがとう」を、俺から二人へ――――。

―――― ありがとう。





おしまい

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ゆらゆら 花岡 柊 @hiiragi9

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