第7話 フェンス ディフェンス 長男は強がり

 平日の午前中。黒板に書かれた文字をノートに取るのが辛かった。先生の話す声が少しだけ遠いのに、頭には響いて眉間にしわが寄る。

 なんでだろう、夜更かしのし過ぎかな。頭痛の原因を考える。

 テストが近いせいで、ここのところ三、四時間くらいしか睡眠をとれていない。それに、昨日の夜少し寒気がしたのに、薄着のままでいたから風邪を引いたのかもしれない。教壇で話している先生の声が頭に響き続けるのが辛くて、こめかみを押さえ、ぎゅっと目をつぶった。締め付けられるような痛みが走る。

「悠介?」

 斜め後ろに座る真央が、先生の目を盗み、囁くように声を掛けてくる。振り向くと、心配そうな顔をしていた。

 大丈夫? って口の形が動く。

 僕は心配を掛けないように口角を上げ、目じりを下げた。

 真央は、心配性だ。紙でちょっと指を切ったり、体育で突き指したりしただけで不安そうな顔をする。妹みたいな真央に、そんな顔はさせたくないし。だいいち、真央にそんな顔は似合わない。

 真央は、笑っているほうがずっといい。

 外では、体育の授業をしているのか時折生徒たちの声が聞こえてくる。窓側から二列目の席は、微妙にグラウンドの端しか見えず、体育で何をしているのかはわからない。かといって、サッカーをしていようがマラソンをしていようが、そんなことはどうでもよかった。

 頭痛にきしむ頭を抱え、グラウンドの上に広がる空に目を移す。天気は、曇天。それを目にして、余計に頭痛が増した気がした。天気のせいで、片頭痛が起きているのかもしれない。

 いつも制服の内ポケットに忍ばせていた鎮痛剤を取り出そうとしたけれど、手に触れない。昨日クリーニングに出すとからと母親に制服を渡した後、替えのブレザーに薬を入れ忘れたみたいだ。

 鎮痛剤がないとわかると、余計に症状が悪化していく気がした。

 来週のテストに影響する範囲のはずだから、今日の授業はしっかり聞いておきたい。僕がしっかり理解して、純太と真央にちゃんとテストの予習をさせないと、あの二人のことだから、放って置くと赤点にだってなりかねない。

 授業が終わるまであと十分。大丈夫、我慢できる。

 シャープペンシルをきつく握り締め、必死に黒板を睨んでいた。


「悠介っ。昨日のサッカー見たか? あのシュートはないよなぁ」

 短い休み時間。純太が傍に来て、昨日のサッカーの話を延々としている。

 頭痛のせいで右から左に流れていく純太の話しに、なんとか相槌を打っていた。真央は、隣のクラスのさっちゃんと、自席でなにやら話をしている。

 真央は、いつもニコニコと笑顔でいる。その表情を見ていれば、自分も元気になれるような気がして、少し離れた席でおしゃべりを続ける真央の横顔を眺めていた。

「おい、悠介。聞いてんのか?」

「あ……。ごめん、ごめん。あのシュートだろ? けど、ディフェンスの動きがあれじゃあ仕方ないんじゃね?」

 夜にやっていたサッカー番組を思い出しながら、純太の会話に付き合う。押し寄せる頭痛の波は、徐々に激しさを増していく。

「悠介」

 会話が噛みあっていなかっただろうか? 純太が僕の目を真っ直ぐ見ながら名前を呼んだ。その顔は、ちょっと見怒っているみたいだけれど、多分体調が悪いことに気づき始めている顔だろう。

 その視線から逸らしてしまえば、体調の悪さがばれてしまいそうで、純太の目を見たまま笑顔を作った。

 次の授業が始まるチャイムが、生徒たちを席に着かせる。

 純太が僕の肩にぽんと手を置き、大丈夫か? と未だ目を見たまま言う。僕は、何が? って顔で純太が席に着くのを促した。

 普段はなんだかんだと手を焼かせる弟みたいな純太も、大雑把そうに見えて昔から心配性だ。そんな純太が席に着く後ろ姿を見ていると、真央が自分の席に着く前に僕の傍に来た。

「ゆうすけ……」

「ん?」

「平気?」

 心配顔の真央に、僕はまたさっきと同じように笑顔を見せた。


 昼休みになり、ガタガタと机をくっつけて、純太と真央が楽しそうに弁当を広げている。

 僕の軋む頭は相変わらずで、食欲なんてわきもしない。純太は、どでかい弁当をかぶりつくようにして食べ、真央もウインナーを摘み口に入れ、美味しそうに食べている。

 二人が食べ始めたのを機に、話しかけた。

「ごめん。ちょっと先生に呼ばれてたの忘れてた」

 食べられない弁当を広げもせず、そんなウソをついて席を立つ。

「え? 弁当食べてからでもいいじゃん」

 純太が、口いっぱいにご飯を詰め込み引き留める。真央は、何も言わず、ただじっと僕の顔を見ている。その視線から目をそらし、笑顔を作った。

「うん。でも、さっさと済ませたいから」

 二人に右手を上げ、教室を出た。二人の心配そうな視線が、背中に刺さっている気がした。

 一歩教室を出ると、痛みが増した。二人の傍にいないことで、気を緩めたからだろうか。なんとなく、熱もあるような気さえしてくる。

 こめかみを押さえながら、一階にある保健室へ向かう。軽くノックをしてドアを開けると、中は生徒たちのたまり場と化していた。

 ワイワイガヤガヤと、保健の先生を囲っておしゃべりをしている。中には、弁当を広げて食べている奴もいた。

 昼休みの間だけでもベッドで横になりたかったけれど、中の様子を見る限り静かに寝ていられそうもないと判断しそこをあとにする。

 行く当てもなく廊下をふらふらと歩きながら、薬を忘れたことを後悔した。

「どうする……?」

 このまま早退した方がいいだろうか。けど、授業を聞いておかないと、二人が心配だ。

 誰にともなく呟き、玄関先から外を見た。そこには、相変わらずどんよりとした景色が広がっている。廊下を行く女子生徒たちは、曇り空など気にもしていないように黄色い声を上げて騒がしい。

「頭に響く……」

 キンキンと脳髄を刺激されるその場所にいられなくて、静かなところを目指した。

 一歩ずつ繰り出す足が重い。一段ずつ上る階段は、足枷でもあるみたいに僕を引き摺り下ろそうとしているみたいだ。

 弱っていく体を精神だけで動かし、やっと辿り着いたのは屋上だ。重く錆びれたドアを開けると、空は一面どんよりとしていて今にも雨が降り出しそうだった。けれど、その天気のおかげで屋上には誰の姿もない。

 ほっと息を吐き出し、真っ直ぐフェンスへと向かって歩く。金網をぎゅっと握り、ゆっくりと息を吐き出した。

 体調が悪くなることは、よくある。元々風邪も引きやすいし、純太みたいに体力がある方でもない。けど、それを盾に生活するのは好きじゃなかった。

 風邪を引いていようが、頭が痛かろうが、日々は過ぎていくし、試験も宿題も待ってはくれない。我慢できる痛みなら、笑っていたほうがいい。真央や純太に心配を掛けるくらいなら、なんでもないふりくらい平気だ。

 いつの頃からか、三人でいると自分がしっかり者の長男にでもなったように振舞っていた。けれど、けしてそれがイヤだったわけじゃなく。寧ろ、そうやって二人のことを見守っている自分でいたかった。

 真央が悲しそうな顔をしていれば慰めて、純太が悔しそうにしていれば、一緒になってその悔しさに立ち向かおうとした。悲しい涙やつらい涙は、好きじゃない。流すのは、嬉し涙だけで充分だ。

 どんよりとした空気の中、金網を握り締める手に力が入らなくなっていく。

 頭痛は自分が思っている以上に痛みを増していき、とてもじゃないけれど耐えられそうにない。

 もうダメだ……。

 そう思ったとき、屋上のドアが開いた。錆付いた重いドアを開け、姿を現したのは真央だった。

「悠介?」

 屋上のドアに手を掛け、僕の背中に呼びかける。

 真央の姿を確認した瞬間に、痛みで歪んでいた表情を笑顔に変え、立っていられないと思った足に力を入れた。

「どうした?」

 僕は、フェンスに寄りかかり笑顔で訊いた。

 平気だ。真央の前では、まだ笑えるみたいだ。

「なかなか戻ってこないから」

 真央は、ゆっくりと僕の傍にくる。

「大丈夫?」

 教室でしたのと同じ質問を僕にする。眉尻を下げ、心配そうな顔は、泣きだしそうだ。

「なにが?」

「だって、お弁当も食べないでこんなところに……」

「ごめん、ごめん。なんとなく外の空気を吸いたかっただけ。平気だよ」

 平気なんて、ウソばかり。頭の中はガンガンしていて、今すぐにでも座り込みたいくらいなのに、どこが平気だっていうんだ。

「純太は?」

 心の声を無視して、真央に訊く。

「悠介の事、心配して探してるよ。二人で、手分けして探してたんだよ」

 真央は、さっきよりももう少し近づいてきて悲しそうに言う。

 いつもは天然で色んなことに鈍感なのに、こういうことにはどうして敏感なんだろう。真央が心配そうに訊ねるたびに、弱音を吐きたくなってしまう。

 なのに。

「なんでもないよ」

 強がる心でコンクリートに向かって零すと、嘘つきって真央が小さく呟いた。

「……悠介。ちゃんと言ってね。頼りにならないかもしれないけど、私も純太も、ずっと一緒にいる仲間でしょ。悠介が元気なかったら、心配になっちゃうんだからね」

 真央は、顔を歪めて僕の制服の袖をぎゅっと掴む。

「まお……」

「悠介は頼りがいがあって、私も純太も甘えてばっかりだけど。悠介だって、甘えていいんだよ。強がんなくていいんだよ。つらかったら、つらいって言ってよ」

 真央が涙声で、鼻をひとつグズッと鳴らす。

「ごめん……」

 小さく零した台詞に、真央が無理やり笑った。泣きそうな顔で笑った。

「本当は、具合が悪いんだよね……?」

 恐る恐るというように訊く真央に、これ以上の強がりは無理だと思った。

「うん……」

 苦笑いで頷くと、真央がおでこに手を当てる。

「熱、あるみたいだよ。保健室に行こう」

 真央の優しさに触れ、力が抜けていく。言われるままに、寄りかかっていたフェンスから体を離した瞬間だった。

「ゆうすけっ!」

 血の気が引くみたいに、視界が霞んでいく。

「ゆうすけっ。ゆうすけっ!」

 真央の呼ぶ声が、すぐ耳元で聞こえていた―――――。


 目を開けると、そこは静かな空間だった。覗き込む二つの顔が心配そうに歪んでいた。

「大丈夫?」

「平気か?」

 妹と弟が、心配そうな顔で訊ねる。どうやら、保健室に運ばれたらしい。

 熱でぼうっとする思考と、ズキズキする頭。

「……頭、痛い……」

 そう零すと、ばっかじゃねーのっ! と純太に怒られた。隣では、真央も頷いている。

「テストが近くて頑張のもいいけどよ。具合悪くなってんだったら意味ねぇじゃんっ。屋上からここまで運ぶのだって、大変だったんだぞっ!」

 なおも純太が怒る。

「そうだよ」

 真央も少しだけ頬を膨らませ、怒った顔をする。

「ごめん……」

 二人に謝って、目を閉じると純太が拗ねたように話し出した。

「だいたい。俺らだって、言ってくれれば悠介に頼み込んだりしないで、テストくらいどうにかするっつうの。どんだけ信用ねぇんだよ」

 でも、心配なんだよ。僕が一緒に予習しないと、赤点スレスレじゃん。

「そうだよ。ノートだってちゃんととるし、先生の話も頑張って聞くよ」

 真央、ノートをとるのも話しを聞くのも、当たり前のことなんだけどな……。

 僕は、心の中で返事をして笑う。

「悠介が寝てる間のノート、ちゃんととってあるからね」

 真央が、自信満々に言う。

「俺なんて、先生が何言ってっかよくわかんねぇけど、一応話し聞いといたから」

 純太が、それじゃあ意味がないだろう。ということを、何故か胸を張って言う。

 二人の言葉に、目を開け苦笑いをした。

「なんだよぉ」

「なぁに」

 僕の笑う顔に、二人が怪訝な表情をする。

「なんでもないよ」

 ただ、誰かに頼るってのも、悪くないんだなって思っただけ。


 強くありたい、と思う心は変わらない。これからも、二人の支えでありたいと思う。

 だけど、傍に居てくれる人に心を許し、甘えることも大事なんだってわかったから。

 だから、これからは―――――。

「頼りにしてます。お二人さん」

「まかせろっ」

「まかせてっ」

 笑顔の二人に、笑顔を返した―――――。


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