第7話 冬の訪れ
日々ノミや蚊と格闘し、痒みに耐え忍ぶ夏。
吹く風に秋の気配がまじりはじめると、家族はようやく一息つけるのだった。やれやれ、今年も夏を乗り切ったぞ。そして、来るべき季節に向けて覚悟を決める。
秋――風向きによっては隣家の大木から、大量のどんぐりが我が家に降りそそぐ季節。
家の屋根は屋根としてほとんど機能していないため、雨漏りはするし、虫や動物の侵入だって許してしまう。当然、どんぐりも落ちてくる。
秋の夜長は、どんぐりが屋根にあたる音を聞きながら過ごすのだった。
そして翌朝、家の床はどんぐりだらけになっている。その量は、ちょっと歩けば、どんぐりで足つぼマッサージができるほどだった。
「まったく、あんな木さっさと切っちまえばいいのに……」と文句を言いながら、祖母がどんぐりを掃き集める。「あの木があるせいで、掃除が追っ付かないよ」
それよりうちの屋根を直せばいいのに、と思いながら、自分も掃除を手伝った。横からは、叔父が嬉々としてどんぐりを投げつけてくるのだった。
しかし秋はまだいいほうで、本当に過酷なのは冬だ。
冬の過酷さの原因は、冷えだった。
隙間だらけのボロ屋の中は、どこもかしこもうすら寒い。外で雪が積もれば、家の中でも同じことが起きる。朝は布団からこたつまで、どれだけ早く移動できるかが肝。夜のうちに集まってきた野良猫たちをこたつの中から追い出して、両足をつっつこむ。暖房も点けてはいるが、なかなか利かない。家の中なのに、吐く息が白い。そんな調子なので、一日に終わりには、ことさら風呂が恋しくなった。ただし、長湯はできなかった。
家の風呂は、いっこうにくつろげない環境にあった。
まず換気システムがなかった。長年の湿気で、脱衣所の床と洗面台の棚はぐずぐずに腐り、傾いていた。一部には苔が浮いていた。服を脱ぎ着する際は、慎重にやらないと床に穴を開けてしまいそうで怖かった。
洗い場の隅や風呂釜の周りも、苔だらけだった。ときどきそこにきのこやなめくじを見つけた。ヘビの抜け殻が残されていたこともあった。浴室に踏み入るたび、裸足の裏に何かぬめぬめとしたものを感じていたが、我慢するしかなかった。
湯沸し器はなかったので、風呂の湯は外から母が薪を使って沸かしてくれていた。シャワーもついておらず、洗面器で風呂釜から湯を汲み取りながら、頭と体を洗う。
風呂に入っている途中で、窓の外から視線を感じることがあった。覗きである。これが風呂でくつろげない一番の理由だった。
父の仕事柄、来客が多かった。初めて我が家を訪れる客は、入り口の場所がわからず、必ずといっていいほど迷っていた。
周囲の家が表通りに向けて玄関を構えているのに対し、我が家だけは逆だった。元々、無茶な増築を重ねて迷宮のようになっている家は、それだけでも入り口がわかりにくい。その上、表通りに対して背を向けた状態にある。訪問客が一発で入り口を探し当てるなど、到底無理なのだった。
表通りに面していたのは、浴室の窓だった。
ほとんどの訪問客が、この窓から声をかけてきた。浴室をこれ以上腐らせないため、我が家では風呂の窓を開け放したまま入浴するのがルールだった。
入り口を見つけられない訪問客にとって、灯りが洩れている風呂の窓だけが、唯一の希望だったのだ。
なので別に向こうも覗こうと思って風呂を覗いてきているのではなかった。結果的に、家人の入浴中に当たってしまうだけだった。
そうはいっても、風呂を覗かれるのは嫌だった。というより、気まずかった。
「すみません、玄関の位置がわからず……。ここしか声をかけられそうなところがなかったもので……」
などと申し訳なさそうに事情を説明する訪問客に対し、こちらは、
「ここからぐるっと後ろに回ってもらって……」
と玄関の場所を教える。
毎度毎度、このやりとりが面倒で仕方なかった。
相手はきちんとした格好をしているのに対し、こちらは全裸である。防御力ゼロなのである。心細いにもほどがある。
一応向こうを気を遣って見ないようにしてくれているのが、逆に申し訳なかった。風呂を覗かれるほうよりも、覗いてしまった人のほうが、精神的ダメージが大きい。覗かれる側は、いかにも自分は別に気にしていませんよという態度を貫きとおす。
いつ訪問客に声をかけられるかわからない状態で入る風呂は最高にスリリングで、ちっともくつろげない。長湯できないので、体はたいして温まらない。
夜、布団の中で冷たい足をすり合わせ、寒さと戦いながら眠りつく。寒いというだけで、とても惨めな気持ちになった。意味もなく涙がこぼれてきた。
母が電気毛布を導入してくれたときは、言葉を失うほど嬉しかった。電気毛布は暖かかった。無敵だった。この世界に、電気毛布以上に素晴らしいものなどあるだろうかと思った。
あの頃もし誰かに「好きな四文字熟語は?」と訊かれることがあったなら、絶対に「電気毛布」と答えた。
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