第16話 一歩手前

 小熊が食堂に宿泊客及び従業員を集めてから三十分が経過していた。


 食堂の中で入口を背にして立つ小熊は、腕時計を眺めて呟いた。


「……一時間ね」


 朝の出勤に遅刻してくることはあったが、自分で定めた約束を破るような男ではない。明石なら大抵のことは一人でどうとでもなるが、余程のことが無い限り突然消えたりはしないはず。


「少し様子を見てきますので待っていてください」


 念のために誰かを、という考えが頭の中を過ったが信用できる者などいない。小熊が一人で向かうしかない。


 食堂を出て二階へ。二○七号室のスペアキーを取り出し、鍵に挿し込みドアを開けた。


「明石……?」


 倒れているのは明石で間違いない。だが、何が起きているのか理解が出来なかった。駆け寄り抱き上げようと腕を伸ばしたが――刑事としての性がそれを許さなかった。まずは生死の確認を。


 脈は――ある。呼吸もしている。


「明石、明石!」


 耳元で呼び掛けると、瞼を薄く開いた。


「んっ……ミーシャ? なに――いっ、た!」


 頭を上げようとした瞬間、体に走った激痛に明石は額を押さえ、痛みと部屋の明かりが眩しさに目を細めた。


「後頭部を打 たのね。動かないほうがいいわ。一体、何があったの?」


 ドアが開いたままの浴室の目の前で、中には何も無い。


 明石は気を失う直前のことを思い出そうとしていた。倒れるよりも前、頭を打つよりも前のこと――胸に受けた衝撃。それに視界の端で捉えた物が脳の中に映像として残っていた。


「……戦車、かな?」


「なに?」


「確実ではないんだけど……僕を撃ったのは小っちゃい戦車みたいなのだと思う。それが胸に向かって」


 言いながら、未だに痛みを感じる胸に手を持っていくとベストに刺さっている何かに触れた。それを指で挟んで抜き出すと一センチ程度の白い塊だった。


「銃弾みたいね。おそらくは木村さんを殺害したものと同様の物。……どうしてあんたは無事だったの?」


「言ったでしょ? このスーツ特注なんだよね。防弾防刃仕様って高いんだよ。ジャケットを着てればもっと良かったんだろうけど……どっちにしろ凄い威力には変わりないね。多分、肋骨をやられてる」


 呼吸をするたびに痛む胸部は、体の内部に異常がある証拠だ、だが、呼吸に問題が無いということは肺は無事な可能性が高い。


「じゃあ、念のために大河内さんを呼んでくるから動かずに待っていなさいよ?」


 部屋を出て行く小熊に力なく手を振った明石の頭はすでに通常運転へと戻っていた。シャワーを浴びて考えを整理するつもりだったが、予想外に眠ることが出来て良かった。白い塊をポケットに入れると、後頭部を押さえながら上半身を上げて壁に寄り掛かった。動くなとは言われたが寝ている姿勢が辛かったのか、明石は歯を噛み締めるようにして首を左右に動かした。


 深く静かに息を吐くと、肩から力が抜けた。


 慌ただしくドアが開かれると、小熊に続いて大河内が明石に駆け寄った。


「何があったんですか?」


 問い掛けながら、床に置いたカバン開いた。


「配慮が足りなかったんだね。自分が狙われるとは思っていなかったから」


「頭を打ったんですか? 調べますから動かないでください」


 大河内が始めた触診を気にする様子もない明石は、視線を小熊に向けた。


「食堂の様子は?」


「目に見えて怪しいのはいないけれど、みんな苛立っているわね。一応、あんたのことは言わずに大河内さんを連れ出したけれど、それでいいのよね?」


「そうだね。まぁ、わかりやすい反応はしてくれないだろうけど」


 明石を殺そうとした者がいるのは事実。だが、その者はまさか防弾のスーツを着ているとは思っていないだろうから、生きている明石を見た時にどんな反応を見せるのか。


 頭の触診を終えた大河内は、小熊に視線を送った。


「おそらく軽い脳震盪を起こしたんだと思います。頭痛が続いたり吐き気があるようでしたら後日詳しい検査が必要ですが、今は氷で冷やしておけば多少の痛みは取れると思います」


 そう言われた小熊は大河内からビニール袋を受け取ると冷凍庫を開けて、入っていた氷を中に入れた。明石はそれを受け取り後頭部に当てると、大河内は先程まで明石が押さえていた胸を触った。


「ちょっと待ってください」


 大河内はカバンの中から聴診器を取り出すと耳に付けて、先を明石の胸に当てた。


「……呼吸音は正常なので肺は傷付いていません。おそらくは肋骨にひびが入ったのかと」


「やっぱりね。僕は大丈夫だからさ。ミーシャ、先に食堂に行って。場を和ませておいてくれる?」


 ウインクをして見せた明石に、小熊は呆れたように息を吐いた。


「これから殺人の謎解きをしようってのに、和ませるも何も無いでしょ。まぁ、でもわかったわ。苛立っているのを治めないと勝手に帰りそうではあるものね。大河内さん、そいつを頼みます」


「わかりました」


 部屋を出て行く小熊を見送って、二人だけが残った。


 壁に手を着いて立ち上がろうとした明石に肩を貸した大河内は、リビングのほうに向かうのに逆らうことなくゆっくりと進んで行った。ソファーに腰を下ろした明石は帽子を手に取り深々と被ると、そこで一息吐いた。


「……明石さん。いったいなんの目的があって俺を残したんですか?」


 これは正当な邪推だ。わざわざ小熊を先に行かせずとも一緒に行けばいいものを何故、大河内と部屋に残るような状況を作ったのか。大河内にはその真意を探る必要があった。これはただの信用の問題である。ここまで行動を共にしていて、まだ信用されていなのか、と。


「別に目的なんてないよ。ミーシャを先に行かせたのは、ただの牽制みたいなものだからね。まぁ、今更裏工作なんてしないと思うけどさ」


「……そう、ですか」


 腑に落ちていないような表情を浮かべる大河内に、明石は続けて口を開いた。


「強いて言うなら信頼できる人が欲しかったんだよね。今、このホテルに居る中で僕が事件の話を出来るのはミーシャか先生くらいだから。そうなると、やっぱりどっちかには他の皆を監視してほしいでしょ?」


「あぁ、そうですよね。すみません、変な勘繰りをしたみたいで」


「勘繰り? なんのことだかわからないけど別にいいよ。それよりも今は物証が必要なんだ」


 立ち上がった明石はジャケットを羽織ると襟を正し、第一ボタンを締めて歩き出したその姿に、大河内は唖然とした。すでに氷の入っていた袋を手放して、肋骨にひびが入っているはずなのに平然と歩いている。


「あ、あの……明石さん? 大丈夫なんですか?」


「ん、なにが? ああ、体のこと? 頭打って肋骨にひびが入っただけなんだからどうってことないでしょ。そんなことを気にするよりも、今は確認したいことがあるからね」


 浴室へと足を踏み入れた明石は踵を返し、しゃがみ込んで浴室側のドアノブに視線を向けた。そこには木村の部屋にあったものと同様の細い傷があった。


「うん。なるほどね」


 一人で納得をした明石は視線をドアの外に向けると、そこに立っていた大河内が先程からずっとポケットを気にしていることに気が付いた。


「……もしかして先生さ、まだマスターキー持ってたりする?」


 指摘された大河内は驚いた表情のままポケットの中に手を入れるとマスターキーを取り出した。


「よくわかりましたね。実は田中さんに返そうとした時――『まだこれから使うことがあるかもしれないので持っていてください。私が持っているよりかは幾分か安心だと思うので』と」


 それを聞いた瞬間、明石は笑みを浮かべ帽子のツバを下げた。


「あのタヌキ野郎。始めからどっちなのかハッキリしとけってんだよな」


 呆れたように。それでも嬉しそうに呟いた明石は浴室を出たところで顎に手を当てて俯いた。


 この際、田中の思惑などどうだっていい。重要なのは使える物が目の前にあるということ。記憶を呼び覚まし、会話を思い出す。ここまで来たら時間の制約は無いものとして考えてもいいが、急ぐに越したことはない。


「じゃあ、先生。三階に行こう」


「……食堂ではないんですか?」


「食堂に居るのは犯人であって、証拠があるのは三階。だから、三階に行くんだよ」


 部屋を出て階段を上がっていこうとした時、下から小熊が上がってきて鉢合わせた。


「あら、どこに行くの?」


「こっちの台詞だけど。三階だよ。証拠を見つけにね。そっちは?」


 小熊は明石と大河内と一緒に階段を上がり始めた。


「一先ずはもう少しで事件を解決するとだけ言ってきたわ。そうしたら、ついさっき玉木から連絡があったのよ」


 手帳を取り出した小熊は口を開こうとしたが、隣に居る大河内を気にして直接手帳を手渡した。


「あんたの読み通り。居たわよ、前科持ちが」


「あ~……そっか。こっちの方はこれで決まりだね。あと一つ――先生。三○二号室」


「はい」


 マスターキーを挿し込んでドアを開くと、二人に先に入るよう促した。三人が部屋の中に入り、それぞれが手袋を嵌めると明石が指示を出し始めた。


「僕はクローゼットを調べるから。ミーシャはリビングのほうをお願い」


「構わないけど……何を探すの?」


「明確に何ってわかってるわけじゃないけど。まぁとりあえず怪しいかな」


「そこはアバウトなのね。でも、ここまで来たら見つけるわよ」


 呆れ顔で廊下を進んで行った小熊を見て、明石は横のウォ―クインクローゼットの中に入った。丸一日拘束されていたせいもあって荷物は纏められていないが、むしろそれは好都合だった。


 棚を開け、服をかき分けてそのを探す明石の背後で大河内はクローゼットを内側から閉めた。そんな行動に気が付いたが、明石は何も言わずに作業を続けていた。


 大河内は意を決したように深く息を吸い込むと、明石の背中に向かって口を開いた。


「あの……このタイミングで聞くことではないと思うのですが、明石さん――貴方はいったい何者なんですか?」


「……質問の意図がわからない、かな」


「警察として行動しているが、様々な言動が警察とは思えないんです。貴方の雰囲気はむしろ……そう、それは犯罪者のように感じるんです」


 勘の良い者ならおぼろげながらも気が付くであろうことはわかっていた。そして、このホテルに居る中で医師である大河内が感付くだろうことを、明石はわかっていた。


「ん~……僕も口止めされているからなぁ。それじゃあ、誰にも話さないと誓えるのなら教えてあげるよ。どうする?」


 背を向けたままの明石に対して大河内は頷いて見せた。すると、見ていないにも関わらず明石は小さく溜息を吐いた。


「わかった。僕の別名――というかネット上の名前は〝犯罪計画者プランナー赤口しゃっこう〟って言ってね。これでも裏の世界では結構有名だったんだよ?」


「……つまり、犯罪の計画を立てる人、ということですか?」


「まぁ、そういうことだね。でも、今は警察のアドバイザーだからさ、もしもこのことが僕の知らないどこかの誰かに知られたら真っ先に先生のことを疑うからね? その上で洩らしたのが先生だとわかったら――わかるよね?」


 微かに振り返った明石の視線に、大河内は鳥肌を立てた。


「ぜっ――絶対に! 誰にも言いません!」


「んっ、はは、冗談だよ。僕はあくまでも〝元犯罪者〟だからね。安心していいよ」


 どれだけ軽い口調で言われようと大河内の鳥肌は治まらない。感じたのはただ純粋な恐怖。触れてはいけないものに触れてしまったという後悔が全身を駆け巡る。


 ただその場に立ち尽くすしかできなかった大河内だが、明石の発見で漸く動くことができた。


「あ、これだね」


 しゃがみ込んで黒い布袋に入れられた物を取り出し、並べて形を確認しているとクローゼットが開いて小熊が入ってきた。


「こっちには何もないわよ。そっちは――」


 手招きをする明石のほうに歩み寄り、並べられている物を覗き込むと小熊は首を傾げた。


「……変わった形よね?」


「形というか、これを山で使おうと思う人は少ないかな。でも、これじゃないと成立しないんだよ」


「つまり、これで証拠は手に入ったってこと?」


「そういうこと。じゃあ、不完全な計画を解体しに行こうか」


 再び布袋に入れ直すと、それを持って明石は立ち上がった。息を呑む大河内の肩を軽く叩くと、小熊と共に先に部屋を出た。


 不完全で中途半端な犯罪計画で行われた事件の全貌が明石の頭の中に収められている。


 その上で階段を下りている最中、不意に明石が小熊に問い掛けた。


「ねぇ、ミーシャ。木村さんと小畑さんは歴史学者だったんだよね?」


「ええ、そうよ。主に西洋史のね」


「そっか。なら、納得だ」


 その言葉に宙を見た小熊は、良く分からないような顔をした。


「……どういうこと?」


「簡単な話だよ。この計画は完璧じゃなかった、ってこと」


 小熊は後ろから付いてきていた大河内を先に食堂へと入らせてから明石に視線を送った。すると、明石は黒い布袋を入口の脇に置いて、整えるように帽子のツバを下げた。


「それじゃあ――得意げな鼻をへし折って、クズ共を捕まえるわよ」


「捕まえるのはミーシャの仕事。僕は壊すだけだ」


 ブラックのパンツスーツに身を包み、純白のシャツの間にはサングラスを挿し、長い髪を一本のヘアクリップで括り、怒りを押し殺した顔の女と、ベージュのスリーピーススーツに黒シャツ黒ネクタイで身を包み、中折れ帽を被った笑顔のこびりついた男が、閉鎖的なホテルで一夜にして起きた五つの殺人事件を全て同時に解決しようとしていた。


 今こそ――解くように壊すときだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る