第8話 雨降り 切ない 相合傘
夕方も過ぎ、ゴールデンタイムを過ぎた時刻。宿題があったような気がすると思っても、ついダラダラとリビングから離れられずソファに寝転がっていた。
「ねぇ、ママー。アイスが食べたい」
夕飯を済ませソファに寝転がり、テレビを観ながら声を上げた。
今日やっているドラマは、あまりにもどろどろとした大人の恋愛もので観る気になれず、忙しなくチャンネルを変えていくと食べ物番組で美味しそうなアイスクリームが登場した。小柄な芸能人が、それを美味しそうに頬張っている。
それを見ていたら、無性にアイスクリームが食べたくなってしまったんだ。なのにママってば、つれない返事。
「アイスなんて、買ってないわよ」
キッチンで後片付けをするママが、そっけなく返してきた。それでも諦めきれずにソファから立ち上がってキッチンまで行き、冷凍庫の中を探してみる。
抽斗タイプの冷凍庫の中には、お肉やお魚やこの前食べたハンバーグの残りのタネや、よくわからないカチンコチンに固まったの物がいっぱい入っていた。
これだけたくさんの物が詰まっているのに、目的のものはやっぱり見つからない。
「ない……」
「だから、言ってるじゃない。アイスなんて、買ってないんだからあるわけないでしょう」
ガサゴソと冷凍庫の中をひっくり返す私の背中に、ママが冷たい一言を浴びせた。
買い置きくらい、しておいてくれてもいいのに。
恨めしい顔で振り返ると、既にママは後片付けの続きに戻っていて相手にされていなかった。
諦めてリビングに戻り、またソファにゴロン。テレビでは、まだアイスクリームの続きをやっている。
「う~。食べたいよぉ、あいすくりーむぅ」
寝転がったまま手足をバタバタさせて駄々を捏ねてみても、ママは知らん顔。私はテレビの画面をひと睨みしてから、すっくと立ち上がる。
「我慢できないっ」
大きな声で叫ぶと、キッチンから怪訝な顔をしたママがこっちを見ていた。その顔に向かって再び叫んだ。
「コンビニ、行ってくるっ!」
叫ぶ私にママは呆れた顔を向けている。
「雨も降ってるし、もう暗いんだからやめたら?」
ママは、呆れ顔の隙間に少しだけ心配顔をはさんで私を見た。
心配してくれているのはよく解るけれど、どうしても我慢ができないんだもん。こんな番組見せられたら、食べたくなるに決まってるんだから。
勝手に見ておいて何を言ってんだ、という純太の突込みが聞こえてきそうだけれど、無視、無視。
今の私は、とにかく。
「アイスが食べたいのっ!」
心配顔のママに言って、出かける準備をする。そんな私の姿を見て、ママは肩を竦ませてしまった。きっと、強情っパリって思ってるんだ。強情っパリは、ママの田舎の方言みたい。頑固ってことみたいで、たまに言われるんだよね。
それにしても、心配なら、買ってきてあげるって一言くらいあってもいいんじゃない?
僅かな望みを抱きながら不満な顔をぶつけてみても、まったく効果なしだった。窓の外に降る雨を見れば憂鬱だけれど、今はどうしてもアイスの誘惑に勝てない。
「いってきまーす」
気を付けなさいよ、というままの言葉を背中で聞いて、お財布とお気に入りのドット柄の傘を手に取り、一人コンビニへと向かった。
一番近い近所のコンビニは、家から歩いて十分くらいの場所にある。傍には、クリーニング屋さんと和菓子屋さんと、何でも売ってる金物屋さんがある。何でも売ってる金物屋さんは、商売をする気があるのかないのか、定休日がしょっちゅうだった。たまーにお店が開いていても、お客さんが品物を買っているところなんて見たことがない。
まれにお鍋が一つ売れたとしてもいくらにもならないのに、どうやって生計を立てているんだろう?
雨の中、そんなことを考えながらコンビニを目指していた。しとしとと降り続ける雨が足元を濡らしていく。
スニーカーじゃなくて、最近買った可愛い長靴を履いて来ればよかった。ネット検索をして、パパにおねだりした赤のタータンチェック柄の長靴は、このドット柄の傘と同じくらいお気に入りだった。
スニーカーが少しずつ湿っていくのを感じながら、クリーニング屋さんの前を過ぎると、コンビニが見えてきた。
ひと際煌々と灯る明かり。コンビニの窓ガラスの奥に見えるお客さんの数は、ほんの少しだ。
「暇そう」
雨降りだから仕方ないんだろうけど、金物屋さんとどっちが暇なんだろう?
それに、雨降りの夜に漫画を立ち読みしている人もかなり暇そうに見えちゃう。家に居てもすることないのかな?
立ち読みをしている男の人たちに目を向け、余計な心配をしてみた。
ドット柄の傘を入り口付近にある傘立てにさし、店内に入ったらアイスのケースへ一直線。たくさんの種類のアイスが私の目を惹き、惑わせる。
ん~。どれにしよおかなぁ。
「どれも美味しそうだよぉ」
指をくわえて喰らいつくようにして見ながら呟くと、人影が近づいてきてふふっと笑われてしまった。
小さな声で言ったつもりが、誰かに聞かれていたらしい。驚いた。
「これ、美味しいよ。はい」
すると、ふふって笑ったその人物が、びっくり顔の私にアイスクリームを差し出してくるから、つい反射的に受け取ってしまった。
アイスを手渡してきた相手を見ると、この前「ちょっといいかな」なんて言って私を呼び出した、隣のクラスの岩崎君だった。久しぶりの登場だ。
きょとんとした顔をしたままで居ると、岩崎君がニコニコと話し出す。
「俺の家。すぐそこなんだ」
岩崎君は、コンビニの出口に向かって斜め右を指差した。そんな風にされても、どの辺なのかはさっぱりわからない。
「藤川さんの家も、この辺なの?」
私は、岩崎君の真似をして外に向かって指をさす。だけど、方向音痴だから指した方角は適当だった。
「へぇー」
私が指差した適当な方角を見て、岩崎君が嬉しそうな顔をする。
岩崎君には、以前告白をされたけれど、一応、お断りをしていた。純太があんまりに怒っていて怖かったし、悠介もそうしなって言ったから。
でも……。
「藤川さんとこんなところで逢えるなんて、俺ついてるな」
岩崎君は、ラッキー、ラッキーとテンション高めの様子だ。どうやら、めげないタイプらしい。
「それさ、食べてみてよ」
それっていうのは、さっき渡されたアイスのことだ。何度かCMで見たことがあるけど、私は一度も食べたことがない。
食べてみてもいいけど、私は違うのにも興味を惹かれている。二つ買うのは、お小遣いがもったいない。
「う~ん。でもね……、あれも食べたいなって」
ケースの上から指をさす。
「じゃあ、俺がお勧めした分は、おごってあげるよ」
そう言うと、さっき手渡したアイスを私の手からひょいっと取ってレジへ行ってしまった。
止めるまもなく支払いを済ませると、私の手にはシャカシャカのコンビニ袋に入った岩崎君お勧めのアイスが一つ。
それからレジに向かい、自分で決めたアイスが一つ。
「ありがとう」
欲しいと言ったわけじゃなかったけれど、買って貰ったからにはお礼を言っておかなきゃね。
「どーいたしまして」
岩崎君からは、ご機嫌な返事が返ってくる。そのまま二人でコンビニの出口へ向かった。
すると、ドアに手を掛け開けたところで、岩崎君から一つ宿題をだされた。
「食べたら、感想聞かせてよ」
えっ、感想!? アイスのモニター? 感想文て、凄く苦手なのにぃ。
ヤダヤダ、感想文。どうしよう、どうしよう、感想文。学校の宿題だって、悠介任せなのに……。
やっぱり返そうかな……。
感想を言うのがイヤで、手に持った袋に視線をやる。その途中で、岩崎君への感想よりも大変なことに気がついた。
「ないっ!」
「え?」
入り口付近を見たまま叫ぶ私を、岩崎君が驚いた顔で見ている。
「どぉ~しよぉ~。ないよー。なくなっちゃったよぉー」
うぅ……。と泣きそうな声を上げると、岩崎君がことの事態に気がついた。
「本当だ……」
そう。傘立てには、ビニール傘が一本だけ収まっていた。店内を見渡すと、既にお客は私と岩崎君の二人だけになっていた。きっと、さっき漫画を立ち読みしていたうちの一人が持って行っちゃったんだ。
どうして私の傘なのよぉ。ドット柄なんて似合うようなタイプじゃなかったよ。私が暇って思っていたのを悟ったの? だから仕返しされちゃったの?
だとしたら、ごめんなさ~い。もう、そんなこと思ったりしませんから、傘を返してくださいよぉ。ドット柄の傘、お気に入りだったのにぃ。
グズッと鼻を一つ鳴らし、無くなった傘に涙が滲む。すると、岩崎君が残されたビニール傘を手にとって訊ねた。
「藤川さんの傘。これじゃないよね?」
「え? それ、岩崎君のでしょ?」
「違うよ。俺のは、青い傘だもん……」
「えっ?! じゃあ、二人とも傘をもって行かれちゃったってこと?」
「みたいだね」
貧相なビニール傘を二人で眺め、深い溜息を同時に吐いた。見上げた空は真っ暗で、雨は一向に降り止む気配を見せていない。
ママの言うとおり、アイスなんて我慢すればよかった。そしたら、お気に入りの傘がなくなることもなかったのに。
アイスを買ってテンションが上がるはずが、出かける前よりも憂鬱な気分になってしまった。
落ち込んだ顔で隣の岩崎君を見ると、何故か顔が笑っている。傘を盗まれたのに、楽しそうな顔をしているなんてどういうことなんだろう? やっぱりめげない性格なのかな。
「一本しかないからさ。一緒に帰ろうよ」
「え?」
言っている意味が、初めはまったくわからなかった。
何が一本?
何で一緒?
「傘、これしかないからさ。藤川さんを家まで送るよ」
ビニール傘をぱっと広げると、岩崎君は隣にくるよう私を促した。
「客は、俺たちしかいないんだし。最後の一本を持っていったって、問題ないだろ」
なぁるほど。そうだよね。 盗まれた傘は戻ってこないけど、一本の傘に二人で入れば、雨に濡れなくてすむじゃん。
「岩崎君て、頭いい」
岩崎君に尊敬の眼差しを向けながら、濡れずに済むことに安心して傘の中へぴょんと入った。すると、岩崎君はニッコニコ。
「家、こっち?」
「うん」
岩崎君の指差す方に頷き、二人で歩き出す。大きな道路を横目に、私たちは歩くスピードを合わせる。クリーニング屋さんの灯りは落ちて、和菓子屋さんも金物屋さんもシャッターが下りている。寂しい通りに、街灯だけが頼りのように灯っている。
「まさか。藤川さんと相合傘ができるなんて、思いもしなかったなぁ」
岩崎君は、冷たい雨に肩を濡らしながら、一人ご満悦のようす。
そっか。単純に濡れなくて済むと思ったけど、これって相合傘になるんだ。なんか、そう言われると変な感じがしちゃうな。
小さな傘は、二人の体を少しずつ適度に濡らしていく。
「もっと中に入ったほうがいいよ。肩、濡れてるし」
岩崎君が、私の腕を少し引き寄せる。自然と体が傘の中心へ向かった。私が濡れなくなった分、雨は岩崎君を余計に濡らしていく。
風邪、引いちゃうよ。
「藤川さんて、あの二人と本当に仲がいいよね」
冷たい雨に濡れていく岩崎君の肩を見ていたら、真っ直ぐ前を見たまま訊ねられた。
あの二人? 純太と悠介のこと?
「うん。だって、三人でいると楽しいよ」
「そっか。いいな……」
岩崎君は、雨の音にかき消されそうなくらい小さな声で呟いた。
友達がいることが羨ましいのかな? でも、岩崎君て、友達は多そうだよね。この前も、何人かでおしゃべりしている姿を見かけたし。
それとも、純太と悠介の友達になりたいのかな? だったら二人に言ってあげるよ。きっとあの二人のことだから、すぐに友達になってくれると思うんだけど。
そんな風に考えて、岩崎君の横顔を見ていたら、頭の中にない質問をされてしまった。
「藤川さんは、どっちが好きなの?」
「え? どっちって?」
「速水と永井」
純太と悠介?
どっちってなに? 二人とも好きだけど。
「どっちも好きだよ」
だから、一緒に居て楽しいんじゃない。変な質問。
不思議がって岩崎君を見ていると、困ったような顔をしている。
あれれ? 私、なんか困らせるようなこと言ったかな?
「女々しいって思うかもしんないけど。俺、未だに断られた理由に納得がいかないんだよね」
もうあと数分で家に着くというところで、岩崎君がゆっくりと立ち止まった。必然的に、私も止まる。
「藤川さんて、ふわふわしてるから、そういうところよくわからなくって。どっちが好きかはっきり言ってもらえたら、俺も少しは心の整理もできるんだけど」
うーん。そんなに正確な答えが欲しいんだ。なんだか、数学みたい。
私、国語も得意じゃないけど、数学も苦手なんだよね。必ず決まった答えが出てきてすっきりするかもしれないけれど、それを解くまでの数式は、ダラダラと長いことが多い。
そこまでして何を知りたいのか、何を知ろうとしているのか。本当にその答えが必要なのか。いつもそんな風に考えちゃって、余計に解らなくなっていく。
だって微分積分なんて、普段の生活で使うことないんだもん。それとも、私だけが使ってないの?
「答えって、必ず必要なのかな?」
「え?」
今度は、岩崎君の方が予定外の質問返しに戸惑っている。
「学校で教えてくれる勉強みたいに、必ず出さなくちゃいけない答えなのかな? 私は、そう思わない。少なくとも、今は」
私は、そう言って歩き出す。
傘から出た私の上に、雨が降り注ぐ。慌てたように岩崎君が追いかけてきて、私の上からまた雨が消えた。
そのまま家に向かって歩を進め、玄関先で立ち止まり岩崎君を見た。
「二人が大切なの。凄く大切なの。この答えじゃ、百点にはならない?」
私の出した答えに、岩崎君が首を振る。私は、ほっとして笑顔になる。
「俺も、藤川さんが大切に想う一人になりたいな」
それは難しいことだと思うけど、可能性はゼロじゃない。ただ、私はそれを口にすることなく家の中に入った。
右手には、溶けかけたアイスが二つ。
外では、残された岩崎君の想いが雨に打たれていた―――――。
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