第15話 Blue Dream
街中で流星など見えるわけもなく、人混みに身動きを奪われた巴がビルの谷間から見上げる夜空には、規則的に点滅を繰り返す薄汚れたハングル文字のネオンの明りが、よどんで灰色がかった夜空におぼろな原色を浮かび上がらせている。
新年を祝う半島の飾り付が貼られたビルの壁面ガラスに映り込んだ、紅く染まる自分の眼を見詰める巴は、断片的なビジョンが蘇るかのように、無意識に手の平を片眼に被せた。
混沌の炎に包まれ身悶えする屍の片眼が大きく開かれる……
小雨が降り始めて人の波にチラホラと傘が混じり始めると、ビルの壁面越しに巴をジッと見詰めるツヅラと眼が合う。色白なツヅラの顔はとても小さく首が長い。小雨に濡れるツヅラの体が一瞬白い毛に覆われた四足に見えると、巴はギョッとして後ろを振り返る。
ジジジジジッと、雨に打たれたハングルのネオン管がノイズを放って、虹色の原色に照らし出す人混みの中に、もうツヅラの姿は消えていた。その代わりにハゲ散らかった薄汚いトレンチコートを着た中年オヤジが、卍を迎えに来た巴の前に突然立ちはだかる。
「なんスカ……? 」
オヤジは黙って懐ろから警察手帳を取り出して巴に見せる。
「職務質問だ! ここで何をしている? 身分を証明する物を見せろ! 」
上着のポケットの中に有った
「あんた本物か……? 」
「交番で話してもいいんだぞ! 」
「身分証なんて今持ってないですよ」
「じゃー氏名、年齢、住所を正直に言え! 」
その時、ビルから出て来た卍の姿を見た巴は、刑事の職質に早口で適当に答え、人混みの波に姿を消す卍の後を追い掛けようとすると、刑事に強く腕を掴まれる。
「何処へ行く! 」
「離せ! 」
手を振り払って、巴は卍の後を追う。
雨脚が強くなり、雑踏に消えた卍を人を掻き分けて巴は探すが、完全に姿を見失ってしまう。待ち合わせをした D U G の地下にも下りて見たが、店内に卍の姿はない。嫌な予感がした巴は急いで店を出て、溢れかえる人混みの中に卍を探しているうちに、JR新宿駅の前に来ていた。
ずぶ濡れの巴は、人の波が駅へと吸い込まれて行くのを見詰めていてハッとする。
「この光景は前にも見た。間違いない、完全なデジャブだ」
駅の改札を飛び越え、巴はホームに続く階段を駆け上がって行った。
肩で大きく息をすると、人で埋め尽くされたプラットホームに卍を探す。けたたましく流れるアナウンスに鮮明なビジョンが幾つもシンクロしている。
「どこだ! 見たことあるぞ! どこにいる! 」
耳障りな音を掻き鳴らしてホームに電車が入って来ると、激しい雨に遮られた向かいのホームに、細かく震えるサブミニナルの残像のように、四足で立つツヅラの顔をしたケモノの姿を巴は見る。
「ツヅラ! 」
ツヅラの名を口走ると、急いで階段を下りて行き、隣のホームへ続く階段を人を掻き分けて駆け上がって行く。そして電車を待つ人の列の先に卍を見付けた。
ホッと胸をなで下ろし、巴は安堵の表情を浮かべて卍に近付いて行くと、ホームに水しぶきをあげて電車が入って来る。
咄嗟にさっきの死んだ魚の目をした刑事を思いだした。後を付けられている気がして卍から一瞬眼を離すと、歩きながら後ろを振り返る。その瞬間、ドスンと鈍い大きな音がホームに響き渡り、巴はビクンと体を強ばらせた。
辺りに大きな響めきが走り、いくつもの悲鳴が聞こえる。巴がゆっくりと振り返ると同時に、電車の急ブレーキの音がその場の全てを掻き消した。
2
冷たく静まり返った通路の長椅子にずぶ濡れの体で沈む巴は、床に雨水を滴らせ、懐ろに血糊がコベリ付いた卍の手榴弾を握っていた。
意識不明の重体で I C U に運ばれた卍の様態を聞いて、絶望的な医者の言葉に、巴は崩れ去るように床に手を付く。
すい臓損傷、じん臓損傷、膀胱損傷、
意識が戻るかどうかも解らず、覚悟しておくようにと言われ、巴は血の気が引いた。硬直した屍のように長椅子に沈んだ重い体をどうにか起こして、命だけは絶対に助けてくださいと在り来たりな言葉しか医者に言えず、警察の姿が見えると巴は姿を消した。
雨上りの朝焼けに紅く染まった街に白い息を震わせ、卍から流れ出した
濡れた体で死人のように血の気が引いた巴の顔を、D G は唖然と見詰めて言った。
「どうした……? 」
いきなり懐ろから血のコベリ付いた手榴弾を取り出して見せた巴を、D G は辺りを警戒しながら客の引いたカゴメの中へ引き込んで椅子に座らせた。
ずぶ濡れで手榴弾を持ったまま頭を抱えてカウンターに突っ伏した巴から手榴弾を取り上げ、ロックグラスに
「俺には見えてたんだ、前からこうなることは解ってたんだ、俺はあいつを助けることができたんだ。なのに眼を離しちまって、あいつは……」
取り上げた手榴弾に生々しくコベリ付いた赤黒い血糊を D G は見詰めると、カウンターの下へ手榴弾を隠した。
「何があった? 巴! 何があったんだ……? 」
大粒の雨に打たれ、血の海に染まった線路の上で、卍は白目を剥いてケイレンしていた。
ホームから飛び降りた巴は、電車に跳ね飛ばされた卍に覆い被さる。
真っ赤な鮮血が口から泡になって溢れ出て、血の泡の中から抜けた白い歯が何本か溢れ落ちた。
細かくケイレンを繰り返し、瞳孔の開き切った眼をシロクロさせる卍の瞳からは生気が抜けていき、そして意識を失う。
卍が死の淵へ深く沈んで行くのが見え、どうすればいいのかパニクる巴は卍の手を強く握り、卍の名を大声で叫び続けた。
線路の濡れたレールの上に、カゴメで皐月が卍の上着に押し込んだ、(悪魔の目がのぞいてる)と、片眼の絵が書かれたメモ紙が、雨に濡れて張り付いている。
駅員たちが数人急いで駆け付けると、
服をハサミで切り裂いて気道を確保し、酸素吸入や止血の処置をしている時、雨に濡れた救急車の剃りガラスの窓にベッタリと、死神が死を確認するように、死んだ魚の目が張り付いて中を覗き込んできた。
ゴトン、と、重みの有る鈍い音が車内に響き、卍の血で真っ赤に染まった手榴弾が救急車の床に転がる。
隊員に見られないように素早く拾い上げると、巴は自分の懐ろへ手榴弾をねじり込んで隠した。
だがそれを、雨粒が滴る救急車の窓にベッタリと張り付いた、死んで腐った魚の目が、薄ら笑いを浮かべて確りと見据えている。
救急車が急発進する。コルセットで固められた血塗れの卍は全く意識を戻さぬまま、東京女子医大の I C U へ搬送された。
カゴメを後にした巴は、朝日に照らされた黒いカラスがゴミを漁る、人気の消えた新宿の街をさ迷うように歩いて行く。
いったいなぜこんな事になってしまったのか訳が分からず、様子のおかしかった卍を見失ってしまった自分への嫌悪感から、魂の抜け殻ようにただ街をひたすらうろついた。
いつの間にか気付けば中野のアパートまで来ていて、階段を上がって自分の部屋の前まで来ると、背後かろから突然不気味な声が聞こえる。
「ねーちゃんは、死んだか~? 」
振り返ると、そこには薄汚れたヨレヨレのトレンチコートを着た刑事が、2・3本しかない茶色く黄ばんだ前歯を剥き出して、薄ら笑いを浮かべて立っていた。
巴は無表情のまま自分の濡れた懐ろに手を入れると、刑事は突然「ひぃぃぃーっ」と、素っ頓狂な声を上げて勝手に地べたに尻餅を付き失禁した。
地べたを這いずる刑事を見下ろして、巴は懐ろから取り出した鍵をドアノブに差し込む。すると大勢の足音がドタバタと通路に響き渡り、屈強な男達が勢いよくアパートの階段を駆け上がって来る。
大勢の男達にあっという間に囲まれて、巴は身動きを取れなくされた。そしてその中の一人が、巴の顔の前にガサ状を近づけて見せる。
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