第19話 Satori - Mandala

 意識が戻ってから半年が過ぎる。キツイリハビリを毎日何時間も続けていようが、麻痺した下半身は針で刺しても何も感じなかった。


 いつかナースたちの立ち話が耳に入り、私の下半身麻痺はもう治らないと言っているのが聞こえた。気晴らしに屋上で G J ガンジャのケムリをくゆらすも、あの時のナースの言葉ばかりが頭を過る。


 シオンの目を見た時から、私は何かに取り憑かれていたのか……? 


 電車に跳ねられた時の前後の記憶が全く戻らない。てゆーか私が電車に跳ねられたという記憶もない。気付けば病院のベットの上で、色んな機械に囲まれてて、体中から血が滲みだしていて、燃え上がる炎に体が焼かれるような悪夢と切り裂かれるような激痛の先に、赤い炎の中で笑みを浮かべて私をジッと見据える、悪魔の姿を見詰めていた。


 ただ、ダークスーツの男にられたことだけは分かる。最後に会っていたのが、ダークスーツの男だし、私を見るあの男の蛇のような目が、いつでもお前を絞め殺せると、無言で物語っていた。


 警察は駅のホームで見ていた人の証言で、私が自分から電車に飛び込んだと言っていたが。そんな証言は信用できないし、誰かはわからないけど、突き落とされた気がしてならない。

 何度もしつこく警察に事情聴取され、そのつど私は自殺する動機はないし、誰かに突き落とされたと言いきった。巴の事は病院に一緒に来たこと以外とくに何も聞かれず、│G J 《ガンジャ》の件には触れてこなくて助かった。それにもう D G が全て後始末はしてくれていた。それでも何故自分が新宿駅のプラットホームに立っていたのか解らない卍は、ダークスーツの男が死んだ今、あれだけCMに出ていたシオンも、広告からすっかり姿を消し去っている。     


 ケムリの中で走馬灯のように断片的なビジョンが霞んで見えても、永遠に完成しないパズルを組み合わせているようで。また何処かで、△から覗くシオンの目に見られているような気がしてならない……。


 巴はどうしてるかしら? G J ガンジャも無くてゲットーに居るのは最悪だろうけど。後1年ちょっと……。まだ先は長くて、お互い地獄の底に居る事は間違いないわ。 

  K K 公安警察が来た、身辺に気お付けろ。と、巴からの伝言は聞いている。マナの背中のケロイドの傷が何度も脳裏に浮かぶが、どのみちこんな体じゃ気を付けようもないし……。

 卍は失笑して、点滴をした車椅子に沈む自分の体に絶望すると、地獄のバッドトリップがループする。


 病室へ戻ると卍はナースコールで、気落ちした現実逃避には最強のモルヒネを看護婦長に頼む。

 下半身は麻痺したままでも、驚異的な術後の回復力を見せる卍には、もうモルヒネは出せませんと医者からストップがかけられていた。

 それでも卍は痛みが酷いと嘘を付き、ナース達に食い下がる。出来ませんと一辺倒のナース達に、卍も半ば諦めかけると、何故か突然医者から許可が下り、モルヒネのアンプルをナースが1本持って来た。


 呆気にとられた卍の、まだ固形の食べ物を上手く咀嚼そしゃくできない栄養補給の点滴バッグの中へ、モルヒネが注射される。


 予想外にすんなりモルヒネが出たことに驚いた卍だったが、これも一生下半身麻痺の片端かたわになってしまった惨めな女への慰めかと勝手に思う。


 コレで超ネガティブなバッドトリップの炎も、オピウムの生暖かい風が吹き消すわ。そう……、ニルヴァーナ……!


 頭上から垂れ下がり血管に突き刺さる注射針の先端からモルヒネが染み出して来るのを、卍は青ざめた顔で眼を瞑り、小さく舌舐りをして待ち焦がれる。

 

 次の瞬間、卍はカッと大きく眼を見開く。そして自分の腕の血管に刺さる注射針を見据えてナースに聞く。

 

 「コレは……、何? 」


 ナース達は何のことかと惚けた顔をする。


 「これモルヒネじゃないわね……」


 一瞬ナース達の顔に浮かんだマズイという表情を、卍は見逃さなかった。


 拳を強く握り、注射針が突き刺さった左腕に渾身の力を込めると、浮き上がる血管から血液が逆流して、点滴の管の中を赤い血がみるみると登って行く。

 血液の逆流に慌てるナース達に卍が問い詰めると、モルヒネは出せない代わりに同じ効果のある新薬で、医者が進めるモルヒネの代用品のケミカルを、気付きはしないと思って注射したと自白した。


 「フッザケ! 」


 血の逆流した点滴の管を卍は握ると、突き刺さる注射針を血管から勢いよく引っこ抜く。

 針の先からは逆流した卍の鮮血が部屋中に飛び散り、天井から壁と、ナースの顔や白衣を血で赤く染めて卍は口走る。


 「私を誰だと思ってるの! 舐めてもらっちゃこまるわ、こんなケミカルの代用品で私を黙せるとでも思ったの? 」



 部屋に飛び散った血液を消毒しながら綺麗に全て拭き取ると、卍を騙した事をナース達は詫びた。そしてお詫びに本物のモルヒネを持って来ると、小粋な音を立てて点滴バッグの中へ注射した。


 紅い流星が切り裂いて行く青い透明な空の下、無限に広がる紫のお花畑を歩いている。そして何故か自分が素っ裸で歩いている事に驚く。裸でいる事に驚いたのでは無く、歩いてる事に卍は驚いていた。

 完全な幻覚の中にい居ても所々現実とはシンクロしていて、自分のビジョンが強ければ現実とのシンクロ率も高くなる。


 「幻は時として真実よりも真なり……」


 モルヒネによって無限の曼荼羅とシンクロする幻覚の宇宙の中に、今自分が居る事がハッキリと解かる。現実も幻覚も時間も空間も次元も全てが無なのも解っている。それでも私の腹には真一文字に切り裂かれた手術痕が、幻の中に居ても確りと、ケロイド状に盛り上がっている。


 自分の腹の手術痕に卍は手で触れる。花に埋め尽くされた大地を踏みしめる素足の感触を確かめながら、ゆっくりと、一歩ずつ、大地に共鳴して歩いて行く。


 「なんか歩くの久しぶり……」


 歩きながら笑みを漏らすと、お花畑の奥から綺麗な裸の女が歩いて来る。近付いてくる女の顔を見て思わず卍は口走る。


 「バビロンの聖なる女神の化身、シオン……」


 シオンは美しい裸体で愛らしく微笑み卍の前に佇むと、足元に咲き乱れる紫の野花を一輪手に取って言う。


 「コレは鳥兜の花、あの大きな月が紅く輝き始めれば、誰もがケモノになるわ……」


 「久しぶりねシオン、元気そうで良かった。私は死にそうになってズタボロになったけど。あなたは相変わらずね、どうやってここへ入って来たの? 」

 「共時性は重力と同じで普遍なもの、コツさえつかんでその気になれば、何処にでも、誰とでもシンクロできるわ……」


 「クスリね! さっき血管から僅かに体に入ったケミカルが残っていたせいね。あなた達が作ったクスリ? 製薬会社が病院で広め、24時間コンビニとかでも買えるようにしてるんでしょ。その上で相応しい刺激と副作用で幻覚を誘導する。ケミカルが溢れるこの世界では、誰もあなたの目からは逃れられないということね。けれどねシオン、あなたは自由になってもまだ、死のドラッグの中に生きてるみたいね」


 「そう、だけど私は何を言われても何をされても、あなたを殺るつもりはなかった。あなたの口の中へ葡萄を入れた時も、あなたはエデンで蛇を突っ込まれる奴隷の私を、ただ黙って見ているだけじゃなかったから……。それに、確かにクスリでシンクロすることはいつでも出来るけど、あなたの立ち昇らせるケムリ。あの自由のケムリが私を奴隷から解放してあなたにシンクロさせるの。爬虫類男が死んで私は自由になれた。だからあなたを連れて行くわ」


 シオンは卍の手を取って歩き始める。紫の野花が咲き乱れる丘の先に、白亜に輝く巨大な階段ピラミッドが聳え立つ。シオンは卍の手を引き、白く大きな石の階段を登って行く。


 階段は全部で13段あり、登り詰めた頂上には△の化粧石に彫られた、真紅に染まる大きな一つ目が、世界を見据えて輝いている。


 「存在するものはすべて光……」


 白亜に輝く13段ピラミッドの頂上で、透き通るように白くしなやかなシオンの手が、卍の身体を包み込んで耳元で言う。


 「ケモノに操られし者があなたの前に姿を現す……。だからあなたは、ケモノの前から姿を消して……」



 瞬間、点滴の針が刺さった腕に違和感を感じると、眠っていた卍は条件反射で注射針を血管から引き抜いた。


 点滴の液が針先から床に滴り落ち、卍は上半身をベッドから起き上がらせて病室を見回す。

 

 薄らと光が差し込む薄暗い病室の壁際に、眼帯をして針先が鈍く光る注射器を持った片目のナースが、卍をジッと見据えていた。


 「チッ! 」


 片目のナースは小さく舌打ちをすると、声には出さず微かに口元が動き、ナ ゼ キ ズ イ タ…… と、口が動いて見える。そしてゆっくりと落ち着いた動作で、何事も無かったように病室を出て行く。


 卍は何も言わず、暗がりに姿を消していく片目のナースの後ろ姿を黙って目で追っていた。


 マジで片目が現れるのね。確かにこれ以上長居をすれば、ここで悪魔教の血脈を注射されてキチガイか廃人にさせられるか、癌にさせられるか? それとも永遠に眠らされるのか……? いずれにせよ、確実に殺られるわね。


 車椅子に乗り、卍はデイルームにある公衆電話で D G にユタの潜伏先を聞いて荷物を纏めた。そして病院の屋上へ行き、おぼろな満月の下に広がるバビロンの夜景を見据えてJ T ジョイントを1本吸うと。荷物の中入っていた、山でマナに貰ったトライバルな木片を手に握る。

 「闇黒から光へと導く! 流れの中で闇黒に呑まれても、己を決して見失うでないぞ……」と、言った。マナの言葉を思いだしす。

 もうここ病院へは戻らないと、車椅子のまま荷物を持ち、タクシーで新宿2丁目へ向かった。 


 不思議なもので、タクシーの窓から見える見飽きたはずの街のドギツイネオンの輝きが、死の淵を彷徨さまよって紅く染まった眼に映れば、自分が今生きている実感が溢れ出してきてハイになり、アドレナリンが吹き出す。


 運ちゃんにヘルプしてもらいタクシーを降りて車椅子に乗ると、バッグを膝の上に乗せ、人の波でごった返す2丁目の仲通りへ入って行く。


 魑魅魍魎ちみもうりょうが列をなす百鬼夜行ひゃっきやこうのメインストリートから一歩路地へ入ると、体育会系のマッチョ達が手を繋いで闇に潜む裏通りの、薄汚れた壁や電柱や街路灯など至る所に、ネフィリムの宣言が貼られている。

 見ればどのチラシも種は剥がされていたが、黒字に赤で安っぽくネフィリムの頭文字( N )を文字って図形化した目玉のようなステッカーも、路地には沢山貼られていた。


 壁に貼り付けられたステッカーに卍は手を伸ばして1枚剥がし取る。しばらく行った通りの外れにある、ヒジュラと書かれた小汚いスナックの前まで来ると、中から Wham! の Bad Boys を熱唱するユタの歌声が聞こえる。


 車椅子から手を伸ばしてスナックのドアを開けると、安っぽいミラーボールがクルクル回る店内で、クリスマスとかで被るボール紙で出来た赤い三角帽を頭に乗せて Wham! を熱唱するユタが卍を見付け、マイク片手に手招きをする。

 店に入ろうとした卍に、一瞬息を呑むほどに綺麗な女が無言で卍に抱き付き、体に押し付けられた大きな胸の硬さから O K Mオカマ と気付くも、その子が車椅子を押してカウンターの奥まで運んでくれてオシボリを手渡されても。だいぶ顔も体も変わって、前よりも華やかに綺麗なった皐月に、卍は暫く気付かなかった。


 皐月が流し目で(久しぶり)と、手話をして初めて気付き、卍は皐月の変り様に紅く染まった眼を丸くする。


 カウンターの中で、銜えタバコのオレンジにピンクのドット柄のキャミソール姿でタンバリンを叩き、ユタの歌に合いの手を入れる自衛隊特殊部隊の隊長のような濃い口ヒゲを生やしたママに、卍はレモンティーを注文した。

 歌い終わったユタが卍の隣に座ると、カウンターに有ったクラッカーを手に持ち、「退院おめでとう! 」と、クラッカーのヒモを引っ張って鳴らそうとしたが、ヒモがブチ切れ上手く音が出ない。


 「アレ? これママのスカシッぺみたいに湿気ちゃっててダメだ! 」

 「あら、私のスカシッペそんな湿気ちゃってないわよ! もっと品位があってドライよ、ドライ……! 」


 ヒゲの隊長は、「どうぞ」と、The Animals の朝日が当たる家が流れる店内で、卍に綺麗なマイセンのピンクローズのティーカップでレモンティーを出す。


 「ちゃんと退院したわけじゃなくて、勝手に出てきちゃったんです」

 「体の具合いは? 」

 「これでも治った方なんですけど、まだ車椅子だし、足は完全に麻痺したままです。針で刺しても何も感じないぐらいで……」


 (生きててよかった、心配だった。シーナも心配してた、今は仕事で踊ってる)


 皐月が走り書きのメモを卍に見せた。卍は皐月に「ありがとう」と言って笑顔を見せると、「でもまだ狙われてるみたいで……」と、ユタに言う。

 一升瓶でヒゲの隊長がマスに注いだ酒を飲むユタは、卍の肩に手を回す。


 「兄弟、山でゆっくり体を治せよ! 明日の朝、俺と一緒に行こう」


 「ハイ、私もそれを頼もうと思ってました。ありがとうございます……」


 (ちょっとまって、見せたいモノがある)


 皐月がまた走り書きのメモを卍に見せる。


 「なに?」

 (わからない? )

 「わからない、おしえて? 」

 (自分でまいたたねでしょ)


 メモ帳とペンを大きな胸の谷間に挟み込むと皐月は立ち上がり、卍の車椅子を引いて店を出て行こうとしたので、卍は慌てて路地の壁から剥がし取ったネフィリムのステッカーをユタに見せる。


 「ユタさん! コレとあのチラシの宣言は、ユタさんですよね? 」


 マス酒を手に持つユタは、黙って眉毛を上下に何度か動かした。するとまた皐月が胸の谷間から走り書きのメモを卍に渡す。


 (だいじょうぶ、私もネフィリムの一員)


 ヒジュラから卍を皐月が連れ出すと、妙にはしゃぎながら車椅子を押して人混みを上手くすり抜けながら足早に進む。

 何処へ連れて行かれるのか、卍はキツネに摘まれた感じで楽しげな皐月を車椅子から見上げる。靖国通りを渡り花園神社を抜けて、ネフィリムのチラシやステッカーが貼られた人気のない路地裏へ入って行くと、ビルの谷間の歯抜けた空き地へ、皐月は強引に車椅子を押し込んで指を差す。


 皐月が指差す先に卍が眼を凝らすと、よどんだ空に大きくぽっかりと浮かんだおぼろな満月が、空き地一面を覆い尽くす G J ガンジャりんとした若葉を、淡く水墨画のようなコントラストで際立たせていた。


 「マジで……」


 思わず卍は呟くと、足元に生える G J ガンジャの若葉に手を伸ばしてトップを摘み取り自分の鼻へ持っていき、弾けんばかりのフレッシュな香りを胸いっぱいに吸い込む。

 清々しい若葉の香りの中にも確りと濃い H H ハシシの香りがする。当然まだまだ熟成はしていないから油っけもないが、確かにコレは自分たちが蒔いた種だと納得した。


 新宿歌舞伎町の路地裏で、ビルの谷間を埋め尽くす美しい G J ガンジャの若葉は、時折発光するヘンタイやスカトロやアダルトグッズと書かれた猥雑なネオンの原色に照らされて。その淡い緑が自ら発光する夜行茸やこうだけのように、バビロンの掃き溜めの混沌を浄化し、サイケで幻想的な輝きを放っていた。

 

 

 

 

 

 

 

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