第2話  Bruce Banner #3

 春分の日、船は港へ接岸した。二人はバイクに跨り陸へ上がると、ゼネコンによるにわか景気に沸く市街地を避けて検問をすり抜け、立入禁止区域に潜入した。澄んで乾いた風を切ってバイクを滑走させると、ゴーストタウンと化して崩れ去る町並みを横目に、卍はガイガーカウンターで汚染を確認する。 

 

 「まだ汚染が残っている所があるわね……」

 

 卍は地図でルートを確認し、厳しく検問が行われている国道は何度か迂回した。


 二人は J Tジョイントのケムリをくゆらし、人が消え去った街で野生化した家畜が群れを成して走り回る街路地を、バイクのアクセルを開けて走り抜ける。

 幻のように荒廃した街並みに前輪を浮かせて奇声を上げる巴を、地図に記された目標へ導く卍は、いつしか濃い緑が密集する深い原生林の中へと分け行っていた。

 

 巴はアレルギー反応を起こして急に調子を落とし、ザックから薬を取り出してカプセルを口の中へ放り込む。


 「またヤバイケミカル飲んでんの? 」


 「オレも飲みたかねんだけど、日本に帰ってくっとこうなる。TVでCMやってるこの薬、超効く! CMに出てる子も超カワイくてマジでヤバイ! 街中女神なビッチの広告で溢れかえってんじゃん! アレだよ、△から片目のぞかしちゃってる女、マジでヤバイよな……」


 手に持った薬箱の△マークを掲げ、巴は△を陽の光に輝かせて失笑しながら卍に見せる。バイクに跨る卍は、薬を飲んで「ヤバイ、ヤバイ! 」と連呼する巴を呆れ顔で見ていた。


 「ここからは二手に分かれるわよ! 」


 目安にしていた河川を見付けた卍は川の方へバイクで降りて行き、巴は川岸の林道の方へバイクを走らせる。自分の背丈をゆうに超える緑に覆われた細い林道の中へゆっくりと進入し始めると、巴のアレルギー反応がピタリと止んだ。

 

 林道を進むにつれ何か視線を感じた巴が密林の先に眼を凝らすと、前方のヤブから何かが顔を出してこっちをジッと見詰めている。

 巴は白いシカだと気付きバイクを止めた。こっちを見ているシカの顔をよく見ると、一瞬シカの顔が完全に人間の女の顔に見えて、あせった巴は押さえていたバイクのクラッチから指を滑らし、ガクンとバイクがエンストすると、ヤブの中へ倒れ込みそうになる。


 沈黙の緑に覆われ静まりかえった林道で、巴が足を踏ん張り再び体制を整えて前方のヤブを見据えるが、もうどこにも白いシカの姿はなく。静寂にりんと張り詰めた空気と圧倒される緑に、白いシカの体をした女の顔の残像だけが、ハッキリと巴の脳裏に鮮明に焼き付く。

 人の入ってこない原生林の、立入禁止区域における漠然とした不安に、ザックにしのばせた刃渡り30センチのサバイバルナイフを巴は取り出すと、足に装着してエンジンを掛け、何度かアクセルを吹かした。


 川に掛かる地震で崩れた橋の袂で卍と合流すると、J T ジョイントのケムリを立ち昇らせて「今夜の寝床を決めるわ」と、卍がバイクのシートに地図を広げる。

 ケムリを吹き出す卍の足にもしっかりと大きなナイフが装着されているのを見て、巴は自分たちが濃密な異界へと足を踏み入れている事を理解し、卍は巴に地図をのぞかせた。


 「今日はここから10キロ下った、閉鎖されたこのキャンプ場へビバークする」

 

 口と鼻から白いケムリを吹き出して巴が頷く。


 陽はもう西へ傾き初めていたが、日没までにはまだ時間がある。汚染された立入禁止区域の原生林に潜み、真紅に眼を染める卍と巴は、再度川の上流へ向って河原を探索した。


 紅く色付き始めた残照ざんしょうが、二人の走る河原を黄金に染めている。川面を弾ける細かい水の粒子が金粉を撒き散らしたように川面一面へ広がり、その中を無数の蜉蝣カゲロウが真綿のように舞い上がり、川の流れにそってキラキラと輝いている。

 川の上流へ進む卍と巴は燃えるように紅く色付く空の下、いつしか黄金に輝く河原と完全にシンクロして、まったく別次元と繋がり始める。


 暫く一面金色の河原をさかのぼって行くと、卍が不意にバイクを止める。少し間をおいてエンジンを切ると、徐ろに人差し指を前に差し出して言った。


 「あった……」


 巴もバイクを止めてエンジンを切り、卍の指差す先を見詰める。エンジンを切ると河原は深い沈黙に包まれ、川の流れる水音だけが辺りに響き渡る。


 「見て、 G J ガンジャよ!」


 しっかりと卍が指差す先には、大きな B Dバッズを実らせた背丈が2メートルほどの メス G J ガンジャが1本、夕陽に照らされ黄金に輝いていた。

 

 二人はヘルメットとグローブを外してバイクから降りると、赤紫がかった濃い緑に所々黄色く色付いたビビットな配色が、どことなく南米の毒蛙のような奇抜さで圧倒的なオーラを放ち、周りの自然から妙に浮いて見えた。何枚か垂れ下がる手の平のように大きな FL F ファンリーフ(大葉)が微かに風にゆらいでは、「こっち、こっち~ 」と、陽気に手招きをする。


 二人は G J ガンジャに近付き、卍がガイガーカウンターで汚染を調べ、「大丈夫よ」と言って手で触れた。


 軽くむせ返るほどに良い香りを放つ丸々と太った大きな B Dバッズ をよく見ると、表面は白濁はくだくしたT C トライコーム(油脂線)の油脂に覆われてキラキラと光り輝き、手で触れるとベト付いた。

 指に付いた B Dバッズ の油の臭いを嗅ぐと、猛烈な H Hハシシ の香りが鼻を突く。


 「ヤッベーなコレ……。ヤッベーぞコレ……」


 二人はふざけて同時に何度か言うと、紅く染まった互の眼を見合わせて噴出した。そして笑いながら拳を突き合わせる。


 「完璧な S M シンセミアじゃん! 」

 「そうね、確かに種無しの、完璧な S M シンセミア だわ! 」


 圧倒的な存在感と奇抜な美しさで夕陽に照らされ黄金に輝き、熟しきった強烈な香りと超自然体で神秘の波動を放つ S M シンセミアを、卍と巴は細部にいたるまで臭いを嗅ぎながら舐めまわすように、紅い眼に焼き付けて観察する。


 暫く G J ガンジャを見回して、卍がふところから J Tジョイント が数十本つまったキャメルのソフトパッケージを取り出すと、突然強く吹いたつむじ風にあっという間にラクダが宙に舞い、風に飛ばされて川に流された。


 「ヤバッ!、 J T ジョイント が川に流されちゃった! 」

 

 夢中で G J ガンジャに見入っていた巴は、怪訝けげんな顔して振り返る。

 

 「なに、マジで! 」

 「マジで、あれに J T ジョイントが全部入ってたんだけど……」

 「マジかよ? 」 

 

 巴はあわてて川面に J Tジョイント を探すが、もうとっくに流されてしまっていた。

 

 「まぁいいじゃない、この S Mシンセミア が風を吹かせたのよ、私の前に薄汚れたビッチを出すんじゃないよって。この気高く熟しきった、黄金に輝く美しい処女がね……」


 巴も S M シンセミアを見付けたからまぁいいかと、卍と一緒に河原に1本生えるS M シンセミアの周りをうろつき、他にも生えていないか隈なく探すが、けっきょく河原に生えていたのはこのS M シンセミア1本だけだった。


 「ここに1本だけS M シンセミアが生えているという事は、この近くに G J ガンジャの群生地は無いって事ね。明日はもっと川の上流へ行ってみるわ! 」


 熟した B Dバッズの臭いを嗅いで卍が言うと、すっかり傾いた紅い夕陽に染められるS M シンセミア の根元に指を差す。

 

 足に装着したサバイバルナイフを二人が抜くと、夕陽に照らされたナイフがギラリと輝く。

 

 いよいよ神懸かり的に黄金に光り輝きだした G J ガンジャに、二人はナイフを振り下ろす。

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