第5話 猫にまつわるあれこれ

 家に侵入してくる野良猫たちは、ノミを置いていったりハンモックを落としたりする以外にも、様々な試練を家人に課した。


 夕飯の天ぷらを、揚げている途中から次々と盗み食いされる。楽しみに置いておいたミスドのドーナツを盗み食いされる。茹で上がったとうもろこしを、冷ましている間に盗み食いされる。しじみの味噌汁を飲んでいたら、横から手を突っ込まれて、盗み食いされる。

 猫舌なんてファンタジー。どんなに熱々のものでも、猫は怯むことなく咥えてかっさらっていく。

 家族は幾度となく、猫に食べ物を盗まれていた。こんな昭和アニメのような展開を日常的に体験している家など、うちくらいなものだろうと思った。

 

 縄張り争いに関しても、外でやればいいものを、わざわざうちの天井裏で開始したりする。一度はじまると、双方ともなかなか引かない。長いときで数時間にわたり、家族は猫の唸り声を聞き続けることになった。争いが静まるまで、ろくにテレビの音声も聞こえない。これには心底、うんざりした。気が短い父や叔父なんかは、たまに箒の柄で天井をつついて、縄張り争いを邪魔しようとした。それでも翌日にはまた、天井裏で新たな縄張り争いが勃発するのだった。


 ある朝、母が寝不足の顔で「昨日の猫のケンカはひどかった」と言った。聞けば、母は深夜から明け方近くまで、布団の中で猫の争う声に聞き耳を立てていたのだという。


「あんなにうるさかったのに、あんたたち誰も気づかなかったの?」

「うん、寝てた」

「猫、喋ってたのに?」

「え、喋ってたの?」


 母曰く、猫ははじめのうちこそ普通に脅すような鳴き声を上げていたが、争いが長引くにつれ、今まで聞いたこともないような低い声を出しはじめたという。よくよく耳を澄ませてみれば、猫は明らかに「しぃぃぃぃぃねぇぇぇぇ……!」「こぉぉぉぉのぉぉぉぉやぁぁぁろぉぉぉぉ……!」と巻き舌で会話していた。


「猫、人間の言葉でケンカしてたよ」

 母は真顔だった。


 その夜、布団に入って少しすると、やはり天井裏で猫同士のケンカがはじまった。母の言葉が引っかかっていた自分は、しばらくその鳴き声に集中してみることにした。

 猫は「なぁぁぁるぅぅぅほぉぉぉぉどぉぉぉぉ……!」と鳴いていた。なるほどね。



 時々、猫が家の中で出産してしまうことがあった。そういうときは母猫の傍にそっと食べ物を差し入れてやったりした。子猫が大きくなってそのまま居つくと、仕方がないので飼い猫として迎え入れた。そうやって野良猫を受け入れ続けた結果、ピーク時には二十匹を超える猫の世話をすることになったが、基本的には家族全員猫好きだったので、頑張れた。そもそも猫が好きでなければ、ノミの件も盗み食いの件も天井裏の騒音の件も、許せていない。


 ただし一度だけ、本気で猫に対してブチ切れたことがあった。

 

 明け方近く、足にぬるぬるとした不快なものを感じ、目を覚ました。布団をめくると、足の周りが血まみれになっていた。血だけでなく、何やら透明感のある体液らしきものまである。そして隅のほうに、生まれたての子猫が一匹、転がっていた。

 夜のうちに、猫が出産したのだと悟った。

 なぜわざわざ自分の寝ている布団で? 猫ってもっと人目につきにくいところで出産するものなんじゃないのか?

 そんな疑問をひとまず頭の隅に押しやって、子猫の様子を見る。残念ながら、息をしていない。次の行動に移る。足を洗い、その後で子猫をタオルか何かに包んで、家族に知らせよう。そうしたら父か母が子猫を埋葬してくれるはずだ。

 風呂場に向かおうとして、はたと気付いた。

 他に生まれた子猫はいないのだろうか? 母猫はどこにいるのだろうか?

 そのとき、ベッドの下からかすかな鳴き声が聞こえてきた。慌てて、そこにおさめられているプラスチックケースを引っ張り出した。するとケースの中に、母猫と子猫たちがいるのを見つけた。

 母猫は最初の一匹を自分の寝ている布団で出産した後、プラスチックケースの中へと移動して、残りの兄弟たちを産んだらしかった。


 その光景を見た瞬間、涙が溢れ出た。

 新たな命の誕生を目の当たりにした、感動の涙ではない。悔し泣きだった。そして怒りの涙でもあった。

 プラスチックケースの中には、お小遣いでコツコツ買い集めた「ときめきトゥナイト」全三十巻が仕舞われていた。小学生の自分は「ときめきトゥナイト」全三十巻を何より大事にしていた。蘭世ヒロイン編はもちろん、なるみ編も大好きだったし、愛良編の壮大なストーリー展開は何度読んでも心が震えた。


 果たして宝物である「ときめきトゥナイト」全三十巻は、無残にも猫の体液まみれとなっていた。

 生まれて初めて、猫を憎んだ。わたしの「ときめきトゥナイト」全三十巻を返せ。


 そのとき生まれた子猫たちは、すくすくと成長していった。やがて動くものにはなんでもじゃれつくようになった。それでも尚、自分の怒りはおさまっていなかった。猫マジ許すまじ。子猫たちが寄ってきても「くそ馬鹿! おめえらなんかと遊んでやるかよ!」とそっぽを向いた。だが最終的には、猫たちと和解した。結局、猫の可愛さにはかなわないのだった。


「ときめきトゥナイト」は大人になってから、文庫版で揃え直した。

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