第15話 再度登場も虚しく 無駄な抵抗はせず しかし前向き

 あ、藤川さんだ。

 夏休み中盤、いつものように通う近所のコンビニに俺は入り浸っていた。暑い時には、アイスでしょ。と冷え冷えのクーラーボックスに顔を突っ込み、新作のアイスに手を伸ばしていると、コンビニの前を歩いて行く彼女を発見!

 さっきまでアイスにしか気がいっていなかった俺の頭の中は、一瞬にして藤川さんでいっぱいになった。

 掴んでいたアイスを急いでアイスボックスへ戻し、俺はすぐさま店を飛び出した。

「藤川さーんっ」

 俺が呼びかけると、藤川さんはピタリと足を止め、クルッと振り返る。その拍子に、ひらひらのスカートがふわりと柔らかく波打った。学校で毎日見ているブレザー姿も可愛いけれど、普段着姿の藤川さんはさらに可愛らしさ倍増だ。

 生成りの日傘をさした彼女は、海辺に居たらとても絵になりそうで、俺は暑さも忘れて一瞬見惚れてしまった。ここでスマホのカメラを構えたら不審者扱いになるだろうから必死に堪えたけれど、許されるなら一枚、いや二枚、三枚と写真に撮らせて欲しい。そして、スマホの待ち受けは藤川さんに決定だ。横顔や正面、振り返りざまのポーズなんかもいいな。カメラ目線で微笑んでくれたなら、飽きもせず毎日眺め続けることだろう。

 妄想に妄想を重ねたその後、我にかえり彼女の傍に駆け寄った。

「どっか行くの?」

 訊ねる俺の顔を少しの間じっと見てから、藤川さんは「うん」とも、「ううん」とも取れるような首の振り方をする。いつも通り、掴みどころがない。

「岩崎君は?」

「俺は、コンビニでアイスでも買おうかと思ってさ」

「そうなんだ」

 ほぼ興味のない返事が返ってきて、若干凹んでしまう。

 まぁ、前にふられているわけだし、仕方ないか。

 どこへ向かっているのかわからない藤川さんのあとを、俺はテクテクとついて行く。彼女のさす日傘が、時々隣を歩く俺の体にぶつかりそうになる。そのたびに少しだけ離れるけれど、やっぱり近づきたくて距離を詰める。そんなことを繰り返しながら、俺は藤川さんの隣を歩き話しかけた。

「藤川さん、宿題やってる?」

 宿題が終わっていないなら、俺が手取足取り教えてあげようと考えた。図書館でもいいし、俺の部屋でもいい。なんなら藤川さんの家にお邪魔して、藤川さんの部屋で……。

 藤川さんの部屋って、どんな感じなんだろう。お姫様のように、ピンクや白で統一された女の子らしい部屋だろうか。それとも、意外ときっちり整理整頓された。例えばモノトーン調の部屋? いや、これはないか。それよりも、ぬいぐるみやクッションがたくさんありそうだな。床にはふかふかのクッションがいくつもあって、ベッドの上にはクマやウサギのぬいぐるみがあって、それをぎゅっと抱き締めながら寝ているんじゃないだろうか。あー、そのクマになりたい。

 妄想は、留まることを知らない。

「うん。もう、終わっちゃった」

「えっ?! 早いね……」

 妄想に浸っていたら、まさかの返答。彼女は勉強が苦手なはずで、宿題には毎回てこずっているはずだった。だから、さっきみたいな妄想が膨らんだわけなのだけれど、とても残念だ。俺の出る幕がなくなってしまった。よし、なら別の話題で盛り上がろう。

「夏休み中に、旅行とか行くの?」

「ううん。行かないよ」

「俺はね、家族で北海道へ行くんだ。藤川さんに、お土産買って来るね」

「私に? ありがと」

 盛り上がると思って話しかけたけれど、短い返答だけで会話は一向に弾まない。けれど、あからさまに厭そうな顔をしている感じでもない。かと言って、楽しそうかといえば、そうでもないけれど。

 しかし、このチャンスを無駄にするほど、俺は落ちぶれちゃいないぜ。一度や二度ふられたくらいで諦めないのが、俺のいいところだ。心の中では、ハリウッド映画並みにサムズアップしている。


 コンビニの前で出会ってから特に会話が弾むでもなく、既に数分が過ぎていた。夏の日差しは暑すぎて、俺の額にはすでに汗が浮き始めている。Tシャツを着ていることも嫌になるほどの暑さの中、日傘をさす藤川さんの顔は涼しげで。彼女の周りだけ、冷風が吹いているんじゃないかというくらい、サラリとした表情をしている。

 前に観たテレビで、女優は汗をかかない、と言っていたのを思い出した。藤川さんは、とても可愛らしいし、汗もかかないから女優になるといいのではないだろうか。そうなったら、俺がファン一号だ。映画やドラマや舞台、全部網羅してやる。あ、何なら、側近のマネージャーになる方がいいかな。

 藤川さんの傍につきっきりで、甲斐甲斐しくお世話したり、されたり……むふ。

「岩崎君」

「はいはい」

 再び妄想に明け暮れていると、藤川さんが歩を止めて話しかけてきた。

 おっ、これは会話が弾むチャンスじゃないのだろうか。

 どんな話を振られるのだろうと、期待に満ちた目を向けた。

「アイスは、いいの?」

「え……?」

「だって、コンビニに用事でしょ?」

 それは、遠まわしに着いてくるなと言っているのでしょうか……。

 抱いた期待の塊が、熱さで溶けていくようだ。ドロドロとして、熱をため込んだ黒いアスファルトの上に沁みを作る。帰れと言われているようで、凹んでしまいそうになった。

「アイスは、帰りに買うからいいよ」

 けど、諦めないのが俺のいいところだから。泣きそうになりながらも、再び心の中でサムズアップだ。

「そう」

 納得したかのように言うと、藤川さんはまた歩き始める。

 結局、着いてこないで、とは言われなかったので、黙って横に並んで歩いて行くと駅前のファミレスに辿り着いた。

 藤川さんは日傘を畳むと、無言のままそのドアをくぐる。

「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」

 うしろを着いてきた俺の顔を見て、店員さんが訊ねた。

「二人?」

 小首を傾げて、藤川さんがうしろを振り返る。

「あれ。岩崎君も、ファミレスに用事?」

「え……」

 もしかして、俺が一緒に歩いていた事に、今気付いたわけじゃないよね?

 キョトンとした顔を向けられ、とてつもない不安に襲われる。

 引き攣る顔のまま、人を好きになるって、こんなにも心が不安になるんだね、と恋する感情に胸を痛めた。

「お二人様で、よろしいでしょうか?」

 俺と同じくらい不安げな表情の店員さんがまた訊ねる。藤川さんは、俺の顔を直視した数秒後、店員さんを見て「はい」と返事をした。どうやら一緒に行くことを了承してくれたようだ。ほっとして息を吐くと、四人掛けのテーブル席へと案内される。

 向かい合わせで席に着くと、藤川さんは手渡されたメニューを食い入るように見ている。

 お昼にしては遅い時間で、夕食にしては少し早い時間。何を頼むのかと藤川さんの見ているページを覗くと、デザートがいっぱい並んでいた。

「デザート食べに来たの?」

「うん。だって、今日から苺フェアーなんだもん。これは、食べなきゃダメでしょ」

 確かに表には、デザートフェアののぼりが等間隔でいくつも並んでいた。

 真剣な顔でデザートを選んでいる藤川さんの表情はおかしくて、とても可愛い。

 いくつもあるメニューに載っているイチゴのデザートは、女の子にはたまらない盛り付けがされていて、俺も食べたくなるくらいだ。さっきコンビニのアイスを食べそこなったし、藤川さんと一緒に何か一つ食べようかな。

「何にするか決めた?」

「うーん。こっちもいいけど、これも食べたい」

 悩んだ挙句二つに絞ったけれど、それでもまだどちらにするか決め兼ねているみたいだ。

「じゃあさ。俺が奢るから、二つ頼んじゃえば?」

「え?」

 右手をピースにして提案すると、藤川さんの目が驚きにクリッと丸くなる。

「そしたら、二種類食べられるでしょ」

 笑顔付きで頷くと、遠慮がちな顔でこちらの様子を窺っている。

「……ほんとに? いいの?」

「うん」

「でも、奢ってもらう理由がないよ……」

 俺が大きく頷いても、藤川さんはまだ躊躇っている。

「いいの、いいの」

 軽い気持ちをできるだけ表面に押し出して、俺は藤川さんの顔を見つめる。

 そんなに遠慮することないんだよ。こっちには、充分な理由があるんだから。

 迷いのない俺の目を見て、藤川さんが笑顔になる。

 そう、その顔。可愛いなぁ。

 俺の好意で二種類同時に食べられることになって、本当に嬉しいというように、藤川さんの目がキラキラと輝く。俺は、俺で、そんな目で見つめられて有頂天になった。

 だって、これって、デートみたいだ。いや、れっきとしたデートだ。速水にも、永井にも邪魔されず、藤川さんとこうして二人きりでデザートを食べるなんて、デート以外の何者でもないよ、うん。

 で、デートって言えば、男が奢るのが礼儀でしょ? だから、理由はしっかりあるんだよ。

 可愛い彼女には、美味しいものを気のすむまで食べてもらいたいじゃん。

 浮き足立つ心で、ソファ席から跳ね上がりそうになる体を静めていると、注文したデザートが運ばれてきた。

「うわー」

 届いた二種類のデザートに感嘆の溜息を洩らし、藤川さんは早速スプーンを手にする。

「いっただきまーす」

 俺は、顔をクシャクシャにして、嬉しそうにデザートを食べている藤川さんを目の前に、頬杖をついてその可愛らしさを堪能する。

「岩崎君も食べて」

「いいよ。藤川さんが食べきれなかったら、貰うよ」

「残らないかもよ……」

 窺うような上目遣いが、又堪らない。

「いいよ」

 デザートの一つや二つ、藤川さんのためだったら惜しくないさ。だって、これは、デートなんだから。

 キラキラの瞳を更に輝かせ、藤川さんは黙々とスプーンを口に運んでいった。


 結局、俺の口にスプーンひと掬いも納まらなかったデザートの食器が下げられると、ところでね、と藤川さんが話しだした。

「最近、二人がおかしいの」

「二人……」

 そう言われて思い出す二人といえば、あいつらしかいない。

「純太は、元々おかしなことばかり言うのは知っているけど。最近は悠介まで、ぼうっとしたり、慌てたり。らしくないんだよねぇ」

 ふぅっ、と息を吐くと、追加で注文をしたホットティーを口に含む。それに倣うように、俺も追加で注文したコーヒーを口に含んだ。

「あちっ!」

 思いのほか熱かったコーヒーに、舌を出す。

「猫舌?」

「いや。油断した」

 俺のコーヒーに対する油断など、気にする素振もなく話は進む。

「それでね。なんか、私の見てないところっていうか。居ない所で、二人がギクシャクしているみたいなの」

「ふ~ん」

 そりゃあ、ギクシャクしない方がヘンてもんだよ。

 大体、あのデルタ環境が成立している事が、俺にとっては不思議で仕方ないくらいなんだから。

 牽制しあっているのか何なのか知らないけど、俺なら速攻奪い取るけどね。あんなに毎日近くにいて何もしないなんて、俺には考えられない。

 てか、藤川さん。二人の気持ちに、気付いてるんじゃなかったの? 気付いてるから、この前俺にあんな風に言ったんだよね? 二人が大切って、そういう意味じゃなかったの?

 疑問を投げかけるように、藤川さんを見つめると、相変わらずの能天気なセリフが口から出てきた。

「二人の間に、何かあったのかなぁ?」

 えーっと。マジで悩んでるのかな、これって……。

 恐るべし、天然。

 それにしても、あの二人の関係がいまいちスッキリとしていないということは……、二人の間で火花が散り始めたか? だとしたら、それは好都合というものじゃないだろうか。

 二人が勝手に揉めてくれれば、藤川さんも自然と二人から離れることになるかもしれない。そしたら、今度は俺の出番だ。藤川さんの一番身近な存在になる大チャンス!

 俺のいいところって、チャンスを無駄にしないところだからね。

「喧嘩をしているって感じでもないんだけど、しっくりいってない、みたいな……。で、仲良くしてもらおうって考えて、この前花火したんだ」

「へぇ、花火。三人で?」

「うん」

 くぅーっ。その花火、俺も混ぜて欲しかった。

 いや、俺と藤川さんの二人で花火がいいな。可愛い浴衣を着た藤川さんが、赤い鼻緒の下駄をカタカタ鳴らして、岩崎くーん、なんて駆け寄って来て。ほんでもって、手を繋いで土手なんか歩いちゃって。河原に降りたら、二人で手持ち花火に笑顔を零すんだ。暗い川面に、花火の灯りがほんのり映りこんで、藤川さんの横顔を綺麗に照らす。

 ああ、いい。

 うん、絶対、いい。

 今度、誘おう。

 うん、絶対誘おう。

「あっ」

「え?」

 俺が妄想に浸っていると、何かを急に思い出したように、藤川さんが声を上げた。

「罰ゲームのこと、すっかり忘れてた。LINEしとかなきゃ」

「罰ゲーム?」

 俺の質問はスルーで早速スマホを取り出すと、藤川さんはなにやらメッセージを打ち始めた。

 罰ゲームって何のことだかわからないけど、真剣にメッセージを打ってる表情も可愛いなぁ。

 少し冷めたコーヒーを、今度は油断せずに口へと運ぶ。

 背凭れに寄りかかり少しの間真剣な面持ちを眺めていると、メッセージを打ち終わった藤川さんが顔を上げた。

「で。どうしたら、いいと思う?」

「うーん」

 どうしたら、というか。

 どうすれば、だな。

 そう。どうすれば、このチャンスを俺が物にできるかを考えよう。

 まずは。

「二人から、一度離れてみれば?」

「どうして?」

 どうして……、その理由を考えてなかった。単に、二人を遠ざける事しか考えてなかったぞ。詰めが甘いな、俺。

 よしっ。

「ギクシャクしているところに居ると、気詰まりでしょ? それに、離れて見ていたら、なにが原因で二人がそうなっているのか、分かるかもよ。灯台下暗しって言うしさ」

「え? どうだい、もどかしい?」

「え……、いや……。そうじゃなくて……」

 聞き間違いにもほどがある! とは、言わない。藤川さんは、可愛いから、このくらいのことで引いたりしないぞ、うん。

 頑張れ、俺。

「と、とにかく。一旦二人から離れようよ」

「そしたら、答が見えてくるの?」

「そうそう。見えてくる、見えてくる」

 俺は、ブンブンと首を縦に振る。

 そして、めでたく二人から解放された藤川さんが一人になったら、俺が傍にいてあげるよ、うん。藤川さんが、こんなことで悩まなくてもいいように、俺が大きな心で包んであげるからね。灯台下暗しだって、ちゃんと教えてあげるからね。そして、二人っきりで花火をするんだ。

 あと、海だ、海。藤川さんの水着姿、素敵だろうなぁ。ワンピース? ビキニ? あ、パレオなんか巻かれててもいいだろうなぁ。透き通るような白い肌と砂浜。俺と手を繋ぎ、波打ち際で戯れる。マジ、最高すぎる。

 俺が、甘~い妄想に駆られていると、いつの間にか目の前に二つの影が現れていた。

「なんの答が見えてくるって?」

 そう言ったと同時に、第一の男が俺を奥に押しやり、無理やり隣に腰掛けるとイタズラに目を輝かせる。

「一度離れたら、原因が分かるんだ?」

 第二の男が、学校じゃしていないくせに、今日はインテリみたいな眼鏡をかけ、秀才に拍車をかけて藤川さんの隣に腰掛けると向かい側から俺を鋭い目で見てくる。

「いやあ、岩崎君。デザート、奢ってくれるんだって? わりぃな」

 速水の奴、普段は君付けなどしないで呼び捨てのクセに、わざとらしい口調で、少しも悪びれもせず言うと、いつの間に手にしていたのか。メニューをふん反りかえって眺めている。

 ていうか、奢るのは、藤川さんにだけだから! という反論は、突然の出現に驚いていて口から出てこない。

 そもそも、どうしてここに? あっ、もしかしてさっきのメッセージ……。

「ふ、藤川さん。二人を呼んだの?」

 隣と目の前の男二人にオドオドと視線をやりながら訊ねると、ううん。と首を振られた。

「罰ゲーム実行して、ってメッセージしたの」

「そうそう。で、今どこに居る? って訊いたら、なーぜーかーっ。岩崎とここに居るっつーからよ」

 速水はそう言って俺をひと睨みしてから、再びメニューに目を凝らす。

 せっかくのデートだったのに……。

 恨めしそうにメニューを眺める二人を睨んでも、少しも俺の視線に気付きやしない。いや、これは敢えて無視なのか? なー、無視なのか? おいっ。

 恨めしい視線をものともせず、現れた二人はメニューを見て相談を始めた。

「なぁ、悠介。晩飯食ってくか?」

「そうだね。それ、いいかも」

 晩飯って、そんな無茶な。

 俺は、財布の中に収まっているだろう紙幣が何枚あったのかを思い出す。キジさんが一枚入っていたはずだが、それは欲しい本を買おうと思って貯めていた分だ。

 買おうと考えていた本が遠のくと思うと、シラッとした顔かでメニューを選ぶ秀才の顔が小憎らしくてならない。

 インテリ眼鏡の一つもすれば、俺だって永井に負けないくらい秀才顔になるはずっ。

 テーブルの下では悔しさに拳がきつく握られていくのだけれど、速水の威圧感が半端なさ過ぎて萎縮せざるを得ない。

「ああっ、狡いー。私も、なんか食べるぅ」

 二人の暴挙になす術もなく悔しさを押し殺していたら、晩飯案に藤川さんまでもが乗ってきてしまった。

 えぇっ!? 藤川さんまで。さっき散々デザート食べたでしょ? なのに、まだその可愛らしいお腹に食べ物がおさまる余裕があるの?

 ヒクつく頬を必死で抑え、心の中では両手を上げて降参状態。


 その後、俺抜きで三人は楽しそうに会話をしていた。特に、速水と永井の結託ぶりは最強だった。

 俺の有り金全部を使う勢いで、メニューを片っ端から注文していく。しかも、仲良く相談しあって、食べ物がかぶらないようにしながらだ。

 これのどこがギクシャクしてるっていうだ。

 俺は、若干恨めしげに話が違うじゃないか、と藤川さんを見た。すると、ん? と小首を傾げられ、その愛らしさに頬が緩んでしまう。

 ……って、デレデレするな、俺!

 結局、四人で(正確には、俺はコーヒーだけだから三人で)しこたま料理を頼み、しかも残すことなくしっかり完食してくれた。

「ごちそうさまでしたー」

 声を揃えて言われても、苦笑い以上のものは零れない。

「いやぁ、食った食った」

「お腹一杯だよ」

 店を出て先を行く速水と永井は、満足気な顔をしながら、俺を追い抜きざまにそれぞれボソリと一言呟いていく。

「ふられたくせに。真央に、手出してんじゃねぇぞ」

 速水の、ゾクリとするほどの低い声に身が縮む。

「原因究明ができなくて、残念だったね。お疲れ様」

 永井の、労いの言葉とは裏腹な冷たい視線に切りつけられる。

 二人の威嚇に一瞬怯んだものの、諦めの悪さが俺のいいところだから。さすがにサムズアップはできなくなり始めていた。しかし、やっぱり諦めが悪いのが俺のいいところだから。

 開き直って、一番後ろからついてきた藤川さんへ話しかけた。

「痛い出費になっちゃったな。でも、藤川さんとまたこうして話が出来てよかったよ」

 俺ってば、前向き。

 藤川さんは、ごめんね。と片目をつぶる。

 うん。やっぱり、可愛い。

 ついでじゃないけど、収穫がゼロっていうのは納得がいかないから。

「以前の数学の答。そろそろ、出したほうがいいんじゃないかな?」

「え?」

 俺が笑顔でそう問いかけると、藤川さんはキョトンとした顔をする。

「だって、あの二人のギクシャクの答と、イコールのはずでしょ?」

 藤川さんは、ファミレスを出ていく二人の背中をぼんやりと眺める。

 俺の心の中では、あの時降っていた雨が切なさを伴い再現されていた。残された場所で、藤川さんの居なくなった玄関先を見つめながら、苦しくなる胸をおさえたあの夜。取り残された想いをそのまま捨てきれなかったのは、未練なんて安い言葉で表せるようなものじゃない。

 心の中で降り続ける雨とともに、この想いも流してしまえたらどんなにか楽だろう。簡単に流すことなどできない想いは、雪のように降り積もり嵩を増していくだけだ。

「ホントに、俺と付き合っちゃえばいいのに」

 真面目な顔で誘惑の言葉を投げかける。

「どう……して?」

 不安げな瞳が俺を見返す。

「二人のうちのどちらかを、無理に選ばなくて済む。数学の代入だよ」

 ぽんっ、と肩に手を置くと、何かを思い悩むように藤川さんが俯いた。

「どちらか一方を選んだことで、どちらか一方を傷つけずに済む。代入した方が、答は導きやすいものさ」

 俯いてしまった藤川さんの表情は読み取れず、軽い気持ちを装い誘う俺の心は想いが溢れて、すぐそばの彼女を強引に連れ去ってしまいたいほどだった。

 俺と藤川さんの会話に気付きもしないまま、数メートル前では暢気な二人がケタケタと声を上げていた――――。

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