第5話 Durban Poison
街中で流星など見える筈もなく、人混みに身動きを奪われた巴がビルの谷間から見上げる夜空には、薄汚れたネオンの発光が規則的に点滅を繰り返し、よどんで灰色掛かった夜空を奇抜な原色で浮かび上がらせている。
見慣れた街の風景に、なぜか自分が年の瀬の新宿の繁華街を歩いていると理解する。ネオンの原色でガラスのようなビルの壁面に映し出される自分の両目が、異常な程に黒々と大きく見えて、巴は無意識にビルに映った自分の片目を手の平で押えた。
混沌の炎に包まれ身悶えする屍の片目が大きく開かれる……
来年のことを言えば鬼が笑うというが、その笑う鬼というのはコーカソイドのアーリア人とか白人のことで。白色人種が世界を支配しているのだから、来年も再来年もそのまたもっと先の先まで、世界で起きるあらゆる全ての出来事は、白人によって決定がなされているのだから。鬼の言うところの無知で奴隷の黄色い
「まったくふざけた世の中だぜ……」
小雨が降り始め、片目を押えた巴の後ろを行き交う人の波にちらほらと傘が混じり始める。その中に巴をジッと伺うように見詰める女とビルの壁面越しに目が合った。
女の顔はとても小さく色白で首が長い。小雨に濡れた体が一瞬、白い毛に覆われた四つ足に見えてギョッとした巴は、片目を押えた手を素早く下ろして振り返る。
雨に濡れたネオン管がジジジッとノイズを放ち、原色を点滅させて浮かび上がらせる人混みの中に、女の姿は消えていた。
雨脚が激しくなり、人を掻き分けて新宿駅の中へ入って行った巴は、改札を抜けて足早に階段を駆け上がり、人で埋め尽くされたプラットホームの中央で人の列に並んだ。
けたたましくアナウンスが流れ、耳障りな金属音を響かせた電車が、滝のように降りしきる雨の中を向かいのホームに入って来る。
水しぶきを上げて電車が前に差し掛かる時、巴はハッとして向かいのホームに目をやった。
向かいのホームには四つ足で白い毛に覆われた女の顔をした獣人が、巴をジッと見据えている。
女の顔をしたケモノは、震えるサブミニナルな残像を残して、雨の中を突き抜けてきた電車に吸い込まれるように消える。そしてドスンと鈍い音が辺りに響くと、巴はビクンと体を強ばらせた。
電車が急ブレーキをかけて、巴が慌てて階段を下りようとすると、突然誰かに強く腕を引っ張られて、巴は瞑っていた目を開ける。
「起きろ巴! 起きて! 」
卍は巴に何度も言うが、瞑っていた目は開いたもの、巴には卍の声が木霊のように頭の中に響いている。卍の顔を見ても目をパチクリさせるだけで、何を言っているのかさっぱり理解できずにいた。
訳がわからないまま卍に立ち上がらされ、何故か強引にヘルメットを被せられて低い体勢を取らされる。卍はサバイバルナイフを抜いて、草むらの先に鋭い刃先を突き立てた。
木陰の木漏れ日が卍のナイフにギラリと照りつけると、光の反射でナイフがぐにゃりと曲がって見える。
静寂に包まれる深い緑の中で、目の前の草むらのヤブが激しく揺れる。ただならぬ卍の殺気が伝わる巴も、訳が解らないままナイフを抜いて、ふらつきながら卍を真似てナイフを構えた。
「多分クマよ、こっちへ来るわ! 」
卍は覚悟を決め、巴も危険が迫ってきている事を悟る。
巨木の下は少し開けた草むらなので、クマがこのまま進んでくれば丁度目の前のヤブから姿を現す。激しくヤブが音を立てて揺れ、二人はナイフを構えて息を潜めた。
ところがヤブから姿を現したのは、手ぬぐいでほっかぶりをしたカマを手に持つ、小さなお爺さんだった。
竹で編まれたカゴを腰にぶら下げヤブから現れたお爺さんは、足元に何かを探すような素振りのまま、息を潜めてナイフを構える目の前の二人にはまったく気付いていない。ずっと下を向いたまま足元の草むらばかりを見ている。
ヤブから突然現れた小さなお爺さんが、巴には完全に大きな黒目をした銀色に光り輝く小さなのリトルグレイにしか見えず。リトルグレイの嘔吐ウェーヴに勝手に反応したと勘違いすると、突然猛烈な吐き気に襲われ、アブダクションの恐怖からその場で堪えきれず、搾り出すようなノイズを放ちゲロを吐いた。
ゲロを吐く巴に気付いたお爺さんは、声は出さずに飛び上がって驚く。その拍子に腰にぶら下げたカゴからキノコが何個か溢れ落ち、草むらにコロコロと転がる。
石の地蔵のように固まってしまったお爺さんと顔を見合わせた卍は、ナイフを終って会釈する。小さなお爺さんは表情を変えぬまま何事もなかったように、もときたヤブの中へゆっくりと帰って行った。
「そう、キノコ狩りの季節……」
草むらに幾つか転がった原色のキノコを卍は拾い、臭いを嗅いだ。
「キノコ狩りって、ここは立入禁止区域なんじゃねーのかよ! 」
ふらつきながらナイフを終い、巴は水筒の水で口をゆすぐ。
「そうね、でも私たちだって入ってるじゃない」
「そうだけどさ、今のマジで人間か……? 」
ザックを背負って移動しようと二人はバイクに跨り、河原を下り林道を抜けて国道へ出る。道路脇の木陰に2台のバイクを止めて卍は地図を広げた。静かで豊かな森林の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込めば、
地図を覗き込んで新しいルートを練り直していると、車の通りが消えた国道に容赦なく照り付ける強い日差しが
暫くすると、空中に浮び揺らぎながら立ち昇る陽炎の中から遠くの先に、1台の軽トラが現れる。そして徐々に二人の方へ向かって走って来る。
近づいてくる軽トラからは何だか Wham! の Bad Boys が大音量で流れていて、二人の前を横切ると車を道路脇の路肩へ駐車した。
Bad Boys が止むと、首にタオルをかけた30代ぐらいで濃い顔をした男が運転席から降りて来る。男は卍と巴に近づき、「こんにちわ」と、挨拶した。
卍と巴も「こんにちわ」と、挨拶を返すと、男は止めてある2台のモトクロスバイクを食い入るように見詰める。
「良いマシンだね、ツーリング? 」
「はい」
「東京から? 」
「はい、そうです」
立入禁止区域に居る事には何も触れず、男は卍の広げた地図を脇から覗き込む。彫りの深い顔に長い
「何処まで行くんですか? 」
男が覗き込む地図を、卍は適当に指を差す。
「この川の下流の方へ行ってみようと思ってます」
「う~ん……」
腕を組んで唸りだしたかと思うと、男は首を傾げて唐突に言う。
「そっちの方にはあまり生えてねーよな……」
男の言った言葉に一瞬卍と巴は耳を疑い目を合わせるが、何かの聞き間違いだろうと、卍は男に聞き返す。
「何がですか? 」
「だから、この川の下流の方にはあまり生えてねーよ! 」
緊張が走り互いにまた二人は目を合わせた。巴は黙ったまま横目で男を鋭く注視する。
男の出方を伺うため、卍は何げに惚けてまた聞き返す。
「何が生えてないんですか……? 」
笑みを浮かべて乗ってきた軽トラへ男は戻り、徐ろに荷台から巨大な
条件反射で思わず身を乗り出し、卍と巴は男が差し出した濃い緑の
密度が凄く形も大きなトウモロコシのようで、そこから手裏剣のような
突然予期せず男が差し出した、想像を超える巨大な
「君たちはコレを探しているんじゃないのか……? 」
どうゆう事か? なぜこの男は白昼夢のように立ち昇る陽炎の中から突然
「そーなんですよ、凄いですねコレ、どこに生えてたんですか? 」
「そーだろー、やっぱコレ探してたんだ。だから河原に降りてったんだな。ダメだよ年寄り脅かしちゃ、物騒なもんぶら下げて……」
近づいて来た卍の足に装着されたサバイバルナイフを男はチラ見すると、巴のこともチラ見した。
巴は黙って
「ハハハッ……、ゴメンなさい、悪気はなかったの、てっきり大きなクマが現れたかと思って、私たちも本気であせったわ」
「そんなぶら下げてるナイフでクマに勝てるわけねーだろ! 」
「私たちも勝とうと思ってないですけど、ないよりゃましかと」
「まぁいいけど、クマなんかよりもコッチの方がいいんじゃないの……? 」
手に持つ
「そーね、クマなんかよりもそれのほうが全然良いわ、おにいさんソレどこに生えてるのか教えてくれる……? 」
「欲しい……? 」
「えぇー、欲しいわ……」
「う~ん……」
腕を組んでまた男は唸りだす。沈黙した立入禁止区域の原生林に、陽炎に揺らぐ国道に貫かれた深い森に、神々しいケモノの鳴き声が大きく響きわたった。
今だ
「奴が近くに居るな……! まぁいいや。じゃー場所教えてあげるよ、山の方に生えてるからねコレは、山へ入って行くけど。そんな遠くないから、バイクで付いて来な! 」
卍が頷くと、男は軽トラに乗り込む。
「なんだよ奴が近くに居るって? やっぱグレイだろ、大丈夫かよ……? 」
二人はバイクに跨ると、ヘルメットを被りながら巴が卍に言う。
「大丈夫よ、ゾンビじゃ無いことは確かだし。それに自分で
「俺も何か見たことある気がするけど。だけどさー、なんでうちらに教える……? 」
「そんなの知らない! 」
「放射能も撒かれてんだぜ、やっぱコレってリトルグレイのアブダクションだろ、絶ッテーに……? 」
「あんたまだリンボに落ちてんの? 」
軽トラのエンジンが掛かり、Bad boys が流れる車の窓から男は顔を出して二人に言った。
「ちょっと一軒寄ってくから、付いて来て。で、俺の名前はユタ、ヨロシクな! 」
男は窓から顔を引っ込めると、軽トラを発進させた。
「ホラおいでなすった、一軒寄って行くってよ! 飲みに行くんじゃねんだから。それにあの選曲はマジでヤバイぜ! 」
「ヤバかったら逃げればいいじゃない、二ビルだろうがグレイだろうがレプテリアンだろうが。とにかくあの
「マジか、グレイよりも厄介じゃんか! 」
笑いながら卍は巴にウインクしてバイクのエンジンを掛けた。巴も困惑しながらエンジンを掛けると、白昼夢の幻に浮ぶ陽炎の中から現れた、ユタの後を二人は追った。
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