第11話 父の暴力劇場

「昨日の夜、うちに泥棒が入ったんだよ」

 朝食の席で、母はよくそんな報告した。

 聞くほうもすっかり慣れた調子で「へえ、また?」などと言い、平然と味噌汁をすすっている。

 母は朝から冗談を言っているのではない。実際、家には頻繁に泥棒が入った。もはや日常茶飯事で、いちいち騒ぎたてるものではなかった。

 そのため自分は知人に指摘されるまでの長い間、泥棒はどこの家にも気軽にやって来るものだと思いこんでいた。あるとき知人から「え? うち泥棒に入られたことなんて一度もないよ」と言われ、とても驚いた。


 ボロ屋だったので、泥棒も入ろうと思えば難なく侵入できただろう。しかし侵入したところで、家に金目のものなどない。

 泥棒が入るのは決まって、道を挟んで家の正面にある、家族が作業場と呼んでいたスペースだった。

 車関連の仕事をしていたので、そこには色々な部品やパーツなどがひしめいていた。半分は父や叔父の趣味みたいなところもあった。作業場は厳重な管理などされていなかったので、誰でもふらりと入っていける。


 車のパーツ目当てにやって来る泥棒は、若者が多かったと聞く。未成年の集団なんかもよくやって来た。どうやらうちの作業場がチョロそうだぞという噂が、ひそかに流れているらしかった。噂につられて、泥棒は後から後から現れた。

 そのことについて、物騒、などとは一度も思いもしなかった。毎回、父が泥棒を捕まえてくれていたからだ。


 自分の中にある泥棒のイメージは、テレビで志村けんが演じる、唐草模様の風呂敷を頭にかぶり、ドーナツ髭を生やした、間抜けな姿。現実の泥棒もあのように間抜けだから、簡単に捕まえられるのだと思っていた。

 夜の作業場では、父と泥棒によるドリフ大爆笑が繰り広げられているだと、勝手に信じていた。

 実際に繰り広げられていたのは、死闘だった。

 泥棒を捕まえるため、父は使命感に燃えていた。父は血の気が多いほうだった。


 警報機も何もない作業場に、侵入者が現れる。それを家の中で寝ているはずの父がどうやって察知していたのか、今でもわからない。きっと野性の勘的なもので毎回飛び起きていたのだろうと思う。

 父の泥棒への対処法は、至ってシンプルなものだった。

 泥棒の存在に気付くとそっと寝床を抜け出し、作業場に向かっていく。そこで泥棒たちをふん捕まえ、ボコボコにする。

 当時はそれを普通だと思って聞いていたが、今振り返ってみるとぞっとする。相手が物騒なものを所持している可能性だって、充分考えられたのだ。無鉄砲にもほどがある。


 ある日、朝食の席に現れた父は、満身創痍だった。

 昨夜、泥棒を捕まえようとして、彼らの乗ってきた車に引きずられたのだという。

「そんなあちこち怪我までして……反省しな! 調子に乗ってるからそうなるんだよ!」と母に叱られ、父は珍しく小さくなっていた。

 この出来事で懲りたのか、作業場の盗難対策は見直され、以来泥棒は来なくなった。



 血の気が多く、ケンカっ早い父だったが、母から指摘されたとおり調子に乗りやすいところがあった。普段は社交的でどんな人ともすぐに打ち解け、集団の中では兄貴分的ポジションにつくことが多いように見えた。たびたび人から頼られては、色々な集まりに顔を出していた。


 そんな父を頼って、隣家のじいさんがうちに駆け込んできたことがあった。

「助けてくれぇぇ……」

 と情けない声を上げるじいさん。その顔は真っ青。

「孫たちがケンカしている! 手がつけられない!」

 とじいさんは言い、どちらかが死ぬまでケンカは続きそうな勢いなのだと訴える。

 確かに少し前から、隣家の孫たちの叫び声がうちにまで聞こえてきていた。てっきりまた兄弟で馬鹿なことをしているのだろうと聞き流していたが、実際はガチのケンカだったらしい。


 仲裁を頼まれ、父はじいさんとともに家を出て行った。ちょうど昼食のサッポロ一番みそラーメンが茹で上がったタイミングだったので、隣家に向かう父はわかりやすく苛立っていた。サッポロ一番みそラーメンは父の大好物だった。


 父を見送りながら、家族の胸には不安がよぎっていた。

 みんな、隣家の兄弟のヤバさを知っていた。操縦するコンバインにわざとじいさんを巻き込み、じいさんの慌てぶりを見て笑い転げているような奴らだ。兄弟は他にも、自宅敷地内にあるビニールハウスに火をつけてボヤ騒ぎを起こしてみたり、うちの祖父が大事に栽培していたシイタケに殺虫剤をまいたりと、悪さをはたらいていた。

 何をしでかすかわからない怖さでいえば、我が家の叔父と同等か、それ以上だった。

 兄弟はまだ十代の少年とはいえ、父よりはるかにガタイがいい。そんな二人の仲裁に入り、父は果たして無事でいられるのだろうか。ケンカに巻き込またりしないだろうか。


 しかし五分もたたないうちに、父は涼しい顔で、隣家から戻ってきた。兄弟たちの叫び声は聞こえなくなっていた。

 どうやってケンカをおさめたのかと訊くと、父の答えはやはりシンプルだった。

「二人ともボコボコにしておいたから、しばらくは殴り合いなんかできないだろう」

 はなから仲裁する気などない。父はただ兄弟を戦闘不能にしただけだった。


 父は「ちくしょう、やっぱり伸びてるじゃねえか」と怒りながら、サッポロ一番みそラーメンを食べはじめた。

「伸びててもうまいな」としきりに感心していた。

 

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