第10話 ひらり 桃色 桜咲く

 休日の昼下がり。隣のクラスのさっちゃんのお家で、私は美味しい紅茶とクッキーをいただいていた。窓からは、眩しい光が入り込み。こんないい天気に部屋の中に閉じこもっているのは、ちょっともったいないな、なんて思わせる。

 さっちゃんの部屋のクリーム色したふかふかの絨毯の上には、可愛らしいクッションがいくつか置かれていて、私はその一つに座り、更に一つをぎゅっと抱えるようにしていた。まるで、愛しい誰かを抱きしめるみたいにだ。

 テーブルの上のクッキーは、さっちゃんママの手作りだ。バニラエッセンスの香りがたまらなく美味しそうな匂いを振りまいている。

 私は時々さっちゃんのお家に来て、さっちゃんママの手作りお菓子を食べるのが楽しみになっていた。

 サクサクと軽い歯ざわりに、甘く香るバニラの風味。一枚食べて熱々の紅茶を飲めば、とっても幸せな気持ちになる。

 そんな風に、うっとりと美味しい物を味わっていた時、さっちゃんが急に言い出した。

「ねぇ。真央」

「ん?」

「あたしね、好きな人ができたんだ」

「えっ!?」

 さっちゃんからの突然の告白に驚いて、抱いていたクッションを掴む手に力が入る。

「目でね、どうしても追っちゃうの」

「ふふっ」て洩らすさっちゃんの笑いはピンク色をしていて、この部屋中が幸せオーラに包まれていった。

 明かりを入れる窓にかかるレースのカーテンも、真っ白でお姫様みたいな勉強机も、ふかふかのベッドにかかる柔らかな桜色のカバーも、みんながみんなさっちゃんの「ふふっ」ていう笑みに頬を染めているみたいだった。

「片想いなんだけどね。今は、学校で会えるだけで幸せなんだ」

 柔らかな微笑みは、聖母マリア様のようだ。幸せそうに微笑むさっちゃんの顔を見ながら、私は抱きかかえていたクッションを更にギュッとする。

 だって、さっちゃんの幸せパワーに、私の心がなんだか変な感じになっちゃったんだ。

 そわそわ。ムズムズ。トクントクン。

 色んな音が体中からしてくるんだけど、それをどうやって言葉にしたらいいのかわからない。だいたい、どうしてそんな風に私が反応しちゃってるのかも、自分のことなのにさっぱり解らない。

 少しだけ首をかしげ、紅茶のカップに手を伸ばすと、少なくなったそれにさっちゃんが紅茶を注ぎ足してくれた。

「ありがと」

 ティーポットを丁寧に傾け、カップに紅茶が満たされていく。悠介のところにあったティーセットも素敵だったけど、さっちゃんの家のティーセットも素敵。真っ白な陶器に薄い透かしが入っていて、清楚な感じなんだ。

 うちにもこんな素敵なティーセットがあったらいいのにな。今度ママに訊いてみよう。普段使うことがないだけで、食器棚の奥にあったりするかもしれないしね。

「相手って、誰なの?」

 満たされたカップを両手で持ち、ふーっふーって冷ましながら訊いてみた。

「誰だと思う?」

 もったいぶった言い方で、さっちゃんが私の目を楽し気に覗き込む。

 覗き込んで来る目の中をじっと見て、誰なんだろう? って私は考えをめぐらせた。

 休み時間になると、さっちゃんは隣のクラスからやってくる。純太と悠介と三人で居るところへ来る事もあるし、私が一人のところへ来ることもある。

 話す内容は、テレビのことや音楽の事。美味しいお菓子の話や、スイーツショップの話。時々、さっちゃんのお兄さんの話題になるけれど、それは本当にごくたまに。男の子の話題なんて、一度も出たことがない。

 あとは、どんな話をしてたっけ?

 目で追っちゃうっていうことは、私のクラスにその相手が居るっていうことだよね? もしくは、さっちゃんみたいにどこか別のクラスから、頻繁にうちのクラスに来ている人。そんな人、いたかなぁ?

 そうやって、最近のさっちゃんの行動を振り返ってみても、思い当たる節がない。

「わかんない」

 諦めて降参すると、「ふふふっ」てまたピンク色の笑いを零す。

「実はね」

 この部屋には、私とさっちゃんしか居ないというのに、内緒話を誰かに聞かれちゃ大変、みたいに顔を寄せ小さな声で相手の名前を教えてくれた。

「えっ! うっそーっ!?」

 その名前を聞いた途端、私は驚きに声を上げる。

 もしかしたら、外まで聞こえちゃったかもしれないくらいの音量だったと思う。でも、それくらい衝撃の相手だったんだ。さっちゃんの口から出てきた名前は、そんな声を上げざるをえない相手だったんだ。

 その人ってば、すぐ怒るし、成績悪いし、落ち着きないし。得意なことって言えば運動で、あ、でも服の趣味は結構好きかな。

 そんな人を、さっちゃんが好きになるなんて思いもしなくて、私は驚きにしばらく口をパクパクさせていた。そんな私を見て、さっちゃんが可笑しそうにクシャリと笑う。

 その笑顔は私の心を虜にするくらいに可愛らしくって素敵で、ああ、さっちゃん大好きっ。て思うんだ。こんな素敵な女の子と友達になれて、私ってついてるーーって。

 さっちゃんは、とてもおっとりしている人だ。成績も良くて、どちらかと言えば優等生で、のんびりというか、ゆったりとした雰囲気を持っている。だから、チャカチャカと忙しなくて、煩くて、口が悪い人よりも、さっちゃんのゆったりペースにあわせて歩いてくれるような人のほうが、私はお似合いな気がするけれど。

 少なくともその人は、ズンズンとかヅカヅカとかの雑な感じの擬音が当てはまる、自己中ペースの人物だから。さっちゃんとは、雲泥の差っていうか。二人が一緒に居るイメージが湧かないっていうか。その人にさっちゃんは、もったいないって言うか……。

 あれこれと想像してみても、やっぱり納得がいかなくて理由を訊ねてみた。

「どうしてまた?」

「頼もしいっていうか。俺について来い、的な感じが良いんだよね」

「ほへぇ」

 さっちゃんには、そんな風に映ってるんだ。私には、どちらかと言えばちょっと横柄で乱暴者的なイメージ。あ、でも自分なりの正義は持っていて、そこは頑として譲らない。この前だって、煙モクモクおじさんから助けてくれたしね。

 人によって、捉え方って随分と違うんだなぁ。

 ふむふむ、なんて顔をしていると、似合わないかな? って首を傾げてさっちゃんが訊いて来る。

 そう訊かれてしまうと、イメージが湧かないだけに似合うとは言いきれない。でも、似合う似合わないで好きになるっていうのもおかしな話だよね。

「イメージが湧かない……」

 苦笑いで正直に言うと、首を竦めて、「やっぱり」なんて、さっちゃんはチロッと可愛らしく舌を出した。

「自分でも、今までにないタイプの人を好きになったなぁ、とは思っているんだよね」

 さっちゃんは、紅茶をひと口飲むと、ふぅって小さく息を洩らす。

「前はね、自分よりも何かしら優れている人に惹かれてたところがあるの。それは、勉強だったり、知識だったり」

「うん。そうだよね。さっちゃんには、知的なタイプって私も思ってた」

 図書館で一緒に勉強するような相手がとっても似合いそうだもん。でも、好きになった相手は、図書館なんてそうそう行くタイプではない。寧ろ、街を練り歩く系?

「さっきはさ、一応好きになった理由を言ったけど。結局のところ、気がついたら、いつのころからか自然と目で追ってたの。だから、好きな理由っていうのも後付けみたいなところがあって。自分自身で、なんでだろう? って考えたときに、そういう理由を思いついただけなんだよね」

「ふぅーん」

 いつの間にか自分の心の中にその人の存在が入り込んできて、気がつくと自然と行動に現れている。人を好きになるって、そういうものなんだね。

「ただね、一つ問題があって……」

 さっちゃんは、困ったように眉を下げ、私の顔をジッと見る。

「なに? 問題って」

 座っていたクッションの形を整えるようにして座りなおし、さっちゃんの言葉に耳を傾ける。

「彼には、好きな人がいるみたいなんだよね……」

「えっ! それって、重大なことだよね?」

 私は、抱きしめていたクッションを傍らに放り出すようにして前のめりになる。

「相手は、誰なの?」

 好きな相手が居るなんて話、私一度も聞いた事ないよ。一体、誰?

 興味津々で、さっちゃんの次の言葉を待った。

「う~ん……。誰っていうか……」

 さっちゃんが言葉を濁してしまった。

 どうして?

「彼はね、その好きな相手に彼なりのアピールをしているんだけど、その人はちっとも気がついていないみたいで……」

「鈍感だね、その人」

 私は呆れながらクッキーを一枚摘み、むしゃむしゃと咀嚼する。さっちゃんは、苦笑いだ。

「そうなると、その恋の成熟って厳しいよね?」

「そうだね」

 さっちゃんは、更に苦笑い。

 あれ? なんで苦笑い?

 あ、もしかして、残り少ないクッキーを私がほとんど一人で食べちゃっているからかな?

 テーブルに乗ったお皿の上には、クッキーがあと三枚。

 私、何枚食べたっけ? 最初、二十枚くらいはあったよね。座ってすぐに二枚食べて、そのあと紅茶を少し飲んでからまた二枚。えっと、テレビの話をしながら多分三枚くらいは食べたし、さっきも二枚食べたから……。

 やっぱり一人で食べ過ぎてる?

 私は、さっちゃんの顔色を窺うように、また一枚クッキーを手に取った。

「美味しいよね、クッキー」

 窺うような気持ちも込めて私が言うと、全部食べてもいいからねってさっちゃんが笑う。

 あれれ? 食べてもいいんだ。じゃあ、どうして苦笑いだったんだろう?

 食いしん坊な私の姿がおかしかったのかな?

 それにしても――――。

「どうするの?」

 好きな人が居る相手を好きになるって、ハードル高いよね? だって、その人の気持ちは、別の人を向いているから、それをこっちに向けるとなると色々大変そう……。

 他人事だという思いのせいか、ハリウッド映画並みのリアクションで渋い顔をしてみせた。

「どうするっていうこともないかな。私は、ただ好きなだけ。学校で顔を見られるだけで、幸せだし」

 一途な想いを口にして、さっちゃんがカップを両手で持つ。まるで、その好きな人を大切に包み込むみたいにして、そっと柔らかく、大事そうにしている。

「可愛いね、さっちゃん」

 本当に可愛らしい。こんな可愛らしい人が片想いだなんて、世の中間違っているんじゃないのかな。さっちゃんなら、もっと素敵な人に大切に愛されてもいい気がする。

 なにも、よりによって……。

 さっちゃんの片想いに、まるで自分の恋が叶わないみたいに小さく溜息をつき、またクッキーを一枚摘んだ。

 こんなに素敵なさっちゃんを悩ませている、好きな相手の好きな女の子ってどんな子なんだろう?

 頭が凄くいい子かな? それとも、スタイル抜群? もしくは、料理上手?

「ねぇ。好きな子って、どんな感じの子?」

「え?」

 さっちゃんは、戸惑うような顔をする。

 言いたくないのかな? さっきも、名前訊いたのに結局教えてくれてないもんね。

「可愛い子だよ……」

「どんな風に?」

「笑い顔がキュートで、目がクリッとしていて。甘いものが大好きで、色んなことに興味があって。おっちょこちょいだけど、そういうのを見ると、女の私でも傍にいて護ってあげたいって思っちゃうの」

 うっわー。なんだか、よくできた子なのね。

「それに……。凄く優しいの。大切なものがなんなのか、よくわかっている子」

「ふーん」

 さっちゃんがしてくれた説明だけで想像した子は、とっても素敵な女の子だった。私なんか、足元にも及ばないって所かな。

 純太に言ったら、真央なんて、ちんちくりんじゃん。くらい言われて鼻で笑われてしまうかもしれない。そう考えたら、実際言われたわけでもないのに、ふんって鼻から息を吐き出してしまった。

「どしたの?」

 少し憤慨している私を見て、さっちゃんは不思議そうな顔をする。

「あ、ううん。なんか、別の方に思考が行っちゃって、そしたらなんかちょっとムカってなっちゃって」

 あはは。なんて、笑いを零すと、変なまおーってさっちゃんが笑う。その笑顔に釣られて私も笑う。

「私ね、その子に負けないくらい素敵な女の子になるって決めたんだ」

「えぇー。さっちゃんは、充分素敵だよぉ。私なんて、いつも憧れてるよ」

「ありがと」

 さっちゃんは、柔らかい表情で、照れるな、なんて笑う。

「私も、さっちゃんに負けないくらい素敵な女の人にならなきゃ」

「えっ!? 真央は、もうそのままでいいよ」

 さっちゃんが慌てたように言う。

「どうして?」

「だって、これ以上になられたら、私困っちゃうもん」

 ん? どうしてさっちゃんが困っちゃうんだろう? ま、いいか。

 私は、残り一枚になったクッキーを頬張り。

 頑張ろうっ。て言ってるさっちゃんの恋する乙女な顔を見ながら微笑を返した――――。

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