第20話 Assassin
山に降り注ぐ光と新鮮な空気が、時折体を激しく貫く痛みを癒してくれる。家の周りに以前は生えていなかった
ユズが宿した巴の子が生まれれば、私たちは正真正銘ユタと兄弟となる。
初めから巴には何も知らせず、ユズは一人で子供を育てる気でいた。知らせるといっても巴は獄中だし、確かにここでなら父親が居なくても、ネフィリムの子供たちのように元気に育てていけるかも知れない。それに世間で言う立入禁止区域での健康被害も、山の人間は全く気にしていない。現にもう何年もここに暮らし、大人は勿論大勢いる子供たちも一人として病気になってはいないし、寧ろ健康過ぎるぐらい。
その理由が生い茂る
マナもユタもハッキリとは言わないが、確信を持っている。私も追求する気は無いが、シオンのシンクロやダークスーツの男が言っていた事。そして紅い流星にハッキリと見えたいくつものビジョンとも、確実に繋がっている気がした。
にしても街や市街地は確実に汚染されているし、ユズのお腹の子は私とも血の繋がった身内なのだから、厳密に理解せずとも、やはり気に止めずにはいられない。
それに下半身麻痺の私の面倒を付きっきりで見てくれているのがお腹の大きなユズなのだから。まだ生まれぬ巴の子も一緒に、余計な心配などする前に、私を助けてくれている。
ユズは私をお姉さんと呼び、車椅子ごと私しを軽のワンボックスカーに乗せると、山を下りて海へ連れて行ってくれる。山よりも海の砂浜の方が私のリハビリに適しているというユズの判断で。
私とユズとお腹の子と海鳥以外誰ひとりも存在しない、青くて美しい海岸の広大な砂浜で車椅子に座り、私は毛布を被って海を見詰め、
相変わらず麻痺した下半身は針で刺しても何も感じず、見事に神経が完全にイカレていて、手で足に触れても自分の体に触っている感じが全くしない。ただ
初夏になり、ケムリを吹かして力強い太陽の光に包まれれば、麻痺した下半身にも血がめぐって行く気がする。大量にケムリを吹き出して目を瞑り、波打ち際の潮騒に耳を傾ければ、久しぶりに片眼の開く音もハッキリと聞こえた。卍は海と魂が共鳴し、車椅子から転げ落ちるように砂の上へ体を投げ出す。
軽のワンボックスから心配そうにユズが体を起こして見詰めるなか、腕の力だけで目前に美しく広がる青い海に、光り輝く渚まで砂浜を這いずって行く。
勢いよく打ち寄せる波に顔も体も砂に塗れて、服を着たまま白波をモロに被った。初夏といってもまだ海水は驚くほど冷たく、白波が体に打ち寄せるたび、水の冷たさに紅く染まった眼を大きく見開く。麻痺した下半身は冷たい白波に浸かっても、何も感じる事はなかった。
透き通った空に青い海が太陽の光に美しく輝く渚で、白波に浸かった全身砂まみれの卍は、波打ち際で大の字になり仰向けに寝そべると、波しぶきを受けながら照り付ける太陽の光に体がさらされ、上半身だけが燃えるように熱く血が
紅い眼を細めて強烈な日差しに手をかざした。金色に輝く真理の光りに触れてるようで、卍は魂が震える。
砂浜に打ち上げられた水死体のように、渚に寝そべる卍の顔に日が陰り眼を開けると、太陽を背にした身籠るユズが立っていた。
「お姉さん、そろそろ帰りましょ……」
帰りに立入禁止区域の外にある大型スーパーへ立ち寄り、汚れてしまった服の代わりのスエット上下と、大量の食材を買い込む。
お金は全て卍が払った。世話になっているのだから当然の事だし、そもそも山の
「ユズはケムリは吸わないの……? 」
買い物をしている時に、卍がユズに聞く。
「生理の時は絶対、痛みが取れるから。あと頭痛が酷い時とかも。普段は兄さんから貰うのを食事に入れたりもしてる。クッキーに入れたりバターやジャムにしたりとか、種もオイルにしたり。だけどこの子を産む時は本気で吸いまくります。その方が上手くいくから」
車椅子を押すユズが笑顔で言うと、卍はユタの言葉を思い出す。
今でも俺たちは、母親が出産する時はケムリを吸い、赤子のへその緒は麻糸で切り、そして赤子を麻布で包む……
「それって赤ちゃんも効いちゃってこの世に誕生するってことよね! 」
「そう、ブリブリに効いちゃって、この子はこの世に転生するの」
「巴の子は初めからブリブリに効いちゃってるのね、その後も母乳で効いちゃってるって。マジでウケるわ……、最高ね! 」
山の家へ戻るとボロを纏ったハイブリッドの子供たちが、
子供は無邪気に時として残酷に、車椅子に乗って歩けない卍を大人たちの目を盗み後ろから棒切れで叩いたり、砂を掛けたりしてふざけてくる。元気がいい証拠だから怒る事もないが、卍は面白いものを見せてあげると言って、棒切れを持ち砂を握る子供たちを集める。極太
子供たちは静まり返って釘付けになり、まるで自分が痛そうに顔を顰めて息を飲む。そして卍は頃合をみると、眼を見開いて大声で叫んだ。
「ギャーッ……!!! 」
卍は物凄く痛そうに大きな叫び声を上げ、車椅子から体を飛び上がらせる。子供たちは凍り付いた体が砕け散ったように本気で驚き、奇声を上げて蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げていった。その後子供たちのイタズラは無くなったが、その中で一人、褐色の肌にアフロへヤーの青い瞳の女の子ゾーイだけは微動だにせず、口元に微かに笑みを浮かべて卍を見詰めていた。
「まるで心が読めるみたいねゾーイは、あなたがネフィリム……? 」
ある日の夕暮れに、山の男衆が皆集まってシロを仕留めたと、紅い日に照らされて地べたに息絶えた、神々しい白鹿が横たわっていた。
マナが紫の野花を白鹿の上に散らして湧水で清め、土着な供養を済ます。いつか前に見たことのある蓑笠の男が、ナイフで白鹿の腹を裂き、まだ温かい血塗れの肝臓を取り出すと、手早く血を拭き取ってスライスした生の肝臓を卍に食べさせた。これが究極の万能薬だと、言わんばかりに……。
確かに、白鹿の肝臓を食べた卍は、すぐに体が猛烈に熱くなり、鼓動が早まると激しく血が
「これが巴が見たと言っていた白鹿……? 」
その日は外で薪に火が焚かれ、白鹿を捌いて焼き皆で食べ、土着な宴がはられた。卍は久しぶりに一升ビンを抱えた仙人の先生と会い、相変わらず味のある風貌に卍は思わず笑みを浮かべる。
「こんばんは、すっかりお世話になってます。久し振りですね、どちらか行ってらしたんですか? 」
「うん、ずっと新宿の中央公園で寝泊りしてたよ」
「えっ、それじゃーホームレスじゃないですか? 」
卍は笑みを浮かべてそう言ってから、自分がホームレスと思わず言った言葉にハッとして我に返り、初めて点と線がハッキリと繋がった。
ユタはダークスーツの男を殺ったのは、金を払ったホームレスだと冗談ぽく言っていた。それと皐月が前からユタと繋がっていた事も。卍は(私もネフィリムの一員)とメモに書いた惚けたビッチの皐月に、一杯食わされた感が歪めなかったが、それはともかく。ネフィリムの宣言と
仙人はそれ以上何も言わず、ケムリを吹かして奥さんと子供たちと一緒に白鹿の肉を喰らい、酒を
日が暮れて紅く染まった空に立ち昇る火柱の炎で、卍は
新宿には数え切れないほどホームレスがいて、仙人が直接ダークスーツの男を殺ったのかは知れないが。ネフィリムの宣言といい
車椅子に座りケムリを吹かす卍は、
新宿の路上に止められた黒塗りのベンツの中へ、赤く血に染まった手榴弾を投げ込んだ仙人の後ろ姿。駅のホームから私を突き落とした、眼帯をした片目の女。バビロンを見下ろし△から覗くシオンの片目。鉄格子の中で片眼を押さえて座禅を組む巴の姿。夜空を切り裂く紅い流星。別次元で自分の足で立ち、笑顔を見せるもう一人の私。巴が机にコンパスで彫っていた図形と紋章。巴の子を胸に抱くユズ。新宿の空き地を埋め尽くす、大きな
次の日の明け方、朝日を見せるわと、ユズがまだ暗いうちから卍を海に連れて行った。
すると確かに前にも感じた事のある、シオンの目を見た時と同じ、体に電気が走るような感覚。シオンの目がハッキリと鮮明に脳裏に浮ぶ。「大丈夫……」と、
「冷た……」
白波は
波が引くと、卍は慌てて自分の足を手で探る。眼を閉じて神経を集中させ、また波が音を轟かせて麻痺した下半身を飲み込むと、両足の太股の内側に微かに冷たい波の感触を感じた。
波がさざ波を立てて引いて行く。
「シオンね、声がハッキリと聞こえる……。やっと、やっともどり始めたわ……」
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