第6話   Gorilla Glue #4 ( G G 4 )

 山間に続くなだらかで美しい羊腸道を、軽トラの後ろに付いて2台のバイクが登って行く。心地よい風と光を浴びて標高が上がっていくと気温も下がり、山の色付きも濃くなって、豊かな色合いが眼下の森に広がる。

 暫く走って行くと軽トラは突然木々がうっそうと生い茂る、山側の細くて薄暗い林道へ入って行った。バイクも後へ続き、かなり勾配のきつい細い坂道を山の頂上に向かって登って行く。

 卍と巴のモトクロスバイクはこれぐらいの坂道などはたわいもないが、坂を登る軽トラのエンジンは悲鳴を上げている。

 木々の間から差し込む木漏れ日が、坂道にくっきりと縞模様を映し出し、何かおごそかな山寺へ続く階段を、罰当たりな軽トラとバイクがエンジン音を轟かせて強引に登って行くようだった。


 少し開けた場所まで来ると、軽トラはギギギッとサイドブレーキを引いて停車した。

 ユタが車から降りたので、卍と巴もバイクを止めてエンジンを切った。ヘルメットを外すと静かで濃い森の良い香りに包まれ、二人は深く深呼吸をする。卍がガイガーカウンターで汚染を調べるても、放射線は全く検知されなかった。そして何処からともなく小さな子供たちが現れ、バイクに跨る卍と巴を囲んでいた。

 

 みな小学校に入るぐらいの年頃で、男女7・8人はいるだろうか? どの子も東京の子と比べるとマジで小汚く、服も破けてボロボロで、全員裸足……。

 

 立入禁止区域の人里離れた山奥に、何でこんなにたくさんの子供たちが居るのか不思議に思うと。一瞬気のせいかと思ったが、子供たちの何人かは瞳の色が青く、髪の毛も茶髪で、一人の女の子は青い瞳にアフロヘヤーで、茶褐色の肌を輝かせている。


 「こっち、こっち~ 」


 ユタが二人を呼んだので、卍と巴は荷物を背負ったまま呼ばれた方へ歩いて行くと、森の中に大きな家が隣り合わせに二軒建っている。向かって右側は二階建て、左側は大きな平屋だ。

 良い香りを漂わせる薬草のような草木がたくさん植えられた中を通って、二人は平屋の家へ呼ばれると、入ってすぐの大きな広間に座って待つように言われる。


 ザックを下ろしてナイフを終いプロテクターを外す。ユタは奥にふすまで仕切られた部屋へ入って行く。そして奥の部屋から入れ替わりに美しくみやびな着物を纏った16・7ぐらいの綺麗な女の子が現れ、その子は無駄のない所作で火鉢の上に置かれた鉄瓶で、広間に胡座をかいて座る二人が始めて香るお茶を入れてくれた。


 奥に仕切られた襖が開き、中からユタが顔を出して手招きをするので、二人がお茶を置いて立ち上がろうとすると、「一人ずつ、一人ずつ」と、ユタは人差し指を1本立て、「君から、君から」と、巴を指差す。

 困惑気味に巴は立ち上がり、「マジで、何で俺なの? 」と、ユタの指名に不安を感じて卍を見たが、卍は黙って笑みを浮かべていた。


 仕方がないので呼ばれた奥の部屋へ巴が入って行くと、何もない十畳ほどの部屋の中央に、80歳ぐらいの婆さんが一人背を向けて座って居た。

 巴はその場に座らされ、ユタは部屋を出て行き襖がピシャリと閉められた。


 「東京から来たんか? 」

 「はい」

 「そーか、そーか」


 婆さんは体をゆっくりと巴の方へ向けると、顔をのぞき込むように巴に近づいて来る。巴の顔を黙ってジッと見詰める婆さんは、とても穏やかで優しい顔をしていた。


 「どれどれ……」


 婆さんはしわくちゃの両手で巴の顔を覆うと、巴の目や頬を手の平でさすり始める。

 何だこりゃ? と、巴は仕方なくと婆さんのなすがままに座っていた。

 すると急に婆さんの鼻息が荒くなり、目が血走ってきたかと思うと、とても穏やかで優しい顔をしていた婆さんの顔が鬼の形相へと変わり、いきなり巴を怒鳴りつけた。


 「お前……、何を食った! 」


 婆さんの怒鳴り声は広間に座る卍にもハッキリと聞こえた。

 巴は訳が分からず、「何……、何スカ……? 」と、目をパチクリさせる。婆さんは鬼の形相で立ち上がり、「お前ぇー、お前ぇー 」と、巴に覆い被さるように迫り、巴の耳元の臭いをクンクンと嗅ぐ。


 婆さんの異常な奇行と迫力に圧倒された巴は、座ったまま泣きそうな顔で仰け反った。

 すると婆さんは突然、「ワッカー……! 」と、大声で叫ぶ。

 広間にいた着物姿の女の子が、「はい! 」と返事をして立ち上がり、巴のいる部屋に入って来た。

 ワッカは婆さんの手をとって座らせると、何やら耳打ちされている。

 婆さんの圧力から解放されて巴がホッとしていると、背を向けて座る婆さんが言った。


 「若造、この傷はワシが二十の時に役所を爆破して、公安に受けた拷問の跡じゃ」


 背中を向けて座る婆さんの白くて長い髪の毛をワッカが束ねると、上半身の着物を脱がして背中にある大きな傷跡を見せた。

 婆さんの背中には幾筋ものケロイド状の傷が有り、肩から腰まで続く盛り上がったケロイドの筋は、太いところで5・6センチ位は有る。


 これほど酷い傷跡が身体に残るという事は、命を落とす危険な状態にあった事を容易に巴に悟らせた。

 だが……、この酷い傷跡が婆さんの言ったとおり、本当に公安によるものなのか巴に解かる術もなく。なぜ役所を爆破したのかも解らなければ、なぜ初対面の自分に地獄で背負って来たかのような背中の傷跡を見せたのかも、到底理解出来ずにいた。


 質問もできずに呆然と巴は部屋を出ると、入れ替わり卍が婆さんの部屋へ通された。

 外からは子供たちのはしゃぎ声が聞こへ、巴は広間でザックを枕に仰向けになって寝転んだ。ユタは座ったまま目を瞑り、まるで寝ているようだ。

 卍が入った部屋からは、至って普通の会話が聞こへ、笑い声さえ漏れてくる。 

 溜め息をつき仰向けで寝転がって巴は目を閉じると、なぜか脳裏に獣人の女の顔が鮮明に浮かんだ。雨に濡れた女の口元に、何か意味が見付かるかと思っていると。疲れからか突然猛烈な睡魔に襲われた巴は、その場で沈んで行くように眠りに落ちる。


 その子は普通に可愛い子で、服も普通の学生のようで、しいてあげれば黒いマニキュワと胸元の小さな六芒星のネックレスが印象的だった。

 眼下に青白く広がる高層ビル群を望む大きな窓ガラス越しに、巴の横に寄り添うように立つ子は、ガラスに自分の姿を映したまま、「ツヅラ……」と、名乗った。そして巴の目を真っ直ぐ見詰めて彼女は言う。


 「あなたは草船に乗って生贄を狩る、おもねるアシラよ! 」


 そんなことはないと、巴は首を振る。


 「嘘、あなたは私を生け贄にするわ! そして内臓を取り出して、かのじょが食べるの……」


 訳が分からず巴は困惑して言葉に詰まると、ガラス越しに巴を見詰めるツヅラの大きな黒眼が震えていた。


 「意気地なし! 」


 吐き捨てるようにツヅラは言って、懐ろから鈍く光る飛び出しナイフを取り出すと、素早くガラスに映る巴の顔を切りつけた。

 

 「痛ッ! 」と、巴は声を上げ、手の平で鼻を抑えて大きく目を開く。

 そこには卍が巴を見下ろしていて、寝言を言って爆睡していた巴の鼻の穴にバイクのキーをねじ込んでいた。そして寝ぼけて周りを見まわす巴に諭すように言う。


 「ねー、今日はここへ泊まってっていいって。で、何か食事もご馳走になることになったから、ちゃんとお礼を言わないと。良い婆さんじゃない、お風呂に入ってご飯いっぱい食べなさいだって、あれは絶対サ二ワね! オーラが違う……」


 「背中にしょったオーラも見たかよ! 」

 「えぇ、見たわ…… 」


 「そっか……」

 

 素っ気なく答えた巴だが、内心ここへ泊まれると聞いてホッとしていた。

  M Mキノコ の幻想で小っさいリトルグレイに遭遇しても尚、地獄の鬼婆に怒鳴られてすっかりヘコんでいたからだ。


 改めてユタと婆さん、そして雅な着物を纏ったワッカという娘に二人は名を告げて礼を言う。

 婆さんの名前はマナといい、「二人は疲れているようだから、体に溜まった毒が抜けるまで、ここでゆっくり休んでいけ」と言ってくれた。

 ユタは小声で「例の場所は明日連れてく」と、二人を隣の二階建ての家の方へ案内した。


 荷物を抱えて外へ出ると、日が暮れ始めて夕陽に照らされた山々が、美しく紅色に染まっている。


 二階建ての家は入口が土間になっていて、居間に囲炉裏のある古民家だった。


 「布団は2階に置いてあるから、適当に居間に引いて寝てくれ、風呂は向こうの家の台所の横から入れる。今ワッカが沸かしてるから、湧いたら知らせに来るよ。酒は後で何か持ってくるとして、先に布団引いちゃいな、夜はもう寒いよ」


 ユタに礼を言って二人は2階へ布団を取りに行った。電気の通っていない薄暗い部屋で、ユタは囲炉裏に火種を落とす。二人が布団を引き終えると、ワッカが明りの灯ったランプを持って風呂が湧いたと知らせに来た。卍は「お先に! 」と、着替えとタオルを持って平屋へ行き、巴はユタの火起しをを手伝い、土間にあるストーブに薪をくめる。


 家の外が闇に包まれると、ランプの明かりが揺らぐ部屋の小さな裸電球に、薄らとぼんやり明かりが灯った。


 「立入禁止区域なのに電気が通ってるんですね、電子レンジ有りますか? 」

 

 巴がユタに尋ねると。

 

 「小さなジェネレーターを動かしてる、電子レンジなんて物は無いよ」

 「風呂とかって……? 」

 「風呂は湧水を薪で焚いてる」

 「湧水? トイレは……? 」

 「トイレはボットンだよ」

 

 しばらくして卍が顔をほ照らし風呂から戻ると、入れ替わりに今度は巴が着替えとタオルを持って風呂場へ向かった。


 幾つものランプに照らされた隣の家の広間は子供たちに占領され、ちょっとした児童館の有様。半端ないバカ騒ぎの中、マジで効いちゃてんじゃねーかと思える。青い瞳と褐色の肌のハイブリッドが混ざる子供たちのテンションの高さに、巴は目を回す。

 山のガキは違うなと妙に納得した巴は、奇声を発する子供達を尻目に風呂場の引き戸を開けると、薄らと明かりが灯り白い湯けむりが立ち籠める、湧水が薪で焚かれた風呂へと入って行った。


 体を洗って湯船に浸かり、湯気に曇った窓を開けるれば、山の冷たい新鮮な空気がゆっくりと入って来る。

 濃縮された酸素が湯船に浸かる身体の毛細血管にまで行き渡って行く気がして、巴は心底癒された。

 暗闇に包まれた山は虫達の鳴き声に覆われ、まるでガムランを奏でているようで、あまりの心地良さに巴をトランス状態へと誘ってゆく。

 湯船に浸かり、夜空一面を埋め尽くして輝く星に微睡む巴は、無意識に紅い流星を探していた。

 

 土間にあるストーブの薪が煌々と赤く燃えていて部屋は暖かかった。居間では炭火が赤くゆらぐ囲炉裏をユタと卍とワッカが囲んでいた。


 「どう、風呂上がりに……」


 真っ赤な炭を火箸で転がして、一升瓶をユタが掲げる。


 「頂きます! 」


 ワッカに湯呑を渡された巴は囲炉裏の前に座り、ユタに酒を並々と注がれた。


 「乾杯! 」


 酒をグビッと飲み込むと、リトルグレイでゲロった風呂上がりの空きっ腹に、酒が無茶苦茶染み入った。

 炭火の上に網を置いて蒸し焼きにしていたアルミホイルを、ユタが破いて広げると、中から白い湯気が立ち昇り、ニンニクの効いたバターの香りが食欲を掻き立てる。そこへ醤油を少々たらし、「食いな、精がつくぞ! 」と、箸を渡された。

 空きっ腹の二人が肉を口へはこぶと、しっかりと旨味のあるジューシーな肉汁が口の中に溢れ出て、二人は思わず笑みを浮かべる。

 バター焼きのニラに似た野菜は、ニンニクのような香りとコクがあって絶品だ。他にも脂の乗った魚の燻製を炭火で炙ったものや、初めて食べる何かの塩辛とかも最高で、二人は酒がどんどん進む。

 初めて口にする食材をそのつど尋ねるが、肉はシカとイノシシだと聞いて納得するも、他の食べ物は初めて耳にするものばかりだった。

 二人は妙に気分が高揚し、唸るように「美味い」と言うと、体が熱を持ち始めたのを感じていた。


 土間の戸がガラリと開き、平屋へ行ったワッカが大量のおにぎりと、大きな薬缶に入ったお茶を持って居間へ上がって来る。

 巴は手を叩いて喜び、盆に乗せられたおにぎりを遠慮なく手でとって口へ頬張った。

 ユタは笑みを浮かべて、「薬缶のお茶をたくさん飲めよ! 」と、二人に言った。

 薬缶の中身は木肌キハダというその名のとおり、木の樹皮を煮出した真っ黒い液体で、そこに色々な薬草が入ってかなり苦いが、身体の毒を抜くものだと言う。

 そしてユタは突然立ち上がると、「明日また来っから、お休み! 」と、ワッカを連れてあっさりと家を出て行く。


 おにぎりを頬張ったまま卍と巴は呆気に取られたが、家を出て行くユタの背中に米の詰まった口でモゴモゴと、「おやすみなさい」と、慌てて言った。

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