第4話 夏とハンモック
ヘビの侵入は恐ろしかったが、夏になると他にも家族を悩ませるものがあった。
ノミだ。
家の中へは、常に野良猫たちが出入りしている。そいつらが毎年夏になると、大量のノミを置いていく。
家族はひと夏の間に、こっぴどくノミに食われまくった。
どんなに殺虫剤をまこうが、直後にまた野良猫たちがやって来てノミを置いていく。野良猫たちにかたっぱしからノミ取り首輪を装着してみたこともあったが、あまり効果はなかった。
畳の上に寝転んで、夏休みの課題図書なんかを読んでいると、ふくらはぎに突然鈍い痛みが走る。痛みの原因は、わかっている。
ぱっと起き上がり、ふくらはぎにある黒い点々を、爪の先で潰していく。たっぷりを血を吸って膨らんだノミを潰した瞬間、爪先が自分の血で汚れる。その後も淡々と、見つけ次第ノミを潰していく。ノミを退治することに対し、もはや何の感情も抱かなくなっている。
毎年ノミに食われ続け、小学生の自分は立派なノミ殺戮マシーンとなっていた。
昼間はそんなふうにして対処できるから、まだ良かった。問題は、夜だ。
寝ている間も、ノミは容赦なく噛んでくる。蚊にも刺される。夏の夜は、痒みとの戦いだった。うとうとしては、痒みで飛び起きる。あるいは蚊の羽音に起こされる。やけに暑いと思ったら、野良猫が布団の中まで侵入してきている。
気持ちよさそうに眠る猫を横目に、必死になって蚊を追いかけて叩き、ノミを潰し、刺された箇所に痒み止めの薬を塗る。寝ている猫を布団の端に追いやって、自分が眠るスペースを作り、目を閉じる。なんとなくうつらうつらしてくるけれど、痒みが続いてうまく寝付けない。掛布団を蹴散らし、ばりばりと腕や脚をかきむしる。そうしているうち、また蚊の羽音が聞こえて来て、うんざりする。再び蚊とのおいかけっこがはじまる。
なので、夏場はあまり眠れなかった。痒みよりも眠気のほうが勝った日だけ、深く眠れた。だがそうなると次の日に、地獄を見た。夜の間に噛まれ放題、刺され放題になっていた体には、無数の赤い発疹。襲い来る猛烈な痒み。両まぶたが蚊に刺されたときは、午前中いっぱいまともに目を開けられなかった。
野良猫が出入りする穴や隙間を完全に塞がない限り、ノミの脅威からは逃れられない。
だが住んでいる自分たちでも、すべての侵入口を把握してはいなかった。目についた隙間を簡易的に塞いでみても、どこからか必ず野良猫は侵入してくる。ときには屋根を突き破って入ってくる、アウトローな猫もいた。
あるとき、父は家の中にハンモックを吊るした。どこからか引っ張って来た網を柱のフックにかけただけという代物だったが、ハンモックはハンモックだ。
父は娘のために、ハンモックという安息の地を作ってくれたのだった。
ハンモックほどの高さがあれば、ノミは跳んでこれない。ハンモックの上にいる間は、奴らに噛まれる危険がない。
自分と妹は大喜びし、日中はハンモックで過ごすようになった。ハンモックの上から夏休み子どもアニメを視聴し、昼になるとハンモックの上でおにぎりを食べ、夏休みの宿題をやった。ノミに噛まれない夏休みは、愉快だった。
しかし安息の日々は、長くは続かなかった。
猫がハンモックの存在に気付いた。
高いところ、狭いところが好きな猫にとって、ハンモックはさぞや魅力的に映っただろう。自分や妹がいてもおかまいなしに、梁からドスドスとハンモックの上に飛び降りてきた。そうやって猫に踏みつけられ、追いやられ、自分と妹はハンモック上での居場所を失いはじめた。
だいたい、十二、三匹くらいの猫が飛び降りてきた頃だろうか。
その重さを支えきれなくなった柱のフックが、抜け落ちた。と同時に、自分と妹は猫とともに、ハンモックごと床に落下した。全身を打ち付けた。幸い、声すら上げられないほど痛かっただけで、怪我らしい怪我はなかった。驚き逃げ去る猫に顔や体を踏まれはしたが、引っかかれたりはしなかった。そして心に誓った。もう二度と、家の中でハンモックには乗るまい。
それから数年間は、夏がくるたびこの日の出来事を思い出し、切ない気持ちになった。
今でも自分にとって、夏の切なさを表現する言葉はハンモックだ。
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