第9話 祖父とごちそう

 時々、無性に鳩が食べたくなる。

 気軽に鳩を食べられるような店を探そうとするが、これがなかなか見つからない。鳩肉を出すのは、だいたい気取った店が多い。

 

 自分が求める鳩肉の食べ方は、七輪でさっと焼いたものに醤油を垂らしただけという、シンプルなもの。

 子どもの頃はよくそうやって、鳩を食べていた。


 鳥好きの祖父は、庭で鳥を飼育する他に、鳩撃ちもやっていた。時期になると、狩猟仲間とともに鳩を撃ちに行く。家を出る際に「今日の夜は鳩だから、楽しみにしてろよ」と言い置いていく祖父は、なんとなく普段よりかっこよく見えた。


 鳩は鶏よりもやや癖のある味で、そこがまた好きだった。鶏より噛みごたえがあるという点も、好みだった。子どもながらに「ああ、これって野生の味だなあ」と感じ入りながら、鳩を食べていた。雀を食べることもあったが、小さいので骨が多く、食べづらかった。自分は断然、鳩肉派だった。



 今振り返ってみると、家の食卓は豊かだった。


 家庭菜園では、家族が充分食べられるだけの野菜を収穫できた。ご近所さんから採れたての野菜をおそすわけしてもらう機会も多かった。台所にはいつも新鮮な野菜があった。

 祖母は野菜を大きな樽でぬか漬けにしてくれた。自分は小腹が減ると、この樽からきゅうりや瓜なんかを勝手に引っこ抜いて、パリパリ食べていた。

 庭には梅、さくらんぼ、ザクロ、柿、みかん、きんかんの木があり、外遊びをしながらよくこれらの実を摘まんだ。


 毎日口にする味噌やしょうゆは、自家製だった。庭の鶏小屋からは、毎朝産みたての卵がとれた。米は近くの農家から直接買っていた。平日は、正午頃になると魚屋のトラックが庭までやって来て、旬の魚を売ってくれた。

 昼食の定番は、炊きたての米、自家製味噌と家庭菜園の野菜で作った味噌汁、祖母のぬか漬けと梅干、そしてさっき魚屋から買ったばかりの刺身。

 夜も昼と変わらぬ献立で、ただし刺身の代わりに煮魚か焼き魚が食卓に上がった。祖父が鶏を絞めた日は、主菜が魚から鶏肉へと変わった。

 これらはきっと、最高においしいごはんだったのだろう。

 しかし当時は、自分がどれだけ価値のあるものを口にしているか、気付こうともしていなかった。まず家の中が汚いので、食事自体の台無し感が拭えなかった。煮魚をつつきながら「もっとグラタンとかパスタとか食いてえなぁ……」と思っていた。

 今では産みたての卵を手に入れる場所も消え、味噌やしょうゆはスーパーで買ったものを使っている。刺身も果物も滅多に食べない。


 自分はもっと、祖父に感謝しておくべきだった。

 家庭菜園をやっていたのも、味噌としょうゆを作っていたのも、鶏を育てていたのも、米農家や魚屋と交渉していたのもすべて、祖父だった。祖父のお陰で、自分たちは日々、おいしいものを口にできていた。

 今、もしも子どもの頃の自分と対峙できたのなら、もっと毎日の食事に感謝しろ、もっとちゃんと味わえと、言い聞かせてやりたい。



 祖父には他にも、様々なものを与えてもらった。

 

 夏になると孫たちのために、庭に大きなビニールプールを出してくれた。そのままでは日差しが強かろうと、巨大な日よけまで手作りしてくれた。

 こまめに孫たちの自転車をチェックして、いつもタイヤの空気を入れておいてくれた。

 バイクの後ろに乗せて、そのへんをちょっと走ってみせてくれた。孫がバイクを気に入ったとわかると、今度はサイドカー付きのバイクを手に入れ、乗せてくれた。

 

 祖父は鳥としょっぱい食べ物と一番風呂が好きで、人当たりが良く、家族の中では一番穏やかな人だった。孫を笑わせようと、おかしな替え歌を口ずさんだり、小さないたずらを仕掛けてきたり、お茶目なところもあった。

 服や肌着の締め付けが苦手な人で、家の中では基本、全裸だった。


 今も瞼を閉じると、様々な思い出とともに、祖父の尻が脳裏に浮かぶ。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る