第20話 Assassin

 山に降り注ぐ光と新鮮な空気が、時折体を激しく貫く痛みを癒してくれる。家の周りに以前は生えていなかった G J ガンジャの若葉が至る所に生い茂っていて、「勝手に幾らでも生えてくる、前は祭りの前だから全部刈り取って燃やしてた。コレが土壌の汚染を除去してくれている」と、ユタは言う。そして驚いた事は、ユズが巴の子を宿していた事と、ユズがユタの妹だった事。


 ユズが宿した巴の子が生まれれば、私たちは正真正銘ユタと兄弟となる。


 初めから巴には何も知らせず、ユズは一人で子供を育てる気でいた。知らせるといっても巴は獄中だし、確かにここでなら父親が居なくても、ネフィリムの子供たちのように元気に育てていけるかも知れない。それに世間で言う立入禁止区域での健康被害も、山の人間は全く気にしていない。現にもう何年もここに暮らし、大人は勿論大勢いる子供たちも一人として病気になってはいないし、寧ろ健康過ぎるぐらい。


 その理由が生い茂る G Jガンジャ によるものなのか? それとも太古から伝わる療法なのか、何か E S P 超感覚的知覚なシールドによるものなのか? もしくは全てが計画された陰謀なのか……? 

 マナもユタもハッキリとは言わないが、確信を持っている。私も追求する気は無いが、シオンのシンクロやダークスーツの男が言っていた事。そして紅い流星にハッキリと見えたいくつものビジョンとも、確実に繋がっている気がした。

 にしても街や市街地は確実に汚染されているし、ユズのお腹の子は私とも血の繋がった身内なのだから、厳密に理解せずとも、やはり気に止めずにはいられない。

 それに下半身麻痺の私の面倒を付きっきりで見てくれているのがお腹の大きなユズなのだから。まだ生まれぬ巴の子も一緒に、余計な心配などする前に、私を助けてくれている。


 ユズは私をお姉さんと呼び、車椅子ごと私しを軽のワンボックスカーに乗せると、山を下りて海へ連れて行ってくれる。山よりも海の砂浜の方が私のリハビリに適しているというユズの判断で。


 私とユズとお腹の子と海鳥以外誰ひとりも存在しない、青くて美しい海岸の広大な砂浜で車椅子に座り、私は毛布を被って海を見詰め、 J T ジョイントのケムリをくゆらせた。


 相変わらず麻痺した下半身は針で刺しても何も感じず、見事に神経が完全にイカレていて、手で足に触れても自分の体に触っている感じが全くしない。ただ G J ガンジャを吸っていれば、確実に痛みは和らぐ。やはりどんな治療薬よりも効果が有る事を、自分の体と魂で理解する。それに巴の子を身籠るユズが、私の側を片時も離れずにいてくれる事が心強かった。


 初夏になり、ケムリを吹かして力強い太陽の光に包まれれば、麻痺した下半身にも血がめぐって行く気がする。大量にケムリを吹き出して目を瞑り、波打ち際の潮騒に耳を傾ければ、久しぶりに片眼の開く音もハッキリと聞こえた。卍は海と魂が共鳴し、車椅子から転げ落ちるように砂の上へ体を投げ出す。


 軽のワンボックスから心配そうにユズが体を起こして見詰めるなか、腕の力だけで目前に美しく広がる青い海に、光り輝く渚まで砂浜を這いずって行く。


 勢いよく打ち寄せる波に顔も体も砂に塗れて、服を着たまま白波をモロに被った。初夏といってもまだ海水は驚くほど冷たく、白波が体に打ち寄せるたび、水の冷たさに紅く染まった眼を大きく見開く。麻痺した下半身は冷たい白波に浸かっても、何も感じる事はなかった。


 透き通った空に青い海が太陽の光に美しく輝く渚で、白波に浸かった全身砂まみれの卍は、波打ち際で大の字になり仰向けに寝そべると、波しぶきを受けながら照り付ける太陽の光に体がさらされ、上半身だけが燃えるように熱く血がたぎる。

 紅い眼を細めて強烈な日差しに手をかざした。金色に輝く真理の光りに触れてるようで、卍は魂が震える。

 砂浜に打ち上げられた水死体のように、渚に寝そべる卍の顔に日が陰り眼を開けると、太陽を背にした身籠るユズが立っていた。


 「お姉さん、そろそろ帰りましょ……」


 帰りに立入禁止区域の外にある大型スーパーへ立ち寄り、汚れてしまった服の代わりのスエット上下と、大量の食材を買い込む。

 お金は全て卍が払った。世話になっているのだから当然の事だし、そもそも山の G J ガンジャを捌いて得た金だ。


 「ユズはケムリは吸わないの……? 」


 買い物をしている時に、卍がユズに聞く。


 「生理の時は絶対、痛みが取れるから。あと頭痛が酷い時とかも。普段は兄さんから貰うのを食事に入れたりもしてる。クッキーに入れたりバターやジャムにしたりとか、種もオイルにしたり。だけどこの子を産む時は本気で吸いまくります。その方が上手くいくから」


 車椅子を押すユズが笑顔で言うと、卍はユタの言葉を思い出す。


 今でも俺たちは、母親が出産する時はケムリを吸い、赤子のへその緒は麻糸で切り、そして赤子を麻布で包む……


 「それって赤ちゃんも効いちゃってこの世に誕生するってことよね! 」

 「そう、ブリブリに効いちゃって、この子はこの世に転生するの」

 「巴の子は初めからブリブリに効いちゃってるのね、その後も母乳で効いちゃってるって。マジでウケるわ……、最高ね! 」


 山の家へ戻るとボロを纏ったハイブリッドの子供たちが、G J ガンジャの葉が生い茂る家の周りを走り回っている。

 子供は無邪気に時として残酷に、車椅子に乗って歩けない卍を大人たちの目を盗み後ろから棒切れで叩いたり、砂を掛けたりしてふざけてくる。元気がいい証拠だから怒る事もないが、卍は面白いものを見せてあげると言って、棒切れを持ち砂を握る子供たちを集める。極太 J T ジョイントに火をつけケムリを吹かし、子供たちの目の前でスエットパンツを捲り上げ、ケムリの糸を立ち昇らせる J T ジョイントの真っ赤に燻る火の先を、自分の麻痺した足の太股のところにジュッと音を立てて押し付ける。


 子供たちは静まり返って釘付けになり、まるで自分が痛そうに顔を顰めて息を飲む。そして卍は頃合をみると、眼を見開いて大声で叫んだ。


 「ギャーッ……!!! 」


 卍は物凄く痛そうに大きな叫び声を上げ、車椅子から体を飛び上がらせる。子供たちは凍り付いた体が砕け散ったように本気で驚き、奇声を上げて蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げていった。その後子供たちのイタズラは無くなったが、その中で一人、褐色の肌にアフロへヤーの青い瞳の女の子ゾーイだけは微動だにせず、口元に微かに笑みを浮かべて卍を見詰めていた。


 「まるで心が読めるみたいねゾーイは、あなたがネフィリム……? 」


 ある日の夕暮れに、山の男衆が皆集まってシロを仕留めたと、紅い日に照らされて地べたに息絶えた、神々しい白鹿が横たわっていた。

 マナが紫の野花を白鹿の上に散らして湧水で清め、土着な供養を済ます。いつか前に見たことのある蓑笠の男が、ナイフで白鹿の腹を裂き、まだ温かい血塗れの肝臓を取り出すと、手早く血を拭き取ってスライスした生の肝臓を卍に食べさせた。これが究極の万能薬だと、言わんばかりに……。


 確かに、白鹿の肝臓を食べた卍は、すぐに体が猛烈に熱くなり、鼓動が早まると激しく血がたぎる感じを得た。


 「これが巴が見たと言っていた白鹿……? 」


 その日は外で薪に火が焚かれ、白鹿を捌いて焼き皆で食べ、土着な宴がはられた。卍は久しぶりに一升ビンを抱えた仙人の先生と会い、相変わらず味のある風貌に卍は思わず笑みを浮かべる。


 「こんばんは、すっかりお世話になってます。久し振りですね、どちらか行ってらしたんですか? 」

 「うん、ずっと新宿の中央公園で寝泊りしてたよ」

 「えっ、それじゃーホームレスじゃないですか? 」


 卍は笑みを浮かべてそう言ってから、自分がホームレスと思わず言った言葉にハッとして我に返り、初めて点と線がハッキリと繋がった。

 ユタはダークスーツの男を殺ったのは、金を払ったホームレスだと冗談ぽく言っていた。それと皐月が前からユタと繋がっていた事も。卍は(私もネフィリムの一員)とメモに書いた惚けたビッチの皐月に、一杯食わされた感が歪めなかったが、それはともかく。ネフィリムの宣言と G J ガンジャの種を新宿中に散蒔ばらまいのもホームレス……。それは仙人が新宿にいた時期と合致している。


 仙人はそれ以上何も言わず、ケムリを吹かして奥さんと子供たちと一緒に白鹿の肉を喰らい、酒をあおっていた。


 日が暮れて紅く染まった空に立ち昇る火柱の炎で、卍は J T ジョイントに火を灯しケムリを吐き出す。

 新宿には数え切れないほどホームレスがいて、仙人が直接ダークスーツの男を殺ったのかは知れないが。ネフィリムの宣言といい散蒔ばらまかれた G J ガンジャの種といい。ユタ同様、仙人も全てに関わっている事は間違いなく、仙人が本物のAssassinアサシンだと、立ち昇る火柱の炎を見詰めて悟る。


 車椅子に座りケムリを吹かす卍は、生贄いけにえの如く切り取られ、おごそかに祭られた白鹿の生首が炎に照らされて浮かび上がると、確かに巴の言っていたように目を閉じた女の顔に見えてきた。そしてケムリの中に浮かぶ女の生首を見詰めていると、閉じていた生首の目がゆっくりと開き、黒々とした大きな瞳が卍を見据える。すると女の顔したケモノの生首がハッキリと、「私はツヅラ……」と名乗り、卍の脳裏に刻まれたビジョンが、次々と鮮明にフラッシュして見え始める。


 新宿の路上に止められた黒塗りのベンツの中へ、赤く血に染まった手榴弾を投げ込んだ仙人の後ろ姿。駅のホームから私を突き落とした、眼帯をした片目の女。バビロンを見下ろし△から覗くシオンの片目。鉄格子の中で片眼を押さえて座禅を組む巴の姿。夜空を切り裂く紅い流星。別次元で自分の足で立ち、笑顔を見せるもう一人の私。巴が机にコンパスで彫っていた図形と紋章。巴の子を胸に抱くユズ。新宿の空き地を埋め尽くす、大きな B D バッズを実らせた G J ガンジャ。製薬会社が大量生産し続けるケミカルの山。薄汚れた路地裏に貼られたネフィリムのステッカー。炎を立ち昇らせて呪文を唱えるマナ。ロスチャイルドのワインと紋章。指にはめた髑髏ドクロの指輪の笑い声。紅く目を光らせるふくろう。巴がゲロを吐く姿。陽炎かげろうの中に佇むユタ。燃え上がる黒塗りのベンツ。紫の野花に埋め尽くされた丘。銀色のリトルグレイ。語り掛けるシオン。種が2つに割れて芽を出す G J ガンジャの双葉。撒き散らされた放射能。幼い私と手をつなぐ蒸発した父親。褐色の肌にアフロへヤーで青い瞳のゾーイ。They Live・We Sleep彼らは生き、我々は眠ると書かれたカゴメのカウンターに立つ D G 。ネフィリムの子供たち。皐月。M M キノコ。ピラミッド。シーナ。立ち昇るケムリ。ドレッド。蛇の目。東京タワー。K K公安警察。羽ばたく蝶。巴の笑顔。モルヒネ。アジアのビーチ。傀儡くぐつの政治家。ビンタン。ミカド。ケモノの遠吠え。神と悪魔の計画。崩れ去るバビロン。そして最後に蒸発した父親が海辺に立っている……。



 次の日の明け方、朝日を見せるわと、ユズがまだ暗いうちから卍を海に連れて行った。

  G J ガンジャのケムリをくゆらす卍は、朝霧に煙る渚で車椅子に座り、太陽が昇り始めた水平線へ大量のケムリを吐き出す。まだ薄暗く星々が覆い尽くす透き通った空へ、ケムリが立ち昇って行くのを見詰めていると。突然空一面が色鮮やかに発光し、超高速で頭上を走り抜ける紅い流星が、輝き始めた水平線へ消えていくのがハッキリと見えた。

 すると確かに前にも感じた事のある、シオンの目を見た時と同じ、体に電気が走るような感覚。シオンの目がハッキリと鮮明に脳裏に浮ぶ。「大丈夫……」と、ささやくシオンの声と、片眼が開く音が同時にハッキリと聞こえ、今も完全に麻痺した足の爪先まで、ドクンと強くしびれて、電流のように血液が流れるのを感じた。


 J T ジョイントを口に銜えて車椅子から砂浜へ卍は体を投げ出す。朝日が昇り始めて白波が立つ波打ち際まで這いずって行き、上半身を起こして太陽を見詰めた。砂浜に座るような体勢をとり、波が地鳴りのように音を轟かせて打ち寄せ、白波が勢いよく卍の麻痺した下半身を飲み込む。すると、自分でも思いがけない言葉を口にして卍は驚く。


 「冷た……」

 

 白波は J Tジョイント を銜えた卍の、まったく何も感じない麻痺した下半身にだけかかっていた。

 波が引くと、卍は慌てて自分の足を手で探る。眼を閉じて神経を集中させ、また波が音を轟かせて麻痺した下半身を飲み込むと、両足の太股の内側に微かに冷たい波の感触を感じた。


 波がさざ波を立てて引いて行く。 J T ジョイントのケムリを立ち昇らせ、卍は寄せては引いて行く白波を何度も体に受ける。するとまたシオンが語りかけてきた。卍は紅く空に昇りゆく太陽を見詰め、光に包まれて肩を震わせ笑い始める。


 「シオンね、声がハッキリと聞こえる……。やっと、やっともどり始めたわ……」

 

 

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