第七章 ホワイト・ライ

第17話 謎解き、というよりは

 明石が食堂に入ってきたことにあからさまな反応を示した者はいなかった。


 四人の座っている位置は変わらず。小熊たちから向かって左側の席に大河内が腰を下ろし、田中を含むコンシェルジュの三人とシェフの二人は間仕切りカーテンの前に横一線で立ち並んだ。


「漸くか? さっさと帰らせてくれると有り難いんだがな!」


 強い口調で言い放った笹川を無視して、小熊は椅子に腰を下ろすと足を組み、明石はテーブルに寄り掛かった。


「貴方が紳士的であればすぐに終わりますよ。国民の代表さん」


 もはや小熊も苛立ちを隠そうとしない。ゆっくりと全員の顔を見回すと小首を傾げて再び口を開いた。


「最後のチャンスを差し上げます。今、犯人だと名乗り出れば自首として扱いますが……どうしますか?」


 しかし、誰も反応しない。それも当然のこと、。自分が犯人だという証拠を現場に残してしまっているのなら、もっと慌ててもっと挙動不審であるはずだ。そうで無いならただの馬鹿か、傍若無人かのどちらかだ。


「そう。なら仕方がないわね。明石」


「はいはい――じゃあ、まずは時系列から整理していこう。今回の五つの殺人にはその順番が深く関係してくるけど、先に木村さんの事件だけは除外しておく、木村さんだけは連鎖の中に入っていないからね」


 腕を組みながら雄弁に語り始めた明石に、海老原が口を挟んだ。


「ってことは、それ以外の四人が死んだのは関係しているってことか? まさか連続殺人?」


「その説明を今からするんだよ、ホームズくん。気になっているようだから結論から言うと、殺人を犯したのは四人だよ」


 五人が殺されて犯人が四人。子供だってわかる計算だ。つまり、その中の一人が二人も殺している。


「殺された順番は、氏家さんから始まって、前島むつみ、前島弁護士、金山さんで終わる。さっきも言った通り木村さんだけは別枠だけど――時間的には前島弁護士と金山さんの間くらいかな」


「それは死亡推定時刻から割り出したんですか? それとも別の何かで?」


 大河内の疑問はもっともで、自分の検死では完全な死亡推定時刻が割れずに死亡した順番などわからなかったはずなのだ。


「どっちも、だね。先生の検死が無駄だったわけじゃないから安心して。問題は誰が誰を殺したのかってこと。順番通りにいけば、氏家さんを殺したのは前島弁護士で、前島むつみさんを殺したのは――」


「ちょっと待て!」


 待ったを掛けたのは海老原だった。明石は軽く流して話を続けようとしたが、それは聞く者として決して承服できることではなかった。


「どうして前島さんが氏家さんを殺すんだ? 大した繋がりも無かっただろう?」


 その問い掛けに対して笑顔のまま面倒臭そうに顔を歪めた明石は、助けを求めるように小熊に視線を送った。


「……説明しなさいよ。彼らにも知る権利はあるし、何よりもまだ時間もあるわ」


 小熊の言葉に小さく溜息を吐いた明石は帽子のツバを下げた。


「言ってたでしょ? 毎晩売り込みに来ていたはずの前島さんが、昨夜に限っては小畑さんのところにしか行っていなかった。氏家さんの部屋はその隣の三○三号室だから、つまり、そこでがあって売り込みを止めたと考えるのが正しい」


「だが、私のところに来た前島さんは……会ってはいないが、いつも通りだったと思うが?」


「それはそうでしょ。敢えて普段通りに振る舞おうとしていたんだから」


 その言葉に全員が疑問符を浮かべた。明石の言わんとしていることがわからない。そこで、静かに手を上げたのは大河内だった。


「じゃあ、つまり前島さんは始めから氏家さんを殺すつもりだった、と?」


「少し違う。前島さんが殺そうと思っていたのは奥さんのむつみさんで、氏家さんが殺そうとしていたのは金山さんだから」


「……はぁ? なぁよぉ、言っていることが破綻してねぇか?」


 先程、小熊に黙らされた笹川が息を吹き返してきた。


「ついさっき、殺された順番がどうとか言っていただろ。それに従えば金山が殺されたのは、氏家が殺された後なんだろう? 先に氏家が殺されていたんじゃあ、誰が金山を殺したんだ?」


「はぁ――その答えは、何故氏家さんが前島さんの売り込みに対してドアを開けたのか、ってところにある」


 開いた手帳に視線を落としていた小熊は、顔を上げて明石に続いて口を開いた。


「小畑さんはわかっていたんですよね? その時間に前島さんが部屋のインターホンを押すことを。それなら他の皆さんも知っていたはずですよね? 酒を飲んで仕事のことしか考えていない前島さんの相手をするのは面倒だ、と」


 ただ律儀に相手をしていたとも考えられるが、それが一週間も続いたとなれば最後の夜くらいには学習しているはずだ。


「殺された順番というのは、あくまでも死んだ順番ということ。つまり、氏家さんは金山さんを殺すための準備を済ませ部屋に戻ったところでインターホンが鳴り、つい出てしまったと。そう考えれば辻褄が合うでしょ? 興奮している人間は時に思いもよらぬ行動に出るものだから」


「……どうやって? 俺は遺体を見ましたが、どうやって殺害したというんですか?」


 金山を検死をした大河内だからこそ思う。その後に明石は犯行の手口がわかったようだったが 結局は小熊すらも今の今まで知らされなかった。


「氏家さんの部屋にあったクーラーボックスと、そこに付着していた塩。それに空だった冷凍庫が答えだよ。先生ならわかるんじゃない?」


 抵抗したような傷が無かった遺体と、溺死したときには生きていただろうという事実――思い浮かぶのは、一つしかない。


「冷やした、ってことですか? クーラーボックスに氷を入れて塩を掛けて急速に冷やし、それを浴槽と金山さんの間に敷き詰めた、と。確かにそれなら関節が固まり身動きが取れなかった説明も付きますね」


 半信半疑だが、医師として納得ができてしまった。通常、氷は摂氏零度で融け出すが塩を掛けることにより融ける速度が増し、零度以下に冷やすことが出来る。


「そういうこと。あとは湯船に水を張る設定をしておけば思った時間に殺せるでしょ? あと、ついでだから説明しておくけど人を殺す準備を終えて気が立っている氏家さんがつい開けてしまったドア。入ってきたのは面倒な売り込みをしてくる前島さん。当然、まともに相手はできないよね? それに氏家さんは口が悪かったって話もあるし――逆にこれから奥さんを殺そうとして平静を装っていた前島さんの逆鱗に触れる言葉でも言ってしま たんだとしたら? さぁ、どうなるかな」


 嬉々とした笑顔で問い掛けた明石は、ゆっくりと全員の顔色を窺った。


 どうなるか、などすでに結果が物語っている。そして想像できてしまう。何かを言って殴り殺される氏家の姿を。


 全員が悟ったのを確認した明石が次に進もうとした時、穏やかな声が聞こえてきた。


「動機は……氏家さんが金山さんを殺害した動機はなんだったんですか?」


「ん? 確か……山内さん? なんだか初めて声を聴いた気がするね。動機については」


 掌を向けられた小熊は手帳を閉じた。


「金山さんは氏家さんの会社に雇われた税理士だったんです。ですが、税務記録に不正を発見してしまった。金山さんがこの一週間部屋に籠りっぱなしだったのもそれを調べ直していたのが理由ですね。つまり、不正を報告させないために殺害したんです」


「真面目さが仇となって、正直者が馬鹿を見る世界ってことだね。あ、でもどっちにしろ死んでるんだから同じことか」


 伝える必要のないことだからこそ小熊はあえて言わなかったが、氏家の部屋にあった税務記録こそが動機に繋がったのだ。本来ならばそれは税理士が持っている物で、尚且つ金山の部屋には税務記録のファイルが入る大きさのカバンが空のまま置かれていた。持ち去ったと考えるのが自然だろう。そして、処理するも先に前島に殺された、と。


 漂う焦燥感。それほどに予想外の真実だったということだ。


「……明石。次」


「次は――前島夫妻だね。奥さんを殺したのは旦那だけど、その方法は至ってシンプルなものだよ。奥さんの死因は硫化水素による中毒死。説明する必要も無いと思うけど、毒の入った小瓶を割って、奥さんを殺害。当の本人は浴室へと避難して硫化水素を吸い込むことは無かった」


 自滅はしなかった、だが、前島六郎は死んだのだ。


「無事だったのなら、どうして前島さんは死んだんだ?」


 当然、海老原だけなく全員が抱いた疑念だったが、明石は帽子のツバを下げて横目で小熊を見た。その視線に気が付いた小熊はペンを手に取ると手帳に『なに?』と書いて明石に見せた。


「いや、この場に犯人がいるのは確かなんだけどさ、どっちからがいいのかな、って」


「順番通りでいいじゃない。次は前島さんでしょ」


 共に証拠を見つけ、玉木からの情報によって動機を突き止めた小熊はすでに犯人がわかっている。だが、細部までを話すのなら明石の方が適任だ。


「じゃあ――前島さんの死因は一酸化炭素中毒死。原因は換気扇に仕掛けられていたんだけど、まぁ、タイミングが悪かったんだね。犯人の本当の狙いはじわじわと風呂の中で眠るように殺すことだったんだろうけど、前島さんは奥さんを殺した後に息を止めて浴室へと直行した。そして浴槽の縁に乗り上げて換気扇に顔を近づけ、大きく息を吸った。予定では新鮮な空気を吸うつもりだったのに、そこから流れてきていたのは一酸化炭素だった」


「それで昏倒して床に倒れ込んだんですね」


「そうだね、先生。でも、一番の問題はどこかわかっているでしょ?」


 頷いて口を開こうとした大河内よりも先に声を出したのは誰も予想していなかった山内だった。


「一酸化炭素を出すには不完全燃焼を起こす必要がありますよね? 換気扇内にそういう仕掛けを施したということですか?」


「うん。いい線付いてくるね。でも、仕掛けっていうのは語弊があったかな。そこまで大掛かりでもないし複雑そうな響きは必要ない。ほら、どっちかっていうと一酸化炭素中毒ってお手軽な自殺方法でしょ? 家のガス栓を開けるとか、車の中で練炭に火を点けるとか、ね」


 事の顛末を知っている者からすれば、それは答えを言っているようなものだった。敢えて直接言わなかったのは犯人の反応を見るためだが――矛盾がある。犯人がわかっているのなら、わざわざ反応など窺う必要も無いのだ。つまりこれは、明石の単なる趣味だ。計画が崩されていく犯人の姿を見て、楽しんでいる。


 しかし、やはりというのか反応を示す者はいない。


「悪趣味はいいから、早く話を進めなさい」


 小熊は明石の腹部を軽く小突いた。


「はいはい。僕が換気扇を調べたら何も見つからなかったんだけど、手が汚れたんだよね。煤けたって言うのかな? 何故ならそれが〝炭〟だったから」


 意味深に言ってはみたが、反応が薄い。


「つまりさ、換気扇の中には火種のままの木炭が置かれていたってことだよ。換気扇のスイッチを入れた瞬間に、空気が巡って一酸化炭素を排出し始める。もういいよね? スーシェフの坂上美佐子さん」


 その瞬間、全員が振り返って坂上に視線を集まった。しかし、名指しされた当の坂上は無表情を決め込んだまま、静かに息を吐いた。


「どうして、私なんでしょうか?」


「だって合理的でしょ? ホテルの炭火焼き料理に使う木炭を自製していて、仮にそれを持ち歩いていたとしても不審には思われない。従業員なら田中さんからマスターキーも借りられるだろうしね」


 矛盾は無い。しかし、重要な部分が欠けている。


「仮に、私に犯行が可能だとしても動機がありません」


 明石が帽子のツバを下げるとそれが合図のように、小熊が立ち上がった。


「滑稽ね。排他的なこんなホテルに居るからかしら? それとも誰かが守ってくれるとでも思っていたの? 調べたわよ、貴女の過去を」


 そう言うや否や、坂上は顔色を変えた。


「私の……過去が、なに? 私は私が受けた正当な裁きと同じことをしただけ! 私は何も間違っていない!」


「本当にそう思っているの? 本当に正当な裁きを受けたと思っている? 私の聞いた限りではとは程遠いわよ」


 徐々に近付いていきながら、テーブルの間を通っていった。


「凡そ八年前――高校一年生の貴女は傷害と殺人未遂の容疑で逮捕された。裁判では正当防衛を訴えていたものの最終的には有罪判決が下って二年と六か月の間、少年院へ入っていた――これが?」


「私は私を虐めていた子たちを殺そうとしたのよ。何も間違っていないわ」


「違うでしょ。貴女は耐えきれなくなったその日に反撃に出たのは確かだけれど、誰かを殺そうとは思っていなかったはず。椅子を持ち上げて虐めを止めるように訴えかけただけだった。でも、そこに虐めていた一人が手を出してきて状況が変わった。体勢を崩した貴女は偶然開いていた窓から椅子を落として〝偶然〟その下を歩いていた別のクラスメイトに直撃した。目撃者は大勢いたのだから、これは正当防衛として判断されるべきものよ」


「仕方がないじゃない! 親の雇った弁護士が前島だったんだから!」


「そう。貴女の弁護を担当したのは金さえ払えばどちらにでも転ぶクズ弁護士だった。おそらく二度と顔も見たくないと思ったでしょう? でも、このホテルで出会ってしまった。……偶然かしら?」


「刑期を終えた私に、もう家族はいなかった。料理を始めたのは単に賄いも食べられて、一石二鳥だと思ったから。そのうちにいつの間にかそれなりに腕が付いてここのホテルに引き抜かれた時は丁度いいと思ったの、元々人と関わるのは苦手だったから。だから――そう。前島に出会ったのはまさに青天の霹靂よ。でも、それだけなら別に良かったの。月日が経てば怒りなんて薄まるものだから。でも……でもね! あいつは忘れていたのよ! 私のことを――自らの手で有罪にした、ただの女子高生だった私のことを一切憶えていなかったのよ!」


 小熊は距離を詰めながら問い掛けた。


「だから、殺したの?」


「怒りなんて無くなったと思っていたのに。でも、その感情を思い出させたのはあいつ身なのよ? 私は……正しいことをしたの。それにどうせ私がやらなくても誰かに殺されていたはずよ。そう、思うでしょ?」


 目の前まで来た小熊に問い掛けた坂上の表情は、満足気で誇らし気だった。


「……そうね。そうかもしれないわ。それでも……貴女は間違っている。どんな理由があろうと、人を殺すことは重罪なの。越えてはいけない一線を越えたわね」


「でも! 私は――」


「貴女が言ったのよ? 貴女がやらなくてもいずれ誰かに殺されていただろう、と。だ たら、貴女がやる必要は無かった。それだけの話よ」


 使命感に逃げていた――責任感に逃げていた。


 それに気が付いた坂上は込み上げてくる混ざり合った感情を堪えるために鼻から空気を吸って、呼吸を止めた。だが、それは到底堪えられるような感情ではなかった。


「はぁ――っ」


 噛み殺すように息を吐き出すと、静かに音も無くその場に崩れ落ちた。


「最大の不幸は、貴女の中に生きるための選択肢が無かったことよ。反省する必要はないわ。ただ悔いることね。貴女の選んだ道は、地獄よりも酷いわよ」


 追い打ちをかけるように床に跪く坂上を見下ろしながら言うと、小熊は踵を返して明石のいるテーブルへと戻ってきた。


 これは性なのだ。犯罪を許すことができない刑事としての――いや、小熊八重本人としての性なのだ。


 この状況で唯一の救いは手錠が無いことかもしれない。打ちひしがれた犯人が冷たい鉄の感覚を味わえば最早、人として生きていくための矜持すらも失いかねないのだから。

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